ある日、仁は出掛けてしまい、短大の授業をさぼった私だけが部屋にいた。 宅配便が届く予定なので来たら受け取っておく様に言われていて、ベッドの上でごろごろしながら待っていたらお昼過ぎにチャイムが鳴ったので、てっきりそれだと思い私はよく確認せずにドアを開けた。 「……え、……ちゃん……?」 「……」 だけどそこにいたのは宅配業者の人ではなく、清純くんだった。私は現状がよく理解できずにしばらく無言のまま固まっていると、同じ様に随分驚いていた様子の清純くんの方が、先に口を開いた。 「……えっと。亜久津は……いるかな?」 「……今いないの」 「そっか、いないか。いや俺も急に来たからさ……ごめんね」 「……なにか、用だったの……?」 「うん。あ、でも全然大したことじゃないんだけどさ、本当」 まさかこんな場所で清純くんと会うとは思わなかったから。しばらく混乱して自分でも話している内容がよくわかっていない私とは違い、清純くんはすぐにいつもの調子に戻って、笑っている。 「ごめんね、また来るよ」 「……うん」 「じゃあね、ちゃん」 「あ、……ねえ」 「ん?」 「あの、よかったら……上がっていかない?」 経過はよくわからないけど、どうやら清純くんは仁に用事があって訪ねて来たみたいだ。仁が住所を教えてたのかな?でも、私は教えてないから、他には仁くらいしかいないし。 この前会った時は連絡先も知らないって言ってたのに、いつの間に……?とちょっと不思議に思いながらもせっかく来てくれたのになんだか悪いなと思って、上がってもらうことにした。 それに、驚いたけれど久しぶりに会えて私も嬉しかったし。住所教えてるくらいだから、仁もべつに怒らないだろう。 とりあえず部屋の中に干してあった自分の下着をクローゼットにしまった後に中へ通して、「いいのかなあ」と気にする清純くんに「平気だよ」と言って、クッションを置いた床の上に座ってもらった。 キッチンへ行って、さっきお茶飲んじゃったしな……と思いつつ冷蔵庫の中を開けてみたら、とりあえず飲み物はコーラの他には仁のお酒くらいしか入ってない。 仁あんまりお酒飲まないから、これずっとここにあるな……いつ飲むんだろうなどと考えつつ、まあ選択肢はコーラしかないと思ってコップに氷を入れる。後で仁に連絡して、帰りに何か買ってきてもらおう。 「ごめんね、今コーラしかなくて」 「全然いいよ、ありがとうちゃん。お構いなく」 テーブルにそれを置いた後、清純くんの向かいに座った。久しぶりに会った清純くんはちょっと大人っぽくなった様な気もするけど、明るい雰囲気は以前とちっとも変わらない。 「ちゃんはよくここに来るの?」 「ううん、今日はたまたま寄っただけ。滅多に来ないよ」 まさかここに住んでるなんて本当のことは言えなくて、とっさにごまかした。嫌っていた兄の家にいるなんてやっぱりおかしいかなと思いつつ、清純くんは「そうなんだ」と笑って、それ以上は聞かなかった。 「用って?」 「え?」 「仁になにか用があったんでしょ?私でよかったら、伝えておこうか」 「あ、そうだったね。この前亜久津に会ったんだけどさ、あいつ忘れ物していったから。今日はそれ届けに来ただけなんだ」 そう言って清純くんは自分のバッグからライターを取り出して、ゴト、とそれをテーブルの上に置いた。確かにこれは、仁が持っているのと同じだ。 「仁と会ったの?」 「うん、この前ね。ちょっと飲みに行ったんだ」 「へえ……」 確かに少し前、仁の帰りが随分遅い日があったな。出掛ける前はそんなこと言ってなかったから、心配になって電話してみたらそれには出なくて、後で飲み屋にいるって折り返し連絡があったけど。もしかして、あの時一緒にいたのって清純くんだったのかな。 二人って飲みに行くほど仲が良かったんだ……?一体どんな話をするんだろう。それに、まさかとは思うけど……女の人のいるお店じゃないよね。 色々気になるからもうちょっと聞きたかったけど、あんまり追求したら変に思われるかもしれないしそれだけでやめておいた。まあ、相手が清純くんだったことがわかったからそれでいいか。仁は誰と一緒か教えてくれなかったから。 「ちゃんは、元気にしてた?相変わらず可愛いね」 「あ……うん、元気だったよ。清純くんも、元気そうだね」 「うん、まあ元気は元気だったんだけど、就活とか色々大変でさあ」 清純くんはちょっと困った様に笑う。そうか、仁と同い年で大学4年生だからそうだよな。会ってない間に、私とは違ってきっと一生懸命に頑張ってたんだろうなあと思った。 「どこか内定決まったの?」 「なんとかね。家族とか友達には、お前なんてどうせ運だろって言われるんだけどさ」 「え、そんなことない。清純くんがすごく頑張ったからだよ」 「そんな風に言ってくれるのはちゃんだけだよ〜」 ありがとう、優しいね。と感動した様に言われて、ちょっと大げさだなと思いつつ、同じ様に笑い返した。 「ちゃんは?もう卒業した後のこと決まってるの」 「……ううん、べつに」 「そっかー。うんうん大丈夫、ゆっくり考えればいいよ」 「そうかなあ……」 「そうだよ」 清純くんは、相変わらず余裕があって優しくて、意見を押し付けたりしなくてすごい。モテるんだろうな、彼女とかいるのかなとちょっとだけ気になりつつ、いやそんなことより自分の進路のことを思い出して考え込んでいると、ふいに清純くんが言った。 「あれ、ちゃん彼氏いるの?」 「……え?」 その目は、テーブルの上に置いている私の左手を見つめてる。どうやら薬指にはめている指輪に気が付いたみたいだ。ずっといつもしてたから、自分ではちっとも意識してなかった。 「え、あ……うん。まあ」 「そうなんだ。ちゃんの彼氏なんて、一体どんな人なんだろ」 「べつに……普通の人だよ」 「へえ、格好いいの?」 「うん……格好いい」 なるべく普段通りの顔をして返事をしているつもりでも、ちょっとどきどきしてきて、清純くんの方を見られずに伏し目がちになってしまう。 「ちゃんみたいな可愛い彼女がいるなんて、その男が羨ましいなあ」 「またそんな……」 「いやいや本当。ちゃんが彼女だったら、みんなに自慢して回りたくなっちゃうよ」 清純くんは女の子を褒めるのが上手だからそんなこと言ってるだけだ。いつものことだけどそういう風に言われるのはなんだか気恥ずかしくて苦手で、私は無理やり話題を変える。 「清純くんと仁って、どんな話するの?」 「ん?まあ話すって言っても俺が一人で喋ってる感じなんだけど……えーっとね、山吹の時の話とかテニスの話とか……あとは、なんだっけ……?酔ってたからあんまり覚えてないな」 「清純くんて結構お酒飲むんだ」 「うん、まあね。それより、ちゃんて亜久津のこと仁って呼んでたっけ?」 「……え?」 不思議そうな顔されて、初めて気が付いた。そうだ、いつも仁って呼んでるから、うっかり清純くんの前でもそう呼んでしまっていた。 「その……変えたの。だってあの人、くん付けする様な顔じゃないでしょ?」 「あはは、確かにそうだね。言えてる」 清純くんは可笑しそうにひとしきり笑って、それからはもう追求しなかったのでほっとした。まあ、まさかそれくらいじゃ気付かないだろうとは思うけど。 「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。ありがとうねちゃん」 「もっとゆっくりしていってくれても、大丈夫だよ」 「うん、でもやっぱり悪いから」 「じゃあ、仁に清純くんが来てくれたこと伝えておくね」 「いや待って。それは内緒にして、お願い!」 清純くんはそう言うと顔の前で手を合わせる。せっかく忘れ物を届けに来てくれたのに、なんでだろう、と不思議に思って私はちょっと首を傾げる。 「どうして?」 「どうしても。亜久津の留守中に上がり込んだなんて知れたら、殺されちゃうからさ」 「大丈夫だよ」 「いやいや、とにかく亜久津には絶対に内緒で頼むね」 そう言うと清純くんは自分のバッグを手に持って立ち上がり、足早に玄関まで歩いて「じゃあね」と手を振ると見送りする間もなく去って行ってしまった。 せっかく来てくれたんだから、なんなら仁が帰って来るまでいてくれてもよかったのに……と思いつつ、清純くんの飲み干して空になったグラスの氷が溶けて、カラリと音を立てるのを眺めていた。 「これ、仁のでしょ?」 夜になって家に帰って来た仁が、頼んだ買い物を冷蔵庫にしまってくれた後に、私は例のライターを手の平の上に乗せて見せながら言った。 「ベッドの下に落ちてたよ」 「……」 はい、と言って手渡すと、仁は無言でそれを確認してから自分のポケットにしまった。やっぱり、仁のだったんだ。清純くんが持って来てくれたことは内緒にしたけど、夕ご飯を食べている間もその後も、べつに何も言わなかったのでよかった気付いてないんだと思っていた。 先にお風呂を済ませ、ベッドの上で何気なく携帯をいじっていると、随分前に、清純くんや壇くんから連絡が来ていたことに気付く。通知しない様にしてあったから、今まで全然知らなかった。 今日清純くん何も言ってなかったけど、優しいから、そんなこと口には出さなかったのかもしれない。二人に悪いことしちゃったな……後で謝らなきゃ、と思っていると、後からやって来た仁がベッドに乗るととなりに座った。 「……お前、今日外に出たか」 「……?」 さっきまで黙ってたのに、急にそんな質問をしてきたので不思議に思って、手元から顔を上げて仁の方を向いた。 「ずっと家にいたよ」 「なら、誰か訪ねて来たか」 「……来たけど」 「玄関のドア開けてねえだろうな」 何故だか知らないけど、仁は低い声を出して、ちょっと怒った顔してる。なんで?と思いつつ今そんなこと聞いたらもっと怒りそうだからとりあえず素直に答えた。 「開けたよ」 「馬鹿か、居留守使えっていつも言ってんだろうが」 「だって、宅配の人だもん……。仁が受け取っとけって言ったんでしょ?」 「……」 すごい眉間に皺寄せてるけど、それ以上は聞いてこなかった。もしかして清純くんがここに来たことわかっちゃったのかな、と思ったけど、やっぱり気のせいか。約束したんだから、内緒にしなくちゃ。 「それよりさ、仁、最近家で煙草吸わないね」 「……あ?」 「いい加減、煙草やめたの?」 「んなわけねえだろ」 ライターを見て気が付いた。そういえばこの頃、仁が家で煙草を吸っていないことに。元々そこまで本数吸ってた訳じゃないけど、でも、最近は全然。 「じゃあ、なんで?」 「お前には関係ねえ」 鬱陶しそうにそう言うと、仁は壁にもたれ掛かってそっぽを向く。 なんでだろ……何かあったっけ?としばらくの間、記憶を遡っていると、そういえばまだ吸っていた頃に私が何気なく口に出して言った言葉を思い出した。 いい匂いのする柔軟剤を買って使ってみたけど、煙草の匂いでよくわからないな……とタオルを嗅ぎながら独り言をこぼした気がする。その時、近くで煙草を吸ってる仁に聞こえてたのかも。 そんなつもりじゃなくて思ったこと言っただけなのに……もしかして、それを気にして家で吸うのやめてくれたのだろうか。 「べつにいいのに」 「……」 「仁、家で吸ってもいいよ」 「……うるせえな、俺の勝手だろうが。指図すんじゃねえ」 煙草は健康にも悪いし、やめてくれるものならその方が良いに越したことないけど、でも煙草を吸う仁の姿を見るのは好きだったから。仁の煙草だけは、べつに嫌と感じたことはない。 まあこれ以上言うとまた怒り出すし、いいや、そっとしておこうと思って「もう寝るよ?」と仁に言って、先にベッドに入った。すると少しして照明を消してから仁も中に入って来たので、その胸にぴったりと体をくっ付ける。 「……」 「んー……なあに」 そのまま目を瞑ってしばらくして、ちょっと眠れそうな気持ちになっていると、珍しく仁の方から声を掛けてきた。 「お前、優紀にはなんて言ってんだ」 「……なにが?」 「嘘吐いてんだろ?」 「んー……友達とルームシェアしてるって、言ってるけど……」 「バレてねえのか」 「うん、……たぶん……」 そんなの、今まで聞いてきたことなんてないのに。急にどうしたんだろう、と思いつつ私はもうなんだか眠くて仕方ない。それに、仁の声を聞いていると落ち着くから余計に意識が遠くなる。 「」 「……なに……」 「……」 「んー……、ねむい……」 名前を呼ばれて一応は返事をしてみるものの、すごく眠くて、自分でも何を言っているのかよくわかっていない。すると仁は私の背中に腕を回して抱き締めると、それ以上何も言わなかったので、私はそのまま眠りについた……。 気が付けば季節はもうすっかり秋になって、じきに冬も近付く頃になっていた。 あれからも割とさぼっていたけど、そろそろ授業に出ないといい加減まずいなと思って「寒い」と独り言をこぼしながらも短大へやって来ると、いつもの様に一人で教室の席に座る。すると私に気が付いたのか、友人の彼女が声を掛けてきた。 「ちゃん、おはよう。なんか久しぶりだねー」 「あ、うん」 可愛らしいセーターを着ている彼女は暖かそうだ。私も実家から、もう少し厚手の服を持って来ようかな……とぼんやり考えながら、話す内容に相槌を打っていた。 どうやら彼女はもうどこかの会社に内定が決まっているらしい。偉いな、ちゃんとやってたんだ、と思いつつ相変わらず何も決まっていない私に対して、「ちゃんは?」と聞かれないことに少しほっとしていた。 「もしかして、来ない間はずっと彼と一緒にいたんでしょ」 「え、……そんなことないけど」 「ふうん、なるほどねえ。ラブラブなんだあ」 「違うよ……」 「そんなこと言って、昨日だって彼といちゃいちゃしてたんじゃないの」 「違う」 「だって、首にキスマーク付いてるよ」 「えっ……!」 ちょっと驚いて思わずポーチから鏡を取り出し、襟元を引っ張って自分の首を確認すると、そこにはべつに何もなかった。それから無言で彼女のことを見ると、吹き出して笑った後「ごめんごめん」と謝る。 「ちゃん、照れちゃって可愛いんだもん。ちょっとからかってみたくなっちゃって」 「……」 「ごめんね、本当ごめん。怒らないで」 怒ってるわけじゃないけど、恥ずかしさでなんだか体が熱い……。仁は私にキスマークなんて付けたことないんだから、そんなの、あるわけないのに。 ……昨日だって、私は仁の首元に付けたけど。べつにそれには怒らないし何も言わない。でも私にも付けて、とお願いしてもいつも断られる。いいよって言ってるのに、なんでなんだろう。 「でもさ、ペアリングだって素直にしてくれてるんでしょ?彼、ちゃんにベタ惚れじゃん」 「……そんなんじゃないよ」 「一見怖そうだけど、きっと二人きりの時は大好きなちゃんのこと、甘やかしてくれるんだろうなあ。エッチだって優しくしてくれるし、ねえ?」 「もう、やめて……」 体温がどんどん上がってきて、おそらく顔も赤くなっているので俯きながら小声でそう言うと、彼女は「可愛い!」と笑いながら私のことを抱き締める。 「ごめんもう言わないよ。……あ、ところでさこの前、山吹出身の子に聞いたんだけど」 体を解放されてから、すっかり火照ってしまった自分の顔を手で仰いでいると、彼女はふと思い出したように違う話を始めた。 「ちゃんて、お兄ちゃんいるんだって?」 「……え、」 「なんか、すっごくケンカが強くて、不良の怖い人って聞いたんだけど。本当?」 「……」 隠す様なことじゃないけど、なんとなく言えないまま、ずっと今日までいた。べつに聞かれることもなかったし。知らないままでいてくれるなら、その方がいいと思っていた。 以前なら、あの亜久津の妹だと思われるのが嫌だったから知られたくなかったけど……今は、それとは違う。だってまさか、さっきまで話していた彼氏が、その兄だなんて。 「うん、……まあ」 「へえ。だから男の人の好みもそんな感じなの?お兄ちゃん好きなんだ」 「……好きじゃないよ」 「好きじゃないの?」 「うん、嫌い。大嫌い」 素っ気なくそう言うと、彼女は「そうなんだ」と言ってそれ以上は聞いてきたりしないまま、じきにチャイムがなったので、じゃあねと席を立っていなくなっていった。 せっかく出席しても、頭の中で考えているのは授業の内容なんかじゃない。思い出すのは、昨日の夜、仁に抱き付きながら「好き」「大好き」と甘えた声を出す自分の姿。 気がおかしくなりそうなくらい好きなのに、兄に対してそんな風に思ってるなんてそんなこと、絶対誰にも言えない。誰にも……知られてはいけない。 |