中学3年の時、亜久津と同じクラスになった。あいつは既に1年の頃から素行の悪さではかなり有名で、クラスメイト達はみんな怖がってたけど俺はさほど興味もなく、べつに大してなんとも思ってなかった。

まあ、あいつはほとんど授業なんて出ないし、クラスにもいなかったから。でも、じきに伴爺が亜久津をテニス部へ連れて来て、なかなか面白い奴だなと感じる様になった。

そんな時、どうやら1年生に亜久津の妹がいるらしいと噂で聞いた。あいつの妹なんて一体どんな子なんだろうと気になったけど、亜久津本人にはとても聞ける雰囲気じゃなかったので、ある日部活が終わった後、後輩の壇くんに尋ねてみたけれど何故か口籠る。

「どうしたの壇くん」
「あの、その……亜久津先輩に、言うなって止められてるです」
「え、妹のこと?」
「はい、特に千石先輩には……」
「えーなんで?」
「さあ……とにかく言えないんです!ごめんなさい!」

壇くんは頭を下げると走って逃げ帰ってしまった。わざわざ亜久津が妹の存在を他の奴に口止めするなんて意外だ。しかも特に俺には、なんて。なんでかな、と不思議に思いつつもまあいいや、と気を取り直す。

同じ学校なんだから、すぐ見つけられるしね。さっそく次の日の休み時間に1年生のフロアまでいって近くにいた女子生徒に声を掛けて聞いてみると、一瞬固まった後、おずおずとクラスを教えてくれた。

どうしたんだろ、と首を傾げつつ目的の教室まで行き遠巻きから眺めてみると、他の生徒達はみんなお喋りしたりしているのに、一人だけ、周囲とは関わらずに黙ったまま席に着いている女子生徒がいてやけに目に付いた。

「亜久津さん、って子いるかな?ごめんね、いたら呼んでくれる?」

教室のドア近くにいた女の子に声を掛けると、「えっ」とちょっと動揺した後、そろそろと視線を向けた先には、さっき気になったあの子がいた。

「どうしても呼ばなきゃだめですか……?」
「えっ……うん。え、なんで?どうしたの?」

何がそんなに嫌なのか不思議でいると、先輩に言われたのでは仕方ないと思ったのか、その子は浮かない顔をしながらもゆっくりと亜久津の妹に近付いて行き、恐る恐る声を掛けている様子だった。

(……?)

一度こちらの方を見てから、妹が席を立つと呼びに行ってくれた子はすぐにそこから離れて友達の元へと戻って行った。


「……」

近くまでやって来て無言で俺のことを見上げる彼女はとても可愛らしい顔立ちをしており、およそ亜久津とは似ても似つかない。けれど、しかしその妹だと言われれば確かにそうかもしれないと思える様な、なんとも言えない異質さを感じた。

「急にごめんね。俺、3年生できみのお兄ちゃんと同じクラスなんだ」
「……」
「千石清純だよ、よろしくね」

自己紹介して笑い掛けてみても彼女が同じに笑い返すことはなく、じっと見つめる視線は俺を警戒し、自分に危害を加えることがないか様子を窺っている様に見えた。

「きみの名前、聞いてもいいかな?」
「…………
「へえ、ちゃんっていうんだ。可愛いね、亜久津の妹だなんて信じられないよ」
「……」

まずい、なんか物凄く疑われている気がする。大抵の女の子は話し掛けてもみんな笑顔で会話してくれるのになんでかなあ、と思いつつ、そういえば壇くんが知り合いらしかったことを思い出す。

「俺テニス部なんだけど、壇くんもうちの後輩なんだよ」
「……壇くん……?」
「そうそう。ね?俺、怪しくないでしょ?壇くんの部活の先輩だから大丈夫だよ」
「……そうなんですか」
「しかも、今はお兄ちゃんもテニス部にいるんだよ〜知ってる?」
「……はい」

彼女は、顔立ちこそ中学1年生らしく幼いものの、その雰囲気は周囲の同級生達よりかはいくらか大人びて見え、そしてどこか冷めた様な目をしていた。

俺を随分と警戒していることといい、何か、よほど嫌な目に合ってきたのだろうか?まあ、あの亜久津の妹ともなれば無理もない気もするけど。

勝手に、容姿ももっと亜久津に似てて不良っぽい感じの子なのかなと想像してたけど、実際には全然違ってこんなに可愛らしい顔した子だったとは。ちょっと、いやかなり意外。

「ね、ちゃん。だから俺とも仲良くしてくれると嬉しいなあ」

そう言って笑うと、彼女は少しの間黙ったまま俺の目を見つめた後、伏し目がちに小さく頷いた。





あれからも度々、校内で見掛ける度にちゃんに声を掛けていた。初めは俺のことを酷く疑い、黙って頷くばかりだった彼女も、回数を重ねるごとに次第に会話してくれる様になった。

「亜久津の妹のさあ、ちゃんなんだけど。激可愛いね、ほんとに兄妹?」

ある日珍しく教室の中にいて、一番後ろの辺りで外を眺めている亜久津に近付き、どんな反応をするか気になって、好奇心でついそんなことを言ってみた。

普段何を話し掛けてもシカトする亜久津が、その時だけはピクリと反応して俺の方を向くと、凄んだ目付きでじっと睨むけれど、俺は気にせずに続ける。

「最近仲良くなったんだ、ちゃんと」
「……あ?」
「お前、なんで妹のこと内緒にしてんの?壇くんに口止めまでしてさ」
「……テメエ、次あいつに近付いたらぶっ殺すぞ」
「んー?どうしようかなあ。せっかくあんな可愛い子と知り合いになれたのになあ」

そう言い終わる前にぐっと亜久津に襟元を掴まれて、そのまま持ち上げられると俺の踵が若干宙に浮く。視界の端っこの方では近くにいたクラスメイト達が怯えて離れて行くのが見えた。

「近付くな、っつってんだよ」
「えーなんで、いいじゃん」
「……今すぐ殺されてえのか」

首元が次第に締まっていく中、あの亜久津がこんなにいちいち反応するなんて珍しいなと思って、ちょっとからかってやるつもりで俺は、

「……なに?亜久津ってちゃんのこと好きなの?」

冗談で言ったつもりだった。若干呼吸が苦しくなりながらも少し笑いながらそう口に出すと、その瞬間、すぐそばでけたたましい物音がして亜久津が机を蹴り飛ばしたのだとわかった。

連鎖して倒れる机の音や、クラスメイト達の悲鳴が聞こえる。

「ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞテメエ」

(……へえ)

なるほどね、そういうことか。

俺は内心面白がっていた。あの亜久津でも、こんな風になるんだ。やっぱり、妹のことは可愛いと思うんだな。……まあ、べつにだからってあの子を出しに使って何かするつもりもないけど。





高校生になった頃には、彼女もだいぶ心を開いてくれたのか俺が話し掛けると笑い返してくれるくらいにまでなった。どうやら仲の良い女の子の友達はいない様で、親しいのは壇くん一人らしい。

それに、可愛いのに全然モテないと言うし、なんでだろう?と一瞬思ったけれどすぐに兄の存在を思い出して、まあそれもそうかとちょっと納得した。

彼女はちゃんと敬語も使えるし、亜久津みたいに乱暴なことなんてしない。常識だってあるし、歳の割には大人っぽくて落ち着いて見える。優しいし、とっても良い子だ。

だけど、決して問題を起こしたりするわけではないのに、それでも彼女に対する異質さの念は消えない。いつもどこか冷たい雰囲気を身に纏っていて、周囲の人間を拒絶しているみたいに感じた。

まるで、沈黙するその瞳の奥で、静かに反抗心を燃やしている様な……。

そんな時、たまたま耳に入った噂で、ちゃんのことを夜の繁華街で度々見掛けるというのを聞いた。まさか、あの子がそんなことするはずないよなと思いつつ、それでも完全に否定しきれない自分もいた。

あの子は、強いのか脆いのかよくわからなくなる時がある。素っ気ない口振りでも、その目はなんだか寂しそうだったりして、どこか曖昧でアンバランスな危うさを感じることが、あった。


ちゃんが時々、夜の繁華街で遊んでるって噂、ほんとかな〜」
「……」
「いやー、でもまさかそんなわけないよね、あの子に限って。ないない」

校内で亜久津を見つけて近付き、大き目な声で独り言をこぼすと、うるせえと蹴り飛ばされる前にそこを去った。

後日、放課後の帰り道で偶然彼女を見つけて声を掛けるとどこか落ち込んでいる様子だった。亜久津の妹だというだけで色々とくだらない噂を流されたりもするけど、そんなの慣れているだろうし。それくらいでここまで元気を失くすだろうか。

恐らく、あの噂は本当だったのだろうなと思いつつ、すでに反省してる様子だったので俺はどこかほっとしていた。亜久津の名前を出すと、急に機嫌が悪くなったし、きっとあいつがどうにかしたんだろう。

自分は非行に走ってるくせに、妹にはそうさせないなんて本当面白い奴だな、あいつ。

「嫌いです」

ちゃんは亜久津のことをはっきりそう言って、随分と嫌っている様子だったからちょっとフォロー入れといたけどそれさえも否定してたから、亜久津のことよっぽど嫌いなのかな。

時々、壇くんがちゃんのことを連れて亜久津に話し掛けてる場面に遭遇することがあったけど、その時亜久津が彼女に何か言っても、不機嫌そうな顔してそれには素っ気なく答え、ふいとそっぽを向いてたし。

まあ、それも元はと言えば亜久津が悪いんだろうけど。でもあいつはあいつなりにちゃんのこと結構気に掛けてるのに、ちょっと気の毒だなとは思ってた。


高校を卒業して大学に入った後も、時々は連絡して、一緒に出掛けたりした。適当に理由をつけては映画に誘ったり、お茶に誘ったり。けどべつに、恋愛対象として興味があったわけじゃない。

それでも、なんだか時々顔が見たくなる。世の中にはもっと綺麗な子や可愛い子もたくさんいるけれど、何故だかあの子には不思議な魅力を感じていた。

ちゃんは可愛い顔と声して態度は結構素っ気なく、冷たい言い方をしたかと思えば急にどこか子どもっぽくなったり、甘える様な視線を向けることがあって、今までに出会った中で、そんな子は他にはいない。

時折見せる危うい色気を含んだ雰囲気に、胸がぞわりとする。だから、俺はそんな彼女を眺めるのが好きだった。亜久津も、もしかしたらちゃんのそういうところが気に入ってるのだろうか。

その頃には亜久津のことが「嫌い」から「普通」になってたから、あいつよかったなと心の中で思っていた。











いつの間にか大学も4年になった夏の初め、俺は授業が終わった後に山吹の短大を訪れていた。

最後に会ったのは、まだ彼女がこの短大へ入学したばかりの頃だった。あの時、またすぐに連絡するつもりで「またね」と手を振って別れたものの、それ以来色々と忙しく、ちっとも連絡できていなかった。ちゃんも今はもう2年生になっているはずだ。

ちゃん……ですか?」
「そう、亜久津ちゃん。見なかった?」

キャンパス内でちょっと姿を探してみたけれど見当たらなかったので、山吹の中高で顔見知りだった、ちゃんと同い年の後輩の女の子を見掛けて、声を掛けた。

「……ああ。あの亜久津先輩の妹の。そう言われると……今日もいなかったかな」
「今日、も?」
「はい。最近あんまり授業に出てないですよ」
「そうなんだ。どうしたのかな」
「さあ……知りません」

彼女はあまり関心がなさそうに言った。

ちゃんと話したりしないの?」
「しませんよ。だってあの子って、中高の頃からなんか近寄り難いっていうか……亜久津先輩の妹っていうのもあるけど、ちょっと苦手なんですよね。周囲ともあんまり関わらない感じだし」
「へえ……そっか」
「千石先輩、知り合いなんですか?」
「うん、友達なんだ。あのね、ちゃんすごくいい子なんだよ」
「ふうん……亜久津さん、顔可愛いですもんね」
「いやいや、そういう訳じゃないよ〜」

苦笑いして顔の前で手を振りながらそう否定しても、彼女はいまいち信じていない様子だった。それから「ごめんね、ありがとう」とお礼を言うと軽く会釈して去って行く。

……それにしても、短大に来てないってどういうことなんだろう?授業さぼるような子じゃなかったはずだけど、何かあったのかな。

気になって何回か連絡してみたけれど、気付いていないのか無視されているのか。それから夏が過ぎて秋になっても、一向に返事はないままだった。











「そういや亜久津って、今なにしてんのかな?」

久しぶりに集まった山吹中元男子テニス部員の飲み会で、ひとしきりそれぞれの近況などの話で盛り上がった後、ふと、南がそんなことを言い出した。

けれど、なあ?とみんなに問い掛けみても、それには誰も答えずに「さあ……」と首を傾げるだけ。そんな様子を見て、東方が俺の方を向いて口を開いた。

「千石、お前知らないのか」
「いや、逆に俺が聞きたいくらいだよ。あいつどうしてんの?……あ、そうだ、壇くんは?なにか知ってるんじゃない、亜久津のこと」
「……えっ?僕ですか?」

おお、そうだ、壇がいる。と、みんなの期待する視線がぱっと壇くんに集まる。刺身の花を隅へ避けていた途中の壇くんは、急な質問と注目にちょっと驚いている様子だった。

「えと、……ごめんなさい。僕も最近は全然連絡できてなくて……よく知らないです」
「そっかー、そうだよね。ごめん気にしないで」

申し訳なさそうな顔して謝る壇くんのことを励まし、それから、まあいいかあいつのことは。それなりに元気にやってるだろ、と亜久津の話はそれでまとめて、違う話題に移った。

けれどそれからしばらく経った頃、急に室町くんが「そういえば」と思い出した様に口を開く。

「俺、ちょっと前に街で亜久津さん見掛けましたよ」
「えっ」

なんでさっき言わないんだよ、とみんなに問い詰められても、室町くんは少しも表情を変えずに平然と「すっかり忘れてました」と言い、そこへ南が質問する。

「なにか話したりしたのか?」
「話すわけないじゃないですか。それに、亜久津さん女性と一緒だったし」

室町くんの話を聞きながら、へえーと適当に相槌を打って、から揚げにレモンを絞っていた俺はそこで思わず手を止めるとレモンを皿の上に放って彼に詰め寄った。

「えっ誰、それ。彼女?」
「さあ……知りませんよ。だから話してないんですって。あ、でも手繋いでたから、彼女なんじゃないですか」
「えー、絶対彼女じゃん。ちょっと困るなあ、それ」
「なんでそんなショック受けてるんですか。まさか千石さん、亜久津さんに気があるとかじゃないですよね」
「そんなわけないだろ」

そういえば以前、大学の知り合いの女の子数人に亜久津紹介してって頼まれてたんだった。あいつより俺の方がおすすめだよ、ってプレゼンしてみたけど聞き入れてくれなくて……。

だけど女の子の頼みなんて断れないし、「全然いいよ!」って愛想良く返事をしてみたものの、まず連絡先知らなかったからな。だってあいつ、聞いても教えてくれないし。

壇くんなら知ってるかもしれないけど、彼女がいるんじゃ無理だしな。今度会った時に謝っておかなくちゃ。結構前のことだし、彼女達ももう忘れてるといいなあ、と頭の中で考えていると、東方が室町くんに何気なく質問する。

「亜久津の彼女なんて、一体どんな人なんだ?」
「えーと……、可愛い感じの子でしたよ」

思い出しながら答えている様子の室町くんに、「あの若いお母さんじゃなくて?」と新渡米が冗談なのか本気なのかよくわからない顔をして尋ね、となりの喜多くんは「いくらなんでもそれはない」と笑っている。

「いや?亜久津さんより歳下に見えましたけど。……うーん、でもそう言われるとちょっと似てた様な気も……」
「へえ、優紀ちゃんに?」
「……優紀ちゃんて誰ですか、千石さん」
「亜久津のお母さんの名前。室町くん知らないの?」
「知りませんよ」

アンタどんだけ女の人と仲良くなるの上手いんですか、と呆れた顔をされて、それに「それほどでも」と笑い返しながらも、俺は、さっきの室町くんの言葉が何故か胸に引っかかる様な気がしていた。


亜久津の話はそこで終わりになり、またみんなそれぞれに勝手な雑談をしていたところ、なんだか壇くんが浮かない顔をしていたので気になって、となりまで行って話し掛けてみる。

「壇くん、どうかした?一人だけソフトドリンクだから盛り上がらない?」
「え、違うです。その、さっき亜久津先輩の名前が出たから、そういえばちゃん元気にしてるかなあ……と思って」
「ああ、ちゃんね。最近連絡とってないの?」
「はい。前にしたんですけど、返事がなくて。どうしたのかなあ」

壇くんもなのか、と内心思いつつ「忙しいんじゃないかな」と言って背中を軽く叩いて励ますと、それには「そっか、そうですよね」と笑って頷いてくれた。けど、今度は俺の方がなんとなく浮かない気持ちになる。

(……ちゃん……?)

そういえば、ちゃんて優紀ちゃんに似てたよな。優紀ちゃんの顔をもうちょっと甘くした感じで……可愛いし、亜久津より歳下だし。いや……、でもまさかね。あり得ないでしょ、室町くんの見間違えなんじゃない。優紀ちゃんに会ったのだってだいぶ前だろうし、ちゃんと顔覚えてるかどうか。

だって、ちゃん亜久津のこと「嫌い」って言ってたし。あ、でもあの後一応「普通」にはなってたけど……。だけど、ないない。ないよ。

それにいくらなんでもあの亜久津がだよ?妹と手繋いで街歩くわけないよな。うん。


まさかね。







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