十六・そして、『巣』へ

 

「もう、講義はいいってのっ!!」

 

 そう叫びながらユウトは凝縮した水の刃を撃ち放つ。

 それは過たず、こちらに向かってきていた従者を断ち割った。

 その一撃で、従者は元の血液に戻り、床に新たな血溜りを作り出す。

 

「おや、軽口が出るとは。随分と余裕が出てきてますね。竹塚さん」

 

 冷静にユウトを観察しながら、木ノ坂が無造作に銃撃を放つ。

 放たれた弾丸はユウトの背後に忍び寄っていた別な従者を捕らえ、弾き飛ばす。

 弾丸を撃ち込まれた従者は、空中で四散し、周囲に赤い斑模様を描き出した。

 

「ただ、もう少し周囲を気にした方がいいですね」

 

 空になった弾倉を落とし、新たな弾倉を装填しながら、木ノ坂は淡々と言った。

 言われたユウトはげんなりとした表情を作る。

 息一つ乱れてない木ノ坂とは対照的に、ユウトは大きく肩で息をする程疲労していた。

 力を抜いたら、そのままその場に座り込みそうだ。

 

「軽口じゃなくて、本心です先生……」

 

 ユウトは荒い息を整えながらそう言って、周囲を見回した。

 今、ユウト達がいるのは、教室棟と渡り廊下で繋がっている第一体育館だ。

 辺りには従者達の残骸とも言える赤い水溜まりがあちこちに出来ているが、今は静かさを取り戻している。

 

「ったく……後から後から沸いて出てきやがって・……」

 

 ユウトは吐き捨てるように言うと、周囲に漂う強い血の匂いをかいで、うんざりした表情を浮かべた。

 踊り場の三体の従者を突破した後、ユウト達は体育館へと足を踏み入れた。

 そして、その瞬間から無数の従者達の襲撃を受けたのだった。

 だが、従者一体一体の強さはさほどでもなかった。大体が一撃を加えれば力を失う程度のものだ。

 

「粗製濫造、と言った所ですか。焦ってますね。彼」

 

 淡々と木ノ坂が言うと、まだ肩で息をしながらユウトは首を傾げた。

 

「焦ってる? どういうこと?」

 

 木ノ坂は周囲を見回しながら、やはり淡々とした口調で言う。

 

「思い出してください。竹塚さんが昨日今日と相手にした怪人がいたでしょう?」

「……ああ」

 

 そう言われて、ユウトの顔が苦いものになる。

 ユウトがこの異常な力を手に入れることになったのも、一時は死すら厭わない絶望を味わうきっかけを作ったのも。

 全ては同じ。永谷が作り出した従者だった。

 従者であると言うなら、一度殺してもまた同じ姿形の者が現れても何ら不思議ではない、と今ではそう思う。

 

「恐らくは、あれが彼の作り出す従者の中で、平均的な強さを持った固体なのだと思われます。

私も何度か相手にしたことはあるんですが、ここまで脆くはありませんでした」

 

 木ノ坂に言われて、ユウトはまだ新しい記憶の中から自らが撃退した従者について思い返した。

 嫌な記憶だが、その中の従者は確かに今相手取った連中よりも手強かったように思える。

 

「……ん。確かに……あれに比べればなんか動きも鈍かったよーな?」

 

 衝動に流されていたせいではっきりとした記憶ではない。

 だが、今のように、戸惑いながら力を使っている状態で勝てるかどうかと問われれば、

 恐らく、かなり危険だろうと思えるくらいには強かったという記憶はある。

 

「そうでしょう。今相手にした従者の強さはいい所その半分。能力付与も満足に出来ていない。

形状を見ればそれは明らかです」

 

 従者はその能力者が望めば様々な能力を与えることができる。

 それは白兵能力であったり、射撃能力、身を守る装甲や果ては自爆する能力まで様々だ。

 だが、ここを守っていた従者の中で、そう言った能力を持っていた者は少なかった。

 ほとんどが単なる血の塊のような不定形な物体――言ってみればスライムのような代物――だった。

 

「だね……でも、それが何で焦ってることになるの?」

「質を捨て、数を重視した上で、ここにそれを集中的に配置した理由があるんですよ。わかりませんか?」

 

 木ノ坂に切り返されて、ユウトは言葉に詰まった。

 やっと呼吸が落ち着いてきたのもあり、少し考えることに集中してみる。

 

(今なんとかした奴らよりも、いい奴をあのヤロウは作り出せる。けど、今は出してない。

……木ノ坂さんの言う通り、とりあえず数だけ揃えたって感じがする。

でも、なんだって頭数だけでも揃えないといけない? 質も量も同時にできればそれがベストだよなぁ?)

 

 そこまで考えて、ユウトの脳裏に路地裏での光景が浮かぶ。

 今、永谷は傷を負っている。そして、それを癒すために休息を求めている。

 そのための場所が、ここだ。そして、自分達はそこを仕留めるために、ここにいる。

 

(そうか。焦ってるってそういうことか。俺達がきたことに感づいたとすれば……そりゃ焦るだろうな……。

で、俺達が着てると分かれば、当然、守りを固めようとする。でもって、あいつの手駒はこの従者だってのは大体分かった。

だから、守りを固めるのも従者に任せるだろうな……でも、傷付いてるからそんな大したことはできない)

 

 オーヴァードと言えど、再生能力の限界を超えれば傷つき、死に至る。

 今の永谷は、木ノ坂の撃ち込んだ銃弾によって、再生能力が著しく制限されているはずだ。

 だから、従者を作り出すために必要な自身の血液を消費するのは避ける、だろう。

 その結果が、この大量のスライム状の従者だ。

 休むことを重視するなら、能力付与や強化といった手順を省いて、少しでも手間をかけないほうがいい。

 そうユウトは考えた。

 

(うん。あいつが焦ってるのも、質より量を取った理由もこれで何とか……後はなんでここなのか、か)

 

 心の中で頷きつつ、さらに考える。

 

(まあ、普通守りを固めるってなると、一番大事な所だよな。

……あえてそこの守りをガラガラにするってのも、手ではあるけど……今は安心して休みたいだろうし。

となると当然ネグラの守りは厚くする……あれ? ってことは……)

 

 その瞬間、ユウトははっとして顔を上げた。

 

「あ、そうか……つまり、ここが……」

 

 そう言ってユウトはあちこち血塗れになった体育館を見回した。

 休息を必要としている永谷。質で劣るが数は十分に用意された従者。守らなければならない場所。

 その全てがユウトの中で繋がった。

 

「あのヤロウの巣ってわけか!」

「……そういうことです。まあ、正確にはその少し手前でしょうが」

 

 木ノ坂が少しだけ微笑を浮かべて、頷いて見せた。

 

「おそらく、彼が根城にしているのはもう少し先でしょう。だから、ここに大量の兵隊を用意し、防御を厚くした。

……ここを抜かれては困りますからね。しかし、時間がない。だから、質が悪くても数を用意したんでしょうが……」

 

 そこまで言った時、木ノ坂が浮かべていた微笑の質が変わった。

 冷たい、狩人の微笑みに。

 

「私達を、少し過小評価していたようですね。この程度で足止めしようとは……」

「……」

 

 感情を感じさせない淡々としたその口調に、ユウトは背筋にほんの少し冷や汗が伝うのを感じていた。

 体育館の窓から差し込む光に照らされ、うっすらと微笑む木ノ坂の姿は、掛け値無しに怖い。

 今まで見ることの無かった親友の隠れた一面を、今ユウトは目の当たりにしていた。

 狩人の微笑を収め、普段通りの無表情に戻ると、木ノ坂は再び口を開いた。

 

「さて、それでは行きましょうか。目的地はもうすぐそこです」

「う……ウッス……」

 

 少し怯えたような返事を返すユウトに木ノ坂は訝しげな視線を投げかけた。

 

「どうしました? 竹塚さん」

「いや、木ノ坂さんの本性を垣間見たと言うかなんと言うか……」

「……?」

「い、いや。いいッス! 気にしないで下さいっ!!」

 

 慌てて言うと、ユウトは体育館を改めて見回した。

 

「けど、目的地ってもここから先だと……第二体育館か、中庭じゃない? あの辺り、隠れるような所ってあったっけ?」

「いいえ。そのどちらでもありませんよ」

「へ? じゃあ、どこに?」

 

 木ノ坂の確信に満ちた言葉に、ユウトは眉を寄せた。

 先にあげた二つもそうだが、この第一体育館にも隠れるようなところは無い。

 演劇部が部室として使っている音響室や、用具室はあるが、まさかそんな所には潜んでいないだろう。

 

「彼らが、教えてくれてます」

 

 木ノ坂はそう言うとすっと体育館の一点を指差した。

 ユウトもつられてそちらを見る。その瞬間、ユウトの目が丸くなった。

 

「血が……集まっていく?」

 

 ユウトのその言葉が示すように、体育館中に散らばっていた従者の残骸が、ある一点に向けてゆっくりと移動していた。

 その行き先は……体育館の正面。ステージの床下だった。

 まるで赤い川が流れるように、ゆっくりと、床や壁に飛び散った血の痕が動いていく。

 そして、やがてそれは全て床下へと飲み込まれ、消えた。

 

「……あそこって、確かパイプ椅子入れじゃなかったっけ」

 

 その光景を呆然と眺めていたユウトが、確認するように木ノ坂に問い掛ける。

 ユウトの記憶が間違っていなければ、あの空間にはパイプ椅子がぎっしりと詰まっているだけのはずだ。

 こんなところでも、日常では考えつかないようなことが起きている。

 自分の記憶が間違っているのか。何かの冗談なのか。それとも、元々こうだったのか。

 ユウトにはもう分からなくなっていた。

 

「いきましょう。あそこを開けてみれば、どういうことかが分かります」

 

 木ノ坂は淡々と言うと、ステージに向かって歩み寄る。

 ユウトもそれに従って、ステージに近づいた。

 

「さて……なにが出てきますかね?」

 

 血の川が流れ込んだ部分、その縁に手をかけると、木ノ坂は軽く引っ張った。

 重々しい音を立てて、ステージの内側に収められていた引出し部分が引き出されていく。

 完全に引き出した後、二人は揃って中を覗き込んだ。

 

「……ウソだろ……?」

 

 ユウトの呆然とした呟き。

 それすら飲み込んで、ステージの中には地下へと続く階段が伸びていた。