年末年始の間、両親の戻って来る日の朝まで仁くんはずっと帰らずに一緒にいてくれて、二人きりなのをいいことに、私達はまるで恋人同士の様に過ごしてた。

私はまだパジャマ姿のまま、支度した仁くんが玄関に向かうのについて行って、靴を履くのをそばで見てた。だけど、急に寂しくなって耐えられなくなり、立ち上がってこちらを振り返ったところで思わず抱き付く。

「……ねえ、やっぱり帰っちゃやだ」
「……」
「仁くんがそばにいてくれないと私……寂しくて死んじゃう」
「ガキか、お前は」
「……ガキだもん……」

そう言って顔を上げると、仁くんは珍しく少しだけ笑っている様に見えた。私のことを軽く抱き締めて頭を撫でた後、屈み込んでキスされたのでもうそれ以上言えなくなる。

そんなことされたら、余計に離れたくなくなるのに……。でも仕方なく我慢して手を離すと、それからはドアを開けて出て行くのを黙ったまま見ていた。閉まる瞬間、こちらを見る仁くんと目が合っても、何も言えずに。

私もついて行きたいけど、でもそんなの無理だし……。仁くんはまたアパートで一緒に暮らしていいって言ってくれたけど、なにしろ家を出る理由が思い付かない。

以前に夏休み後のことはまた考えればいいやと思ってたけど、相変わらず、いい言い訳なんて見つからないままだった。







じきに冬休みが開けるとまた大学の授業が始まり、私はほぼ毎日、帰り掛け仁くんのアパートに寄りながらも何かいい理由がないかずっと考えていた。

なるべく家にいる様にしてくれてるみたいだけど、それでもやっぱり時々は留守で。そんな時はもう寂しくて仕方なくなって、夜、自分の部屋からこっそり電話してしまったりする。

「……なんだよ」

素っ気ない口調だけど、でもいつも2、3回コールしただけですぐに出てくれるからそれが嬉しくて、きっと仁くんとってはどうでもいい様なことを色々と話してしまうけど、ずっと黙ったまま聞いてくれて、時々は相槌も打ってくれる。

私って、こんな人間だっただろうか……?こんな風に毎日声を聞きたくて、甘えたくて仕方なくて、寂しくて死んでしまいそう、と思うなんて。しかもそれを本人に言うなんて。

なんだか恥ずかしい、と感じつつもやっぱり抑えることなんてできないまま。今の私はもう、また仁くんと毎日一緒に暮らしたい、ってそんなことばかり考えてる。



ある日街中を歩いていたところ、とある不動産屋の前を通りかかって、ガラスに色々な物件が張り出されて紹介されているのが目に付いた。

そういえばよく考えてみたら、仁くんのアパートって私が一緒に住んでも平気なのかな……。この前は結局夏休みの間だけだったけど、これからもしずっと住むことになったら、大丈夫なんだろうか。

そんなことを思いながら、この物件なんてオシャレだし広そうでいいな、なんて呑気に眺めていると、ふとチラシに書かれたルームシェアという文字が目に入ってきた。

ルームシェア……って、よくドラマなんかで見る、女の子同士で一緒の家に住んで友情を育んだり、時には恋愛相談とかしたりして青春する感じの、あれかな。…………。

(……そうか)









「……ルームシェア?」
「うん」

私が持ち掛けたそんな話に、当然、優紀ちゃんは不思議そうな顔してその言葉を繰り返した。それから、私がイメージしていたのとまったく同じ様なことを口に出したので、やっぱり考えることは一緒なのか……と思いつつそれに頷く。

「ええ、でも誰と?まさか、男の子とじゃないでしょうね」
「違うよ、女の子だもん」
「もしかして、よくお泊まりさせてもらってる短大のお友達?」
「うん、そう」

本当はそんな子いないし、私が泊まってる先の住人は優紀ちゃんもよく知ってる人なんだけど……。良心をズキズキと痛ませながらも、にこっと笑ってみせる。

「だめよ、女の子二人きりで暮らすなんて、危ないわよ」
「平気だよ、最近はセキュリティーだってしっかりしてるし」
「とにかくだめ。それに、がいないと私……、寂しいもん」
「……」

怒られるのだったらいくらでも言い返せる気がするけど、そうやって悲しそうな目をされてしまうと、もう何も言えない。そして、ああ私の寂しがり屋は優紀ちゃん譲りなんだな……と、確信した。

もういっそのこと仁くんと暮らしたいからって正直に話してしまおうかとも思ったけど、でも体の繋がりを持って、時々セックスするようになった今、余計にそんなこと言えない。

べつに兄妹が一緒に暮らすくらい普通だから、何も変なことなんてないのに。でも、私達はちょっとそれとは違うし、もし、誰かに気付かれたりしたら……。


仕方なくその日は諦めて、また何日かしたら話を持ち出してお願いしてみる、というのを繰り返した。私になかなか女友達ができないことを心配していた優紀ちゃんは、そんな私の気持ちを汲んでくれたのか、最終的には仕方ないわね、と認めてくれた。

住む場所とか相手のこととか色々聞かれたけど、そのうち教えると曖昧な返事でごまかして、必要な書類は全部お父さんに書いてもらうからいいと断った。

お父さんにはそうなったことだけ伝えると、少し寂しそうだったけど、「もうちゃんも子どもじゃないもんね」と笑って頷いてくれた。

優紀ちゃん、お父さん、ごめんなさい。私、自分がこんなに悪い人間だって知らなかった。本当は仁くんよりも、私の方がよっぽど不良の問題児なのかもしれない……。


また一緒に住めることになったのであと何日かしたら行くと電話で伝えると、仁くんは「ああ」とだけ答えた。それから、そもそもあのアパートには私が住んでも平気なのか、気になっていたことを聞いてみると、べつに大丈夫らしい。

仁くんは管理人と話はついてるって言ってたけど、まさか、無理やりそういうことにさせた訳じゃないよね……?まあ以前の仁くんならいざ知らず、今はもう大人だし、いくらなんでもそんなことしないだろう。

それに、そういえば何軒か先の部屋にカップルが同棲してたかもと思い出して、どうやらそれは本当みたいだった。じゃあ、いいのか、と納得して、電話を切ると私はこの前よりも大きめの旅行バッグに荷物を詰め始めた。











(…………痛い)

口を水ですすいで泡が全部なくなった後も、ピリピリとした感覚がまだ残っている。

「ねえ仁、私この歯磨き粉ミントがきつくて嫌なんだけど……」
「……」
「辛くて口の中が痛いの。もっとフローラルなやつがいい」

この前仁が買ってきた歯磨き粉のチューブを本人の前まで持って行ってそんな不満を訴えると、「勝手に使っといて随分偉そうだなテメエ」と怒られた。

「……だって」
「文句垂れんなら使うな、阿呆」

ばっさりと切り捨てられて、まあ確かにそうだけど……と思いつつ歯磨き粉をまた元の場所に戻し、学校へ行くためにパジャマから着替え始める。それから化粧をして毛先をコテで巻いている間に、仁はもうすっかり身支度を整えていて、朝ご飯も食べ終わっていた。

不良なのにちゃんと朝ご飯食べるんだからおかしいよな、と思ってもいつも私の分まで用意してくれるからそんなことは言えない。

「さっさと食えや」

口ではそう言いながらも自分はのんびり新聞なんか読んで、べつに急かしてる感じではない。ていうか新聞とってるんだ不良なのに……パンをもぐもぐしながらこっそり眺めて、怒られるからやっぱりそれは口には出さないまま、お茶と一緒に飲み込んだ。

「仁、今日は大学行くの」
「行かねえ」
「へえ……。夜は、早く帰って来る?」

また一緒に暮らすようになってから、私は「仁」と呼ぶ様になっていた。勝手に彼氏扱いしてそういう風に名前を口にすることを、本人はべつに何も言わず怒らなかったから、そのままそう呼ぶことにした。

「ああ」
「そう。……ねえ、なんのバイトしてるの。なにかしてるんでしょ?」
「……」

聞いてもどうせ答えないけど、やっぱり気になる。まあ頭は良いし運動もできるから、人間性さえ問わない仕事ならなんでもこなせちゃうだろうけど。私の知らないところでどうしてるんだろうと思えば、つい気に掛かってしまう。

「お前には関係ねえ」
「……ふうん。じゃあ、私もまたなにかバイトしようかな」
「あ?」
「仁が教えてくれないから、私も教えない。勝手に内緒でしちゃうから」
「……」

半分冗談だけど、でもちょっとは本気で。仁には、お前みたいなとろい奴が働けるか、なんて言って止められてるけどやっぱり毎日ただ学校に通うだけであとは家にいるんじゃ悪い様な気がしてくる。

「馬鹿なこと考えてんじゃねえよ」
「……」

てっきりまた怒られでもするのかと思ってたら、私の頭にポンと軽く手を置き、案外優しい声でそう言われたので、急に胸がどきどきして思わず黙ってしまう。

最近、時々こういう風に優しい声出すから心臓に悪いな……と思いつつ、いつの間にか立ち上がって「行くぞ」とさっさと歩き出しているところを追いかけて行って、この部屋を出た。





ちゃん、おはよ」
「おはよう」

一人で席に座っている私のとなりへやって来て腰を下ろす合コンきっかけの彼女は、春になって短大の二年生に進級した今も、相変わらず私と親しくしてくれていた。他愛もない世間話なんかをしていると、ふと彼女が私の首元を見て何かに気付く。

「あ、可愛いネックレスだね!それってさあ……」

女性に人気のあるアクセサリーブランドの名前を挙げる彼女に「そうだよね?」と確認されて、私はよくわかるなと思いながらも「うん」と小さく頷いた。

「いいなあ、自分で買ったの?」
「ううん、貰ったの」
「そうなんだ。なに、男の人〜?……あっ、もしかして例の彼からだったりして」
「……」
「そうなの?」
「……うん」

ある日突然箱を押し付けられて、「なに?」って聞いても答えないし、中を見たらこのネックレスが入ってた。小さなハートにダイヤがいくつか付いてて、「可愛い。ありがとう」とお礼を言っても返事してくれなかったけど。

「じゃ、あの後彼と上手くいってたんだ?」
「うん……」
「へえ!もう付き合ってたりするの?」
「……まあ、そんな感じかな」
「えーやだ知らなかった!そうなんだあ、よかったねちゃん!」
「あ、ありがとう……」

ぎゅーっと抱き締められて、なんだか教室の中にいる他の生徒達の視線を感じてちょっと恥ずかしくなりながらも、せっかく喜んでくれてる彼女にやめてとも言えず、なされるがままにしていた。

「彼と付き合ってどれくらい経つの?」
「うーん、4ヶ月くらいかな……」

……まあ付き合ってるって言っても、私の彼氏、兄なんだけど……と思いつつそんなことは間違っても口には出せない。すると、ぱっと体を離した彼女が今度は急に小声になってこっそり耳打ちする。

「ね、もうエッチした?」
「……は?」

一瞬固まってしまったけど、そういえばこの子は恋バナが大好きだったな……ということを思い出した。でもそんなこと聞いて、一体どうするんだろう。他人のことなんて、私はべつに興味ないけど……。

「いやなんかさ、あの彼、見た目からしてオラオラ系って感じじゃん?だから、ちゃん大丈夫なのかな……ってちょっと心配になって」
「はあ……」
「こう、強引にさ。嫌がっても無理やり激しくされたり、してない?」
「……しないよ、そんなこと」

強引になんて、するわけない。だって、セックスはいつも私からねだればしてくれる感じで、それに抱き方はゆっくりで優し過ぎるくらいだし。

それは仁なりに私のことを想ってくれてて、無理させない様にしてるからなんだってわかるんだけど、でもたまには彼女が言ったみたいに少しくらい強引にしてくれてもいいのにな、と思ってしまう我儘な私もいる。

一緒に暮らしてるのに、時々ひとりきりで家にいる時、仁のことを考えて我慢できずに一人でしちゃう自分のことが酷くやらしく感じて、そんなこと思い出してしまったら、急に恥ずかしくなってきた。

「へえ、じゃあ彼優しいんだ」
「……うん」
「そっか、なら安心。でもさ、そりゃいくらあのコワモテ男でも、ちゃんみたいな可愛い彼女にそんなヒドイことできるわけないよね」
「……」
「プレゼントだってくれたんだもん。大好きなんじゃない、ちゃんのこと」
「……そうかな」

なんだか顔が熱い。今、鏡を見たらきっと赤くなってる……。

「ねえ彼と一緒に撮った写真とかないの」
「ないよ、撮らせてくれないもん」
「えーそうなんだ、残念。格好いいんでしょ?ちゃんと顔見てみたいなあ……」

実を言うと、お願いしたら嫌々ながらも一緒に撮ってくれた自撮り写真が何枚か携帯の中に入ってるけど、見せるわけにはいかない。彼女は仁が私の兄だって知らないから、まあ多分わからないだろうけど、でもやっぱりだめだ。

本当は、私の彼氏って格好いいでしょ、って見せびらかしたい気持ちで一杯だけど。それを我慢しているうちにチャイムが鳴って、彼女は元いた席へ戻って行った。

退屈な授業中、こっそり携帯を取り出して、二人で撮った写真を少しの間眺めた後……またすぐにしまった。






「……んだこりゃ」
「ごめん……ちょっと失敗した」

お皿の上に乗っている、ぐちゃぐちゃに崩れたオムライス……に、なる予定だったもの。を見て、仁は眉をひそめている。

今日の朝聞いたら、仁は夜早く帰って来るって言ってたし、私も授業が早めに終わったからたまには夕ご飯でも作ろうかなと思い立って、作ってはみたものの。

「これがちょっと、って程度かよ」
「だって、フライパンが言うこと聞いてくれないから……」

フライパンのせいにすんな、と言いながらスプーンを手に取ると、仁は黙って食べ始めた。これまで私は料理をあまりしたことがなくて、実家にいた時は優紀ちゃんが作ってくれてたり、いない時は何か買ったりして食べていた。

料理なら、むしろ仁の方がよっぽど得意だった。不良の割には何故か器用だから、料理だけじゃなくなんでもさらっとこなしてしまう。これまでも、大体はいつも仁が作ってくれていて、いない時はやっぱり何か買って済ませていた。

だから時々私が気まぐれでキッチンに立つと、大体こんな感じになる。おかしいな、書いてある通りにやったのにな……と思いつつ、何故か見本の写真通りにはならない。味もなんだか、「?」って感じだし。

でも仁はいつも最初はちょっと文句を言いながらも、それからは黙って全部食べ切ってくれていた。

「……ねえ、これ不味い」
「テメエが自分で作ったんだろうが」

自分の分がちっとも食べ進まないうちに、仁のお皿は空になっていた。もういらない……、と言えば「馬鹿か」と言いながらも私の分も全部食べてくれた。


「お前もう二度と料理すんな」
「……でも」
「テメエのクソ不味いメシ食わされる身にもなれや」

流し台で洗い物をする仁の横に立って拭くのを手伝いながら、ひどい……と思っても事実なので何も言い返せない。結局あの後、私は仁が作ってくれたもの食べたわけだし……。

「……ごめん」

しゅん、として片付け終わった後先に部屋へ戻り、ベッドの上に座ると沈んだ気持ちを紛らわせようとリモコンでテレビを点けてみたけど、ちょうどこのタイミングで料理の番組をやっていて、またすぐに消してしまった。

仁に悪いことしちゃったな……と余計に落ち込みつつ近くにあった携帯を掴んで二人で撮った写真をぼんやり眺めていると、仁が部屋に入って来たので慌ててそれを隠し、なんでもない振りをした。だってこんなの、いつもこっそり見てるなんて知られたら恥ずかしいから。

すると仁もベッドに乗ってきて、後ろから私を抱き込んで座ったので不思議に思い、振り返って顔を見ようとすると、急に顔が近付いて、キスされた。

(……え、?)

唇が離れた後、瞬きしながらその目を見つめてみても何も言わない。もしかして、さっき私が仁に言われたことにちょっと落ち込んでたから、悪かったと思ってるのかな……?

そんなことを考えているうちに、ぎゅっと抱き締められて、私はその胸の中にいた。

「……不味いが、食えねえ程でもねえ」
「いいよ、無理しなくて……」
「……。メシは俺が作ってやるから、お前は大人しく留守番してろ」
「うん……、わかった」

温かい大きな体に包まれて、幸せなのに、私こんなに甘やかされてていいのかな……と少し不安にもなる。気付かないだけでずっとそうだったのかな。妹として生まれた時から、仁にこんな風に大事にされてたのかな……。

仁は私のことを大好きなんじゃないかと言う、昼間の彼女の言葉を思い出してまた顔が熱くなっていく様な気がしたけど、胸にぴったりとくっつけてるから、きっとわからないだろう……そう、思った。


寝る前、歯を磨こうとして洗面所へ行くと、洗面台の棚にはあの辛い歯磨き粉の横に、フローラルっぽい感じの歯磨き粉が仲良く並んで立っていた。









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