十・『静かなる死神』

 

「私の目の前で、それ以上はさせませんよ」

 

 空薬莢が地面に落ちる硬質な音と共に、その声は路地裏の暗がりから聞こえた。

 そして、永谷の爪の一本が、半ばからへし折られてアスファルトに跳ねる。

 永谷は、その自らの折れた爪を面白そうに眺めた後、声の方を向いた。

 

「へぇ……もう、嗅ぎ付けてきたのか。流石は、UGNの犬、と言ったところかな?」

 

 顔に、あからさまな侮蔑を浮かべて、暗がりに向けて言葉を放つ。

 

「ねぇ、『静かなる死神』。いや……木ノ坂、知徳と言ったほうがいいかな?」

「別に。どちらでも好きなように」

 

 侮蔑を込めた自らの言葉を、無感情に返された永谷の顔に、一瞬憎悪の色が浮かぶ。

 そして、先ほどよりも険しい視線で、暗がりを睨みつけた。

 その暗がりから、木ノ坂がゆっくりと歩み出てくる。

 木ノ坂の右手には、白銀に光る凶器――リボルバーピストルが握られていた。

 そして、その今だ白煙を上げている銃口は、正確に永谷の額に狙いを定めていた。

 木ノ坂が所持している物を見て、永谷の顔から憎悪が消え、代わって再び嘲笑が顔に浮かぶ。

 

「ふぅん? 昨日とは違う玩具だね、それ? まあ、所詮は豆鉄砲だけど」

 

 だが、永谷の嘲笑も木ノ坂の表情を動かすことはできない。

 木ノ坂は永谷の額から狙いを逸らさずに、淡々と言った。

 

「昨日は少々侮っていましたから。今日は念を入れさせてもらいましたよ」

 

 そして、木ノ坂は表情を一切動かさず、淡々とした口調と同じように淡々と引き金を引いた。

 迷わず、二回。

 爆竹が弾けるような乾いた音を後に残し、二発の銃弾は永谷の額に向かって走る。

 だが、永谷はそれを避けようともせず、薄ら笑いを浮かべたまま、それを自らの体で受け止めた。

 その額に黒い穴が二つ穿たれ、後頭部が弾ける。

 そこから、頭蓋に詰まっていた内容物が飛び出し、アスファルトに奇妙な模様を描きいた。

 

 永谷は豆鉄砲と言ったが、そんなことはない。

 木ノ坂が手にしたリボルバーは、日本の警察官が使うような小口径のものではない。

 命中すれば人体を易々と貫通し、その背後にある物にまで突き刺さるであろう、大口径の代物だ。

 それを、額に二発。常人ならば即死してもまったく不思議ではない。むしろ、生き残るほうがおかしい。

 だが、そんな深手を負ったにも関わらず、永谷は平然としていた。 

 

「だから、言っただろう? 所詮は豆鉄砲、だって」

 

 人間が生きていくためには欠かすことのできない脳を破壊されたにも関わらず、永谷はあの嫌な笑いを消さない。

 

「ええ。どうやらそのようですね」

 

 だが、木ノ坂は永谷を上回る冷静さで引き金を引いた。

 今度は連続で三回。

 銃口から吐き出された三発の弾丸は、今度も正確に永谷の額めがけて殺到する。

 

「こりないな。その程度じゃ俺は殺せないのに」

 

 やれやれと言った様子で木ノ坂を見つめながら、永谷はその三発の銃弾をまたも全て受け止める。

 黒点が合わせて五つ。それらが集まり、大きな穴が永谷の額に開く。

 しかし、それでもやはり永谷の顔から薄ら笑いは消えない。

 

「弾の無駄遣いだよねぇ……」

「大丈夫。この程度で貴方を仕留められるとは思っていませんよ」

 

 永谷の嘲弄に、淡々と答えながら、木ノ坂は左手を懐に差し込んだ。

 引き抜かれたその手に、別な拳銃が握られている。

 先ほどまでのリボルバーよりも、さらに大きい。

 それは、直線を主とした無骨な形の自動拳銃だった。

 

「おやおや? 今日は予備もあるのかい?」

 

 永谷が軽口を叩く。しかし、それを気にも留めず、木ノ坂は左手に握った拳銃を撃ち放った。

 先ほどまでの銃声がまるで嘘のような轟音が、路地裏に響く。

 狙いは、先ほどと変わらない。永谷の額だ。

 一発、二発と銃弾が永谷の額に喰らいつく。

 弾丸に細工でもしてあるのか、着弾したところから、永谷の頭部が弾け飛ぶ。

 見る見るうちに永谷の顔、その鼻から上が削り取られていく。

 

 しかし、それでも永谷の顔から余裕と嘲弄の薄ら笑いは消えない。

 

「へぇ。なるほど……確かに威力は凄いね。一般人なら即死間違いなしだ」

「……」

 

 永谷の軽口には一切かまわず、木ノ坂は無言で弾丸を叩き込み続ける。

 永谷は平然とそれを受け止めつづけた。

 そして、木ノ坂の動作が唐突に止まった。

 静かに銃口を上げると、そのグリップから弾倉が滑り落ち、アスファルトの路面に落ちて、乾いた音を立てる。

 

「あれ、もう終わりかい? おかしいなぁ? 俺はまだ、動いているけど?」

 

 永谷の顔は、上半分が綺麗になくなっていた。その傷口からは断続的に血液が吐き出されている。

 にも関わらず、永谷は嘲笑の声を木ノ坂に浴びせた。

 だが、木ノ坂の表情は寸分も動かない。

 

 右手に握ったリボルバーから手を離すと同時に、その手を懐に差し込む。

 

  支えを失ったリボルバーが地面に向かって落下する。

 

 それが木ノ坂の膝を通り過ぎる前に、懐から手は抜き出されていた。

 そして、その手には新しい弾倉が握られている。

 

  リボルバーが落下しつづける。

 

 地面に触れるその前に、新たな轟音が路地裏に響いた。

 

  リボルバーが地面に落ちた。

 

 しかし、その音は再び響きだした轟音にかき消される。

 

 ――その速さ、まさに電光石火。

 

 頭部の上半分を消し飛ばした後、弾丸は目標を全体に変更した。

 永谷の全身に、一発一発が致命的な一撃が叩き込まれ続ける。

 

「流石に速いなぁ。けど、無駄だよ木ノ坂君。わからないかな? 学校での君の噂、あれは誇張だったのかな?」

 

 しかし、降り注ぐ弾丸の雨を物ともせずに、永谷は木ノ坂を嘲り続けた。

 やがて、再装填された弾倉も空になる。

 最後の一発が永谷の体に食い込んだのを確認すると、木ノ坂は構えた拳銃を下ろし、冷ややかに言った。

 

「ええ。通常弾や炸裂弾程度では、貴方に効果がないことは、昨日で記憶しました」

 

 その言葉を受けて、永谷の嘲弄の笑みがますます深くなる。

 

「でも、何も変えていないんだ? バカ……」

 

 馬鹿だなぁ。と続けようとした永谷の顔から、唐突に嘲笑が消える。

 代わってもはや口元しか残っていない顔に浮かんできたのは、疑問の表情。

 

「あれ……何だ……? ウィルスの活動が……鈍い?……」

 

 永谷の体に穿たれた最も新しい傷からは、血が止め処なく溢れている。

 それ以前に受けた弾丸の傷は、もうほとんどふさがっていると言うのに。

 

「傷が……? 治らない? あ……い、痛い! 痛いぃいいい!!」

 

 疑問の表情は途中から苦痛の叫びに変わった。

 今までの銃撃に身じろぎさえしなかった体が、地面に崩れる。

 そして、まったく痛みを感じていない様子だった永谷の体が、激しい痛みに痙攣する。

 

「……昨日で記憶したことを付け加えるなら」

 

 その永谷の苦悶を、無表情に眺めながら、木ノ坂が淡々と言葉を継ぐ。

 

「貴方が、自身の肉体の頑健さを頼りに、銃の威力を軽視していることも記憶しました。

そして、私の攻撃意欲を殺ぐと共に、自身の優越感のため、私の所持する拳銃程度の打撃に関しては、

回避行動を取らないということも」

 

 銃から空になった弾倉を抜き、取り出した新たな弾倉を装填しながら、木ノ坂は言う。

 

「今日は、そこを利用させてもらいましたよ」

「お、お前……なにをしたぁ?!」

 

 今や、先ほどまでの余裕を全てかなぐり捨て、苦悶の叫びを上げながら問う永谷に向かって、

木ノ坂はまったく変わらない口調で宣告する。

 

「最後の弾倉。あれに装弾されていたのは、坑レネゲイド弾。……貴方にも分かりやすく言うなら、

レネゲイド・ウィルスの働きを一時的に沈静化させる薬品を仕込んだ、オーヴァード捕縛に用いられる弾丸です」

「……そんなものを、この俺に……!」

 

 永谷が苦痛の表情の中に、憤怒と憎悪を閃かせる。

 だが、それを冷たく見下ろしながら、木ノ坂は続ける。

 

「ちなみに。従来の坑レネゲイド弾に仕込まれる薬品は、ある程度薄めて使用します。

何故ならば、原液のままではウィルスの強い拒絶反応により、対象を死に至らしめる場合があるからです。

ですが……」

 

 そこまで言った木ノ坂の表情が、初めて動いた。

 口の端が、ゆっくりと吊り上っていく。

 永谷とよく似た笑い方。しかし、木ノ坂が浮かべた笑いは、永谷の浮かべるような嘲笑ではない。

 それは、冷笑。

 永谷の嘲笑とは比べ物にならないほど、冷酷な微笑だった。

 

「今回は、ほぼ原液のまま、打ち込ませてもらいました。弾丸一発に装填できる量で、

並みのオーヴァードならば昏倒する効果をもつ弾丸を副列弾倉の合計十五発。

その全てを体に取り込んだのですから。ウィルスの働きも当然鈍くなるでしょう」

 

 木ノ坂が冷ややかに見下ろす中、永谷がよろめきながら立ち上がる。

 その様子を、木ノ坂は再び表情を消して見つめた。

 

「グ……お前……」

「それでも、完全な無力化に至らないのですから。貴方のしぶとさはゴキブリ並ですね。

まったく、驚きに値しますよ」

 

 表情は一切動かさず、木ノ坂は淡々と言った。

 永谷は憎悪を顔で唯一残った口元で表現すると、うめきながら後退する。

 しかし、それに対して木ノ坂は何もしようとはしない。

 下ろした銃口を向けようともしなかった。

 じりじりと間合いを広げていく永谷に、木ノ坂は再び冷笑を浮かべ、声を投げかける。

 

「逃げても、構いませんよ?」

「お……」

 

 そして、永谷の口が動こうとしたその瞬間。絶妙なタイミングで木ノ坂が言葉を発した。

 

「……ただし、ここで『覚えていろ』などど、月並みな台詞は言わないで下さいね」

「……」

 

 悔しげに、開いた口を閉ざして、永谷は夜の闇へと消えた。

 木ノ坂は自動拳銃を懐にしまい、地面に落ちたリボルバーも拾うと、ゆっくりとユウトの傍へと歩いてきた。

 

「大丈夫でしたか。竹塚さん」

 

 そう問い掛ける声は、どこまでもいつもの木ノ坂だった。