Scene6:帰宅
「うー……」
小さく唸って、ユウトはドアノブに伸ばしかけた手を引っ込めた。
玄関先にたどり着いてから、この動作をしばらく繰り返している。
普段であれば深く考える事も無くドアを開けているのだが、今日はそうもいかない理由があった。
「これ、どう説明すりゃいいのさ……」
自分の背中を肩越しに見やって、ユウトは深い溜息をつく。
その背中では、ドアを開けられない理由が少女の形をして、気持ちよさそうな寝息を立てていた。
起きる気配は今の所まったく無い。
その安心しきった寝顔を見て、ユウトはもう一度溜息をついた。
「ったく。俺の気持ちも知らないで、いい気なもんだよ……」
そう呟いて、大きく深呼吸をしてから、何度目かになる挑戦を試みる。
ドアノブに手を伸ばしながら、ユウトは頭の中で今の自分を見た家族の反応を想像した。
……ろくでもない想像しか浮かんでこない。
「冗談じゃないよ……ホントに」
慌てて頭を振ってその想像を追い払いながら、ユウトは自分の中で一つの結論を出した。
この状況を、家族が納得するように説明するのは不可能だ。
と言うよりも、納得のいく説明が出来る人物が果たしているだろうか。
いるなら、是非助けてもらいたい。
心の底からそう思いながら、ドアを開けた後の行動を考える。
説明が不可能である以上、家族に見つかるのはまずい。発見される前に少女を自分の部屋まで運ぶ必要がある。
その為には、可能な限り速やかに移動を終わらせなければならない。
「今の時間なら、みんな居間にいるな……」
口に出して呟き、家族の状態と行動を推測する。
玄関を開けて一声出せば、おそらく母親辺りが出てくるだろう。
居間から出てきた母親が、玄関にいる自分を視界に捉えるには若干の時間が必要となる。
その隙に、居間からでは死角になる階段を駆け上る。
「よし……」
大丈夫、問題は無い。
後は、どれだけ自分がさりげなく振舞えるか、だ。
……いける。
そう自分に言い聞かせ、場違いな覚悟を決めると、ユウトは大きく息を吸い込んで顔を上げた。
その瞬間。
「へ?」
ユウトの視界一杯に、内側から開こうとするドアが飛び込んできた。
重くて鈍い、とても痛そうな音が小さく響く。
ドアは、少女を背負ってやや前かがみになっていたユウトの顔面を、したたかに強打していた。
「……あい、たぁ……」
思わず掴んでいたドアノブを放し、しゃがみこんで強打された顔を押さえる。
そんなユウトに、柔らかい響きを帯びた声が投げかけられた。
「ユウト? 随分遅かったじゃない……あら、どうしたの?」
特に強打された鼻の痛みに耐えながら、ユウトが視線を上げると、そこには母親の要が立っていた。
扉の隙間から、しゃがみ込んだユウトを不思議そうに見下ろしている。
それを認識した瞬間、ユウトは自分の頭の中が真っ白になっていくのを自覚した。
ユウトが咄嗟に返答できずに呆然としていると、要が微笑を含んだ声で言う。
「あらら、ごめんね。そんなに近くに居るとは思わなかったか、ら……」
要の視線がユウトの背中で止まると、その言葉も止まった。
今度は全身の血の気が一斉に引いていくのをユウトは自覚した。
その視線の先で、要の顔に驚きの表情が浮かんでいく。
要の視線は、ユウトの背負った少女に釘付けになっていた。
「……」
「……」
数秒の沈黙。
やがて、要がゆっくりと口を開いた。
「ユウト……」
「……はい」
ユウトは要の追求の言葉を予想して、身を硬くした。
だが。
「可愛いお嬢さんじゃない。お友達?」
要の口から飛び出した言葉を聞いて、ユウトは思わず転びかけた。
「はい?」
体を起こして聞き返すが、要はそんなユウトを無視してごく普通の調子で言葉を続けている。
「意外ねぇ。ユウトにそんな小さなお友達がいるなんて……」
何かに納得したように頷きながら、さっさと踵を返している。
その背中に、ユウトは呆然とした声を投げかけた。
「いや、あの。おかーさん?」
「なに?」
「えっと……その、それだけ?」
恐る恐る問い掛けると、要は逆に不思議そうな表情を浮かべた。
「他に何かある?」
答えるその表情は、いつもと変わらない。
ユウトが少女を背負っている事に何の疑問も抱いていないようだった。
「……いや。おかーさんがそれでいいなら、それでいいんだけど……」
予想では、ここでかなり詰問されるはずだったのだが。
ユウトは心の中で大いに首を捻りながら家の中に入った。
その時、ユウトの背中で少女が身じろぎをした。
「あら? 目が覚めたみたいね」
要の言葉にユウトが自分の背中を覗き見ると、確かに少女は目を覚ましていた。
ユウトの首に回していた手を解いて、ぐしぐしと顔をこすっている。
その目が不意にぱっちりと開いた。
「あらあら。やっぱり美人さんだわ〜」
その顔を見た要が、どこか嬉しそうに言った。
だが、少女は要の言葉を聞いていない様子で、きょろきょろと辺りを見回している。
そして、その視線が要を捉えると、表情にはっきりと怯えの色を浮かばせてユウトの背中にしがみついた。
「ぐえっ! ど、どうしたの?」
ユウトが声をかけるが、少女は腕の力を緩めない。
逆に一層強くユウトにしがみついてくる。
公園の時と同じパターンだが、今度は後ろからなので、ユウトとしては首が絞まって結構苦しい。
「だ、大丈夫。ここは俺の家で、この人は、俺のお母さん。怖がらなくてもいいんだよ?」
このままでは絞め落とされる羽目になりそうなので、ユウトは少女を落ち着かせようと声をかけた。
それを聞いた少女の腕から、ほんの少し力が抜ける。
そして、ユウトの頭の後ろから、怯えた視線を要に向けた。
要はその視線を真正面から受け止めて、にっこりと微笑む。
「いらっしゃい」
「……」
「大丈夫。何も怖い事なんか無いわよ?」
安心させるように言う要の笑顔に、敵意が無い事を確認したのか、少女はユウトの後ろから顔を出した。
しかし、その目にはまだ少し怯えの色が残っている。
少女は視線を外すと、掴まっているユウトの制服を引っ張った。
くいくい。
「ん? どしたい?」
その意図を測りかねてユウトが尋ねると、少女が今度は足を動かした。
ぱたぱた。
「んー……降りたいの?」
「……」
こくこく。
ユウトの言葉に少女は軽く頷く。
何をしたいのかは分からないが、ともかくユウトは少女の意向に沿う事にした。
まず自分が玄関から上がり、それからゆっくりと少女を降ろしてやる。
「はい、どうぞ」
「……」
ユウトが少女を降ろしてやると、少女はその場からぱっと飛び退いた。
そして、立ち上がったユウトの後ろから要を覗き見ている。
その仕草は、怯えていると言うよりもどこか戸惑っているような印象を与える。
怖くは無いが、どうしたらいいのか分かっていない。そんな感じだ。
「うーん……何だか随分と警戒されてるわね……」
要は困ったように言うと、ユウトを見る。
「まあ、いいわ。とりあえずユウト、あなたは着替えてらっしゃい」
「うん。わかった」
「それからあなた……」
そう言って要が少女を見ると、少女は素早く顔を引っ込めてユウトの背中に隠れてしまった。
それを見て、要が小さく溜息をつく。
「……仕方ないわね。ユウト、あなた一緒にいてあげなさい」
「い?!」
「しょうがないでしょ。この子が離れたがってないんだから」
「……分かった」
しぶしぶと言った様子でユウトは頷き、少女の方を振り向いた。
「それじゃあ……行こうか?」
「?」
ユウトの言葉に、少女はきょとんとした表情で小首を傾げ、ユウトを見上げるだけだ。
その仕草を見てユウトは軽い溜息をついた。
少女の肩に手を置いて、階段の方を向かせる。
「こっちだよ。この上。さ」
そうされると、少女は素直に階段に足をかけた。
トントンと二・三段上り、ユウトの方を振り向く。
ユウトは少女に頷いてやると、要の方を振り向いた。
「晩御飯、一応二人分用意してもらっていい?」
「いいわよ。その代わり、後でちゃんとあの子の事紹介してもらうからね?」
「……了解」
要の楽しそうな笑顔を見て、ユウトは内心げんなりとしていた。
少なくとも、要が期待しているような説明はできない事が分かっていたからだ。
どうやったら上手く誤魔化せるかを考えながら、少女の後を追って階段を上り始めたユウトの背中に、要が声をかける。
「けど、意外ね」
「何が?」
「ユウトってば、何時の間に美奈ちゃん以外の子に手を出したの?」
その言葉を聞いて、ユウトは思わず階段から足を滑らせかけた。
手すりにすがって何とか耐えると、肩越しに振り向いて叫んだ。
「出してないっ!」
「あらそう? まあ、その辺りもきちんと聞かせてもらいましょ」
ニコニコと称したくなるような笑顔を浮かべて、要は居間に戻っていった。
ユウトはその背中を睨みつけながら、憮然とした口調で言葉を吐き出す。
「何てこと言うんだ。いきなり……」
表情も口調と同じようにしかめて、ユウトはもう一度階段を上ろうと向き直った。
すると、そこには不思議そうな表情を浮かべた少女が、ユウトの顔を覗き込んでいた。
大きな金色の瞳がユウトを見つめている。一瞬、その瞳に吸い込まれてしまいそうな感覚に襲われる。
だが、ユウトは軽く頭を振って、すぐにその感覚を追い払うと、少女の頭に手を置いた。
「……あー。気にしなくていいよ。大丈夫だから」
そう言って軽くなでてやる。
すると、少女は嬉しそうに微笑んで、再び階段を上り始めた。
物珍しそうな様子で家の中を見ながら階段を上っていく少女を見ながら、ユウトはまた溜息をつく。
「参ったなぁ……」
どうあっても説明をしなければならない状況に追い込まれてしまった。
だが、どれだけ考えてもユウトの中の結論は変わる事はなかった。
たとえ事実をありのままに伝えたとしても、納得はしてもらえないだろう。
さらに事実をそのまま伝える事すらも難しい。
少女を助ける為に、自分が銃で撃たれた事など、口が裂けても言えるわけがない。
そうなれば、嘘をついてでも誤魔化す他ない。
「それしかないんだけどなぁ……」
だが、それすらも難しいであろう事は、ユウト自身よく分かっていた。
嘘をつくのが得意と言うわけではないが、ユウトは自分の口の上手さにはそれなりの自信があった。
大抵の人間であれば、さほど苦労もせず言いくるめられるだろう。
だが、家族は別だ。
ユウトの家族は誰もがユウトより口が達者で、人の嘘に敏感な性質だった。
ユウトがどんなに上手く言い逃れようとしても、家族には通じない。
必ず、ばれた。例外はない。
「それになぁ……」
自分の嘘がばれた時、家族の見せる悲しげな表情を思い浮かべて、ユウトは憂鬱な気持ちになった。
ユウトが嘘をついても、家族は叱る事はない。ただ、黙って悲しそうな顔をするだけだ。
だが、その悲しそうな顔を見るのは、ユウトにとって叱られるよりも辛い事だった。
「どうしよう……」
事実を話す事もできず、嘘もつけず。
ユウトは手詰まりだと感じていた。
その視線が、既に二階に上がった少女の姿を捉える。
少女は二階の廊下を興味深そうな表情で見ている。手近な部屋の扉をそっと開けては中を覗いていた。
その様子はとても無邪気で、ユウトの微笑を誘う。
だが、この少女を巡って、何者かが動いている。
そして、その相手はオーヴァードを知っている素振りを見せた。
これは尋常な事ではない。
とんでもない厄介を背負い込んだことを、ユウトは今更ながらに思い知っていた。
話せば巻き込む。けれど、話さなければ悲しまれる。
「しょうがないよな……」
ユウトはそう呟くと、どうするかを決めた。
話せる部分だけ、正直に話そう。話せない部分は、嘘をつく。
その嘘はいつか必ずばれるだろう。そして、家族はまた悲しむだろう。
その時の事を思うと、ユウトは心苦しくなった。
けれど。
「……巻き込みたくないんだ。もう、誰も」
それが、ユウトの偽らざる本心と言うものだった。
こんな常識の枠を超えた出来事に、家族を巻き込むわけには行かない。
家族には、日常の中で暮らしてほしいから。
ユウトは一瞬だけ表情を引き締めると、姉の部屋に迷い込もうとした少女に声をかける。
「あー。そっちじゃないよ。こっちこっち」
まずは、着替える事にしよう。
そして、自分がつく嘘を考える事にしよう。