十四・『よく知っている場所』

 

 ユウトは木ノ坂に伴われ、永谷の『巣』とでも言うべきその場所にやってきた。

 だが、そこに辿り着いたユウトの口から漏れた言葉は。

 

「……俺達のよく知ってる場所って……木ノ坂さん。マジで、ここ……?」

 

 何か信じられない。いや、信じたくない。というような口調で語られた。

 それに答えるべき、木ノ坂もまた、普段の無表情よりも一層表情を消していた。

 

「……ええ。間違いありません。灯台元暗し。とはよく言ったものですね」

 

 そう言う声からも、感情は一切感じられない。

 木ノ坂の返答を聞いて、ユウトはまた自分の目の前に広がる光景に目を向けた。

 とても、よく見知った場所だ。本当にとてもよく知っている。

 当然だ。なぜなら、そこは。

 

「……だって、ここ……俺らの学校じゃん?!」

 

 ユウトの叫びが示すように、そこは私立竜ヶ臥学院高校の正門前だった。

 木ノ坂は僅かに肩をすくめるだけだ。

 

「……俺らがふつーに通ってた所が、あの野郎のネグラってか……? 冗談にしちゃ、出来が悪いって……」

 

 ユウトは苦々しく吐き捨てると、自分が二年以上通った学校を見回した。

 夜も更けて、学校の周囲には人気はない。

 普段見慣れた学校も、今はどこか異質な空気を孕んでいるように見えて、ユウトにはひどく不気味に映った。

 

「ってーことは何か。あの野郎はどっかで人を……殺して。たまにここでご休憩ってこと?」

「……まあ、表現は置いておいて。そういうことになりますね」

「……すげぇ胸くそ悪ぃ話だね」

「ええ。その意見には私も賛成です」

 

 二人の言葉が淡々と交わされる。だが、その淡々としたやり取りが、かえって二人の感じている憤りの大きさを物語っていた。

 

「……さて、行きましょうか。竹塚さん」

 

 やはり淡々と、木ノ坂が言った。

 あくまでも冷静なその表情。しかし、その目だけが凍えるような冷たさを含んで校舎を見据えている。

 

「そだね。いこか」

 

 淡々と、ユウトが答える。

 答えた言葉とは裏腹に、その表情は険しい。半眼にされた瞳に、激しい敵意がちらつかせ、校舎を睨み付けている。

 

 そして、二人は同時に一歩を踏み出した。

 いつも通り、登校するかのように開かれた正門を通り抜ける。

 

「……?」

 

 だが、通り抜けるその瞬間、ユウトは僅かに違和感を感じた。思わず進めようとしていた足が止まる。

 普段感じていた物とは明らかに違う空気が、ユウトの肌を刺激する。

 

「……どうかしましたか。竹塚さん」

「……ん。ちょっとヘンな感じがしてさ」

 

 ユウトの漠然とした言葉に、木ノ坂は軽く眉を寄せた。

 

「変、と言うと?」

「んー……なんつーの? 嫌な感じ、とか。居心地悪いとか。そんな感じなんだけどさ」

 

 ユウトが正直な感想を漏らすと、木ノ坂は「ああ」と無表情に言った。

 

「そう言うことですか。それなら別に気にすることはありません。ここが当たりだという事ですから」

「当たり?」

「そうです。これで彼がここにいる事がはっきりと分かりました」

「??」

 

 木ノ坂の言う意味が掴めず、ユウトは訝しげな表情を浮かべる。

 それを見た木ノ坂は淡々と説明を始めた。

 

「今、竹塚さんが感じている違和感。それは彼が展開しているワーディングによるものでしょう」

「わーでぃんぐ?」

 

 耳慣れない単語に、ユウトは首を傾げた。

 木ノ坂は構わず説明を続ける。

 

「ワーディングとは、簡単に言えば『結界』とでも言いましょうか。

私達の体内に存在するレネゲイド・ウィルス。これが様々な効果を生み出すことは既にお分かりかと思いますが」

「あーうん」

 

 木ノ坂に言われて、ユウトは思わず自分の手の平を見た。

 自分は己の血液、そして空間自体を自在に操る事ができる。

 能力の制御を上手くすれば、自分の血液から擬似的な生命を生み出したり、空間に干渉することで様々な行動が取れる。

 学校に来る道すがら、木ノ坂から受けた簡単なレクチャーでそれをユウトは教わっていた。

 

「私達はそのウィルスを利用し、体内で特殊な化学物質を生成、撒布することが出来ます。

この化学物質は常人、つまりオーヴァードではない人々の神経に作用し、様々な反応を引き起こします。

例えば、絶対的な恐怖や強い嫌悪。さらには本能的な忌避……分かりやすく言うと、『近寄りたくない』と言う感情ですね。

この能力を利用し、任意の空間を常人から隔離する。それがワーディング、と言う能力になります」

「はー……」

「また、基本的にワーディングに巻き込まれた一般の人々は行動不能に陥ります。

よって、ワーディングを悪用すれば、様々な犯罪も可能となるでしょう。

これは推測になりますが、彼もこの能力を使って『食事』をしていたのではないでしょうか」

「そうなの……あれ? それじゃ俺達みたいなのには?」

 

 ユウトが自身に異変が無いことを訝しがるように、体をぺたぺたと触るのを見ながら、木ノ坂は軽く溜息をついた。

 

「……一般の人々、と言った意味を考えてください。同類たる私達にはそのような効果はありません。

それどころか、むしろ同じ存在が近くにいると言うことを教えてしまうようなものです」

 

 木ノ坂の流れるような説明に、ユウトはただ頷くことしか出来ない。

 とりあえず頭の中で聞いた事を整理して、今の状況を把握する。

 

「えと、つまり……俺がそれを感じたって事は……」

「ええ。彼は今ここにいて、人を近寄らせないようにワーディングを張っている。そう言う見方ができるでしょう」

「なるほどね……だから、当たりってわけか」

 

 ユウトの言葉に、木ノ坂は無表情に頷いた。

 

「さて、それでは彼を探しましょう。ワーディングが張られているということは、私達にとっても好都合ですから」

「へ? そーなの?」

 

 ユウトが思わず問い返すと、木ノ坂は半眼でユウトを見た。

 

「……普通の人々がうっかりとここに迷い込んできたら、どうするんですか?

行動不能になるとはいえ、記憶が無くなるわけじゃないんですよ?

まさか、まったく気にせずに大立ち回りでも演じるつもりですか?」

「あ」

 

 淡々と言われて、ユウトは言葉を失う。

 木ノ坂は溜息一つを残すと、さっさと昇降口に向かって歩き出した。

 

「あ、待ってくれよ木ノ坂さーん!」

 

 慌ててその後を追うユウト。そして二人は校内へと踏み込んだ。