二十・戦闘、開始
ユウトの叫びに大地が応える。
永谷達が立つ地面がひび割れ、そこから次々と石で出来た槍が突き出した。
まるで大地そのものが牙を剥いたかのように、石の槍が永谷とその従者達に襲い掛かる。
その姿が、石の槍が打ち出される度に巻き起こる土煙の向こうに隠されていく。
そして、ユウトの攻撃が終わった時、永谷達が立っていた所は幾本もの石柱によって完全に覆い隠されていた。
そこには永谷の姿も従者の姿もない。その場にいたのであれば、確実に貫かれ、押し潰されているだろう。
だが、木ノ坂は銃口の位置を修正しながら、油断のない視線を送っていた。
つまり、まだ終わっていないと言うことだ。
「まだですよ。竹塚さん」
「言われなくても!」
木ノ坂の言葉にユウトは強い口調で応えた。
当然だ。ユウトは自分の『領域』の中に、確かにまだその存在を感じ取っていた。
その瞬間、頭上から何かが飛んでくる気配を察知する。
「上ッ!」
ユウトはそう叫ぶと、横ッ飛びに身を投げ出した。
木ノ坂は僅かに体を半身に逸らすだけ。
その丁度真中に、何かが音を立てて激突する。
先程と同じ規模の土煙が、二人の周囲に巻き起こる。
「ハハッ! 上手く避けたね!」
その声は、ユウト達の頭上から聞こえてきた。
身を投げ出したユウトが顔を上げると、視線の先に永谷はいた。
背から生えた蝙蝠の翼を羽ばたかせ、その身を宙に浮かせている。
悪魔のような様相に変貌した顔を歪め、永谷が嗤う。
「思い切りのいい攻撃だ。ちょっと気圧されたけど、その程度じゃ俺どころか俺の従者も倒せないな」
永谷の嘲笑と共に、石柱に囲まれた空間から、赤い液体が滲み出す。
それは地面を這いずり、石柱から抜け出すと、瞬く間に元の怪人の形に戻った。
それを見て、ユウトは軽く舌打ちをした。
「ハハハッ! 残念だったね、竹塚君?」
宙に浮いたまま永谷が笑い、左手を突き出した石の槍にあてた。
無造作に開いた手を握り締めると、その力に負けて石の槍が砕けて抉り取られる。
「それじゃ、次は俺の番だね」
永谷はそう言うと、握り締めた左手を振り上げ、その手にしていた石の欠片を投げつける。
動作自体はとても単純だ。
だが、放たれた石の欠片は、常識を超えた速度でユウト達に襲い掛かる。
「チッ!」
ユウトは舌打ちをしながら、もう一度体を横に投げ出した。
一拍遅れて、先程までユウトが立っていた所が、投げつけられた石に大きく抉られる。
先程投げつけられたのも、おそらくこれだろうと、ユウトは理解した。
「くそ、とんでもないな……」
その力を改めて目にして、思わず悪態が口をつく。
ただの石ころが砲弾に変わる。
その事実が、ユウトにオーヴァードの力を実感させた。
あまりに常識はずれの力に、一瞬、本当に勝てるのかという考えが頭をかすめる。
だが、響き渡った轟音が、ユウトの脳裏からその考えを吹き飛ばした。
「どうと言うことはありませんよ、竹塚さん」
聞こえてきた、まったく変わらない淡々とした声。
思わず、その声の方を向く。
そこには、先程からまったく立ち位置を変えていない木ノ坂の姿があった。
手にした拳銃の銃口からは、細い白煙がたなびいている。
「……命中」
あくまでも淡々と、木ノ坂が言い、再び引き金を絞る。
ユウトが視線を戻すと、永谷が苦悶の表情を浮かべて地面へと降りるところだった。
放たれた弾丸は、永谷が地面に降りる瞬間を正確に狙い、襲い掛かる。
永谷は咄嗟に身を捻ってその弾丸を避けようとする。
だが、それすらも見越していたかのように、弾丸は正確に永谷の体を捉えていた。
「ガァッ!」
永谷の口から獣じみた叫びが上がる。
「無駄ですよ。回避行動を考慮した一撃ですから。避ける事は不可能です」
淡々と事実だけを告げる口調で、木ノ坂が言った。
永谷が瞳に一瞬憎悪の光を灯らせる。
「調子に……調子に乗るなよ……木ノ坂ぁっ!」
先程までユウトに見せていた余裕をかなぐり捨てて、永谷が叫んだ。
それと同時に従者達が一斉に動く。
その目標は全てが木ノ坂に向いていた。
永谷は排除すべきは木ノ坂からだと判断したらしい。
『シィィィッ!!』
まったく同じ呼気を放ち、従者達が木ノ坂に襲い掛かる。
だが、木ノ坂は淡々とした様子を崩すことなく、従者達の攻撃を待ち構えた。
「怒りに任せた力押し、ですか。まあ、それしか出来ないのでしょうが」
淡々と言う木ノ坂に、最初の従者の攻撃が迫る。
木ノ坂は冷静な視線を従者に向けるだけだ。
「木ノ坂さんっ?!」
まるで避ける素振りを見せない木ノ坂に、ユウトが焦った声を投げかける。
だが、その表情は次の瞬間目の前に展開された光景によって、半ば呆然としたものに変わる。
「……右上方からの攻撃。確率八二%」
小さな呟きと共に、木ノ坂が僅かに体を動かす。
それだけの動作で、従者の攻撃は空を切った。
その時既に、木ノ坂の視線は次の従者を向いている。
「左からの胴狙いの水平攻撃……続いて、それを遮蔽とした頭部への攻撃……」
走りこんできた従者の鉤爪を、一歩下がるだけで避ける。
その影から繰り出された攻撃も、僅かに体を捻るだけで難なく避ける。
その右手が自然な動作で上方に向けられた。そして、拳銃を何もない虚空に向けて撃ち放つ。
一見でたらめなその銃撃はしかし、飛び掛ろうとしていた従者の眉間を正確に射抜き、その体を地面へと叩き落した。
「……最後は上空からの攻撃。以上、回避行動終了です」
銃口から白煙をたなびかせながら、木ノ坂が静かに言った。
「……うそぉ」
ユウトの口から場にふさわしくない間の抜けた声が漏れる。
まったく無駄のない必要最小限の動作。
ユウトの目に、それはまるで踊っているかのように映った。
「木ノ坂ぁ……」
永谷の憎悪のこもった声が響く。
だが、木ノ坂はそれに応えない。ただ、冷たい視線で一瞥をくれるだけだ。
その態度が、より一層永谷の憎悪をかき立てたらしい。永谷は激昂して叫んだ。
「俺を……俺を馬鹿にしているのか! 木ノ坂ぁっ!!」
「別に。そうする必要もなければ意味もないですからね」
怒りに満ちた永谷の叫びに淡々と応じながら、木ノ坂は従者の間合いから抜け出そうとする。
攻撃動作を終えた従者達の隙をついたその動きを、周囲を取り囲んだ三体の従者は追うことはできない。
だが、ユウトの領域に、唐突に永谷の攻撃の意思が伝わってくる。
位置は、木ノ坂から僅かに離れた場所。撃ち落された従者のいる位置だ。
それを感じた瞬間、ユウトは叫んでいた。
「木ノ坂さんっ! 危ないっ!!」
「逃がすか!」
ユウトの叫びに被せられるような永谷の叫び。
それに応じて、倒れていた従者が跳ね起きた。
そして、そのままの勢いで木ノ坂に向かって襲い掛かる。
「シィィィィ!」
「やれやれ」
不意をつかれた形になっても、木ノ坂の声には何の感情もこもらない。
右手に持った拳銃を襲い掛かる従者に向けながら、左手を素早く懐に差し込む。
「シィィアァァァッ!!!」
従者が独特の呼気を吐き出しながら、木ノ坂に向かって鉤爪を大きく振り上げた。
大仰な動作が、その一撃が全力を込めた物であることをうかがわせる。
直撃すれば木ノ坂の体は易々と引き裂かれるであろう。
「……確かに威力だけはありそうですね。直撃すれば戦闘不能は必至、ですね」
自らの命が危険にさらされているというのに、木ノ坂の口調は変わらない。
致命的な一撃が振り下ろされる直前、身を僅かに沈めながら、木ノ坂は左手を引き抜く。
そこには、もう一丁の拳銃が握られていた。
そして、引き抜く動作はそのまま狙いをつける動作に直結していた。
左右それぞれの銃口を従者に向けながら、木ノ坂はあくまで静かに口を開く。
「三発ずつ……ですか」
両手に握られた拳銃が、淡々と銃声を響かせる。その数は合わせて六発。
その全てが襲い掛かる従者に対して食らい付く。着弾の衝撃で、従者の体が僅かに揺れた。
だが、その銃撃にも怯まず、従者は落下を続ける。
「木ノ坂さんが外した?! 嘘だろっ?!」
ユウトが信じられないものを見たように叫んだ。
六発の弾丸は命中こそしたものの、従者に致命傷を与えてはいないのは明らかだ。
ここまでの戦いで、木ノ坂の射撃は正確に目標の急所を撃ち抜いていたというのに。
ユウトの背中に、冷たい汗が伝う。
対照的に、永谷が勝ち誇ったように笑う。
「バァカ! そんな豆鉄砲で止まるものか! 死んじゃえよ、木ノ坂ぁ!!」
その言葉と共に、従者の腕が木ノ坂目掛けて雪崩落ちる。
「……」
「木ノ坂さんっ?!」
だが、木ノ坂はそれ以上攻撃を避ける素振りも見せず、ただそこに立っていた。
鉤爪が、木ノ坂のいる地点にたどり着いた。
全力を込めた一撃が、勢い余って地面を打ち、辺りに土煙が巻き起こる。
その様子を見ていた永谷が、もう一度笑った。
「ハハハハハハ!! 散々偉そうな口を叩いていた割に、あっけないじゃないか!
俺を馬鹿にした報いだ、いい気味だ、ざまぁみろっ!! アハハハハハッ!!」
一方のユウトは立ち込める土煙を、呆然と見つめていた。
先程までも呆然としていたが、それは木ノ坂の技量に対してだった。
だが、今は土煙の向こう側の光景を想像していたためだ。
あの土煙の向こうでは、きっと木ノ坂が原型を留めない形にまで粉砕されているのだろう。
自分の親友が、死んだ。
あっけない程簡単に。
そんな思いが、ユウトの思考を支配する。
「ウソだろ……こんな……?」
呆然としたユウトの言葉と共に、土煙が晴れていく。
ゆっくりと、従者の姿が明らかとなり、そして。
「……言いませんでしたか? 私が貴方を馬鹿にする必要もなければ、意味もないと」
木ノ坂の淡々とした声と、銃声が響き、従者が弾かれるように転がり出る。
そして土煙の向こうから、木ノ坂が何事もなかったかのように現れた。
「何っ?!」
永谷が思わず上ずった声を上げる。
「……接近する経路、視点の動き、攻撃の際の動作。全てが単調。お粗末な攻撃です。
その行動を予測するのは難しくありません。予測してしまえば、後は回避して、反撃する。
……ただ、それだけですよ」
淡々とした言葉は、ただ事実を述べているだけだ。
「付け加えるなら、止めることは無理でも軌道を逸らす程度ならできます。
私はただそれを実行したまでです」
つまり、木ノ坂が放った六発の弾丸。あれは従者を撃ち落す為ではなく、
その攻撃の軌道を逸らす為の物だった。
そのことを理解し、ユウトは思わず呟いていた。
「すげぇ……」
だが、その言葉に木ノ坂は緩やかに首を振った。
「別に大したことではありません」
そう言いながら、無造作に二回、引き金を絞る。
その銃口の先で、起き上がろうとしていた従者が弾かれたように、もう一度地面に転がった。
その一撃で、従者は構成を保っていられる限界を超えた。
一度僅かに震えると、水音を立ててその形を崩壊させた。
「これで一体。さて」
木ノ坂は両手に握った拳銃を永谷に向けた。
「そろそろ、決着をつけましょうか?」
淡々と言う木ノ坂を、火を吹くような目で睨みながら、永谷は僅かに後退した。
その視線が、ユウトと木ノ坂、そして自らの従者の間を忙しく動く。
そして、ユウトと木ノ坂に視点を合わせると、ニィっと笑った。
「それで勝ったつもりかい。木ノ坂君……」
じりじりと後退を続けながら、永谷は言った。
その目は、二人をじっと睨みつけている。
「……まだ、分かっていないようですね。貴方の自慢の従者も、私達には勝てない。
貴方に残されているのは……」
二丁の拳銃の引き金に、ゆっくりと力を込めながら、木ノ坂が応える。
「敗北すること。ただそれだけですよ」
しかし、木ノ坂の淡々としたその宣言にも、永谷の顔から笑みは消えない。
ユウトはその永谷の様子に違和感を覚えた。
永谷の様子は追い詰められているはずなのに、まだ余裕がある。
何か。目の前のコイツは何かを隠している。
だが、それが何なのかがはっきりとしない。
「それは……どうかな?」
永谷は後退を続ける。それをゆっくりとした足取りで木ノ坂が追う。
半歩遅れて続くユウトの中で、違和感がさらに大きくなった。
なぜ、余裕を保てるのか。
まだ、何かあるのか。
「……俺も言ったよねぇ。木ノ坂君……俺は……」
永谷の後退が止まった。
その顔に、勝利を確信した笑みが浮かぶ。
「俺は、勝てる戦いしかしないって!!」
永谷がそう叫んだ瞬間、ユウトの領域が異変を捉えた。
先程、攻撃をしたまま停止していた三体の従者達が、行動を再開したのだ。
三体の従者が、一斉にユウト達に飛び掛ってくる。
「木ノ坂さんっ!」
「分かっていますよ。大丈夫です」
ユウトと木ノ坂が同時に襲い掛かる従者を迎撃する。
木ノ坂は一瞬で銃の照準を永谷から従者に変更すると、連続して引き金を絞った。
銃声が響き渡り、無数の弾丸に貫かれた一体の従者が空中で四散する。
「悪あがき……すんな!」
ユウトの叫びに大地が応え、石の槍を打ち出した。
ユウト達に後一歩と言うところで、その従者は串刺しにされて動きを止めた。
残りは一体。
だが、その迎撃が間に合わない。
二人の丁度境目に飛び込んでくる従者を止めるには、二人の位置がそれぞれ邪魔をする。
木ノ坂の拳銃は間合いが近すぎ、ユウトの能力では木ノ坂も巻き込んでしまう。
状況を把握したユウトは思わず舌打ちをした。
そうしている間にも、従者は二人に接近してくる。
「くそっ!」
「竹塚さん、横に!」
木ノ坂の指示に従い、横に飛び退こうとしたユウトの背筋に、突然悪寒が走った。
視線を接近する従者に向ける。
その従者は嗤っていた。あの、永谷の嫌らしい笑みを浮かべていた。
ユウトの中で、危険信号が鳴り響く。
「ヤバイ! 木ノ坂さん……コイツっ!」
「……これは、まずいですね」
木ノ坂も従者が何をしようとしているかを悟った時には、既に従者はその圏内に二人を捕らえていた。
従者の体が一瞬大きく膨れ、そして次の瞬間、大爆発を起こす。
今まで最も大きい轟音が、地下に響き渡る。
「クゥッ!」
ユウトは咄嗟に身を投げ出し、地面に伏せると爆風の直撃を避けた。
自分の真上を、熱風が駆け抜けていく。
それが完全に通り過ぎたことを確認すると、ユウトは急いで跳ね起きた。
このまま地面に伏せていては、続く永谷の攻撃のいい的だ。
だが、その警戒は空振りに終わった。
跳ね起きたユウトの目の前に、永谷の姿はない。
「く、どこいった?!」
「竹塚さん、後ろです!」
横合いから聞こえてきた木ノ坂の声に、ユウトは弾かれたように後ろを振り向く。
そこには、蝙蝠の翼をはためかせ、暗がりの向こうへと消えようとしている永谷の姿があった。
従者を自爆させ、それによって発生した爆風を目隠しとして、永谷は逃走を図ったのだ。
永谷はこちらを向いて笑っていた。
「ハハハハッ! 俺は勝てる戦いしかしないんだ! 俺は負けない! お前らなんかに負けるものか!」
飛び去りながら、永谷は笑い続ける。
だが、先程までの追い詰められた己の状況を思い出したのか、唐突に声が軋む。
「今はちょっとだけ油断したのさ。そうさ、まだ体だって治ってない……そうじゃなきゃ、お前らなんかに!!
……ああ、渇いたな……喉が、渇いた……」
激しい憎悪を剥き出しにしたかと思えば、また唐突に表情が恍惚としたものに変わる。
一瞬毎に表情を変える永谷の様子が、ユウトにはひどく危ういものに映る。
壊れた。
そんな言葉が、頭をよぎる。
「……いけませんね。僅かに残っていた理性も無くなってしまったようです。完全に壊れましたか」
ユウトと同じように、永谷の様子を見た木ノ坂が淡々とした口調で言った。
ユウトが思わず問い返す。
「完全に、壊れた?」
「ええ。とりあえず、先程まではまだ完全なジャームではなかったようですが。
今の彼は……非常に危険です。自分の衝動のままに行動を起こしそうですね」
木ノ坂の言葉を裏付けるように、永谷は恍惚とした表情のまま、呟き続ける。
「ああ……もう、我慢出来ないな……お楽しみは後に取っておこうと思ったけど……もう、いいや」
その言葉に、ユウトは嫌な予感を覚えた。
永谷は視線を天井へ向けると、満面に笑みを浮かべる。
「あの女を、食べちゃおう。うん、そうだ。そうしよう……」
「永谷、テメェェッ!」
ユウトの予想通りの台詞を吐くと、永谷は羽ばたきを止め、その場で滞空を始める。
木ノ坂がその仕草を見て、初めて口調に焦りを滲ませた。
「いけません! 彼は天井を破ってでも外に出る気です……止めなければ!」
しかし、その言葉はユウトの耳には届いていなかった。
ユウトの頭には、最初からその事しかなく、その足は既に永谷目掛けて駆け出していたからだ。
永谷の動きが止まった瞬間、ユウトはためらわず力を解き放った。
「テメェを……アイツの所に、行かせるもんかぁっ!!」
その叫びと共に、永谷の周囲の空間に幾つもの水の刃が生まれ、次々と放たれる。
水の刃は永谷を取り囲むように、飛び交い、その体に傷をつけていく。
だが、永谷が痛みを感じている様子はない。全身が傷付いていくのにも構わず、滞空を続けている。
いくら打ち込んでも、まったく動じない永谷を見て、ユウトは歯を食いしばった。
「効いてない? それならぁっ!」
ユウトは領域をさらに拡大すると、永谷の足元の地面に干渉。そこから幾本もの石の槍を打ち出す。
だが、それが永谷を捉える前に、永谷の目が、足元から自らに迫ってくる石の槍を睨みつけた。
「うるさいなぁ……!」
苛立った声で叫ぶと、その腕を勢いよく振り回した。
それだけで、永谷に突き刺さろうとしていた石の槍がことごとく砕かれ、砂に変わる。
さらに、砕かれた石の槍の破片が、銃弾にも勝る勢いでユウトに降り注ぐ。
「クソッ!」
罵声を上げながら、ユウトは大地を踏み鳴らす。
すると、地面が隆起し、ユウトの前に堅牢な壁を作り上げた。
破片が石の壁にぶつかり、砕ける。
「邪魔なんだよ、オマエ……!」
永谷はユウトを血に飢えた獣の瞳で睨みつけると、いきなり自らの腕を食いちぎった。
溢れ出る血が地面に滴り落ちる。
腕から口を離し、永谷が血に塗れた牙を剥き出して吼える。
「俺の邪魔をする奴は、皆死ね!」
永谷の叫びに、滴り落ちた血が伸び上がりながら姿を変え、新たな血の従者が生まれ出る。
その従者は上半身は人の、それも女性の形を取っていた。
しかし、下半身は不定形のままであり、両腕は捻り合わさり、鋭い刃と化す。
だが、何よりもおぞましいのは、顔だけがユウトのよく見知った人の顔をしていることだ。
従者はその顔に血に飢えた狂笑を浮かべ、奇怪な叫びを上げながらユウトに襲い掛かってくる。
「永谷……テメェ!」
ユウトが怒りの叫びを上げる。
永谷が生み出した従者の顔、それは、倉木美奈の顔であった。
永谷は狂ったように血が流れる腕を振り回す。その度に自ら食いちぎった腕から血が飛び散り、
そこからさらに新たな従者が生まれ出る。そして、その全てが、倉木の顔を持っていた。
「ふざけんな……!」
ユウトが怒りに震える声で叫ぶ。
だが、無数に現れる従者が行く手を阻み、永谷に近づくことが出来ない。
ユウトの足が、一瞬だが止まる。
「血、血だ……あの女の血を……!」
だが、その瞬間を待っていたかのように、永谷が天井目掛けて突進した。
その身を回転させ、全身を弾丸と変えて、飛んでいく。
ユウトはその光景を見上げながら、声の限りに叫んでいた。
「待てや、永谷ぃぃッ!」
ユウトの言葉に応えようともせず、永谷は天井に激突する。
永谷の体当たりを受けて、地下が揺らいだ。先程の従者の爆発を上回る轟音が響き渡る。
天井は永谷の突撃に抵抗を見せたが、それも僅か数秒の事だった。
建材の軋む不吉な音に続いて、破砕音が地下に響き渡り、永谷の姿が消えた。
「クッソォォォォッ!!」
ユウトは永谷が飛び去った穴を見上げて、叫んだ。
逃げられた。今からあの階段を駆け上がっても、相手は空を飛んでいる。
到底追いつけるとは思えない。
「くそ、ちくしょお……間に合わなかった……!」
ユウトは自分の全身から力が抜けていくのを感じた。
守ってみせると誓った人の元に、今、最悪のモノが向かってしまった。
それを止めることは、もう自分には出来ない。
絶望と怒りが、ユウトの心を鷲掴みにして、戦う気力を奪い去る。
だが、それは敵を前にしている今は、最悪の隙だといえた。
ユウトに、倉木の顔をした従者が音も無く近寄り、その刃のと化した両腕を振り上げた。
突然の敵の攻撃に、ユウトは成す術も無く立ち尽くす。
「はっ……!」
やられる! ユウトがそう思った瞬間、銃声が二度響き渡った。
放たれた銃弾は、正確に倉木の顔をした従者の顔面を捉える。
従者が甲高い悲鳴を上げながら後退った。
そして、いつも通りの淡々とした声が、ユウトの背後から聞こえてくる。
「まだ、諦めるには早いですよ。竹塚さん」
「木ノ坂さん……でも!」
ユウトが何かを言い募ろうとするのを制して、木ノ坂は淡々と話し続ける。
「やる前から諦めてどうしますか。一つだけ、私に考えがあります……」
接近しようとする従者を、射撃で牽制しながら木ノ坂は言った。
「竹塚さん。オルクス・シンドロームの能力は自らの領域を展開・操作し、様々な効果を発揮する。
このことは以前、説明しましたね?」
「うん……」
「それを利用してして下さい。領域を操作して、ここから地上までの直通の道を作るんです。
そうすれば、貴方一人なら彼に追いつけるはずです」
「は?! そんなこと、出来るの?!」
ユウトが驚きで目を見開く。だが、木ノ坂は淡々と答えた。
「わかりません。私はそういう能力を持つ者もいる。そう聞いているだけですので」
「マジかよ……」
ユウトは木ノ坂の言葉を聞いて、不安を隠せなかった。
出来なければ、間に合わない。しかし、出来たとしても待っているのは永谷との一対一の勝負。
勝てるかどうかは……分からない。
自分の体がまた不安に縛られていくのを、ユウトは感じていた。
(だけど)
どちらにしてもやるしかない。
やらなければ、倉木が死ぬ。守ると決めた人が。
それだけは、させるわけにはいかない。
こうしている間にも、永谷は地上に向かって進んでいる。
迷っている暇は、ない。
湧き出してくる不安を、無理やりに噛み砕いて、ユウトは顔を上げた。
「……オッケ。やってみる!」
「分かりました」
ユウトの返事に、木ノ坂は僅かに微笑を浮かべた。
流れるような動作で弾倉を交換すると、再び従者の群れに向かって射撃を再開する。
「では、ここは私が引き受けます」
「え……大丈夫なの?」
ユウトの言葉に、木ノ坂は微笑の質を変えることで答えて見せた。
「任せてください。死神の名は伊達ではないのですから」
「……ゴメン、木ノ坂さん。迷惑かけっ放しだね」
「気にしないでください。それよりも、早く」
「分かった……!」
ユウトは目をつぶり、自分の領域を感じる事に集中する。
(もう一人の俺……聞こえてるか?)
集中しながら、ユウトはもう一人の自分に向かって、呼びかけた。
答えはない。だが、それには構わず呼びかけ続ける。
(力を貸すって言ったよな……じゃあ、俺をあの野郎の所まで連れて行け!)
やはり、答えはない。
だが、ユウトは自身の領域に変化が生じている事に気がついた。
ユウトの正面、その部分の領域が渦を巻く。
(これに飛び込めってか……)
そうだ。と言う答えを、ユウトは聞いたような気がした。
そして、目を開く。
そこには目を閉じていた時に感じた渦を巻く空間が、確かに存在していた。
「よし! 木ノ坂さん……行ってくる!」
そう言うが早いか、ユウトは渦を巻くその空間に向かって飛び込んだ。
ユウトの体を飲み込むと、その渦がゆっくりと消えていく。
木ノ坂はユウトの方を振り向くこともせず、淡々と言った。
「頑張って下さいよ、竹塚さん……さて」
そして、再び無数の従者達に銃を向ける。
大きさも形も様々だが、その顔は全て倉木の顔。
木ノ坂の顔から微笑が消えた。
『死神』。その名に最も相応しい表情が、戻ってくる。
それは即ち、仮面のような無表情。
「貴女方の相手は私がさせていただきましょうか……。
竹塚さん程ではありませんが、私もその顔、とても不愉快です……」
そう言いながら、引き金を絞る。
吐き出された弾丸が、一番近くの従者の眉間に突き刺さり、炸裂する。
一撃で頭部の半分を削り取られたその従者は、構成を保てず崩壊した。
「一匹残らず……刈り取って差し上げますよ」
その言葉をきっかけに、従者の群れが木ノ坂に向かって殺到した。