Scene3:夜の公園で
「おー。綺麗な星空だ」
ユウトはそう言いながら、夜空を見上げた。
今日の空は雲一つ無く、見事な星空が広がっている。中天にかかる月が、柔らかな光を投げかけていた。
「しっかし、結構遅くなっちゃったなぁ」
そんな満天の星空を見上げながら、ユウトは呟く。
放課後のアルバイトを終わらせた後、少し寄り道をしていたら電車に遅れてしまった。
次の電車に乗り、家の最寄り駅に着いた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「まあ、電車が一時間に一本ってのが問題あるわけで……」
そう呟きながら、普段登下校に使う自然公園の中をのんびりと歩く。
家と駅を結ぶ線上にあるこの自然公園は、町中にあるにも関わらずかなりの広さがある。
中にはいくつもの広場と様々な遊具、休憩所、さらには野外舞台のようなものまで用意されている。
その為、朝や夕方には近所に住む人が犬の散歩をしていたり、休日には親子連れがピクニックに来ていたりと、様々な人が利用している。
だが、今の時間は人通りは無く、街灯の少ない園内はひっそりと静まり返っていた。
そんな園内を見回して、ユウトは一人満足そうに頷いた。
「ま、これはこれで悪くないねぇ」
機嫌よさそうに言いながら、ユウトはぶらぶらと歩いて行く。
ユウトは賑やかな町も決して嫌いではない。だが、どちらかと言えば静かな空間の方が好みである。
その為、こうして人気の無い公園を歩くのは気持ちのいい事だった。
月の光が主な明かりとなる薄暗い園内を、迷う事無く進んでいく。
園内の地図は日ごろから利用している事もあり、大体は頭に入っている。
だから、辺りが暗くても道に迷う事は無かった。
「次の休みは、読書にでもくるかなー」
そう言いながら、昼間とは違う風景を見せる園内を見回しながら歩く。
やがて、木立の向こうに噴水が見えてきた。
園内にいくつかある噴水の周りは、木立も途切れて広場になっている。
その広場に足を踏み入れた瞬間。
「……え?」
ユウトは自分の目を疑った。
誰もいないと思っていた広場。その噴水の中で、誰かが踊っている。
それは、まだ幼い少女のようだった。
少女は瞳を閉ざし、両手を一杯に広げたまま、天を仰いで踊っている。
少女の長い銀色の髪が動くたびになびき、月光に輝く。
「……」
ユウトはその光景に見入っていた。
妖精が踊っている。何の疑問も抱かずに、ただそんな言葉が浮かんだ。
妖精が、木立のざわめきと水の跳ねる音を伴奏に、月の光を照明にして踊っている。
それは、他に音を立てるものもない広場の中で、とても幻想的な光景だった。
妖精のような少女は、ユウトが見つめている事にも気付かずに踊り続ける。
少女が動くたびに足元から水飛沫が上がり、それが月明かりに照らされて輝く。
そうして踊る姿がとても楽しそうで、ユウトは声を出す事も忘れて、ただ見つめいてた。
そんな時間がどれだけ続いたのか。
やがて、踊り疲れたのか少女の動きが止まった。
肩で息をしていた少女が一度大きく息を吸い、吐き出す。
そして、ゆっくりと閉じていた両目を開いた。
そこに浮かんだ瞳の色を見て、ユウトは思わず息を呑んだ。
少女の両目は、空に浮かんだ月のような金色をしていた。
その金の瞳が、正面で立ち尽くしていたユウトの姿を捉える。
視線が合った。
「……」
「あ……」
ユウトの姿を見つけても、少女は何も言わなかった。
ただ、その金色の瞳に不思議そうな色を浮かべて、ユウトを見つめるだけだ。
「えーと、その……」
ユウトはその視線に妙な居心地の悪さを覚えた。
何か問い詰められているように感じる。少女は何も言っていないのだが。
「いや、別に覗き見をしようとか、そんなつもりじゃなくて……」
聞かれてもないのに、そんな弁解の言葉が口をついた。
だが、少女の表情は変わらない。ただ、ちょっと小首を傾げた。
「ここ、俺ん家までの帰り道で。それで……」
ユウトの言葉に、少女は何も答えない。ただじっとユウトの顔を見つめるだけだ。
答えがないと、ユウトとしても言葉の続けようが無い。
ユウトが口を閉ざしてしまうと、二人の間に無言の時間が生まれた。
「えーと……」
ユウトが何か言葉を捻り出そうとしていると、不意に少女がユウトから視線を外した。
少女の視線が木立の方へと向けられる。ユウトもつられて同じ方を見たが、誰もいない。
ユウトが少女から目を離した瞬間、少女が噴水の中から飛び出した。
「あっ! ちょっと……」
ユウトは慌てて呼び止めようとしたが、わずかに遅い。
声をかけようとした時には、既に少女は視線を向けたのとは逆の方向に向かって走り出していた。
銀色の髪が月明かりに輝いたかと思うと、少女の姿は木立の奥へと消えていく。
後にはむなしく手を伸ばしたユウトだけが取り残された。
ユウトは伸ばした手を下ろすと、噴水に近寄り左右を見回した。
当然のように人影は無い。あの銀色の輝きはもう影も形も見えなかった。
残されているのは、地面に転々と続く小さな濡れた足跡だけだった。
「なんだったんだろ。今の……」
ユウトはそう呟くと、噴水の縁に腰を下ろして溜息をついた。
そして、今自分が見ていた光景について少しの間考える。
夜もふけた時間に、人通りの絶えた公園で踊る、幼い少女。
冷静に考えれば、奇妙な光景だった。
こんな時間のこんな場所に、幼い少女が一人でいるわけが無い。
確かに奇妙だ。だがしかし、ユウトの脳裏には踊る少女の姿が焼きついていた。
目一杯に腕を伸ばし、全身で月明かりを受け止めようとするかのような少女の姿。
飛び跳ねる水と月光に輝く長い銀髪。
そして、満月のような金色の瞳。
それは、常識的な考えを押しのけてしまうほど印象的な光景だった。
「……すっごい綺麗だったよなぁ……」
かなう事ならもう一度見たい。
だが、それは無理な話だとユウトは思った。
ユウトは少女の事を何も知らない。名前も知らない。どこの誰かも分からない。
そんな人ともう一度出会う偶然が、果たしてあるだろうか?
ユウトはそう自問して、首を横に振った。
あの光景は、偶然が生んだ幸運な一瞬。
そう結論付けて、ユウトはもう一度溜息をついた。
「……帰ろ」
心底残念に思いながらユウトが立ち上がろうとした、その時だった。
「っ?!」
爆竹を鳴らすような乾いた音が、園内に響き渡る。
木立で羽を休めていた鳥達が突然の騒音に抗議するかのように、一斉に飛び立つ。
その音を聞いたユウトの顔に緊張が走った。
それは、この一ヶ月の間にユウトが聞き慣れてしまった音だった。
「銃声……?!」
確認するように呟くと、ユウトは素早く立ち上がり、音のした方角を向く。
それは、少女が走り去った方角と一致する。
そして、それを確認した瞬間、もう一度銃声が響き渡った。
「……!」
ユウトは口元を引き結ぶと、木立の向こうへと駆け出した。