第5回
「作戦名・星一号」
連邦軍の星一号作戦。
それは地上からジオンの勢力をほぼ掃討した連邦軍が、いよいよジオン公国の本拠地、サイド3を目指して進撃すると言う、
大規模な反攻作戦だった。
ジェイク・スレイヤー少尉の所属するイエローウィザーズもその作戦へと参加することが決定している。
先ほどの作戦会議において、隊長のヤンからその旨が伝えられた。
「けっ、珍しいこともあるもんだ。あのオッサンが湿っぽいことを言うなんてなぁ。似合わねぇのによ」
ジェイクは作戦の指示と訓示を行うヤンをみて、思わずそう口にした。
言ってる言葉や口調とは裏腹に、ジェイクの顔は面白がっていた。
ヤンは訓示のとき、隊員すべてに向けて礼を言った。
しかし、ジェイクにとって、「それはこっちの台詞だ」といいたくなるものだった。
考えてみれば、ヤンがいなければこの部隊に来ることもなく、また。
「それは言いすぎです、本当は感謝しているんじゃないですか?」
……この隣にいる少女と出会うことはなかった。
ジェイクは隣を歩いていたアイス・アンセロット中尉を見ると、少し口をひん曲げて見せた。
「んじゃ、お前はあのオッサンが湿っぽくしてんのが似合うと思うか?」
「え。……それは……」
「ほら見ろ。お前だってそう思ってんだろ?」
ジェイクはアイスの困った顔を見て、楽しそうに笑った。
今、二人は近くのコロニーにいた。
作戦前に英気を養えということで、ヤンが隊員全員に短いが休暇を与えたのだ。
その休暇を利用して、ジェイクは新しいCDを探しに手近なコロニーへと来ていた。
そして、CDを探して街中をうろついていた時、偶然アイスと出くわしたのである。
「しかし、お前は何しに来たんだよ? 買い物かなんかか?」
「ええ、地球にいる両親に手紙を送ってきました」
そういうアイスをみて、ジェイクは不思議そうな顔をした。
「手紙? んなもん、駐屯地から送ればいいじゃねぇの」
「え〜っと、それがそうもいかないんです」
「なんで」
「女の子には、教えたくないこともあるんです。……あんまり詮索すると嫌われますよ?」
アイスはそういうと悪戯っぽく微笑んだ。どうやら、検閲されたくない内容の手紙らしい。
当然のことながら、二人とも私服できている。普通の格好なら、この二人を軍人だと思う者は多くあるまい。
ジェイクは黒の皮ジャンに黒のジーンズ、アイスは紫のタートルネックのセーターに黒のパンツだ。
「そういうジェイクさんこそ、久しぶりの休暇じゃないですか。私、てっきりお部屋でギターを弾いてるとばかり思ってましたよ?」
「ん〜? 俺も最初はそうしようと思ったんだけどな。もう、今もってるCDはイヤってほどきいたからな。新しいのを仕入れておこうと思ってよ」
「そうなんですか。で、何かいいのはありました?」
「おお! ここ、結構掘り出しモンがあったぜ! 例えば、今聞いてるコレなんかかなりレアだぜ!」
そう言うと、ジェイクは首にかけていたヘッドホンを、アイスに向けて渡した。
アイスは何気なくそれを受け取り、耳に当てる。ジェイクはそれを待って、うれしそうにウォークマンのリモコンの再生ボタンを押した。
「…………!!!」
「どうよ、結構いいだろ?」
ジェイクがうれしそう言うのを、アイスはろくに聞いていないようだった。
慌ててヘッドホンをはずし、そのヘッドホンをジェイクに向けて返すと、顔をしかめて耳を抑える。
「お? もういいのか? まだイントロから少しってところだろ?」
「あの、ジェイクさん、ひとつ聞いていいですか?」
「ん?」
「……そのウォークマン、音量いくつですか?」
ジェイクは手元のリモコンを操作し、現在の音量を表示させた。液晶のパネルに「VOL 28」と表示されている。
「ん? 28だけど、それがどうかしたか?」
ジェイクがこともなげに言うと、アイスは頭痛がしたようにこめかみを抑えた。
ちなみに、ジェイクが使っているウォークマンの最大音量は「30」である。
「そんな音量でいつも聞いていたんですか……」
「このくらい普通だって。これくらいの音じゃねーとほんとのよさはわかんねぇよ」
「はいはい。わかりました……」
ジェイクは少し釈然としない表情を浮かべながら、周囲に目をやった。いつのまにか駅のある町の中心に出てきたらしい。
足元は石畳で舗装され、適度な感覚で街路樹が植えてある。駅、といってもなんと言うことはない。連絡艇のでる宙港へのバスが出るというだけだ。
二人の目の前には大きな時計台が静かに時を刻んでいた。駅前は広場になっていて、そこから放射線状に道路が伸びている。
時計台をみて、ジェイクは何かを思いついたような表情をし、唐突に横に立っているアイスの顔を覗き込んだ。
「? なんですか?」
いきなり顔を覗き込まれたアイスの方は、戸惑ったような表情を浮かべている。
その表情にかまわず、ジェイクはアイスに向かって問い掛けた。
「なあ、アイス。お前まだ時間あるか?」
「え?」
そういわれてアイスは、自分の腕時計を見やった。
駐屯地に帰っていなければいけない時間には、まだ少し余裕があった。
「ええ。まだ大丈夫ですけど」
「そか。そんじゃ少しそこのベンチで休んでいこうぜ」
ジェイクはそういうと、時計台の周りにあるベンチのひとつを選び、さっさと腰を掛けた。
アイスはそんなジェイクの様子を見て微苦笑すると、ジェイクの隣に腰をおろす。
ジェイクはアイスが腰掛ける間、周りの様子をぼんやりと眺めていた。そして、ポツリと言葉を漏らした。
「……平和だよな。このコロニーは」
「ええ。すぐ近くで戦争の準備をしているのが嘘みたい」
「ついこないだ、生き死にかけてドンパチやってたんだよな。この外で」
「……そうなんですよね」
「ほんと、嘘みてぇだよな・……」
「はい……」
やがて、二人は言葉を発さなくなった。何をするでもなく、今まで二人で歩いていた道を眺めていた。
エレカーが走る音、道を行く人の話す声、少し遠くから聞こえる子供達の声。
そういったものの中に、二人は静かに、黙ってたたずんでいた。ジェイクはこの沈黙を心地よいと感じていた。
そして、しばらくの沈黙の後、ジェイクがおもむろに口を開いた。
「……なあ、アイス」
「……なんですか?」
「お前さ、この作戦終わったらどうする?」
「どうする……って言うと? どういうことです?」
「んーまあそのなんだ。ヤンのおっさんが言ってただろ? この作戦が終わりゃあ戦争も終わるってよ」
ジェイクの言葉は、いつもと比べて歯切れが悪い。
言葉をうけて、アイスが少しいぶかしそうな表情をする。その表情を見たジェイクは、自分自身に苛立ちを感じた。
苛立ちの理由は、ジェイクの望みと、実際に口にしてほしい言葉とが矛盾していることだ。
(なんだってこんなにビクビクしてんだ、俺は! もう、こいつに無理はさせたくねぇんだろうが!)
そうなのだ。
ジェイクはこの作戦が終わったら、アイスには除隊してほしいと思っていた。
戦い、敵機を撃墜するたびに、アイスは苦しんでいる。普段の自分とのギャップに、戦いを楽しんでいる事実に。
部隊でも優秀な部類に入る戦績を収めている士官には、あってはならないことだ。
そして、ジェイクはそんな風に苦しむアイスをこれ以上見たくないと思っていた。
アイスは、いつもの方がいい。自分やヤンを相手に小言を言う、生真面目だが暖かいアイスのほうが。
だったら、戦場にでる必要のある軍にはいないほうがいい。
だから、除隊してほしい。それは確かにジェイクの望みの一面だった。
だが、しかし。
(けど、俺はどっかでこいつに俺と一緒にいてほしいって思ってんだよなぁ……)
そう、そう思うこともまた事実なのだ。
ジェイク自身は、体の動く限り軍に残るつもりでいた。元々は治安の悪いところでほとんどその日暮らしだった。
軍に入ってからはちゃんと整備された施設で生活ができる。金ももらえる。
そのおかげで故郷の姉にも無理をさせずにすんでいる。今更、明日も知れない元の暮らしに戻る気はさらさらない。
しかし、自分が軍に残り、アイスが除隊すれば、必然的に顔を合わせる機会は激減する。
ジェイクは自分がそのことを考えるとき、いつも不愉快な思いを味わうのを自覚していた。
その不愉快な思いを柄にもなく分析していくと、最終的な結論はいつも同じだった。
つまり、「自分はアイスと一緒にいたい」ということ。
だから、アイスは軍を抜けた方がいいと思う自分と、アイスと一緒にいたい自分。お互いが衝突するのだ。
そして、今。ジェイクはその答えを聞こうとしている。聞きたいが、答えが恐い。
その感情こそが、ジェイクの口調を歯切れの悪いものにしていた。
「この戦争が終わりゃあ、しばらく大きな作戦もなくなんだろ? そうすりゃ俺たちみてぇな独立部隊は解散になるかもしれねぇ。
そうなりゃまた正規軍に逆戻りだ。堅苦しいし、面倒なことも多い。……それでも、俺は軍に残る。
それくらいしか、俺がまともな道を歩く手段はねぇだろうしな」
「…………」
「けどよ、お前は違うだろ? 何も正規軍みてぇなとこにいなくたって、いくらでもやれることがあるじゃねえか」
「……要するにジェイクさんは、私が軍に向いてない、そういいたいんですか?」
「…………」
ジェイクはアイスの言葉にどうやって返すか悩んだ。
軍に向いているかいないか、能力の問題で言えば、結論は明白だ。アイスは軍に向いている。それは結果が示している。
だが、能力ではないのだ。ジェイクが言いたいのは。それを伝えるべきか否か。
しかし、結論はでなかった。ジェイクは軽く舌打ちをすると、思ったままに言うことにした。
内心の葛藤からか、自然と声がいつもよりぶっきらぼうになってしまう。
「……見てて辛そうなんだよ、お前の戦い方は。言ったろうが、無理すんじゃねぇってよ」
「…………」
「……だから。はっきり言っちまえば、俺はお前がこれ以上軍にいることには反対なんだよ」
「……それは、つまり。もう、私の面倒を見るのは御免だって言うことですか……?」
「…………」
アイスの問いに、ジェイクは無言でいるしかなかった。
無論「YES」と答えることをジェイクはまったく考えていなかった。だが「NO」と答えれば、それはアイスを軍に引き止めることになる。
答えるをことを避けるかのように、押し黙り、視線をそらす。
再び、沈黙が二人の間に横たわる。だがしかし、その沈黙は先ほどまでの心地よいものではなく、ひたすらに重く、ジェイクの上にのしかかった。
やがて、アイスがポツリとつぶやくように声を漏らした。
「……そう、ですか。ジェイクさんは、私が軍にいることには、反対、ですか……」
アイスの発したその声に、ジェイクは思わずアイスの方を向いた。
声は震えてはいなかった。しかし、その声はとても悲しげで、それがジェイクを振り向かせた。
アイスはいつのまにかうつむき、表情は長い髪が覆い隠していた。ただ口元だけが影から見える。
そして、その黒いベールの向こうで、口が小さく動き、声がつむぎだされれようとした。
その瞬間、時計台の鐘が鳴り響いた。
「…………のに」
「…………え?」
だが、あまりに小さなその声は、ジェイクが理解する前に、時計台の鐘の音に飲み込まれてしまった。
やがて、アイスは静かに立ち上がると、ジェイクの前に立った。その表情をみて、ジェイクが目を見張る。
その表情は、二人が初めて出会った頃のように、厳しいものだった。
だが、その口から放たれた言葉は、今までジェイクが聞いてきた声の中で、もっとも冷たく凍えていた。
「あなたの考えは参考にさせてもらいます。ですが、私が軍に残るか否かは、私個人の問題ですので。
自室ででもゆっくりと考えることにします……そろそろ時間です。私は一足先に駐屯地の方に戻らせてもらいます。
スレイヤー少尉も、帰還時間に遅れないようにしてください」
「な、ちょっ……!」
突然、まったくの別人と話すかのようなアイスの言葉に、ジェイクも思わずベンチから立ち上がった。
しかし、アイスの表情は厳しく引き締められ、これ以上話すことを拒んでいるように見えた。
「……それでは」
アイスはきびきびとした動作できびすを返すと、足早に駅の中へと向かい、そして見えなくなった。
その様子をジェイクはただ呆然と眺めているしかなかった。
やがて、アイスの姿が完全に駅の雑踏にまぎれて見えなくなると、力が抜けたようにベンチに座り込んでしまった。
「……やっべぇ。ありゃ相当怒ってんなぁ……」
ジェイクの中で後悔の念が渦を巻いていた。
自分が言ったことは確かに自分の中では真実だ。だがもう少しうまい言い方があったんじゃないのか?
それに、言わなかったことだってある。何でそれを言えなかった?
そういう自問の声が際限なく湧き上がる。だが、それにはすぐに答えが出た。
「……恥ずかしくて言えるかよ。俺のために残れ、なんてよ……」
ジェイクは顔をしかめると空を仰いだ。
コロニーに空はなく、ただ、今自分がいるのと同じような町並みがはるかかなたに望めるだけだった。
そうしているうちに、ジェイクの中でひとつ引っかかることがあることに気が付いた。
時計台の鐘が鳴ったとき、アイスはなんと言ったのだろう。
あのときの唇の動きと、切れ切れに聞こえてきた言葉。アイスは、なにを言おうとしたのだろう。
わからない。もしかしたら、なにか大切なことを言おうとしていたのかもしれない。
だが、その機会は失われた。アイスは去り、自分はここにいる。
「……ちっくしょお……ミスったぜ……」
ジェイクは小さくつぶやくと、手で顔を覆い隠した。なんとなく、体に力が入らない。
しばらくジェイクはそのままベンチに座っていた。
その間にいろいろなことを考えたが、どれもまとまる前に消えていった。
そして、最後にひとつの結論に達した。
いつでもいい。それこそ、この作戦が終わったときでもいい。
アイスに自分の思ってることを全部言おう。
恥ずかしくても、言わなければ伝わらない。
「……いよっし! 当たって砕けろはいつものこった! やるだけやってみりゃ結果は後からついてくるだろ!」
ジェイクは勢いよく立ち上がると、ヘッドホンを身につけ、駅に向かって歩き出した。
その目には、迷いも恐れも何一つない。いつものジェイクそのものであった。