家に帰っていつもの様に作ってくれてあった夕ご飯を食べて、お風呂にも入った。洗面台の前で髪を梳かしてから部屋に行くと仁くんは先にベッドの上にいて、胡坐をかきながら何か雑誌を読んでいる。 私はそこへ近付いて行き、横にぴったり体をくっ付けながら「なに読んでるの」と聞いても案の上何も答えなかった。いつも読んでるバイクの雑誌みたいだけど、私にはよくわからない。 となりでそれを黙ったまま眺めると、仁くんはそれをすぐに閉じてポイ、とテーブルの上へ放った。私が来るまで先に横にならずに待っていたのだろうか。 「……ねえ」 雑誌がなくなってスペースが空いたのでそこに移動して足の上に乗ると、仁くんと向かい合う様にして座った。こんな風になんてしたことなかったけど、仁くんは私を見ているだけで何も言わない。 「今日もバイト先に来てたね」 「……」 「なんで?」 「……たまたま寄っただけだ」 じっと見つめながら、手で仁くんの肩から腕の辺りをそっと撫でる。ちょっと不機嫌そうな顔してるけどべつにそれはいつものことだし。 「バイト先教える前は来なかったのに。本当は、私のこと見に来てるんでしょ?」 「誰がテメエのことなんざ見るかよ」 「嘘ばっかり。いつも私のレジでしか買わないくせに」 今日思った。そういえば、仁くんはいつだって私のレジでしか煙草を買わない。他のレジが空いてたって、わざわざ混んでいる私のレジの方へ来る。 「心配で仕方ないから、いつも早く辞めろって言うし。……ね?」 「……」 「そんなに私のこと好きなんだ」 下からじっと見つめながらからかう様に笑うと、反対に仁くんはどんどんしかめっ面になっていく。 「……あ?んなわけねえだろ」 「だってみんな言ってるよ。仁くんは私のこと大好きなんだって、小さい時からずーっと。そうなんでしょ?」 「……」 「ね、が好きなんだもんね」 甘えた声を出してそう言うと、仁くんは私の目を見たまま固まった様に黙ってしまう。 今までずっと内緒にしてきた想いが溢れ出して止められない。本当は、私の方が仁くんのこと好き過ぎて、どうしても欲しくて、このままではおかしくなりそう。 (もう、我慢できない……) 私は、自分の着ているパジャマのボタンを上から一つずつ外していく。 「……なにしてんだ」 低い声でそう言うのが聞こえても、手を止めない。ボタンを全部外し、それをはだけさせて肩から落とすと隠されていた肌が露わになった。 「可愛い下着買ったの、見せてあげる」 赤いレース地のブラジャーは、リボンや薔薇の装飾が可愛いし、それに所々透けてるセクシーなデザインをしていて、仁くんはこういうの好きかなと思ってこの前買った。 ほら、可愛いでしょ?と笑ってみても、仁くんはちっとも見てなんかくれなくて、怒った様な顔してる。 「馬鹿かテメエ」 パジャマの下はわざと履いてないから、上を脱いだ今、私は下着しか身に付けてない。ブラジャーとお揃いのショーツは、サイドを紐で結んであって「ねえここ引っ張ると取れるの」と教えてみても、その表情はずっと不機嫌そうなまま。 「……」 仁くんの胸にそっと手を当てながら見つめてみても何も言わないから、私はその首に腕を回して顔を近付けると少し傾けて、キスをした。それから数秒の間そのままでいて、離すと、その目は私をじっと睨んでいる。 「……なにしやがる」 「……」 誘う様に見つめてみても何もしてこなくて、じれったくなった私は仁くんの手を掴み自分の胸まで持っていくとブラジャーの中に入れて直に肌に触れさせてみた。温かい、大きな手の平が私の乳房を包んで堪らない気持ちになる。 「離せ」 そう言われても離さないでいると、「ガキがふざけたことしてんじゃねえ」と体を剥がされて、ポイ、とさっきの雑誌みたいにベッドの上に転がされた。近くには、さっきまで着ていた私のパジャマが落ちている。 「……ふざけてなんかない」 言い返した私の声は少し震えている様に感じた。なんでだろう。そんなことわからないけど、仁くんは私の言うことなんか聞いてない様子で立ち上がるとさっさと部屋から出て行ってしまい、そしてそのすぐ後に玄関のドアが閉まる音が聞こえた。 (…………) 一人ぼっちの部屋の中、私はベッドの上にうつ伏せになったまま、しばらくの間ぼんやりしていた。 (……私、なにやってんだろ……) 一度起き上がってパジャマを掴んで上だけ着ると、部屋の明りを消してまたすぐ横になって目を瞑った。眠れるわけなんてないけど、でもそうでもしないと自己嫌悪で死んでしまいそう。 なんであんなことしたんだろう。仁くんも私と同じに想ってくれてるって、そんな風に勝手に思い込んでたのかな。そんなわけないのに、馬鹿みたい。だって私は妹で、それにあの人には彼女だっているんだから、望んでる様なことできるわけないのに。 仁くんどこ行っちゃったんだろう……あんなことしたから、怒って出て行っちゃったのかな。きっと、私のことおかしい奴と思っただろうな。 ……結局、仁くんは朝まで帰って来ることはなかった。 私は服に着替えると、持って来た小さい旅行用のバッグに自分の荷物を詰めた。途中で色々増えてしまって最初より量は多くなっていたけど、無理やり押し込む。それを持って仁くんが戻って来るより前に、このアパートを出た。 もう二度と会うことはできないのかも、と思えば呼吸を戸惑うくらいに胸が苦しくなるけど、でもそれは私が悪いのだから仕方ない。あんなことしなければそうはならなかったかもしれないけど、でも……これ以上我慢できなかったから。 仁くんは兄として、妹の私に優しくしてくれていたのに。私は、男としてしか仁くんのこと見られなかった。ずっと兄じゃなくて彼氏になって欲しいって思ってた。彼女みたいに、体ごと愛されてみたくて、でも、やっぱりそんなの無理だから……。 別れの言葉も言えないまま、私は、優紀ちゃんとお父さんのいるマンションへと戻った。 案の定、優紀ちゃんには夏休みの間のことを質問攻めにされたけど、曖昧な返事ばかりをして適当にごまかした。お父さんは無事でよかったと言ってくれて、それに「うん」と笑い返しながらこの胸はジリジリ痛む。 無性に懺悔したい気持ちになるけど、こんなこと誰にも言えない。 みんなに嘘吐いて家を出て夏休みの間中、兄と二人で暮らしていて、でも兄のことは男としてしか見られなくて、抱かれたくて堪らなくなった妹の私は、我慢できずに自分から誘いました。 (……口が裂けたって言えるものか) バイト先にはあの後残りの数日だけ行ったけど、当然仁くんは現れなかった。最後の日、「元気でね」と笑う、仁くんとのことを心配してくれていた同僚の彼は、最後まで私のことを気に掛けてくれていた。 10月になって授業も始まり、また以前みたいに自宅から通う様になると、まるで夏休みの間のことは夢の中にいたみたい、なんて思うけどやっぱりそんなことはなくて現実に違いない。 「ちゃん、久しぶり」 いつもの様に一人でカフェテリアにいると、ポン、と肩を叩いてとなりの席に座るのは短大で唯一の友人である彼女。というのも私が勝手に友人だと思っているだけで彼女の方は違うかもしれないけど。 ほんのり日焼けしていて、海に山に随分と夏を楽しんだ様子だった。 「夏休みの間元気だった?」 「うん」 「じゃあよかった!あのね、ちゃんが来なくて男の人達みんな残念そうだったよ〜。写真だけでも見せて!って懇願されちゃってさ。嫌じゃなかったら、今度撮らせてくれないかなあ」 「え……うん、いいけど」 「わーい、ありがとう」 私の写真なんて見てどうするのかな、と思ったけどにこにこ笑う彼女に頼まれると断れず、まあそれくらいならいいかと頷いた。 「ね、あのコワモテの彼とはなにか進展あった?」 「……べつに、なにもないよ」 彼女は急に距離を詰めたかと思えば、小声でそう聞いてくる。ちょっとどきっとしながらも、無理に笑って見せると「そっか〜」と残念そうな顔をした。 「ちゃん可愛いのに。贅沢者だね、その男は」 「……仕方ないよ、だって私は子どもだもん」 「えー、まさか!ちゃんにそんなこと言ったの?その男が?」 「うん、いつもガキだって言われてるよ」 なにそれ、ひどい!となんだか私以上に彼女の方が怒っている。それから、「男はもっと他にもいっぱいいるよ、紹介しようか?」と言ってくれたけど、それには首を横に振った。 「あの人じゃなきゃだめなの」 たとえ仁くんは私のことを好きじゃなくても、女として見てくれなくても、私には他の男の人を好きになるなんて絶対に無理だから。そう思って答えたら、彼女は急に私をぎゅっと抱き締めたのでちょっと驚いた。 「……どうしたの」 「えーん、私がその男だったら今すぐちゃんのこと彼女にするのに!」 何故か涙ぐんでて、よくわからないけど、それに「ありがとう」と言った。優しい子だから心配してくれてるんだろうけど、まさか私が兄を好きだとは夢にも思ってないだろうな。 余計な心配掛けてごめんね、と言葉にする代わりに、私もぎゅっと抱き締め返した。 あっという間に秋が過ぎて、季節は冬になった。仁くんにはあれから一度も会っていないし、もちろん連絡なんてない。何度か自分から電話してみようかと思ったこともあったけど、やっぱりできないままだった。 ある休日、出掛けた帰りに私は隆くん家のお寿司屋さんの前を通り掛かった。そういえば、「またいつでも来てよ」と言ってくれて、それに「うん」と頷いたもののあれ以来訪れていなかった。 おじさんにもすごく良くしてもらったし、たまには顔くらい出して、あの時のお礼も言わなきゃなと思って、一応自分の財布の中身を確認してから私はお店の扉を開いた。 「いらっしゃ……あれ?」 「こんばんは」 「ちゃん!来てくれたんだね」 「うん」 私に気付いた隆くんはにっこり笑ってくれたので、なんだかほっとする。 カウンター席に案内されてから店の中を見回してみると、まだ晩ご飯には早いこの夕方の時間には他にお客さんはいない様だった。それにどうやら隆くんだけで、おじさんの姿も見えない。 「おじさんは?」 「うん、今ちょっと出てるんだけど、すぐに戻るよ。それまでは俺が留守番」 「へえ、すごい。もう一人前だね」 「いやそんな、まだまだだよ……」 隆くんは照れた様に笑った。そんなことない。だって、この前に来た時だって隆くんが握ってくれたけどすごく美味しかったし、もう一人前だよ。……と言いたいけどあんまり褒めると今ですらちょっと顔が赤いのにもっと赤くなっちゃうかな、と思ってやめておいた。 「ちゃん、なにがいい?」 「隆くんのおすすめがいいな」 じゃあちょっと待ってね、と言っていくつかおすすめを握ってくれたのでそれを食べて「美味しい」と心からの感想を言うとまた照れた様に笑うのを見て、なんだか可愛いと思う。 仁くんと同い年なのに全然タイプが違うな……なんて考えていると、ふと思い出したように隆くんが口を開いた。 「そういえば、あれから亜久津には会ったかい?」 「……え?」 「自分だけ家を出て行ったまま、戻らないみたいだったけど」 「……。……会うには会ったよ」 「へえ、そっか。よかったね」 あの時の私はきっと酷く寂しそうな顔をしていたんだろう。隆くんは優しいし、気配りのできる人だからきっとずっと気に掛けてくれていたに違いない。私がそう答えると、にっこり笑うのでそのせいかわからないけど、この胸はまたズキズキと痛み出す。 「亜久津は元気にしてた?」 「……うん、まあ」 「やっぱり、あいつが可愛いちゃんのこと忘れるわけないよ。ね?」 「……」 「……ちゃん?何かあったのかい……?」 隆くんが心配そうな顔をしたところでお店の扉がガラッと開いて、どこかから戻って来たおじさんが私に気が付いて陽気な声を出す。 「おう、ちゃんじゃねえかい!」 「……お邪魔してます」 うっかり暗い表情になりかけていたところ、無理やり笑顔を作ってこの前のお礼を言った。おじさんは、いいんだよそんなの、と言ってにこにこ笑う。それからおじさんもお寿司を握ってくれたりして、優紀ちゃんやお父さんのこととか色々聞かれながら楽しく過ごした。 「いやーしかしまあ、ちゃんみたいな妹さんがいて仁くんは幸せ者だねえ」 ふと、おじさんが急にそんなこと言い出すので思わず一瞬固まって、それに「……え?」と言ってしまった。 「これだけ美人だったら、自慢してもし切れないってもんよ。なあ、隆?」 「え?あ……う、うん。そうだね」 「……そんなわけない。仁くんは、私なんていない方がよかったって、きっと思ってます」 思わずそんなことを口に出してしまうと、おじさんは不思議そうな顔してるし、隆くんは心配そうに私のことを見てる。しまった……と思ってすぐになんでもない振りして笑顔を作って見せると、もうこれ以上何か言ってしまう前に「そろそろ帰ります」と席を立った。 「……え、私もっと食べました」 「いいから、いいから」 明らかに食べたお寿司の量に相応しくない金額に意見すると、おじさんにグイグイと背中を押され、またいつでも来てくれと店の外へ出されてしまった。その上優紀ちゃんとお父さんにってお土産まで持たせてくれた。 「本当によかったのかな……」 「いいんだよ。ちゃんはそんなこと気にしないで、またいつでも来てよ」 「うん……ありがとう」 それに、送ってくれなくても平気なのに、隆くんがついて来てくれていた。もう外はすっかり真っ暗で、頬に当たる冬の風はすごく冷たい。厚めのコートを着ている私とは違い、調理服に軽く上着を羽織っているだけの隆くんに「寒くない?」と聞くと「平気だよ」と笑った。 「ちゃんこそ、そんな短いスカートで寒くないのかい」 「うん、平気」 「そっか」 ……そう言えば、よく仁くんに怒られたっけ。そんなふざけた恰好で外に出るな、って。 (…………) 「その……ちゃん、亜久津となにかあった?」 「……なんで?」 「うん、なんとなく。ごめんね、なんでもないならいいんだけど……」 「……」 本当はなんでもないことなんてない。自分が悪いことは十分わかってるのに、それでも今も仁くんのことばかりが好きで、忘れようと思ってもできないし、アパートの合い鍵だって、今もずっと持ち歩いてる。 ……でも、誰にも話せなくて苦しい。 兄を好きだなんて、そんなのおかしいし、仁くんだってきっとそう思ってる。 「……私、自分が嫌い」 「……」 あの夜のことを思い出して、何度も自己嫌悪に陥る。嫌いと思うのは拒絶した仁くんじゃなくて、いつも自分のことばかり。だって、仁くんは何も悪くないから。妹とセックスしたいと思う兄が、どこにいるだろう。 「仁くんも、私のことなんて嫌いなの」 「そんなことないよ」 「……そんなことある」 何やってるの、こんなこと、隆くんに言ったところで仕方ないのに。優しい隆くんのこと、また無意味に心配させちゃうだけなのに。 「亜久津は、ちゃんのこと好きだから心配することないよ」 「……違う」 「でもさ、」 「違うもん……」 ……嫌だ。なんでいつも仁くんのことになると私、急に子どもっぽくなるの。恥ずかしくなってそれきり黙っていると、隆くんがポン、と私の頭の上に手を置いたので足を止めてその顔を見上げた。 「ちゃんは亜久津のことが本当に好きなんだね」 「……」 優しい顔で隆くんが笑うから、ずっと隠してきたことを言ってしまいそうになる。誰にも知られたくなくてずっと嫌いな振りしてきたのに。だって、仁くんのこと好きなんてそんなのはおかしいから。なのに。 「……うん……私、仁くんのことが好き……」 「そっか」 「……大好きなの……」 「うん」 やめて、言わないでよ。って心の中では思うのに、気が付けば口に出してしまっていた。 「……ねえ誰にも言わないで」 「うん、言わないよ」 「約束して」 「わかった約束する」 私が右手の小指を差し出すと、隆くんも同じ様にしてそれに絡ませる。それから指を離すと、私は体を近付けて隆くんの胸に顔をぴったりとくっつけた。なんでなんて、自分でもわからない。 「……仁くんがいなくて、寂しい……」 「……そっか」 隆くんが頭を撫でてくれるのを感じて、目を瞑る。 「寂しいよ……」 事情もよく知らない隆くんに何言ってるんだろう、私……。 誰でもよかったのかもしれない。この、行き場のない想いを伝えられる人がいるなら。こんなにも寂しいと感じてるなんて、自分でも知らなかった。……違う、知りたくなかった。 本当はずっと、あのアパートを出た日から、寂しくて気がどうにかなりそうで。みんなの前では平気な顔していても、今すぐにでも壊れてしまいそうだったから。私はまた、仁くんの代わりを探しているのだろうか……。 冬の寒空の下、私は隆くんの体の温度を、ぼんやりと誰かに重ねていた。 |