第3回
「イエローウィザーズの日常」
ヤンは結局食堂を追い出され、廊下で途方にくれたように頬をかいた。
「さて、これからどうしようかねぇ……?」
そう。実はこの時すでにヤンの行くあてはなくなっているのである。
ヤンの休日といえば、昼まで寝て、その後まだ半分寝てる状態で遅い朝食を取り、後は自室で好きなタバコをふかしながら、
読みかけの本のページをめくり、夜もふけるころに床につくといったもので、その間、部屋から出るのは食事のときくらいである。
今日は仕方がないから食堂で時間を潰そうかとも思ったが、あのままではユーリ少尉の『特製』ボルシチを食べる羽目になる。
ヤンは厨房でかいだ恐るべき匂いを頭から振り払った。
「う〜ん……。まだ、掃除は終わってないだろうしなぁ……」
本当に途方にくれて、難しい顔で思案しているヤンを、道を行く隊員たちが訝しげに眺めている。
普段ヤンが難しい顔をしているのをあまり見ないのだから、それはある意味当然の反応かもしれない。
ヤンがふと視線を正面にやると、この駐屯地の案内板が目に入った。
「案内板か……。そう言えば、この中を歩き回ったのって、最初にきて説明を受けた時だけだなぁ……」
日常の出撃がある日は休日の行動範囲に、乗艦が停泊しているドックが加わるのみである。
案内板をぼんやり眺めているうちに、ヤンの頭の中にいい案が閃いた。
「そうだ。いい機会だから自分の暮らしてる所を見て回るのも悪くないねぇ」
そう決めると、ヤンは案内板を改めて見なおした。現在位置は士官食堂前。道は四方に伸び、あちこちへと曲がっている。
見に行って面白そうな名前を探しているうちに、ヤンは一つの区画に目を止めた。
あまり広くない区画を占めるその空間には『公園』と書かれている。
「ふぅん、公園なんかあるんだね。……よし。行って見るか。昼寝でもしてれば暇はつぶれるでしょ」
ヤンは公園までの道を指でなぞると、その方向に向けて歩き出した。
道の途中には自分の部屋もある。様子見もかねて読みかけの本を持っていこう。
ヤンの姿は角を曲がって消えた。
そして、しばらくした後、ヤンは無事公園にたどり着いた。
その手には自室から持ってきた本も携えられている。
「しかし、まいったなぁ……」
本を取りに戻ったときに見た自室の変わりようを思い出して、ヤンは思わず今日何度目かのため息をついた。
ヤンの部屋は見事といってよいほど片付いていた。それこそ、ここに赴任してきて以来の綺麗さといってもいい。
そのかわり。
何処になにがあったか、ヤンにはさっぱりわからなくなっていた。
今手に持っている本も、元々は机の上においてあったのだが、戻ってみたら本棚の奥にしまわれていたのである。
「あれで一応何処になにがあったのかはわかってたんだけどなぁ……」
ヤンは本の表紙をしみじみと眺めながら、公園への扉をくぐった。
そして、目の前に広がった光景に、ヤンは思わず声を漏らしていた。
「……へえ。これは、なかなか……」
その公園はよく出来ていた。
天井と壁が映像を表示できる作りになっていて、地上の豊かな自然と、青い空が何処までも続いているかのように映し出されている。
その映像と不自然にならないように配置された、木や芝生にもよく気が配られている。
BGMとして鳥のさえずりや、風が渡る音なども聞こえる。
風の音がすると実際に風を起こしているようだ。僅かに空気の流れを感じる。
面積自体はそれほど広くはないが、くつろぐには十分すぎるだろう。
「ふぅん。こんな所があったなんてねぇ。うん、いいところを見つけたなぁ」
満足げにうなづくと、ヤンは舗装された道から外れ、芝生の上に寝転んだ。きっちりと刈りこまれた芝の感触が心地よい。
そのまま大きく伸びをして、持ってきた本を開いた。ヤンはページに書かれた文字を真剣な目で追い始めた。
しばらくして、ヤンが追う活字の上に影が落ちた。視線を上げてみると、そこには静かにこちらを威圧しているような視線を送る、
立派なアフロヘアーの男性士官が立っていた。襟元には中尉の階級章がつけられている。
いや、威圧しているような視線は気のせいかもしれない。彼の顔にはバイザーがかけられ、表情を読むのは難しい。
「ああ、ペドロ中尉。ここで会うとは奇遇ですね」
「そうだな、ヤン隊長」
ヤンは士官の名前を言うと、本にしおりを挟んで閉じた。
今、目の前に立っているのは、ペドロ・マリーニ中尉。ヤンの設立したイエローウィザーズに志願入隊してきた男である。
特徴は何と言ってもその見事なまでのアフロヘアーだろうか。
彼は自らのアフロヘアーに誇りを抱いており、馬鹿にする者は許さない。
その容貌と信条、そして喋り方から一種近寄り難い空気を放っているが、実際は陽気ないい人である。
しかし、軍人としての能力は決して低くなく、この隊ではユーリと並ぶほどの経験を有している。
現に、前回の出撃では群を抜く活躍を見せ、見事勲章を授与されている。
「どうしました? こんなところで……といっても、私ははじめてきたんですけどね、ここ」
そう言って、笑うヤンにペドロは苦笑いを返してくる。
「いや。別にこれといった用事はないんだが。……礼を言いたくてな」
「? 礼ですか? 私、なにかお礼を言われるようなことしましたっけ?」
そういうヤンに、ペドロは表情と声を改めた。
「俺は、今までの連邦の戦い方には少なからず不満を抱いていた。そんな時、この部隊のことを知った。
そして、アンタと会って感じたんだ。ここなら、この部隊なら俺の望む戦いができるとな。……実際、その通りだったよ。
ここはいい部隊だ。俺の新しい居場所になった。それが、俺がアンタに礼を言う理由だ」
そう言うと、ペドロは懐から、前回の出撃で得た勲章を取出すと、ヤンの本の上に置いた。
「……俺が手柄を立てれたのは、部隊のおかげだ。だからこの勲章は部隊に、イエローウィザーズに奉げたい。受け取ってくれ」
「……私の部屋に、額にでも入れて飾っておきますか?」
ヤンは苦笑いを浮かべながら立ちあがると、ペドロの胸元にその勲章を止める。
「この勲章は、貴方が実力で勝ち得た物です。貴方の胸で輝くのがもっともふさわしい位置ですよ。ペドロ中尉。
それにね、ペドロ中尉。私は貴方にはもっと頑張ってもらいたいんですよ。こんな勲章一つで満足してもらっちゃあ、困りますよ?
なんて言ったって、これからもっともっと手柄を立てる機会は増えるんですから」
そう言ってヤンはおどけた様子で敬礼をして見せた。ペドロもそれを受けて不敵な笑みを浮かべて敬礼をかえす。
「結構。これからの一層の活躍に期待する。中尉」
「了解した。隊長」
男たちはそれぞれに笑うと、手を下ろした。
その時、ペドロがなにかを思い出したかのように手を打った。
「おお、そう言えば、アンセロット中尉がアンタを探してたぞ」
「アイス君が? なんですって?」
「部屋の掃除が終わって、言いたいことがあるって言ってたな……食堂に行ったぞ?」
「食堂に、ですか……」
「ああ、しかし、途中で臭ってきたあのひどい臭いは何だったんだ?」
「知らない方が幸せですよ……」
ヤンの顔が、ユーリが作った『特製』ボルシチを思い出して青くなる。
その言葉を聞いて、ペドロの眉が怪訝そうにしかめられる。
「……止めにいかなきゃなぁ……。食堂ですか、ありがとうございます」
「ああ。なんだか知らないが、頑張ってくれ」
「ありがとうございます……」
ヤンは悲壮な覚悟を持って、食堂に向かった。
その後姿をペドロは不思議そうに見送った。