この頃は、よく夢を見る。

それは、パパみたいに……優紀ちゃんや、仁が私のそばからいなくなって、一人ぼっちになる夢。まだ小さい頃から、時々、見ることがあった。

以前までは、どんなに悲しくても目が覚めさえすれば「夢か」と思えたけれど、今はいくらそう思い込もうとしたって、それが紛れもない現実だから。起きた後の方がずっと悲しくて、寂しくて、勝手に涙が溢れてくる。

もう嫌なのに、見たくないのに、そう思えば思うほどに繰り返される。どうして、私は一人なの。自分でそう願ったはずなのに、苦しくて堪らなくなって、もうそれ以上は眠れずにひたすら泣いてばかり。


一人で静かな部屋の中にいれば寂しさに襲われ、嫌なことばかりが頭の中に浮かんでくる。仁は今頃どうしてるかな、奥さんに優しくしてあげてるのかな、とか。優紀ちゃんやお父さんはもう私のことなんて呆れて見放してしまっただろうか……とか。

何かから逃げる様に、毎日仕事が終わった後、飲みに行っていた。お酒を飲んで酔ってしまえば嫌なことも考えたくないことも忘れられるし、家に帰ってもすぐに眠れて、悪夢を見ることもない。

だから、こんなのは良くないとわかっていながらも、そうするしかなかった。

私はただ一人で飲みたいだけなのに、いつも、男の人が声を掛けてくる。それは同じ人だったり、違う人だったり。放っておいて、と素っ気なく言っても離れずにしつこくされるのが心底鬱陶しかった。私のことなんてなんにも知らないくせに、外見しか見てないくせに。

どんなに可愛い、綺麗と褒められても、ちっとも嬉しい気持ちになんてならない。だって誰も、私自身なんて見てはくれないから。

……本当に私のことを理解してくれて、愛してくれるのは、仁しかいない。

何人もの男の人の顔を見ながら、いつもそう思ってしまう。どれだけ優しくされても、甘い言葉を囁かれても、それは私にじゃない。きっと女なら誰だっていい。自分の思い通りになる、相手なら。

それでも、時々寂しさに気がどうにかなりそうになって、誰でもいいからそばにいて欲しいと思ってしまう。抱き締めてくれるなら、例え、知らない好きでもない、私を心からは愛してくれてはいない人だっていい……と。思ってしまうことが、あった。



ある日、よく行く店で時々会う男の人にしつこく言い寄られた。面倒だったので無視して店をさっさと出たけれど、追い掛けて来たのでいい加減嫌になって強めに拒絶した。そうでなければ、いっそこの人でさえいいと思ってしまうのが怖くて、だからわざと嫌われようとした。

そんな時突然間に入って助けてくれた人がいて、見ればそれは清純くんだった。どうしてこんなところにいるんだろう……不思議だったけれど、久しぶりに見知った顔で寂しさに喘いでいた私は嬉しかった。

それから、清純くんと飲みに行って……色々と聞かれて。途中まではなんとなく覚えているけれど、最終的にどうなったのかは、あまり記憶にない。

朝になって目が覚めて、私は自分の部屋のベッドの上で、清純くんに抱き締められていた。少しの間ぼうっとしていたけれど、きっとこれは私のせいなのだろうと、じきに理解した。

外れているブラウスのボタンなどを見れば、自分が何をしたのか大体の察しはつく。恐らく、寂しさから清純くんに泣き付いたのではないだろうか……。誰でもいいから抱いて欲しくて仕方なくなって、そうせがんだのではないのだろうか。

清純くんは優しいから、私の都合に巻き込んだことにも少しも腹を立てることなく、気にしないでと笑ってくれた。それから、連絡して欲しいと電話番号まで教えてくれて。自分ですべての連絡先を消しておきながら、私はそれが嬉しかった。

電話をしたいと思うことは度々あった。声を聞いて、一人じゃないんだと思いたかった。……だけど、清純くんには随分と迷惑を掛けてしまったから。もうこれ以上は申し訳ない気持ちがしていて、気に掛けてくれているのだとはわかっていても。どうしても、連絡できなかった。


嫌な夢と同じく、この頃は、よく子どもの頃のことを思い出してしまっていた。だけどそれはちっとも楽しい記憶などではなく、いつも悲しくて寂しい記憶ばかり。

小学校のクラスの中で、「日曜日お父さんと一緒に出掛けたの」と楽しそうに話している同級生の話が耳に入って、そんなのどうでもいいと思いつつもすごく胸が痛かった。それに、どこかで父親と手を繋いでいる同じ年頃の子どもを見掛ける度、同じ様に胸が痛く苦しくなって、私は家に帰ってから自分の部屋の隅にうずくまり、よく一人で泣いていた。

のパパはどこにいるの、いつ会いに来てくれるの。心の中では何度もそう思っても、実際に口に出しては聞けなかった。

時々、優紀ちゃんが家に彼氏を連れて来ることがあった。それは今のお父さんじゃなくて、もう、顔も名前もよく覚えていない様な人。一人だけじゃなくて、何人かいた気がする。

みんな、私のことを「ちゃん」と呼んで可愛がってくれたけど、いつだって仁は不機嫌そうで、彼らには酷く冷たく当たっていた。私の頭を撫でようとする手を振り払っては、「に触んな」と怒っていたし、優紀ちゃんに文句ばかり言っていた。

「あいつと口利くんじゃねえぞ」

仁にはいつもそう言われていた。だから、どんなに優しくしてくれる男の人だったとしても、素っ気なくしてしまっていた。なんで仁くんはそんなこと言うんだろう……。わからなかったけど、すごく怒ってたから、怖くて聞けなかった。



私はいつも、誰かに甘えたかったのかもしれない。優しく甘やかしてくれるお父さんのいる子が羨ましくて仕方なくて、いつの間にか、兄の仁に対してそんな想いを抱いていた。

私のことを見て欲しい、好きと思って、父親みたいに愛して欲しい。だけど仁はいつも悪いことばっかりして家にいなくて、冷たいし。だから私は悲しくて寂しくて、隠れて泣いてばかりいた。

それでも、時折見せる優しさが嬉しくて、仁のことが好きになってしまい余計につらかった。だから……嫌いになるしかなかった。嫌いなら、この苦しみから逃れられると思ったから。

私はずっと自分ばかりかわいそうだと思っていた。全部仁のせいにして、自分は悪くないと思っていた。

だけど……、仁も寂しかったのかもしれないな、と今になって気が付いた。仁はきっと私の思っているよりずっと繊細で、傷付きやすいのかもしれない。周囲にそれを見せないだけで、ずっと悲しんでいたのだろう。知らないだけで。

いつも自分の気持ちを押し付けるばかりで私は……、仁のことなんてちっとも理解してあげていなかった。それなのに愛されたいと願って、我儘たくさん言って、そんなの誰だって嫌になる。

パパだって仁だって、私のことなんて嫌いなんだ。優紀ちゃんも、お父さんも……だから。

一人ぼっちで泣いている夢から覚めても、もうそれは夢じゃない。悲しみに襲われて涙が溢れて、真夜中に一人泣きながら、寂しさでどうにかなってしまいそうだった。

ずっと我慢していたのに、つい、耐え切れず清純くんに電話してしまった。もう迷惑掛けちゃいけないのに……そう思っても、気が付けば番号を押している。

「一人で平気?俺、今からそっちに行こうか」

いい、と断りながらも、本当は誰かにそばにいて欲しくて。だから、清純くんが来てくれて本当に嬉しかった。こんなのはいけないことだと思い、謝りながらも、心の中では堪らなく安心していた……。

清純くんは、どうやら私と仁のことを知っているみたいだ。どうしてなのだろう、とは不思議に感じても、彼はもう知っていてくれる。わかってくれているのだ、と私はすごくほっとしてしまい経緯なんてどうでもよかった。

清純くんには隠さなくていいんだ……そう思えば、勝手に口から本音が漏れる。ずっと誰かに言いたくても言えなかったこと。この人になら話しても大丈夫だから、と。涙と一緒に言葉が零れてしまう。

もう会うことはできないのに。私を愛してはくれないのに。

それでも、今も仁のことがあまりに好きで、どうしても忘れられなくて……胸が苦しい。どこにいるの、誰といるの。私のことなんて、もうとっくに忘れてしまった……?

せめて、声だけでも聞きたいよ……仁……。









3月に入って少し経った頃、私は働いていたバイト先を辞めた。周りの人にお世話になった挨拶をした後店を出て、帰ろうと歩き出したら誰か呼び止める声が聞こえて立ち止まる。

それは私と同じ時期に入ったバイトの子で、彼女は時々親しく話し掛けてくれていた。最後だからと食事に誘われて、私は「どう?」と笑う彼女に対し、一瞬だけ考えた後すぐに頷いて返した。


「亜久津さんて自分のこと全然話さないから、すごい謎多かったんだよね」
「……そうかな」
「私生活もまるで想像つかないしさあ。一人暮らし?それとも実家?」
「一人で暮らしてる」
「へえ、そうなんだ。彼氏とかいるの」
「……」

彼女に連れて来てもらったオシャレな感じのレストランで、自分のお皿に乗った料理にフォークを刺しながら、つい黙ってしまった。そんな私の様子を見て、彼女は「ごめん」と謝る。

「亜久津さん、可愛いのにクールだから実は私憧れで〜。どんな人タイプなのかなってちょっと興味あったんだ」
「そう……」
「えーと。あっ、ねえ私の彼の話聞いて!すっごい馬鹿なの、面白いよ」

気を遣ってか、彼女は自分の恋人の話を楽しそうに話してくれた。そうなんだ、と聞きながら頷くけれど、でもどうしても笑えなくて次第に俯いてしまう。

「ごめーん、つまんなかった?」
「違うの、ありがとう……」
「どうしたの、大丈夫?なにかあるなら話聞くよお」

何をしていてもどこにいても。いつだって仁のことばかり考えてしまう。そんなの嫌なのに、清純くんみたいに、もう他の人には迷惑なんて掛けたくないのに。それでも誰かに聞いて欲しくて仕方ない。この、胸の中でじくじくと痛み続ける想いを。

「……好きな人がいるの、どうしても忘れられないの……」
「誰、元彼?」
「好きになっちゃいけなかったのに……」

秘密にしなきゃないけないのに。だけど、もうきっとこの子と会うのはこれが最後だし、兄がいることも、仁の存在も知らないだろうし。そう思えば、ついつい寂しさが口から零れる。

「えっまさか……不倫っ?その男、妻子持ち?!」
「……」

早とちりする彼女に「違う」と言おうと思ったけど仁も今は結婚してるわけだし、違わないのかな。それに、もしかしたら知らないうちに子どももいるのかもしれない。だから、何も返さずにいたら最初勢い余って身を乗り出していた彼女は、元の姿勢へ戻ると段々と悲愴な面持ちになっていく。

「今も好きなの……、その人以外好きになれない……」

なんでこんなところで、急にこの子にこんな話してるんだろうと自分に呆れつつも、記憶の中に仁の姿を見ればまた視界には涙はじわりと滲む。最近は、もう何かにつけて泣いてばかり。

子どもの頃から、泣いたところでどうにもならないと知っていた。泣いてどうにかなるなら、いくらでそうするけど。でも、どんなに泣いてもパパは帰って来てくれなかったから。だから、意味なんてないって、思ってたのに……。

それでも、もう、そんな考えどこかへ行ってしまったみたいに、涙が溢れて来る。

せめて、人前では泣かない様にしていたのに、以前に清純くんの前で酷く泣いてしまってからは、もう自分の感情が抑えられない。また堪え切れずに涙が一粒、二粒と瞳からぽろりと零れ落ちてゆく。

「そいつに弄ばれたの……?」

いつの間にか彼女は私のとなりの席に移動して来ていて、肩を抱きながら自分のハンカチで私の涙を拭いてくれていた。周囲の人達は不思議そうな顔して私達のこと見てるけど、彼女はそんなのちっとも気にしていない様子だった。

「……違う……」
「えーだってそうでしょ、どこの男?許せないよお」
「私が勝手に好きだったの……、そんなのだめなのに」

やっぱり言わなければよかった。こんなこと、何も事情を知らない人に突然話したって混乱させて迷惑なだけだ。それなのに泣くのを止められなくて、それからも涙が零れ落ちれば、彼女の方こそ泣きそうな顔してる。

「亜久津さんのこと泣かせるなんて、ヒドイ奴……有罪だよ!」
「……違うの、私が悪いの」
「なんで庇うんだよお。……もしかして、そいつ優しい男だったんだ?」

聞かれて、私は小さく頷いた。確かに、仁は優しかった。怖くて乱暴な人間でもあったけど、だけどいつも私には優しくて、なんでもしてくれて……。思い出せば、また、胸が苦しくなってくる。

「それは忘れられないね……。なーんで優しくされると嫌いになれなくなっちゃうのかなあ、不思議だよね」
「……」
「その人のこと、忘れたいの?」
「……忘れたくない……」
「そっか。なら、忘れなくていいよ。いつか、忘れられる日がきっと来るからさ……それまで覚えててあげれば?」

彼女に抱き締められて泣きながら、私は、本当にそんな日が来るのだろうか……と思っていた。いつか、長い時間が経てば、仁のことも全部忘れられるだろうか。

そんなこと、誰にもわからない。だけど、今の私は忘れたくないと言っている。こんな風に、仁が優しく抱き締めてくれた記憶を、いつまでも覚えていたいと……泣いている。





何かあったらいつでも連絡してね、その男殴りに行くときは一緒に行くからね。と言ってくれた彼女と手を振って別れた後、帰り掛け、携帯を見ると清純くんから着信があった。

清純くんはあれから毎日、夜になる度に私に電話を掛けてくれるようになった。優しいから、寂しがってみっともなく泣いていた私のことを心配してくれているのだろう。折り返し掛けてみると、すぐに出てくれた。

「ごめんね、電話くれてたのに出られなくて」
「いいよいいよ。もしかして、なにか用事だった?ごめんね」
「ううん、平気。ちょっと食事に行ってただけ」
「食事?お友達と?」
「うん、バイト先の女の子。今日が最後だからって、誘ってくれたの」
「そっか、よかったね」

出られなかった事情を話せば、清純くんはほっとしてしていた様だった。以前は深夜まで飲み歩いていたから、今でもそうなんじゃないかと、すごく心配してくれているみたいだ。

私は、清純くんに随分と迷惑を掛けてしまったあの日から、飲みに出掛けるのをすっかりやめた。だけど初めのうちは一人で家にいるのが耐えられなくて、仕事帰りに用もなくふらりとどこかへ立ち寄ったり、映画を観たりして帰宅をわざと遅らせていた。

だけど、うっかり泣いて電話を掛けてしまってからは毎日清純くんが連絡をくれて、家にいることも苦痛ではなくなった。何気ない話でも、その声を聞けばなんだか安心して、嫌な夢を見る回数も減った。

清純くんには感謝してもし切れない。昔からずっと気に掛けてくれて優しくしてくれて、彼がいなかったら今頃私はどうなっていただろう。中学1年生のあの、初めて声を掛けられた日。あの時はなんだか嫌だな、なんて思っていたのに。今は、あの日があって本当に良かったと心から感じていた。

「今どこにいるの、まだ帰る途中?」
「うん」
「平気?一人で大丈夫?」
「大丈夫だよ、もうすぐ着くところだから」

この頃は、なんだか、清純くんがお兄ちゃんみたいな気持ちにもなっていた。私みたいな妹がいたら迷惑だろうけど、でもすごく優しくしてくれるから、口には出さないけれどついそう思ってしまう。

何度か、実家にも連絡する様に促されていたけれど、それに「うん」とは言えなかった。あの家はすごく温かいのに、私は勝手に孤独だと思い込んで、家を出てしまった。ずっと、一人なんかじゃなかったのに。

それに、あんなに優しくしてくれていたお父さんのことを自分の父親ではない、なんて酷いことを清純くんに言ってしまって、なんだかもう会わせる顔がない様な気がしていた。

……ごめんなさい。

心の中では何度も思っても、まだ、口には出せない。顔を見るのも、なんだか怖い。みんな優しくしてくれるのに、大事に想ってくれるのに。私は小さい頃から、ちっとも良い子になれない。

素直になれなくてごめんなさい。我儘言って、勝手ばかりして、ごめんなさい。お兄ちゃんを好きになったりして、……ごめんなさい。

帰っている間もずっと電話は繋がったままで、無事に家に着いたよと言えば清純くんは安心したみたいだった。

「じゃあまた明日ね。おやすみ、ちゃん」
「うん、おやすみ」

鍵を開けて玄関に入って立ったまま、通話を切った後も携帯をそのままじっと見つめていた。

……おやすみ。おやすみ。仁は、もう寝てるかな。となりには奥さんがいるのかな。どこかで幸せに暮らしてる?その幸せを願いたいのに……私、良い子になれなくて。どうしてもそう思えないから、胸が苦しい。

まだ、仁のことが忘れられないよ……。

ごめんね。

暗くなった携帯の画面の上に、瞳にじわりと滲んだ涙が一粒、ぽたりと落ちて。小さく水滴を作った。









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