Scene7:家族会議
それから数分後、ユウトは着替えを終えると一階の居間に下りてきた。
その後ろには、ユウトの裾を握った少女が続く。
ユウトは自分の顔が少し赤らんでいるのを感じていた。
というのも、ユウトが着替えようとしても少女が傍らから離れてくれなかったのだ。
何気なく下着姿になった時に少女の視線に気付いて、赤面したものだ。
ユウトは自分の後ろをついてくる少女に向かって、言い聞かせるような口調で言った。
「……今度から、俺が服を脱いでいる時は、どこか別な所を見ていてね?」
「……?」
ユウトの言葉にも、少女はきょとんとした表情を返すだけだ。
返事が無い為、理解しているかどうかは分からない。
少女の様子に溜息をつきながら、ユウトは居間の前に立った。
入る前に、少女に向かって一応説明をする。
「えっとね。この部屋に居る人は、皆俺の家族。君を怖がらせたりはしないから安心していいよ」
「……」
……こくり。
少女の小さな頷きに、ユウトも頷きを返して、扉を開ける。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「おかえりー」
「おう、おかえり」
そこには、ユウトの家族全員が揃っていた。
竹塚家の居間は台所と兼用になっている。
台所では要がユウトと少女の為に夕食を用意しているところだった。
父の敬一郎と姉の希梨花は居間のソファーに腰かけてテレビを見ている。
三人の迎えの言葉を聞きながら、ユウトは台所のテーブルについた。
少女を自分の横の席に座らせてやると、少女は目の前に並んだ夕飯を不思議そうに見つめた。
そして、その少女をユウトの他の家族が興味津々と言った様子で見ている。
「……それじゃ、いただきます」
「はい、どうぞ」
「……」
妙な居心地の悪さの中、とりあえず夕食をとるべくユウトは箸を手に取った。
おかずのムニエルに箸をつけた所で、妙に視線を感じる。
その方を見ると、少女は夕食の皿から目を離し、ユウトの手元に視線を向けていた。
それに気が付いて、ユウトは少女に問い掛けた。
「ん? お腹、空いてないの?」
「……」
ふるふる。
少女は首を横に振ってユウトを見た後、視線を自分の前にある箸に向けた。
ユウトが戸惑っていると、こちらにやってきた希梨花がテーブルにつきながら声を上げた。
「もしかしてその子、お箸の使い方分からないんじゃない?」
「……」
少女は沈黙を保ったまま、箸とユウトとを見比べている。
「分からない?」
「……」
こくり。
ユウトが問い掛けると、少女は小さく頷いた。
その仕草を見て、ユウトは自分の箸を手に取り、少女に見せるように持って見せた。
「こうやって、持ってみて」
「……?」
少女は見よう見まねで自分の箸を持ってみる。
だが、やはり使い方を知らないのか長さが不揃いだ。
ユウトは少女の手に自分の手を添えてやると、その長さが均等になるように直してやった。
「こうやって……そうそう。持ち方はそれでオッケー」
「……」
「それで、この指とこの指を動かして……」
そう言いながら、少女の持った箸を動かしてやる。
それを見ている少女の顔に、うっすらと理解の色が浮かんできた。
未だに言葉は発しないものの、その表情は見た目の年齢相応によく動く。
「そう。それでこれを使って……」
少女の手を離すと、ユウトは自分の箸を手に取り、ムニエルをほぐして口に運んだ。
飲み込んで、少女の方を向く。
「こう。……できそう?」
「……」
少女は頷く代わりに、真剣な表情でユウトの動かした通り自分のムニエルをほぐした。
その動作は、まだたどたどしいものだったが、きちんとほぐす事が出来ていた。
そして、ほぐした身を恐る恐るといった様子で口に運ぶ。
何度か口が動き、喉が小さく動いた。
その表情が一瞬ぱっと明るいものになる。そして、これでいいの? と問い掛けるような視線をユウトに向けた。
ユウトは少女に向かって微笑み、頷いてみせた。
「そう。それでいいよ」
ユウトがそう言うと、少女はにっこりと笑った。
そして、ムニエルの身をほぐしては口に運ぶ動作を繰り返した。
その様子を同じテーブルで見ていた要が少女に問い掛ける。
「どうかしら。おいしい?」
「……」
こくこく。
少女は勢いよく頷くと、口の中のムニエルを飲み込み、幸せそうに微笑んだ。
どうやら、ムニエルの味が気に入ったようだ。
そうする間も、少女の箸はムニエルの身をほぐし、付け合せの野菜炒めを掴んでいる。
ユウトはそんな少女の様子を見ながら、ある事に気が付いた。
少女の箸使いからたどたどしさが消えている。
その箸使いは、たった今箸を持ったとは思えない物にまでなっていた。
(……随分飲み込みが速いな……)
「へえ……器用ね。もうお箸に馴染んでるみたい……」
ユウトと同じ事を希梨花も感じたのだろう、少女の手つきを見て感心したように頷いている。
その事に少し引っかかるものを感じたが、ユウトはとりあえず自分も食べる事に専念する事にした。
やがて、二人の前に並んだ皿はどれも綺麗になっていた。
「ふう。ごちそうさま」
「……」
ユウトが箸を置くと、少女もそれに習って箸を置く。
二人の食事が済む頃には要と敬一郎も台所のテーブルにつき、全員がその場に揃っていた。
ユウトは二人分の食器を流しへと持っていくと、戻ってきて自分の席に座った。
「じゃ、聞かせてもらいましょ?」
それを待っていたかのように、少女に食後のお茶を出していた要が切り出した。
自分にも出されたお茶を一口すすると、ユウトは口を開いた。
「んー……自然公園で見つけたんだ。で、どーも迷子っぽいから、連れてきた」
途中を省略して、事実と結果だけを告げる。少なくとも嘘はついていない。
だが、当然それで納得されるわけもない。
ユウトの言葉を聞いた敬一郎が眉を上げた。
「連れてきたって、お前な……。犬や猫じゃないんだぞ?」
「分かってるよ。でも、こんな遅くに小さな子一人って危ないじゃん?」
これも嘘ではない。ユウトがそう言うと、敬一郎は「ふむ」と呟いたきり口を閉ざす。
代わりに口を開いたの要だ。不思議そうな声でユウトに問い掛ける。
「でも、近くで親御さんが探してたかもしれないわよ?」
「うん。それは考えたんだ。だけど、公園の中に人気はなかったし」
「そう……」
要もそう言って何かを思案するように口を閉ざしてしまった。
すると、今度は希梨花が少女を興味深そうに見ながら口を開いた。
「名前とか住んでるトコとか、分かんないの?」
「んー。聞く前に寝ちゃってさ。よく寝てるから起こすのも悪いかなって思って」
「いや、そこは聞いときなさいよ」
希梨花も冷静に突っ込みを入れて、言葉を切る。
そこで全員の視線が少女に集中した。
少女は自分の前に置かれた湯飲みを両手で持って、その中身を少しずつ飲んでいた。
四人の視線に気付いて、きょとんとした表情を浮かべる。
自分の事が話題となっている事に気が付いていない。
「……?」
少女は小首を傾げると、ユウト達の顔と自分の手の中の湯飲みを見比べる。
中身はまだ半分近く残っている。
少女は考え込むような表情を作ると、おもむろにその湯飲みをユウトの方に差し出した。
顔には少し残念そうな表情が浮かんでいる。
「……いや、そうじゃなくてね?」
ユウトは溜息混じりにその湯飲みを優しく押し戻した。
少女はますます不思議そうな表情を浮かべて、ユウトを見上げた。
ユウトは少女の方に向き直ると、ゆっくりと口を開いた。
初めに会った時に聞けなかった事を確認する為だ。
「ねぇ。君、どこの子なんだい?」
「……?」
「名前は?」
「…………??」
ユウトの問い掛けに、少女は沈黙を保ったまま答えようとはしない。
その表情は困惑しているようにも見えた。
答えたくないわけではないが、どう答えていいか分からない。そんな風にも見て取れる。
「う〜ん……」
少女の様子を見ていたユウトも困惑して、首をかしげた。
言葉は通じている。それは少女が頷いたり、首を横に振ったりする事で意思を示した事からも明らかだ。
だが、少女の方から口を開いた事は無い。
「こっちの言う事は通じてると思うんだけどなぁ……」
「そうねぇ……」
「んー……ね、ちょっといい?」
ユウトが問い掛けるのを見ていた希梨花が、少女を見る。
少女はやはり首を傾げたまま、希梨花を見つめ返した。
「ねえ、私達の言ってる事は分かるわよね?」
「……」
こくこく。
「じゃあ、私達が話している言葉はどう? 話せる?」
「……」
ふるふる。
「ふーん。なるほどねぇ……じゃあ、何か知ってる言葉はある?」
「……」
少女はその問い掛けに困ったような表情を浮かべた後、やはり首を横に振った。
それを見て、希梨花が納得したように頷く。
「ね……この子、日本語が話せないんじゃない?」
「話せない?」
「うーん……話せないって言うか……そう、まだ知らない。それが一番しっくりくるんだけど?」
希梨花と少女の問答を見て、ユウトもようやく納得がいった。
要するに、この少女は『話す』と言う行為をまだ覚えていないのだ。
聞き取る事は出来る。しかし、それに対して返答すべき言葉を知らない。だから、返事ができない。
今までユウト達の問い掛けに動作のみで答えていたのはその為なのだろう。
「あー……そう、だったのか」
「けど、そうすると……この子、本当にどこの子なのかな?」
ユウトが納得して頷いていると、希梨花が首を捻った。
「ん? お姉ちゃん、それどういうこと?」
「だって、変じゃない? 日本語の聞き取りは出来るけど、話せない。そんな事ってある?」
言われてみればそうかもしれない。とユウトは思った。
少女と話していると、意思の疎通はほぼ完璧に出来ているようだ。
と言う事は、少女は日本語を理解しているという事になる。
聞けて、意味が分かるのであれば、同じ言葉で返事をするのはさほど難しい事ではない。
実際は違うのかもしれないが、ユウトはそう考えていた。
「んー……そだねー……」
ユウトが困ったように腕を組むと、少女が不安そうな目でユウトを見上げる。
その視線に気付いて、ユウトは表情を和らげた。
「ああ。別に君が悪いわけじゃないよ?」
そう言うと、少女は明らかにほっとした表情を浮かべた。
やはり、こちらの言葉は理解しているようだ。
その顔を見て、ユウトは思わず微笑んでいた。言葉は話してくれないが、少女の表情はよく動く。
それは、見ていて飽きないものだった。
「……まあ、その子が何者かは、今はひとまず置いておこう」
それまで黙って話を聞いていた敬一郎が、口を開いた。
敬一郎は、自分の湯飲みからお茶をすすると、おもむろに言った。
「問題は、その子をどうするか。だ」
その言葉に、ユウトはいよいよ問題の時間がやってきたと感じた。
普通であれば、警察に連れて行くという結論にたどり着くはずだ。
そうする事が常識的な判断であるし、少女の為にもなる。だが、それはこの少女が単なる迷子であった場合だ。
ユウトは自分を撃った作業着の男を思い出していた。
あの様子であれば、たとえ相手が民間人であっても躊躇う事なく発砲していたであろう。
そんな輩が捜し求めている少女だ。警察には任せられない。
かといって、家で預かるとなると家族が巻き込まれるおそれがある。
それは絶対に避けたい。だがしかし、少女を守りたいという気持ちがユウトの中にある。
では、どうするか。
その答えを出す前に、要が即答する。
「あら。親御さんが見つかるまで、家で預かればいいんじゃない?」
「……は?」
あまりに平然とした要の言葉に、ユウトは思わず顎を落としかけた。
そして、それを問い返す間もなく、希梨花が軽く頷く。
「うん、それでいいんじゃない?」
「へ?」
ユウトが希梨花の方を向くと、敬一郎がゆっくり大きく頷いた。
「そうだな……それで、いいだろう」
「ちょ?!」
あまりに予想外の返答の連続に、ユウトは混乱していた。
ここは自分が家で預かるという提案をして、何とか反対する家族を丸め込む所ではなかったのか?
そんな考えが頭をよぎる。
「それじゃあ、この子の名前を決めなきゃね」
「ん。名前がないのは不便だからな」
「そうだねー。何て名前がいいかな?」
戸惑うユウトを置き去りにして、残る家族は少女の名前を考えだしている。
そのあまりの順応の早さに、ユウトは思わず口を開いていた。
「ちょ、ちょっと待った。そ、それでいいの……? 普通、こういう時って警察に行くんじゃないの……?」
ユウトはうろたえた様子で問い掛けてから、何か違う。これは違う。と考えた。
何故、自分がこんな事を言わなければならないのか。この台詞は、家族の誰かが言うものではないのか?
どこか納得のいかないユウトを、三人は一様に不思議な顔で見た後、それぞれ口を開いた。
「だって、しょうがないじゃない?」
「うん。別に構いはせんだろう。見つかるまで預かるだけだ」
「そんな事より私、実は弟より妹欲しかったのよねー♪」
「あ……さいですか」
三人はそう言った後、少女に視線を集めた。
少女がちょっと驚いた様子で目をしばたたかせた。
三人は少女の顔をしげしげと見つめた後、嬉しそうに言った。
「それに美人さんだし」
「うむ。美人だしな」
「美人なら何してもオッケー♪」
「……本音はそこ……?」
「「「当然」」」
三人がとてもあっさりと唱和するのを聞いて、ユウトは全身から力が抜けるのを感じた。
椅子にぐったりと寄りかかると、少女がユウトの袖をくいくいと引っ張ってくる。
そちらを見ると、大丈夫?と言った感じで少女が見上げていた。
「ん……大丈夫。ちょっと拍子抜けしただけだから」
「……?」
そう答えると、少女はまた困ったような顔をして首をかしげた。
ユウトは微苦笑を浮かべて視線を家族の方に向けた。
三人は真剣な様子で名前の候補を挙げているようだ。
いつの間にかメモ用紙まで用意して、そこにいくつもの名前を書き込んでいる。
「いや、俺の家族は揃いも揃って変な人だったって事さ」
「…………??」
少女がさらに首をかしげる。
ユウトがさらに言葉を重ねる前に、要が少女の方を向いた。
にっこりと微笑むと、少女に向かって問い掛ける。
「ねえ、お名前なんだけど……シオちゃん、って言うのはどうかしら?」
「シオ?」
問い返す事の出来ない少女の代わりに、ユウトが尋ねる。
要は微笑んだまま頷いた。
「そう。さんずいに夕日の夕で、汐。いい響きでしょう? どう?」
「……だって。どうかな?」
ユウトが少女に目を向けると、少女は今言われた言葉を噛み締めるように考え込んでいた。
何度か確認するように口を開閉させると、顔を上げた。
その唇が小さく動く。
そして、そこから澄んだ響きを持った声が流れた。
「シ……オ……?」
たどたどしい声が漏れた瞬間、その場にいた全員が息を飲んだ。
小さいが、確かに少女は自分に与えられた名前を口にした。
驚きで沈黙した台所で、ただ少女だけが不安そうな眼差しで他の四人を見回す。
何か間違ったのだろうか、と言わんばかりの表情だ。
驚きからいち早く立ち直ったのは、ユウトだった。
「そう、竹塚 汐。それが今日から君の名前……それで、いいかな?」
「……!」
こくこく!
少女は嬉しそうに、首を何度も縦に振った。
そして、小さな声で確かめるように、自分の名を呟く。
その様子を見ていた希梨花が感心したように頷いた。
「……へぇ、なるほどねー。話そうと思えば話せるのか。それなら……ユウトッ!」
「は、はい?!」
いきなりの指名に裏返った声で返事をしたユウトに、希梨花はびしっと指を突きつけた。
「アンタ、この子に言葉を教えてあげなさい」
「ぇーーーっ?!」
有無を言わさぬ命令口調に、ユウトは思わず叫んだ。
だが、そんなユウトの反応を無視して、要や敬一郎も希梨花の意見に賛同する。
「そうね。それはいい考えだと思うわ」
「そうだな。その子の為にもなるだろう」
「ちょ、待ってよ?! そんないきなり……」
抗弁しようとするユウトに、希梨花は冷たい視線を浴びせながら口を開いた。
「イヤだっての? なら、話せないのと、話せるの。どっちがいい事?」
「……」
半眼で睨み据えられる。
こうした時の希梨花のプレッシャーは有無を言わさぬものがある。
ユウトは縮こまりながら、何とか返答を口にした。
「……話せる事デス」
「分かってるじゃない。じゃあ、文句はないわね?」
「ハイ。アリマセン……」
ユウトが小さな声で答えると、希梨花は満足したように頷いた。
視線のプレッシャーから解放されたユウトは、がっくりとうなだれる。
そんなユウトの様子には構うことなく、希梨花は席を立つとユウトの肩を叩いた。
「よろしい。じゃ、頑張る事。……さて、それじゃ私はお風呂にでも入ろうかなー」
希梨花はそう言って真っ直ぐ居間から出ようとして、ふと足を止める。
「あ、そうだ」
くるりと少女――汐の方を向くと、微笑みながら言った。
「汐ちゃん。一緒に入ろっか?」
「……?」
汐はきょとんとした表情を浮かべている。
しかし、そんな汐の様子には構わず、希梨花は汐の手を取った。
そして、これまた有無を言わせず強引に居間から連れ出してしまう。
「さ、おいでー。お姉ちゃんが体を洗ってあげよう!」
「……??」
されるがままの汐を引っ張って、ご機嫌な希梨花の姿は居間から消えた。
それを見送った後、ユウトは深々と溜息をつく。
「……なんであんな楽しそうなんだ……?」
そう呟くと、湯飲みを片付けていた要がクスクスと笑いながら答えた。
「美人の新しい家族ができたからでしょ?」
「むー……分っかんないなぁ……」
「なんだユウト。お前、自分で連れてきておいてそういう事を言うか?」
ユウトの答えに、煙草の葉をパイプに詰めながら、敬一郎が意外そうに尋ねる。
話していない色々な事柄を思い浮かべて、ユウトは少し苦い顔をした。
「いや、まさか速攻で家族の仲間入りさせるとは思ってなかったよ。普通は警察とかに連れて行くもんだと思ってたし」
だが、実際に口に出したのはそんな言葉だった。
敬一郎はユウトの言葉を聞いても平然とした様子で、咥えたパイプに火を点けた。
ゆっくりと煙を吸い込み、それを言葉と一緒に吐き出す。
「まぁな。普通はそうだろうな」
「なんだ。普通じゃないって自覚はあるんだ?」
多少の皮肉を込めてそう言うと、敬一郎はにやりと笑った。
「だが、これがうちの普通だ」
「……そーですか」
「あ、何だその目は。お前、父親を馬鹿にするのか?」
ユウトが呆れた口調で言うと、敬一郎は少しムッとした調子で答えた。
だが、そう言う顔にはまだ笑いが残っていた。
ユウトは軽く肩をすくめると、席を立った。
そんなユウトを、敬一郎はパイプを咥えたまま訝しげに見た。
「ん? どこに行く?」
「部屋。風呂、空いたら教えて」
そう言い残して、ユウトは居間から廊下へ出ようとした。
その背中に、要が声をかける。
「あ、ユウト。二階に行くなら、ついでに客間にお布団敷いておいてくれる?」
「えー? 面倒だなぁ……」
ユウトが不満そうに顔をしかめると、要はたしなめるような口調で言った。
「あなた、汐ちゃんをどこに寝かせるつもり?」
「あー……そっか」
そう言われて、ユウトは納得した。
確かに、このままでは汐が寝るところがない。
「分かった。押入れにあるの、適当に使っていいんだよね?」
「ええ。お願いね」
「あーい」
ユウトは生返事を返すと、今度こそ居間を出た。
廊下に出ると、その奥の風呂場の方から、希梨花の楽しげな声が聞こえてくる。
どうやら、汐を玩具にしているようだ。
ユウトはその声を聞いて溜息をついた。
「……楽しそうにやってんなぁ……何から何まで予想外だよ……」
疲れた声でそう言うと、ユウトは二階への階段を肩を落として上り始めた。