十一・本当の決断

 

「大丈夫でしたか。竹塚さん」

 

 どこまでも、いつも通りに木ノ坂が問い掛ける。

 だが、ユウトはぼうっとした視線で木ノ坂を見ただけだった。

 

「……木ノ坂さん、俺、見られちゃったよ」

 

 ぽつりと言葉を漏らして、また虚ろな目で空を見上げる。

 木ノ坂は答えずにユウトの顔をただ覗き込んでいる。

 

「……木ノ坂さんが言ってた、決断は早い方がいいって、こういうこと……だったの?」

 

 ユウトの言葉には感情も抑揚もなく、暗く落ち込んでいた。

 木ノ坂の言っていた決断。UGNという組織への協力を約束していれば、事態は避けられたのだろうか。

 あの時決断して、『衝動』を抑える術を少しでも学んでいれば。

 闘争に飢えた自分の恐ろしい一面を、倉木に見せなくても済んでいたのかもしれない。

 そして、心をごっそりと抉った、あの一言を聞かなくてもよかったのかもしれない。

 

「竹塚さんのお宅で起きたことは、聞いています。……心中、お察しいたします」

 

 それに答える木ノ坂の声は、普段と変わらぬ淡々としたものだ。

 

「……ですが、はっきり言わせてもらえば、私の言った『決断』と、竹塚さんのお宅で起きたことは、無関係です。

決断をしたからと言って、普通の人々から『化け物』と呼ばれずに済むわけではないのですよ」

 

 そして、その変わらぬ淡々とした口調で、木ノ坂はユウトの認識の間違いを指摘する。

 

「私の言った『決断』とは、確かに衝動を抑える術を学び、UGNへの協力をする、ということも含んでいます。ですが……」

 

 そう言った木ノ坂の表情が、変わった。

 変わったと言っても、その顔には元々表情らしい表情は浮かんでいない。

 ただ、その質が明らかに変わっていた。

 本当に何の感情も表さない、仮面のような無表情。

 

「ですが、本当に決断すべきなのは、自分が既に人ではないことを認めるということです。

……覚悟と、言い換えてもいいかもしれませんね」

 

 僅かに目を細めて、木ノ坂は言う。

 

「『化け物』。その事実を突きつけられた時に、今の竹塚さんのようにならないために。

きちんと、伝えておくべきでしたね」

 

 感情を殺した冷たい目でユウトを見下ろしながら、淡々とした口調で木ノ坂は喋る。

 その口から吐き出される言葉は、ユウトが今までに聞いた木ノ坂の声の中で、一番冷たいものだった。

 

「竹塚さん。私達は、確かに化け物なんです。これから様々な人に、何度となく、そう言われるでしょう。

ですが、それは何も貴方だけに限った話じゃない。私達のような存在は皆、自分の大切な人達からそう言われるのです。

それが、私達の得てしまった力の代償です」

 

 そう言って、木ノ坂は口を閉ざした。

 ユウトは言葉も出ない。しかし、その瞳に少しずつ、意思が戻ってくる。

 最初は、今まで聴いたこともない、木ノ坂の冷酷な声。

 そして、それは次第に別な物に置き換わっていく。

 

「……俺は、別にこんな力はいらなかった」

 

 そう言う口調は、未だに低く暗い。しかし、そこには僅かな怒りがちらついていた。

 

「しかし、得てしまった。得てしまったからには、代償は支払わなければならない。それがどんなに理不尽でも。

それがルールです」

 

 淡々と、木ノ坂は言う。

 確かに、そういうものなのかもしれない。だが、だからと言って、納得できない。

 

「わかんねぇよ! どうしたらそんな風に認められるんだよ!」

 

 納得できない気持ちをぶつけるかのように、ユウトは思わず怒鳴っていた。

 そして、思い出す。

 

「今まで同じだと思っていた奴に、あんなこと言われて、あんな目で見られて……」

 

 恐怖に震える、幼馴染の瞳を。

 枯れたはずの涙が、再び溢れてくる。

 ユウトは両手で顔を覆った。口元が引き歪み、震える声が漏れる。

 

「あんな……あんな目で見られる位なら……死んだほうがマシだ……」

「……」

 

 顔を覆ったまま、嗚咽を漏らすユウトを、木ノ坂はただ見つめていた。

 その顔には、同情も哀れみもなく、ただ仮面のような無表情があるだけだ。

 唐突に、その口が動いた。

 

「竹塚さん。今、死にたいですか?」

 

 静かに、そう告げる。

 ユウトは顔を覆っていた手を僅かにずらすと、ほんの少し驚いた目で木ノ坂を見上げた。

 

「え……?」

「死にたいのであれば、お手伝いします。……ここに、先ほどの抗レネゲイド弾が一発、あります。

これを竹塚さんの頭に私が撃ち込めば、それで、終わります。ほとんど痛みはありません。楽に死ねます」

 

 そう言う木ノ坂の手には、先ほどの白銀のリボルバーが握られていた。

 撃鉄はすでに起きており、銃口はユウトの額に狙いを定めている。

 

「木ノ坂さん……?」

「化け物という言葉が、竹塚さんをそこまで絶望させるというのなら、仕方がありません。

これから先、そう言われる度にそんな思いをするのは辛いでしょうから。

それに、そんな考えでは遠からず自分に絶望して、ジャームになってしてしまうでしょう」

 

 木ノ坂の手は微塵も動かず、銃口はユウトの額を狙い続ける。

 ユウトは木ノ坂が本気だと言うことを、声から感じた。

 

「その前に。ここで、終わりにしましょう。……今なら、人として終わることができます」

 

 木ノ坂の指が引き金に掛かる。

 ユウトは突きつけられた銃口を見つめたまま動かない。

 

「……」

「……」

 

 そして、二人は沈黙したまま停止した。

 降り続ける雨の音だけが、路地裏に響く。