第4回
「流転・前編」
ルナ2の連邦軍ソロモン方面軍第06パトロール大隊駐屯地は、蜂の巣をつついたような大騒ぎに陥っていた。
部隊の誇るエース、アオイ・ラザフォード准尉が、司令官のウォーレン少佐をスパナでぶん殴って怪我を負わせ、
その罪を問われて拘束されたことが原因だ。
その駐屯地にヤンは来ていた。歩き回りながら聞き耳を立てると、あちらこちらから噂が聞こえてくる。
聞き耳だけでは飽き足らず、ヤンはその辺りで噂話に花を咲かせている兵士から話を聞き出していた。
その結果。アオイに関しては様々な評価があることを知ることができた。
例えば。
「大体な、あんなガキがうちの部隊のエースだなんて、俺は端から気に入らなかったんだよ!」
「そうだよなぁ。まだほんの子供じゃねえか。そんなのがエースだなんてよ。連邦軍も質が落ちたってもんよ」
といったあからさまな罵声から。
「馬鹿にしているやつらは、何にも見えちゃいない。あの嬢ちゃんの腕は本物だ。俺は一度同じ宙域で戦ったことがある。
あのときの嬢ちゃんの操縦は神業みたいだった……俺には真似できないよ」
「まぐれにしたって、あの人はムサイを落としてる。それでも腕が悪いなんて、どこの誰が言えるってんだ。
悔しかったら自分でも戦艦沈めてみろってんだ!」
という腕前に関する賞賛の声。
「しかし、准尉もかわいそうにな。あの人がエースだなんて祭り上げられたのは、司令の仕業だって言うじゃないか」
「そうそう。あの野郎、自分がジャブローに返り咲くために、准尉を英雄に仕立て上げたんだろ?」
「っか〜〜! しっかし薄汚ぇよなぁ。なぁにが『彼女は私が育てた』だ。手前は都合よく戦果を上げたときに司令やってただけだろうがってんだ!」
終いには司令官に対する不満まで噴出している。
「……いやはや。大騒ぎだねぇ……」
そんな中、一人冷静なヤンは今回の事件について思いをめぐらせていた。
アイスの調べてきた情報によれば、アオイが司令官を殴った理由は、自分を守るために友軍が犠牲になったこと。
そして、それが一人の士官の出世のためだけに命令されていたということらしい。
「やれやれ……。そんなにえらくなりたいのかね。人間ってのは……」
まったく持って無駄極まりない。
アオイの行動が、ではなく。司令官の命令が、だ。
そもそも、ここに赴任したのがジャブローにおける派閥争いの結果だといわれている。
その時点で、ここの司令官は自分の非力さ、いや無能さを自覚するべきだったのだ。
自分は表舞台から退場した。それなら、舞台の袖でじっくりと次の幕を伺えばいい。
閑職といわれる部署でもやりようによっては自軍に大きな利益をもたらせるかもしれないというのに。
しかし、ここの司令官は運悪く、アオイ・ラザフォードという新しい英雄を見つけてしまった。
そして、これ幸いといわんばかりに彼はアオイを利用した。自分が表舞台へと戻るために。
そのために、貴重な人材が失われた。
ジオンに比べればましとはいえ、アオイよりも経験豊かなベテランが幾人も失われたのだ。
いくらアオイが将来有望とはいえ、この局面においてはマイナスであるとしかいえない。
そして、戦争と言うものはある一手が崩壊の引き金となる可能性を秘めている。
「……まったくもって無駄だな。この時期に欲をかくからだ……!」
ヤンはアオイよりも司令官に対する怒りを募らせつつ、廊下をすすんだ。
その先には、司令官の病室がある。
「あ、ヤン隊長。どこに行ってたんですか?」
病室の前にはアイスが立っていた。どうやらヤンのことを待っていたらしい。
……まぁ、それもそうだろう。隊長を差し置いて、自分だけが中に入るわけにも行くまい。
「ああ、いや。ちょっと情報と現場の事実をすり合わせに、ね」
「そうですか。で、どうでした?」
「どうって?」
「情報と事実にずれはありましたか?」
「ああ、いや。大してなかったよ。いつもながらすごいね。アイス君の情報処理は」
ヤンがそういうと、アイスは少し誇らしげに微笑んだ。
そして、手にしていた真新しい紙と一つのファイルをヤンに向かって差し出した。
「これ、頼まれていたウォーレン少佐に関するレポートです。なかなか、強引な手が好きなようですね」
「へぇ。どれどれ……」
渡されたファイルの中身をめくっていくうちに、ヤンの顔に満足そうな笑みが広がっていく。
一通り目を通すと、ヤンはアイスにゆっくりとうなづいた。
「これだけあれば、ここの能無し司令官も青くなるだろうさ。じゃあ、アイス君は先に戻って出撃の準備をすすめておいてくれ。
そろそろ私達にもMSが回ってきそうだからね……帰りは多分アオイ君も一緒だと思うよ」
「わかりました。……隊長、一ついいですか?」
「ん? なんだい?」
「程ほどにお願いしますね。あんまり追い詰めると、却ってこちらが危なくなりますから」
「わかってるさ。じゃあ、よろしく頼むよ」
「はい。アオイ准尉と、彼女の機体の受け入れ準備も並行して行っておきますから」
「完璧だ。じゃ、いってくる」
アイスに向かってにっこりと微笑むと、ヤンは病室のドアの前に立った。
その表情は彼の部隊員がおよそ見ることがないほど、引き締まっていた。