私はあれから数日の間お休みをもらっていて、今日は久し振りにバイト先に出勤した。

仁くんにはもうバイトに行くなと言われたけど、でもやっぱり急に辞めるなんてできなくて、せめて夏休みの間だけでも続けさせて欲しいとお願いしたら、だいぶ不機嫌そうだったけどなんとか認めてくれた。

タイミングを見て店長にも辞める予定を伝えられて、それと一緒に、できればシフトを昼間のみに戻してもらえませんかと希望すると、いいよと言ってくれてほっとした。私の勝手な都合で迷惑掛けちゃったなと思って、本当にすみませんと頭を下げて謝った後、また仕事に戻る。


夕方になり、もうじき上がりの時間だと思いながらレジを打っていたら、会計を済ませたお客が去って行った後にまた一人誰かやって来た。

「いらっしゃいま……」

挨拶をしようと手元から顔を上げると、そこには見知った顔があって思わず驚く。

「……どうしたの」

いつも通りの怖い顔して私のことを見下ろすのは仁くんで、一体なんでここにいるのか不思議だった。この前バイト先は教えたから、まあこのコンビニにいることは知ってるだろうけど。 でも、まさか、様子を見に……?

仁くんは私には特に何も言わずいつも吸ってる煙草の銘柄だけ口にしたので、それを出して値段を言うと黙ったままお金だけ払って去って行った。

何しに来たんだろう、と思いつつ時間になったので上がって家に帰ると仁くんは先に戻っていた。でもバイト先のことは口に出したりしなくて、まあ普段から基本何も言わないんだけど、だから私からも聞かなかった。

でも、次の日も来たし、その次の日も来て、何日か来ないなと思えばまた顔を見せたり。自分だってバイトしてるんだろうにわざわざこっちまで来てるのかな、と不思議に思いつつも本人には言えない。

「……、お前まだ金勘定なんかしてやがんのか」
「そうだけど」
「んなもん放っといて、帰れ」
「勝手に帰れないよ、時間が決まってるんだから」

この頃では少し話し掛けてくる様にもなった。やっぱり、あんなことがあったから逆恨みでもされていないかを気にして、様子を見に来ているのだろうか。

「また来たの」と口では言いながらも、本当は、心配してくれてるのが嬉しかった。









あれから夜は一緒のベッドで寝る様になり、仁くんはいつもこちらに背を向けていて、私は眠くなるまでその背中をずっと眺めていた。

そうすると胸がどきどきしてきて、うっかり抱き付きそうになるけど、それをぐっと堪えて我慢する。本当はその背中にぴったりと体を押し付けて甘えてみたいのに、でもそんなことできないから。

「……ねえ」

ベッドと床で別れて寝ていた時はずっと黙っていたけど、仁くんがとなりで寝る様になってから、私は度々話し掛けることがあった。

それはこっちが一方的に喋るだけで聞いてるのかすらわからない日もあるし、何か質問すれば気まぐれに答えてくれる日もあるし、「ねえ」と口に出しただけで「さっさと寝ろ」と怒られる日もあった。

「……仁くん」
「……」
「ねえ、」
「……るせえな、なんだよ」

機嫌が悪そうな低い声でも一応返事をしてくれたので、心底怒ってはいないみたいだ。

「仁くんてさあ……好きな女の芸能人とか、いるの」
「……」
「ねえ、どんな女の人が好き……?」
「……」

普段、面と向かっては聞けないことも、何故か寝る前のこの暗い部屋の中、その背中を眺めながらだったら口にできてしまうのが自分でも不思議だった。

「……くだらねえこと抜かしてねえで、寝ろ」

しばらく沈黙した後、仁くんは素っ気なくそう言った。だからもうそれ以上は怒られちゃうから何も聞けなくなって、私は黙ったまま静かにしていた。

どんな人が好きなんだろうとか、タイプの顔とかあるのかな、とか。この頃はそんなことばっかりが頭の中にあって、自分でもおかしいと思うけど、でもどうにもできない。

仁くんが家にいない時にこっそりベッドの下とかクローゼットの中とか探してみたけど、エッチな本とかディスクとかそんなもの一つも見つからなかった。この部屋の中には他に収納もないし、べつに隠してるわけじゃなくて本当に持ってないみたいだ。

……仁くんて、一人でする時いつもどうしてるんだろう。どこで、どんなこと思い浮かべてするんだろう。気に入ってる女優とか、誰かいるのかな。

それとも……、

私のこと考えながらしてくれてたらいいのに……。

(…………)

(……なに、考えてるんだ)

じっとその背中を見つめながら自己嫌悪に陥りつつも、もう止めることなんてできずに想像は広がっていくばかり。体温は勝手に上昇していって、胸だってどきどきと脈打って苦しくて、こんな調子じゃちっとも眠れやしない。

(……熱い)

私の中に仁くんが入ってくるのは、一体、どんな気持ちがするだろう。どれだけ心地良くて嬉しくて、幸せな気分だろう……。

……こんなこと、付き合ってた彼にだって思ったことなかったのに。

キスされて抱き締められて、その大きな手で胸を触って、体中を撫で回されてみたい。ぴったり抱き合って、素肌の体温を感じてみたい。そんな風に考えてるのは私だけで、仁くんはそんなこと、私に対して思ったりなんてしないのかな。

…………、するわけない。だって、私は妹だし、それにきっと仁くんからしたらガキにしか見えない。兄とセックスしてるところを想像してるなんて知ったら、やっぱりおかしいと思うだろう。

ぼんやりとした記憶の中のあの女の人は、大人っぽい、綺麗な人だった。仁くんは何も言わないけど、きっと彼女なんだろう。だから、あの人は私が仁くんにして欲しいと思ってることも、全部してもらってるんだ。キスだって、セックスだって……。

彼女がいるんだから、私のことなんか考えてするわけないのに。

くだらない嫉妬心に振り回されるのはもううんざりと思いながらも、それは独りでに大きく膨らんでいくばかり。言葉にできない、堪らない気持ちと熱を胸に抱えながら、夜は、静かに更けてゆく。

もう眠りたいのに。目を瞑れば、浮かんでくるのは私じゃない誰かと抱き合う仁くんの姿で。いい加減にして、と心の中で自分にきつく言ってみてもそれは消えたりしない。

馬鹿みたいなのに、でも、一度でいいからあの女の人になりたいと思ってしまう自分がいた。仁くんとキスして、抱き合って、セックスしてる時だけ心を入れ替わってみたい。その腕の中で、愛されてみたい。

……どんな顔して、どんな声出すの?あの人の前では……。


(……もう嫌)











ある日、バイトで時間帯が一緒になった何歳か年上の同僚の男の人が、たまたまお客が誰もいなくなった時に、商品を陳列していた私に近付いて話し掛けてきた。

「うちの店にさ、しょっちゅう煙草買いに来るめちゃくちゃ怖そうなガラの悪い男いるじゃん、背のでかい」
「はい」
「亜久津さん、よく話し掛けられてるよね。、って名前で呼ばれてるし……もしかして知り合いなの?」
「ええ、まあ」
「まさか……、彼氏じゃないよね……?」
「……」

そのガラの悪い男っていうのは、どう考えても仁くんのことだと思った。自分でそう質問してきた割にはどうも否定して欲しそうな雰囲気の彼は、私が何か口に出すのをじっと見つめながら待っている。

本来なら、兄だと答えるのが正解なんだろうけど、何故か私は口籠ってしまった。短大の友人に言われた時もそうだったけど、仁くんを彼氏と勘違いされることがなんだか嬉しいと感じてしまう。

だって、そうだったらいいのに、と思ってるから。だから、そのまま否定もせずにしばらく黙ったままでいると、彼は沈黙を肯定と判断したのか「マジか」と呟いた。

「亜久津さんってああいう男がタイプなんだ……」

若干ショックを受けつつも引いている感じの彼は、それでもなんだかんだ仁くんに興味があるのか、陳列を手伝いながらそれからもその話題を続けた。

「なんかキレたらすぐ殴ったりしそうなんだけど……大丈夫?DVとかされてない?」
「はい」
「乱暴なことされたりしないの?」
「しません」
「そうなんだ……ほんとかなあ」

私のことを心配してくれているのだろうか。彼は怪訝そうな顔をして、私の顔や、服から出ている肌の部分を確かめるように眺めている。でも仁くんに殴られたことなんて今までに本当に一度だってないし、かすり傷すら付けられたことない。

周りの人のことは、気に入らないとすぐに手を出して、殴ったり蹴ったりするのに。小さい頃から私には、怒っても口で何か言うだけで絶対に手は出さなかった。

「脅されて付き合ってるんじゃなくて?」
「違います」
「へえ……。亜久津さん、よくあんな怖い人と一緒にいられるね。俺なんか目が合っただけで殺されるんじゃないかって、すげえビビってんのにさ」

おそらく彼の判断は正しいけど、でも今の仁くんは以前に比べれば随分丸くなったと思うし、まあ半殺しくらいで済むんじゃないかな。それに、あの人にも良いところはそれなりにあるのに……と何故かわかって欲しい気持ちになってしまい、私は気が付けば口に出していた。

「でも、割と優しいんです」
「……嘘でしょ」
「それに頭が良くてなんでもできるから、私にも色々教えてくれるし」
「色々、って……」

変なことじゃないだろうね、とまた訝しげな表情に戻る。よほど信用がないのだろうか。……まあ、無理もないけど。

きっとこれ以上何か言っても信じてくれないだろうから、もう口を閉じて喋らない。でも、仁くんはいつも身だしなみとかちゃんとしててだらしない格好で外に出たりしないし、家事も全般できて私の分まで頼まなくてもやってくれるし、まだ教えたいことはたくさんある。

口に出してそれを仁くん本人に言ったりはしないけど、本当は一から十まで好きだった。今はもう、良いところも悪いところも全部ひっくるめて、大好きなのに。

「ヒドイことされたら、すぐ誰かに言うんだよ」
「……はあ」

まあ、いい人なんだろうな。仁くんのこと疑いまくってるけど、普通はそうなっても仕方ないし。と、そう思ったところで店内にお客が入って来て、それに「いらっしゃいませ」と言うとその話はもうそれきりだった。







夜、ベッドの上でいつもの様に仁くんの背中を眺めながら、今日同僚の人に言われたことを思い出していた。

私と仁くんって、子どもの頃から顔似てなくて、しかもそれは成長すればするほど周囲にそう言われる様になった。だから、ハタから見れば、一緒にいると恋人同士に見えたりするんだろうか……。

見えるだけじゃなくて、本当にそうだったらいいのに。……また、そんなことばかり考える。

しばらくその背中を見つめていて、これまではずっと我慢していたのになんだか急にどうにもできなくなって、私は体を近付けて手を伸ばすと、後ろからぎゅっと抱き付いた。

「……」

本当はちょっとどきどきしていて、怒られるかな、と思っていたけどもう寝てしまったのか仁くんは何も言わない。ならいいや、とそれからも体をぴったりとその背中にくっ付けたままでいた。

(……温かい)

だんだん、安心して眠くなってくる。毎日こうやって寝られたらいいのにな、と思っていると、急に「オイ」という低い声が近くから聞こえたのでちょっとびっくりする。

「……暑いんだよ」

てっきり寝てしまっていると思ってたから、遠慮なく抱き付いてたのに。もしかして、起こしちゃったのかな。それとも最初から寝てなんかいなくて、ずっと起きてたのだろうか。どちらにしても、気付かれてしまったことには違いない。

でも、だからってすぐにぱっと体を離すことなんてできなくて、私は黙ったままその体勢から動かない。

「……オイ」
「……」

「……」

やだ。だってずっとこうしたかったんだから、離れない。それに仁くんだって、暑いとは言うけど離れろとは言ってないし。だからこのまま朝までくっ付いてるもん、と急に精神年齢の低くなった子どもみたいな自分が心の中で何か言ってる。

無言の抵抗を続けていると、諦めたのか仁くんは軽く溜息を吐いてそれから何も言わなくなった。なら、このまま朝までいられるんだ、と思って嬉しい気持ちで顔も背中にくっ付けてみる。

本当は、私の方を向いて抱き締めて欲しいけど……そんなこと言えないから、代わりに、仁くんのお腹の辺りのTシャツの生地をぎゅっと掴んだ。仁くんの背中は大きいし、温かくて、すごく安心する。

確かに怖い人かもしれないけどべつに私にヒドイことなんてしないし、不器用なりに優しいし、バイト先の同僚が心配してた様な乱暴なことなんて何も……。

どさくさ紛れにこっそり手を握ってみても、仁くんは抵抗する感じもなかったので、そのままでいた。なんだか恋人同士みたい、と勝手に自分だけ楽しい気持ちになって、いっそそれが本当になればいいのに……と思いながら目を瞑った。











それからも悶々とした想いはどんどん膨れていくばかりで、バイト中も家にいる間も、私は仁くんのことばかり考えてしまっていた。

……仁くんが欲しい。

そんなのは無理なのに、そればっかり。この頃は夜、仁くんにくっ付いて寝る様になったけど、べつに離れろって怒ったりしないから、もしかしたら……なんて考えちゃう自分が嫌。

普通、妹に対してそんなこと思わないでしょ。彼女だっているのに、とわかってるのに。そのつもりなのに。それでも、そうだったらいいのにな、と願ってしまう自分もいて……溜息が出る。

(……もうじきバイトも終わりだな)

バイト先で品出しをしながらそんなことを考えていた。

あともう少しで夏休みも終わりで、仁くんと過ごした2カ月間はなんだかあっという間だった気がする。最初に一緒に暮らしてもいいって言われた時は驚いたけど、でもすごく嬉しかった。

それでもきっと、ただ単に妹である私のことを気に掛けて言ってくれた仁くんとは違って、私はそうは思ってなかったから。いっそどうにかなってしまいたいと、そんなことばかり考えていたし、こんなにも男として好きだったなんてこれまで自分でも気付いてなかった。

……夏休みが終わったら、今度は優紀ちゃんとお父さんになんて言い訳しようかな……。

このまま仁くんと二人で暮らすのはなんだかいけない関係のような気もするけど、離れるなんて寂しくて耐えられないし、でも素直に本当のことなんて話せないし……と考えていると、誰かが私のすぐとなりまでやって来てそのまま立っているのに気付いた。

やけに近いな、と思って手元から目線を外してそちらに向けるとそれは仁くんだった。いつもみたいに黙ったまま私を見下ろしている。

「……なに?」

家の外でこの人を見つめるのは、何でこんなに胸がどきどきするのだろう。こんなに格好良かっただろうか、と思ってしまうけど動揺なんて見せない様にいつも通りの顔をして聞いた。

「……」

だけど何も答えない。仁くんはいつもここに来ても煙草しか買わないし、もしかして、私にレジをやれって言いたいのかな。

そう思って、他の同僚がいるレジには今は誰もお客はいなかったけど、空いているもう一つのレジに入っていつも吸ってる煙草を出すと仁くんは無言でお金を払う。

「ありがとうございました」

だけど、お釣りを渡した後も数秒間立ち止まったまま私のことを見つめていたので不思議に思ったし、これ以上そんな風にされたらもう耐えられない気持ちだったので正直やめて欲しかった。

「……どうしたの」
「……」
「……」
「……お前、いい加減辞めて帰って来い」

それだけ言うと、さっさと店を出て行ってしまった。仁くんはいつだってバイト先へ来ても、私に「帰れ」と「辞めろ」しか言わない。ぶっきら棒な言い方でも、それは心配してくれているからなんだってわかるから、その度になんだか胸の辺りがきゅっとする。


(……好き)

もう、無理。我慢できない。

好きって口に出して、抱き付いて甘えてみたいし、彼氏みたいになって欲しくて堪らない。キスして抱き締められて、心の底から愛されたい。

(…………)

体が熱い。最近はずっとそう。仁くんのことを考えて、その先を想像するだけで熱くなっていく。所構わずそんなこと考えるなんて、私は最低だ。なんてやらしい。……そう思うのに、溢れ出しそうなこの感情を止めることなんて、できなかった。









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