十七・にじみ出る恐怖
ユウト達の前に姿を表した地下への階段。
その先は月明かりすら届かない、まったくの暗闇だった。
入り口に近い数段が僅かに見えるだけで、そこから先を見通す事はできない。
「……明かりがいりますね」
木ノ坂は制服の懐を探り、一本のペンライトを取り出すとスイッチを入れ、すっと階段の先を照らした。
一条の光が僅かに先を照らし出すが、その光ははいかにも頼りない。
それでも周囲を照らし出すには十分だと判断したのか、木ノ坂はペンライトを胸ポケットに収めた。
「さて、行きましょうか」
相も変らぬ淡々とした口調で、木ノ坂は言った。
言われたユウトは少し困ったような表情を浮かべ、木ノ坂の周囲を僅かに照らす光を見た。
「……無いよりはマシ程度って感じ……?」
「十分でしょう」
ユウトの呟きを、木ノ坂はまったく気にせず、階段を下り始める。
まっすぐと揺ぎ無い足取りだ。
「……こういう時は、木ノ坂さんみたいになりたいよ」
そのどこまで行っても動じない木ノ坂の様子に、ある種の憧れすら覚えながら、ユウトが後に続く。
その足取りは恐る恐るといった言い方がしっくり来る。
「帰ってこれたら教えて差し上げましょうか?」
そのユウトの足取りを見て、口調に苦笑めいたものを感じさせながら、木ノ坂が問い掛けた。
ユウトは少し考えた後、首を横に振った。
「……遠慮しておきます先生。木ノ坂さんだから普通に見えるんだ」
「……どういう意味かは、後で伺うとしましょうか」
その会話をきっかけとして、二人は階段をゆっくりと下り始めた。
一歩一歩、慎重に下っているのを差し引いたとしても、その階段は長かった。
コンクリートが剥き出しの階段は、下りても下りても続いている。
「っかし……この先、なにがあるんだろ?」
僅かな光が照らし出す、コンクリートで塗り固められた空間を見回しながら、ユウトは疑問を口にする。
「彼がいるでしょうね」
端的に、事実だけを木ノ坂は告げる。
木ノ坂の視線はまっすぐ前だけを見据えていた。
「いや、そりゃそーなんだろうけど……」
「それ以外に、何か必要な情報がありますか?」
淡々と問い掛けられて、ユウトは言葉に詰まる。
そうして、また数段階段を下りる。
「ってか、なんでこんなもんが学校にあるんだろ?」
沈黙に耐えられないかのように、ユウトは再び口を開いた。
「さあ」
それに答える木ノ坂の言葉はとても簡潔なものだった。
そのあまりの簡潔さに、ユウトは少し不満げに呟いた。
「……素っ気無いなぁ……」
ユウトはそう言いながら、手に浮かんできた汗をこっそりとぬぐった。
普段なら、こうした『秘密の場所』へ赴く時は、もっとワクワクしているだろう。
だが、今は違う。
今、この先にはユウトにとっての「敵」がいる。
先に木ノ坂が言った言葉が、嫌でもそれを自覚させる。
(あのヤロウを止めるって決めた……けど)
自分に、勝てるのか。
こうして真っ暗な中を無言で歩いていると、嫌でもそんな考えが浮かんでくる。
木ノ坂がいる。その実力はここまで来るので十分に分かった。
正確な射撃と体捌き、それは素人目に見てもまるで無駄がなく、洗練された動きだ。
だが、それに対して自分は?
未だに力の扱いには慣れていない。攻撃は、なんとなく漠然としたイメージで力を振るう。回避に至っては運頼み。
それが現実。
こんな状態の自分が、木ノ坂の加勢があったとしても本当に勝てるのか。
無言でいると、ここに来るまでは潜んでいた不安がジワジワとにじみ出てくるのを、ユウトは感じていた。
「……大分下りたね。そろそろ終わってもいい頃じゃないかな……」
だから、ユウトは口を開く。
そうしていないと、今すぐ背を向けて走りだしそうだったから。
「……怖い、ですか。竹塚さん」
そんなユウトの心を見透かしたかのように、木ノ坂が淡々とした声で問い掛けた。
ユウトの体が強張った。
なんとか「平気」と言おうとする。だが、その言葉はどうしても出てこなかった。
代わりに出てきた言葉は。
「……そりゃね……下手したら、今度こそ死ぬかもしれないし」
掠れた声でユウトは認めた。
どうしようもなく、不安だった。怖かった。
従者と戦っている時はそれどころじゃなかった。自分の身を守るのに必死でそんな事を考えている余裕はなかった。
だが、こうして少し時間が空いてしまうと、どうしたって考えてしまう。
一度味わった、死に瀕した時のあの苦痛を。あれをもう一度味わい、挙句本当に死ぬかもしれない。
覚悟は決めた、はずだ。それなのに、体が情けなく震え出す。
「……情けないな、俺。覚悟決めたんじゃなかったのかよ……」
一度認めてしまうと、声が震えるのさえ止められない。
僅かな光が照らす中、ユウトは自らの右腕を強く握り締めた。震えを無理やり押さえ込むように。
「クソ……止まれよ……止まってくれよ……頼むから……!!」
「……」
その様子を、黙って見つめていた木ノ坂が、おもむろに口を開いた。
「それでいいんです」
「……え?」
思いがけない言葉を投げかけられて、ユウトは一瞬きょとんとする。
だが、木ノ坂は淡々と同じ言葉を繰り返す。
「それで、いいんです」
木ノ坂はユウトの目をまっすぐに見据えて、ゆっくりと言った。
「怖くて当然です。いくら覚悟を決めたとしても、実際の戦闘が近づけば誰だって怖くなるものです」
木ノ坂はユウトの目を見据えたまま、そこで一度言葉を切った。
「……ですが、それでも私達は行かなければならない。竹塚さん、もう一度思い出してください。
貴方が何故、ここにいるのか。何のために、戦うのかを」
静かな口調でゆっくりと問われ、ユウトは自分が何故ここにいるかを考えた。
永谷を止めるためだ。では、何のために?
「……それは……」
ユウトの脳裏に、いくつもの光景が思い浮かんだ。
永谷を止められなかった時、自分がいなくなった時に起こるであろう想像の光景。
家族が、友人が、怪物になった永谷に喰らわれる光景が。
(そうだよ……守らなきゃ)
守る。そう考えた瞬間に、別な光景が脳裏をよぎる。
永谷の従者に襲われた、倉木の姿が。
「……」
ユウトの体の震えが止まった。
そして、ゆっくりと息を吐き出す。
顔を上げた時、ユウトの顔には怯えの色はなかった。
「……思い出したよ。俺がここに来た理由」
はっきりとした声でそう言うと、今まで木ノ坂に一歩遅れて歩いていた自らの位置を変える。
一歩、前へ。
木ノ坂と並び、視線を前へと向ける。
「オッケ。行こう、木ノ坂さん」
「……わかりました」
木ノ坂は僅かに微笑むと、歩き出した。
ユウトもそれに遅れず階段を下りていく。
やがて、仄かな明かりの先に、さび付いた鉄の扉が見えてきた。
「どうやら、終点のようですね……竹塚さん、用意はいいですか?」
木ノ坂が手にした拳銃の弾倉を確認し、ユウトを見た。
自分が怖がっている事を、ユウトははっきりと自覚していた。
だが、ユウトはゆっくりと頷きを返す。
ここまで来たら、もう逃げる訳にはいかない。
逃げられないなら、やるだけだ。
自分に土壇場のクソ度胸がある事を信じる。
(大丈夫、本番には強いだろ、俺!)
錆の浮いた扉を睨みながら、ユウトは自分に言い聞かせる。
木ノ坂が、拳銃を片手に扉に手をかける。
心臓の音が、とても大きく聞こえる。
さび付いた扉が、大きく軋んだ音を立てながら、開かれていく。
(守るんだ……必ず!)
真剣な光を目に宿し、ユウトは扉の先の闇を睨み付けた。