十三・見敵
「はい。分かりました……いえ、大丈夫でしょう。それで問題はありません」
電話に向かい、木ノ坂が淡々と言葉を発している。
ユウトは木ノ坂に連れられ、再び彼の部屋を訪れていた。
ユウト自身はすぐにでも永谷を探しに行きたかったのだが。
「闇雲に探し回る気ですか?」
と、走り出した矢先に木ノ坂に突っ込まれ、
「竹塚さんは、本当に無駄なことがお好きですね」
と、淡々と言われた挙句。
「今は大人しく私についてきてください。……いいですね?」
と、有無を言わさぬ口調で締められて、不承不承ついて行くこととなった。
そして、木ノ坂の部屋に待機し始めてから、既に数時間の時が経っていた。
その間に、木ノ坂の部屋の電話が定期的に鳴った。そのいずれも探索の状況を報せる連絡だった。
だがしかし、その内容はあまり大きな変化はなかった。
伝えられる内容は決まって 『対象、未だ発見できず』 だった。
そのたびに、木ノ坂は探索の継続を指示していた。
「それでいいでしょう。では、引き続き捜索を続行してください」
今もまた、淡々とした声で言い放ち、受話器を下ろす。
それを見ているユウトには、もどかしい気持ちばかりが蓄積されていく。
ユウトには木ノ坂を信じるしかない。
信じるしかないのだが。
「……なぁ、木ノ坂さん。本当に見つけられるのか?」
電話を切り、部屋へと戻ってきた木ノ坂に、思わず問い掛けてしまう。
その問い掛けに、木ノ坂は無表情に答える。
「その質問は、何度目でしょうね? 大丈夫です。安心してください」
「……でもさ」
安心しろと言われても、そう簡単にはできない。
永谷は危険だ。
奴こそ、自分の恐れる 『化け物』の体現者だ。
わずかな回数の接触でも、その異質な精神はユウトに強烈な印象を与えていた。
だからこそ、放って置く訳にはいかない。
今からでも、自分自身で探しに行きたい。
そう思い、なおも言い募ろうとするユウトを制し、木ノ坂がさらに言葉を重ねた。
「我々の目標である『永谷 明弘』は、行動範囲が広いわけではありません。
基本的に、我々の暮らすこの町から出ることはない。これは今までの調査で判明している事実です」
そう言うと、木ノ坂はテーブルに広げられた地図に視線を落とした。ユウトも釣られて地図を見る。
かなり大判なそれは、ユウト達が暮らす町を中心とした地図だった。周囲には近隣の町も描かれている。
地図の各所に点々と赤いマーキングがされており、その全てがユウト達の暮らす町の中に収まっていた。
近隣の町には赤い点は一つもない。
その赤い点を、木ノ坂が指で指す。
「この赤い点は、彼本人の言うところの『食事』をしたと思われる場所です。
ご覧のとおり、この町の外には点はありません」
確かに、木ノ坂の言うとおりだ。だが、ユウトは点の範囲を見ながらつぶやく。
「……でもさ、この町って言っても……」
地図の上に記された点をざっと眺めたユウトの眉がしかめられる。
確かに、点の全てが町の中には収まっている。
しかし、その点の個所はバラバラで、最も離れている点と点を結べば町を縦断するような線すら引ける。
「……俺には、かなり広い範囲のように見えるんですが。先生」
「まあ、そう見えるのも仕方がありませんね。ですが……」
そう言って、木ノ坂は懐から取り出したペンで、いくつかの特定の点を指し示した。
「この場所と、ここ。さらに……ここ。どうです。何かわかりませんか?」
そう言われて、ユウトは木ノ坂が示した点をもう一度見返した。
点はただ地図の上に描かれているだけで、特に変わったことはない。
強いて言えば、付近にいくつか同じように点があるということだけだ。
「……?」
ユウトが首をかしげると、木ノ坂は軽く溜息をつき、ペンを地図上の最も北にある点へと向けた。
それに従い、ユウトはその点を見る。
そして、あることに気が付いた。
最も北にあるその点の周囲に、同じようなマーキングはない。
「……あれ? 変に点が集まってる場所と、そうでない場所がある……?」
「ようやく、気が付いてもらえたようですね」
木ノ坂が淡々と言い、周囲に点が集まっている場所を指す。
「これは先ほども言ったように、彼の『食事』が行われた場所です。その範囲は確かに広い。
広いですが、重要なのは広さではなく、回数なんですよ」
そういいながら、いくつかの点をペンで囲む。囲まれた範囲にはそれぞれ点が集中していた。
「特に回数の多いこれらの地点。そこは彼のいわゆる『狩場』なのでしょう。
おそらく彼は、その狩場を定期的に巡回し、『食事』を行っていたと思われます」
そういいながら、木ノ坂は囲まれた個所を包み込むような円を描く。
「そこから導き出された範囲が、今私が書き加えたこの円です。これが、彼の基本的な行動範囲となります。
おそらく、彼は今、この範囲内のどこかにいるはずです。」
円で囲まれた区域は、確かにあまり広くは無い。だが、狭すぎるわけでもなかった。
「それでも、狭すぎるって訳じゃない……ように見えるんですが」
ユウトは自分の素直な感想を言うと、少しだけ後悔した。
木ノ坂のことだ、ここからさらにもう一歩踏み込んだ考えがあるのだろう。
だが、木ノ坂は軽く頷き、ユウトの言葉を肯定する。
「そうですね」
「いや、そうですねって。そんなあっさり言われても……」
至極簡単に肯定され、肩透かしを食らったような気分で、ユウトは顔をしかめた。
だが、木ノ坂は軽く口の端を吊り上げると、言葉を発した。
「確かに、狭すぎはしません。一個人で探すには少々骨が折れるでしょう。
ですが……範囲さえ分かってしまえば、後は人の数で補うだけなんですよ」
そう言って冷たく微笑む木ノ坂の顔は、ユウトが普段見る無表情とはどこか違った。
まるで、狩りをするハンターのように、研ぎ澄まされた光が、目の奥で光っている。
「加えて言えば、先ほど私が与えた打撃がその行動範囲を狭めているでしょう。
深手を負い消耗した時は、自分の縄張りの中で傷を癒すことを最優先にするはずですから。
おそらく、彼は自分の本拠地と言うべきところに戻っているはずです」
「……なんで、そうなるの? 消耗してるなら、その辺の人を襲って早く回復しようとするんじゃない?」
ユウトが疑問を口にすると、木ノ坂はゆっくりと首を振った。
「それはありません。竹塚さんが言うような行動を取れば、私たちに補足されやすくなるでしょう?」
「あ。そうか……」
「その辺り、彼はきちんとわきまえていますよ。私たちの監視の目にかからないよう、慎重に『食事』を繰り返していますから」
「……そうなの?」
「ええ。この赤い点の数がその証拠です。私たちが気づいたのも最近ですから……」
そこまで言ってから、木ノ坂は申し訳なさそうな顔をした。
そして、唐突に頭を下げる。
「すいません。竹塚さん」
突然の謝罪に、ユウトは驚いて目を丸くする。
「え? な、なに? 突然……」
「私たちがもっと早く彼の存在を見つけ出し、処理していたなら。竹塚さんをこんな世界に連れてくることもありませんでした」
「……あ」
言われてみればそうだ。
ユウトが今こうしている原因は、永谷にある。
永谷が木ノ坂達によって、もっと早く対処されていたら、ユウトはこんな状況にはならなかった。
そうなると、ユウトが今こんな理解し難い状況に追い込まれた原因が、木ノ坂にも。いや、木ノ坂のいる組織にも原因があることになる。
「……いや、しょうがないさ」
だが、ユウトは静かにそう言った。
本当は思い切り罵りたかった。当然だ。死ぬような目にあって、オマケに現在もその状況は変わらない。
しかし、それでもユウトには木ノ坂を罵ることは出来なかった。
「ってーか、俺はまだ運がいい方かもしれないって思うんだ」
「……」
ユウトの言葉に、木ノ坂は無言で疑問の表情を浮かべている。
「ええと……なんて言うか……。
そう、あの野郎、この赤い点の数だけ人を……その殺してるわけだろ?」
「ええ。そうですね」
ユウトの示した赤い点を見ながら、木ノ坂が頷く。
「じゃあさ、もしかしたら俺、その中に含まれてたかもしれないじゃん?
で、運が悪かったら、俺は襲われてそのまま死んでたかもしれない。
ってーか、あいつの口ぶりからすると、俺あの野郎にかなーり嫌われてたっぽいから、
結構高い確率で襲われてたんじゃないかな?」
「……」
「まあ、なんてーか。上手く言葉にできないんだけどさ。
俺は今生きてて、んで、あの野郎と同じ力があって、対抗できる。
それならそれでいいやって、思う。ってーか、思うことにした」
ユウトはそう言ってニヤリと笑った。
元々、後ろ向きの考えは嫌いだ。後ろ向きに考え始めたらユウトはその考えから抜け出せなくなる面がある。
路地裏での一件もそうだ。
だから、意図的に後ろ向きに考えないように勤める。そうすることで、ユウトは何とか前に進んできたのだ。
「そうでも思わないとさ、正直やってらんないし。それに今更謝られてもしょうがないじゃーん?」
「……そうでしたね。私が謝ったところで、竹塚さんの体が元に戻るわけではありませんし……」
「そう言うこと。こうなったらこうなったで、まあ何とか上手く付き合うしかないって思うようにするよ」
そう言って、ユウトはもう一度笑った。
力強くは無い。嬉しそうでもない。仕方ないや、と言った感じの苦笑いを浮かべる。
しかし、その表情は一瞬で消え去り、目つきが鋭くなる。
「でも、今はあの野郎を何とかしなけりゃね」
木ノ坂は表情を消して――即ち、いつも通りの表情に戻って頷いた。
「ええ。そうですね」
「でさ、どう? 見つかりそうなの?」
ユウトの言葉に、木ノ坂は静かに頷く。
「ええ……今、UGNの偵察部隊が捜索の輪を狭めながら、彼の本拠地を探しています。
私の読みが正しければ、そろそろ何らかの発見の報告がくるはずですよ」
「そうなんだ?」
「ええ。大丈夫です」
表情はあくまで普段どおりに。ただ、静かな声だけに確かな自信を滲ませて、木ノ坂は口を閉ざした。
ユウトもそう言われては同じように口を閉ざすしかない。
つい昨日まで一介の高校生であったユウトには、特定人物の探索と言うものの難しさが、よく分からない。
「……竹塚さんが焦る必要はありません。必ず、見つけます。UGNは無能者の集まりではないのですから」
「……うん」
UGNという組織の実力がどれほどのものか、ユウトにはさっぱり分からない。
だから、大人しく頷くだけに留めた。
しかし、心の中でユウトは焦っていた。
永谷がいつ動くかも分からない。次はどんなことを企んでいるのか、そればかりが頭に浮かぶ。
そんな自分を見ていた木ノ坂が、やれやれとでも言うように頭を振った。
「とりあえず、お茶でも淹れましょう。少し待っててください」
「あ、いや……」
「そんなに焦っていては、いざと言う時に遅れを取ります。気を落ち着かせてください」
「う……」
木ノ坂に言われて、ユウトは言葉を失う。
なんでばれたのだろう?
「竹塚さんは、顔に感情が出すぎます。少し意識して、感情を隠すことを覚えることをお勧めしますね」
「……木ノ坂さんみたいになれと?」
ユウトが言うと、木ノ坂が珍しく驚いたような顔をした。
だが、すぐにそれを引っ込めると、にやりと笑ってからかうように言った。
「私のようになりたいのであれば、教えて差し上げますが……かなり難しいですよ?」
「……いや、冗談だから。勘弁して下さい……」
「おや、残念ですね。色々と便利なんですが」
「どういう風に……」
「それは言わぬが花、というもので……」
木ノ坂が元の無表情に戻ったところで、部屋の電話が鳴った。
「……少し失礼します」
木ノ坂はそう言って席を立ち、受話器を取る。
一言二言言葉を交わすと、その目がわずかに細まり、鋭い眼光を帯びた。
「……そうですか。分かりました。いえ、貴方達はその場で待機。目標の逃亡に備えてください。
私ともう一名が現場に向かいます。分かっているとは思いますが、くれぐれも手出しはしないように。以上です」
そう言うと、木ノ坂は受話器を戻した。
そして、ユウトの方を向くと、淡々と言葉を紡ぐ。
「……申し訳ありませんが、お茶はお預けとなってしまったようです。竹塚さん」
その言葉と、会話の内容から、ユウトは悟った。
ユウトが待ち望んでいた報告がとうとうやってきたことを。
「……見つかったんだね?」
確認のための問いに、木ノ坂は無言で頷いた。
そして、傍らにあった机の引出しを開けると、中から路地裏で見た自動拳銃を取り出す。
無表情に動作を確認する。確認が終わると静かにそれを懐に差し入れた。
そこで、ようやくユウトの方を向き、口を開いた。
「では行きましょうか。竹塚さん」
「……どこに?」
ユウトの問いかけに、木ノ坂は無言で背を向けた。
「……私達のよく知っている場所ですよ」