第4回
「流転」
扉を開けたそこは、既に大宴会の最中だった。
アイス・アンセロット中尉は入り口から少し呆然として食堂内を見回した。
先ほど、大宴会といったが、それよりはむしろ大騒ぎといった方がしっくりくる光景だ。
食堂奥の厨房からは得体の知れない匂いが漂ってきている。原因はおそらくまた、ユーリ・フィアールカ少尉だろう。
得意の料理を作るのはいいのだが、あの隠し味だけはやめて欲しい。アイスはつくづくそう思った。
「けど、なんなの? このあたり一面に張り巡らされたワイヤーは……」
アイスの言葉どおり、食堂は床といわず壁といわず、あたり一面にワイヤーが張り巡らされている。
その中のいくつかは力なく緩んでいるが、その先にはなぜか身動き一つしない隊員の姿がある。
アイスはいつものとおり紅茶とクッキーのセットを受け取ると、その隊員に近づいた。
「あの〜。これは一体なんなんです?」
「あぁ。アンセロット中尉、気をつけてください。この中はもう罠だらけですよ。私は普通に椅子に座ろうとしたんですけど、この様です」
「はぁ、罠ですか」
隊員はがっくりとうなだれると唐突に椅子を揺らしだした。
「うお〜!! ふざけるなぁ! 俺は徹夜でMS整備してようやく終わって一杯やろうとしただけじゃねえか!
なんだってこんな罠が仕掛けてあるんだよ!」
アイスは悲痛な叫びを上げる隊員から離れると、いつもの窓際の席に向かって歩こうとした。
しかし、その足がすぐに止まる。半歩先に透明で見えにくいワイヤーが仕掛けられていることを察知したのだ。
そのワイヤーの他にも席までは縦横無尽にワイヤーが張り巡らせてあることも、微妙な光の反射などからわかる。
「……これも、ユーリさんの悪戯ね……ま、いいわよね。避けてとおればいいんだし」
そう言うが早いか、アイスはワイヤー同士の間に見える隙間を的確に選び出し、しなやかにくぐりぬけ始めた。
手にもった紅茶とクッキーのセットを載せた盆が触れないように、時には繊細に時には大胆に、ワイヤーの隙間をくぐっていく。
そして、席まで後一歩という所までやってきた。しかし、席の周辺は通路とは違い、信じられないくらいの罠が仕掛けられているのが、
一目でわかる。
テーブルの上には、お約束のようにチーズを載せたネズミ捕りが仕掛けられている。
「このネズミ捕りはあからさまなフェイクよね。本命は……」
視線を動かし、テーブルと椅子の間に張られたピアノ線に注目する。
「これ、ね。椅子を動かすとさっきの整備の人のようになると見て間違いない。座る以上、避けるのは無理……なら」
アイスはテーブルにお盆を載せると、懐から一本の針金と小さなはさみを取り出した。
「このワイヤーがこう来てるから……ここをこう押さえて……この部分をきれば……」
小さく呟いて構造を確認しながら、針金である点を抑え、はさみをピアノ線にあてる。
ぱちん、と乾いた音がして、ピアノ線が切られる。一秒、二秒、三秒……変化はない。
「解除成功。こうすれば問題はないわよね……」
アイスはにっこりと微笑むと、お気に入りの席に腰をおろした。
厨房から少し離れているこの席には、ユーリの作る料理の異臭も漂ってはこない。
そして、これもお気に入りの紅茶の香りを存分に楽しんでから、一口含む。
紅茶の温かみが全身に行き渡り、先ほどまで残っていた戦闘の緊張がほぐれていくのを、アイスは心地よく感じていた。
「ふぅ……。この部隊にいるとホント退屈しないなぁ……」
そう言ってアイスは再び周囲に目を向けた。
ユーリの仕掛けた罠で辺りは本当に大騒ぎだ。しかし、隊員たちの誰もが楽しそうに笑っている。
アイスの過去の記憶には、こんな楽しそうな人々に囲まれた時の事はなかった。
貼り付けたような完璧な笑顔、そしてその目に見える羨望と侮蔑の入り混じった光。
自分に向けられる笑顔は、常にそういった類の笑顔でしかなかった。
「……この部隊に来て、ホント、よかった……」
(だって……)
アイスはポツリと呟いて、食堂に集った隊員たちを見回した。
クルスとルーシアがなにやら新入りの女性兵――確か、アオイ・ラザフォードといった。――に質問をしているようだ。
アオイは美人の二人に囲まれて少し緊張しているように見える。
その脇では整備兵あがりのパイロット、セオロ・クエイドと、彼をスカウトしてきたフォウス・クローバーが机の上におかれた、
ネズミ捕りと、席にしかれた悪戯用アイテムを見て頭に疑問符を浮かべている。
そこに松葉杖を突きながら、ペドロ・マリーニが入ってきた。今回味方機を援護しているうちに自機に直撃をもらったらしい。
傷は痛々しいが、本人の表情はいつもと変わらない。そのアフロとともに誇り高く、そこにいる。
若い隊員たちを見て、彼のその口元に穏やかな笑みが広がるのを、アイスは見た。
バルト・シュベールトは喧騒を避けるように隅のほうでたたずんでいた。その目は兄弟からの手紙であろう、
数枚の便箋の文字を追っている。普段は見せないようやさしげな表情だ。
隊長のヤンは、喧騒の中にいるにもかかわらず、悠然としたいつもの様子を崩さず、コーヒーを飲んでいる。
そして。
(……だって、彼にも会えたし)
アイスの目は、人一倍賑やかな男に止まった。
ジェイク・スレイヤー。人一倍陽気で、自信家で、大雑把。口調は乱暴で粗野。
子供っぽい所もあって、まだまだやんちゃ小僧といった雰囲気がしっくり来る。
(だけど……)
本当は人一倍、自分よりも他人が、仲間が傷つくことを嫌う人。アイスはそういう印象を抱いていた。
そして、自分が初陣のときに見せた彼の優しさは、今でもアイスの心を暖める。
その感覚はアイスを戸惑わせるものの、決して不愉快ではなかった。
(……これは、何?)
自分の胸に手を当てて、眼を閉じる。
心地よい温もりがが全身に広がっていくのがわかる。今飲んでいる紅茶のせいではない。
では、一体?
しかし、それを自覚する前にアイスの思考は現実へと戻ってきた。
ジェイクの声とアオイの声が重なって聞こえてきたからだ。
「あんだよ、お前、俺のことまだ苗字と階級で呼んでたのか? ジェイクでいーって。むずがゆい」
「え……で、でもあの。上官ですし、ボク、男の人をそんないきなりなれなれしく名前でなんて……」
「だー!! 本人がいーって言ってんだ! ぐだぐだ言うなー!!」
「ふに〜〜ひたひでふ〜はひひふはふぁい〜〜〜」
「………………」
ジェイクは楽しそうに笑っている。なんだか随分とアオイと仲がよさそう。アイスには確かにそう見えた。
実際は、ジェイクは面白がってるだけだし、アオイは正直迷惑がっているだろう。クルスが止めている。
だが、アイスの目にはジェイクはアオイが楽しそうに話しているようにしか見えなかった。
ちくり。
心の隅に何かが刺さったような錯覚に襲われる。
ちくり。
一度認識されたそれは、アイスの中である感情を急速に成長させた。
ちくちく。
その感情はこれもアイスが経験したことのない感情だった。
ちくちく……。
それを知っていたなら、きっとこう言うことだろう。即ち、「嫉妬」と。
「…………」
アイスは無言で席を立つと、無造作にワイヤーを切り払いながら、カウンターへと歩いていった。
ワイヤーの先の罠が次々と発動し、不幸な隊員を餌食にしていくが、そんな事は知ったこっちゃ無い。
カウンターでは苦虫を噛み潰したような顔のカミラが厨房の中を睨みつけていた。
そのカミラの目が、アイスの顔を見た途端に、何か信じられないものでも見たかのように見開かれる。
「カミラおば様」
「ん? ど、どうしたい。アイスちゃん。おっかない顔して」
「おば様。ここ、お酒ってありますか?」
「え、ああ。ブランデーなら、何本かあるけど……」
「いただけますか?」
何か強烈な圧力に負けたかのように、カミラが操られるようにブランデーのビンを持ってくる。
アイスはそれを無言のまま受け取ると、視線を再びジェイクのほうに向けた。
「……………」
そして、そのままビンの栓をあけた。
……後にイエローウィザーズ隊員の全員が口をそろえて言うようになる言葉がある。
『死にたくなければ、アイス・アンセロットに酒を飲ますな』
その由来となる事件はこうして幕を開けた……。