Scene4:トラブルは少女の顔をして

 

 暗い木立の中を走り抜けていくと、暗がりの向こうに揉み合っている人影が見えてくる。

 数は二人。そのうちの一人は先程の少女のようだった。

 少女の腕を、目立たない作業服を着た男が掴んでいる。

 少女はそれに精一杯抵抗しているようだが、体格が違いすぎる。少女は苦も無く取り押さえられていた。

 男は少女を腕一本で捕まえながら、空いた手を使って携帯電話でどこかに連絡を取っているようだった。

 その声が切れ切れにユウトに聞こえてくる。

 

「捕まえました……はい。すぐに移動を……は。計画には……」

 

 男が携帯電話を切る前に、ユウトはその場に飛び出していた。

 飛び出してどうすると考えるよりも早く、ユウトの手が動いた。

 背負っていた鞄を、男目掛けて思い切り投げつける。

 鞄は男の腕に当たり、その手の中にあった携帯電話を弾き飛ばした。

 

「おいっ! あんた何やってんだよ!」

 

 ユウトが怒鳴ると、二人の視線がユウトに向けられた。

 男は驚いた様子も無く、無機質な視線を。

 そして、少女は怯えた眼差しを。

 少女の目を見た瞬間、ユウトの中に怒りが湧き上がる。

 

「大の大人が、嫌がる女の子を無理やり連れてくってか?! 恥ずかしくねーのかよっ! あぁっ?!」

 

 ユウトの怒鳴り声にも、男は動じる事は無い。

 弾き飛ばされた携帯電話を拾いなおすと、電話の向こうにいる誰かに問い掛けた。

 

「失礼しました。はい、邪魔が……いえ、民間人のようです……は、了解しました。処理します」

 

 男は携帯電話を切ると、それを懐にしまいながら、ユウトの方に向き直る。

 その目には、やはり何の感情も浮かんでいない。

 ユウトはその目つきに不吉な響きを感じる。

 

「処理……? あんた、何を……」

「……こんな所にこなければ、な」

 

 懐に手を差し込んだまま、ユウトの直感を裏付けるような台詞を男が言う。

 その声にも、感情は浮かんでいない。

 ますます嫌な予感は膨らんでいく。

 男がゆっくりと手を懐から引き抜いた。その手には、黒光りする拳銃が握られていた。

 その銃口がユウトに向けられる。

 

「そうすれば、死なずに済んだ」

 

 そう言って、男はためらう事無く引き金を引いた。

 乾いた銃声が響き渡り、ユウトは自分の腹部に熱い痛みが走るのを自覚する。

 一瞬膝の力が抜けて、地面に倒れこむ。

 倒れこむ時に、目を一杯に開いてこちらを見る少女の顔が見えた。

 

「運が悪かったと思って諦めるんだな、坊主」

 

 倒れたユウトを見下ろしながら、男は冷めた口調で言い捨てた。

 男はユウトが倒れたまま動かない事を確認すると、地面に座り込んだ少女の腕を引いた。

 

「立て」

 

 だが、少女は動かない。大きく頭を振って拒絶する。

 男は苛立ったように舌打ちをして、もう一度、今度は先程よりも強く少女の腕を引いた。

 少女の重さは男にとって何の障害にもならず、少女は吊り上げるようにして立たされた。

 

「……ッ!」

「さあ、さっさと歩け。これ以上、あの方の時間を無駄にさせるな」

「……」

 

 無理やりに引きずり起こされた少女は、痛みからか眉をしかめながら立ち上がった。

 だが、それでもその場から動こうとはしなかった。

 瞳に悲しげな光を浮かべて、じっとユウトを見つめている。

 

「……貴様、いい加減にしろ!」

「……!」

 

 男は苛立った声で言うと、拳銃を持ったままの手を振り上げる。

 少女はその手を見て、怯えた表情を浮かべて身を硬くした。

 硬く目を閉ざして、襲い掛かるであろう暴力を待った。

 だが。

 

「馬鹿な……っ?!」

 

 少女を痛みが襲う事は無く、代わりに聞こえてきたのは、男の驚愕の呻きだった。

 

「……?」

 

 少女が恐る恐る目を開ける。その視界に、驚きに歪んだ男の顔が映る。

 視線を男の見ている方向へと向ける。

 

「……!!」

 

 そして、少女の顔にも驚きの表情が浮かんだ。

 そこには、撃たれた脇腹を押さえながら、ゆっくりと立ち上がるユウトの姿があった。

 ユウトは完全に立ち上がり、口からこぼれた血を拭うと、二人に向けて笑って見せた。

 

「……悪いけど、銃弾程度じゃ俺は殺れないよ」

 

 そう言った直後、顔をしかめる。

 

「まあ、痛い事は痛いけど、ね」

「貴様……まさか、オーヴァードかっ!!」

 

 男は驚いてはいたが、思いの他冷静だった。

 振り上げた手を素早く伸ばし、銃口を再度ユウトに向ける。

 男の拳銃が今度はユウトの頭部に狙いを定めた。

 

「遅いっ!」

 

 だが男が引き金を引くよりも早く、ユウトは脇腹を抑えていた手を翻した。

 その手に付着した血液が、男の顔面目掛けて飛び掛る。

 男は咄嗟に銃を構えた腕で顔を庇った。

 だが、それこそがユウトの狙いである事に男は気が付かなかった。

 男が顔を庇うと同時に、ユウトの放った血液が網のように広がって男を覆う。

 

「ぬおっ?!」

 

 男が驚愕の叫びを上げる。

 赤い網と化した血液が、顔を庇った腕ごと男の顔を包み込む。

 突然視界を失った男の体が、バランスを崩してよろめいた。

 男の手が少女を放し、顔面を包み込んだ網を引き剥がそうと伸びる。

 少女の体が、地面に落ちた。

 そこに間髪いれず、ユウトが全速力の体当たりをぶちかます。

 視界を奪われ、バランスを崩されていた男がそれに抗えるはずもなく、男は派手な音を立てて倒れた。

 その際に頭を打ったか、声にならない声を上げて呻く。

 

「よっしゃ!」

 

 ユウトは軽くガッツポーズを取ると、地面に座り込んだままの少女の手を握る。

 もう片方の手で、地面に落ちていた鞄を拾いなおした。

 

「さ、今のうち!」

 

 そう言って、少女の体を有無も言わさず引き起こす。

 少女も抵抗せずに立ち上がった。相変わらず驚いたような顔でユウトを見上げている。

 ユウトは自分を見ているばかりの少女の手を引いた。

 

「逃げるんだよ、さあ、早く!」

「ま、待て……!」

 

 ユウトが少女を促していると、転倒の衝撃が抜けた男が無事な手をユウト達に伸ばしてくる。

 その男の手をかわして、ユウトは大きく一歩踏み込んだ。

 

「アンタは寝てろっ!!」

 

 吐き棄てながら、男の顔面に容赦なく蹴りを見舞う。

 その一撃は見事に男の顎を捕らえた。蹴り飛ばされた男は、再度呻き声を上げて昏倒する。

 ユウトはそんな男には目もくれず、少女の手を引いてその場から逃げ出した。

 

――*――

 

 公園内をしばらく走った後、十分に男から離れたと判断してユウトは足を止めた。

 傍らに生えている木の幹に背を預け、弾む息を何とか抑えようとしたが、無理だった。

 ユウトは元々あまり体力が無い。オーヴァードになってもそこは変わらなかった。

 後ろを振り向いて、少女の様子を確認する。

 

「だ、大丈夫、だった……?」

「……」

 

 ユウトが肩で息をしているのに対し、少女は汗一つかいていない。

 びっくりした顔のまま、小さく頷いた。

 見るからに自分よりも幼い少女の方が体力があると言う事に、ユウトは少しショックを覚える。

 これからは少し体も鍛えようかと思いつつ、ユウトは息をついた。

 

「そか……よかった」

「……」

 

 ユウトがそう言うと、少女がユウトの袖を引いた。

 

「ん、どしたの?」

「……」

 

 ユウトが問い掛けると、少女は無言でユウトの脇腹を指差した。

 何かを問うような目で、ユウトを見上げている。

 その表情と行為で、ユウトは少女が撃たれた傷を心配しているのだと判断した。

 

「ああ。弾は貫通したみたいだし、傷は……」

 

 そう言って、制服の前を軽く開く。

 制服のシャツが血で赤く染まってはいたものの、傷自体は既にふさがっていた。

 血の染みは、手か鞄で隠せば暗い屋外なら気付かれない程度の大きさで留まっている。

 これも、オーヴァードの能力の一つだ。

 ユウトの体内に眠るレネゲイドウィルスは、宿主が負傷するとその活動を活発化させる。

 活性化したウィルスは宿主を死なせない為に、その自己治癒能力を高める。結果、大概の傷はほぼ即座に完治する事になる。

 この『リザレクト』と呼ばれる働きによって、オーヴァードは高い不死性を持つようになるのだ。

 

「見ての通り。だから、大丈夫だよ」

 

 ユウトは傷一つ無い脇腹を見せながら、少女に笑いかける。

 内心、気持ち悪がられるかという心配をしたが、少女は安心したかのように微笑を浮かべた。

 ユウトは微笑んでいる少女を改めて見た。

 奇妙な少女だった。

 緩やかに波打つ長い銀色の髪に、満月のような金色の瞳。

 透き通るような白い肌を覆っているのは、病院の患者が着る様な、金具の無い化学繊維製の服。

 どこかの病院から抜け出してきた患者なのかもしれない。

 そうであるなら、先程の男は少女を連れ戻しに来た病院関係者だろうか。

 

「……けど、それなら普通、銃なんて持ってるわけないしなぁ」

 

 加えて、ユウトがオーヴァードである事にも驚きこそしたが、その後の行動は冷静だった。

 その言動からオーヴァードの存在を知っている事は察しが着く。

 しかし、それならばさらに謎は深まる。一体、何者だったのだろう。

 そんな事を考えながら少女の足元に目をやった瞬間、ユウトの顔が青くなる。

 少女は足首に金属製の輪をはめられていた。その先には認識票のような薄いこれも金属製の板がぶら下がっている。

 だが、ユウトの顔を青ざめさせたのはそこではない。

 少女は足に何も履いていなかった。

 

「うわ! ご、ごめん。気付かなくて……痛かったよな?」

 

 素足で舗装された道だけでなく、木立の中も走り回ったのだから、当然、足は傷だらけのはずである。

 逃走する事に傾注していたとはいえ、ユウトは自分の注意力の無さに怒りすら覚えながら、傷の具合を見る為にしゃがみこんだ。

 頭の中には、見るも無残に傷ついた少女の足の映像が浮かぶ。

 それまで考えていた問題は、綺麗に頭から消し飛んでいた。

 

「……あれ?」

 

 だが、実際に少女の足を見て、ユウトは首を傾げた。

 ユウトの予想に反して、少女の足には傷一つない。僅かに土が付いて汚れている程度だ。

 

「……おっかしいなぁ」

 

 自分が見ているものが信じられず、ユウトは少女の足を手に取った。

 土を払ったり、ひっくり返してみたりと、本当に傷が無いかどうかを確かめていると、その頭上からクスクスと笑う声がした。

 顔を上げてみると、少女がくすぐったそうな表情を浮かべている。

 

「っとぉっ?!」

 

 ユウトは自分が何をしていたかに気が付くと、顔を赤くして慌てて手を離した。

 手を離すと、急にバランスを崩されて、少女はストンとその場にしりもちをついた。

 それがユウトをさらに慌てさせる。

 

「うわわわっ?! ご、ごめん。大丈夫?!」

 

 顔を赤くしたり青くしたりしながら、ユウトは少女に近付いた。

 少女はきょとんとした表情でユウトを見つめている。

 ユウトがどうすればいいのか困っていると、不意にその表情が変わった。

 少女はにっこりと微笑んだ。

 

「……へ?」

 

 その仕草を見て、ユウトは一瞬呆然とした。

 少女の示した反応が予想外だったためだ。決して、その笑顔が綺麗だったからではない。

 だが、ユウトが呆然としていると、少女は笑みを大きくして、そして、何の予備動作も見せず、いきなりユウトに抱きついた。

 

「はい!? な、ナニ?!」

 

 唐突な少女の行動に、ユウトはまた慌てた。

 だが、少女はユウトの動揺も意に介さず、その首にしがみついて離れない。

 それどころか、しがみつく腕に力を込めて、ユウトを抱きしめてくる。

 

「あー……うー……」

 

 ユウトはどうしたものかと手を上げたり下げたりした。

 間近に少女の顔がある。その顔立ちは、控えめに言っても美人の範疇に入る。

 いや、むしろ驚くほどの美人だ。

 その事を自覚した途端に自分の顔が熱くなるのをユウトは感じた。

 

「あー……そのー……」

 

 しどろもどろになっていると、不意に少女の体から力が抜けた。

 ユウトが覗きこむと、少女は目を閉ざし静かな寝息を立てている。

 だが、その手はユウトの制服をしっかりと掴んで離そうとはしない。

 その寝顔は、警戒心と言うものがまるで感じられない安らかなものだった。

 

「……寝ちゃってるし……変な子だな……」

 

 ユウトはそう呟いて天を仰いだ。

 勢いで助けてしまったが、自分はこの少女の名前も知らない。

 そして、どう考えても、この少女には絶対何かある。

 ユウトは自分がトラブルに首を突っ込んでしまった事を、今更ながら感じていた。

 雲一つ無い星空を見上げながら、ユウトは溜息をつく。

 

「で、俺に一体どうしろと……?」

 

 答えるものはいない。