十二・『覚悟』

 

 雨音が妙に大きく、耳に響く。

 銃口が、自分の額に狙いを定めている。

 その銃口をユウトは見詰め続けていた。

 木ノ坂が引き金を引けば、あそこから銃弾が飛び出して自分の脳髄を破壊するだろう。

 そうすれば。

 

(楽に、なれる)

 

 そう、楽になれるのだ。

 死ぬことは、自分にとっては救いである、はずだ。

 化け物と呼ばれることに耐えられない。

 友人から、家族から、恐怖の目で見られることに耐えられない。

 そんなことが、これから幾度となく待ち受けているというのなら、死を選ぶ、べきだ。

 「人として」。

 木ノ坂はそう言った。

 そう、人として終われるというなら、それは歓迎すべきことだ。

 

(けど)

 

 だけど。

 ユウトは自分を救ってくれるはずの銃口を睨み付けた。

 

(それで、いいのか?)

 

 死を選ぶのは簡単だ。

 だけど。

 

(そんな簡単に、選んで……いいのかよ?)

 

 ユウトの中で、疑問とでも言うべき思いが頭をもたげた。

 死ぬのは簡単だ。後腐れはない。ただ、悲しむであろう人がいるだけだ。

 だけど。

 

(放って置いて、いいのかよ。奴を)

 

 『奴』は言った。

 自分だけじゃない。自分の家族、それに……あいつも、すぐに行くと。

 今ここで、死という選択をするならば、自分の家族も、そしてあいつも、後を追わされるのだろう。

 自分の死に悲しんでくれるであろう、人達が。

 

(……冗談じゃない)

 

 後腐れがないなんて、嘘だ。

 自分が死ねば、自分の大切な人も、死ぬ。いや、殺される。

 

(冗談じゃ、ねぇぞ! 俺一人死んで終わりなんかじゃねーじゃねぇか!!)

 

 自分は、何を馬鹿なことを考えていたのだろう。

 唐突に、ユウトの体に力が戻った。

 体を地面に縛り付けていた無気力さが、消え失せていく。

 

(殺させて、たまるか。絶対に!)

 

 木ノ坂の決断とはまた別な、ユウトの決断。

 それを下した瞬間に、ユウトは自分の取るべき行動を見出した。

 

「……あのさ、木ノ坂さん」

 

 ユウトは銃口から視線をはずし、無表情に自分を見下ろす木ノ坂の目を見る。

 

「なんですか」

「悪いんだけど……この銃、退けてくれる?」

 

 顔に困ったような笑みを浮かべて、ユウトは自分の額を未だに狙い続ける銃口を指差した。

 

「……おや。死にたいのではなかったのですか? 生きていくなら、また化け物と呼ばれますよ?」

 

 ユウトの顔を見て、声に若干のからかいの色をにじませながらも、木ノ坂は素直に銃を退けた。

 

「決断は……いえ。覚悟は、できましたか。竹塚さん」

 

 懐に銃を収めて、木ノ坂は淡々と問い掛ける。

 ユウトは緩やかに首を振った。

 

 木ノ坂の言う決断が、覚悟ができたかと問われれば、こうして首を横に振るしかない。

 自分は人間のつもりだ。どんなに異常な力を得てしまったと言っても、自分は人間だ。

 同じ人間から化け物と呼ばれても、それを認めてしまうことは、できない。

 認めてしまえば、自分はその瞬間から本当に、『化け物』になってしまう。

 それだけは、絶対に認められない。

 

「……化け物って言われんのは辛いよ。耐えられるかどうか、分からない。

いや。正直、耐えられる自信なんてない」

 

 ユウトは右手を持ち上げると、じっと凝視した。

 開いていた手を、握り締める。

 

「だって、俺は人間なんだ。ただ、ちょっと変な力を持っちまった、人間なんだよ」

 

 ユウトは、少し悲しげに自分の手を見た。

 昨日までと何も変わらない、自分の手。しかし、その中にはただの人にはない、異常な力が流れている。

 自分は、変わってしまった。そのことが、ユウトの心を暗くする。

 

「こんな力を持て余して、なんだっけ。ジャームだっけ?

そんなもんになるくらいなら、死んだ方がマシだと今でも思うよ。けど……」

 

 そう言って、ユウトは目を閉じた。

 そして、思う。

 自分は人間なのだと。

 

「けど、木ノ坂さん言ったじゃん。今なら「人として終われるって」さ。

ってことはさ。俺はまだ化け物じゃないってことだろ? 本当の化け物じゃ」

 

 目を開いて、静かに言う。

 自分が、何者であるかを。

 

「俺は……『竹塚 ユウト』って、人間なんだ」

 

 言ってしまうと、随分と気が楽になった。

 そう。まだ、自分は化け物じゃない。本当の化け物は、力に溺れ人の心を失った者たち。

 永谷の、嫌らしい笑いが浮かんでくる。

 ユウトの脳裏に、その永谷に笑いながら殺される家族が、倉木の姿が浮かぶ。

 

「それに、俺が死んだら、あの野郎喜ばせるだけじゃん?」

 

 ユウトは、にっと笑って体を起こした。

 

「あいつ、なんか知らないけど俺のこと嫌ってるみたいだし。

俺、自分を嫌ってる奴を喜ばせてやるほど、お人好しじゃねーし」

 

 髪をかきあげ、水滴を払う。

 その目には、最早空虚な色など無い。

 表情を、真剣なものに変えて、ユウトは言葉を紡ぐ。

 

「あいつ言ってた。俺の次は、俺の家族。そいで……」

 

 そこで、口篭もる。

 なんと呼べばいいのか。迷う。

 少しの間逡巡してから、いつもの言いなれた呼び方に落ち着いた。

 

「部長も、殺すってな」

「……なるほど。それで、竹塚さんはどうするつもりですか?」

 

 表情を動かさずに、木ノ坂はユウトに問い掛けた。

 ユウトは立ち上がり、そして言った。

 

「あの野郎を止める。俺、家族好きだし。育ててもらった恩返しもしてないからね。

それに、部長も……まあ、その。一応お隣さんだし」

「……素直に、大事だと言ったらどうですか?」

 

 木ノ坂に言われて、ユウトは頬が火照るのを感じた。

 大事? 自分が、倉木が大事?

 自問する。

 その解答は。

 ……今はまだ、保留。

 

「……べ、別に、大事だなんてわけじゃないよ。ただ、有能な部長がいなくなったら、部員が困るだろ?

それに、アイツが俺を嫌ってるのとおんなじで、俺はアイツが嫌いだ。

ってか、やられっぱなしってのが、かなりムカツクんでね?」

 

 結局、口をついて出たのはそんな台詞だった。

 木ノ坂は軽く肩をすくめるだけだ。

 

「……望んだわけじゃないけど、俺、力を手に入れちまったし。折角使えるなら、使わないと損だろ?」

 

 自分でそう言って、ユウトは苦笑を浮かべた。

 我ながら、安っぽい理由だと思う。

 大事な人を守る。そのために、今は死ねない。

 けど、そんなもので十分なんじゃないか? とも思う。

 死ねない理由なんて、戦う覚悟をする理由なんて、そんな安っぽい理由で十分なんだろうと。

 

「ま、私は何でも構いませんけれどね。……けれど、竹塚さん。いいんですか? もし、ご家族に竹塚さんの力が知られたら……」

 

 木ノ坂は淡々と事実だけを言おうとした。

 だが、ユウトはそれを苦笑いを浮かべたまま遮った。

 

「あー。今は考えたくないから、言わないで。言われたら、そん時にまた悩むよ」

 

 ユウトの言葉に、木ノ坂は溜息をつきながらも苦笑した。

 

「……まあ、竹塚さんらしいと言えばらしいですね。行き当たりばったりで」

 

 まったくもってしょうがない、とでも言うような木ノ坂の口調に、ユウトの顔が憮然となる。

 

「……先生、それは、俺をけなしていますか?」

「いいえ? 誉めているつもりですが」

 

 木ノ坂は満面に笑みを浮かべて断言した。

 しかし、滅多に笑みらしい笑みを浮かべない木ノ坂が、そういう表情を作ると、いかにも嘘臭かった。

 

「……ダウト。木ノ坂さんが笑ってる時点で、嘘だ」

「おや。随分とひどい言われようですね……。まぁ、私もそうだろうとは思いましたが」

 

 木ノ坂は一瞬で微笑を収めると、真顔に、つまり無表情に戻って口を開く。

 

「……ところで、竹塚さん」

「なに?」

「彼の居場所、わかっていますか?」

 

 言われて、ユウトははじめて気が付いた。

 自分には、『奴』、永谷のいそうな場所がわからない。

 

「あ」

 

 思わず、間の抜けた声が漏れる。

 木ノ坂が深々と溜息をついた。