仁はそれからも私と一緒にいてくれた。聞けば、仁は大学を出た後一人暮らしをしながら、教授に紹介された研究所に勤めて、ナントカっていう何かを研究していたらしい。

教えてくれたけど、難しくて私にはなんのことだかさっぱりわからなかった。それに、途中何カ月かアメリカにも滞在していたみたいで、相変わらず仁のやることはちっともわからない。

仕事はどうしたの、と聞けば「辞めた」とあっさり答えた。住んでいた部屋も解約して出て来てしまったらしい。もし私に他に男の人がいたり、すっかり仁のこと嫌いになってたりしてたらどうするつもりだったのと尋ねてみれば「知らねえ」と言い、そしたらその時考えりゃいいだろ、という潔い考え方をしていた。

離れている間も私が押し付けた約束を守り、ずっと指輪を外さずにいてくれて、他の女の人に連絡先を教えないというのもその通りにしてくれていたらしい。携帯を差し出されて、「確認するか?」と言われたけれど、いいと断った。

確かに嘘は吐いてたかもしれないけど、それは何か事情があってのことだろうとわかるし。仁だって、きっとつらかったに違いない。だから、もう、戻って来てくれたそれだけで十分だった。

二人で一緒に過ごして、仁の作ってくれたごはんを食べて。仁が暮らすのに必要な物も適当に揃え。私は、以前に戻れたかの様な数日間に、幸せと懐かしさを感じていた。


夕ご飯を済ませて、お風呂にも入った。ベッドの上に座っている仁の足の上に向き合って座り、少し見つめてからキスをして、ぎゅっと抱き付く。すると、仁も私のことを抱き締めてくれる。

仁が戻って来てから、キスはしても……それ以上のことはできなかった。仁は自分からは何もしてこないし、私も久しぶりに会ったせいか、妙な気恥ずかしさがあって前みたいにはねだれないまま。夜はただ、ぎゅっと抱き合って眠るだけ。

初めは、仁がそばにいてくれるだけで胸が一杯に満たされて、それでもいいと思っていたけれど……やっぱり、次第に仁が欲しいという思いが大きくなってくる。この心の中で、静かに。

胸に押し付けていた顔を上げて見ると、仁も私のことを見下ろしていた。黙ったまま、ゆっくりと瞬きばかりを繰り返す。何もしてこないのは、優しいからなんだってわかってるけど……でも。

「……仁……」

なんだか緊張して鼓動が速まり、どきどきとしてきた。照れくささと恥ずかしさから、体が熱くなっていく気がして、顔が赤くなっていないかちょっとだけ心配になる。

「……したいの……、してもいい……?」
「……」

断るはずはないと思いつつも黙ったままの仁に少し不安になっていると、じきに顔が近付いてキスをされた。そのままゆっくりとベッドに押し倒されると、舌が入り込んで来て水音を立てながら絡み合う。

それから首筋にキスをしては舌が這い、私の瞼は次第にとろんとしてくる。「あ……」と思わず声が漏れてしまうのがなんだか恥ずかしいけれどなされるがままにしていた。すると仁は私のパジャマに手を掛け、いくつかボタンを外したところで体を起こすと、じっと見下ろした。


「ぅ、ん……、なあに……?」
「……お前、あれから男はいねえんだろ」

仁の目はなんだか真剣な感じで、どうして急にそんなこと言い出すのだろうと、ちょっと不思議だった。

「うん……」
「なら……誰とも寝てねえんだな?」
「……」

何度か瞬きしながら、ぼんやりと仁の顔を見上げる。

「……うん」
「本当だな?」
「うん、……多分……」
「多分、てなんだ」
「……」
「オイ」

してない、だって私が好きなのは仁だけだから。離れている間も、他の男の人のことなんて誰も好きになれなかったし、なるつもりもなかった。でも、あの清純くんにあった日。私は寂しさに耐え切れず、抱いて欲しいとせがんだ。

はっきりとは覚えていなくても、なんとなく、泣いて迫ったことは記憶している。そして、清純くんはいくら頼んでもそれを受け入れることはなかった。

だから、清純くんとは何もない。だけど、それまでに私は酔って同じ様なことを他の人にしただろうか……?誰でもいいからそばにいて欲しくて、そんなことをしてしまったのではないかとあれからしばらく不安になっていた。

でもいつも目覚めれば自分の部屋に帰って来ていたし、服装が乱れた形跡や体に違和感もない。恐らくそんなことはなかったのだとは思うけれど、すごく酔っていたとしたら絶対とも言い切れなくて。だから、つい「多分」と付け足してしまった。

そんなことを考えながらちょっとぼんやりとしていると、仁はなんだか怖い顔してる。さっきから、どうしたのかな。

「なんでそんなこと聞くの……?」
「……」
「私が他の男の人としてたら嫌?」

もしかしたら、心配してるのかな。それとも妬いてる?はっきりと「してない」とは答えずに、そう言ってみると仁は黙ったまま私の手首をきゅっと掴む。

……やっぱり、ヤキモチやいてるんだ。そう思うと、さっきまでの照れくさく緊張していた感情はどこへやら、なんだかちょっと可愛くてからかってみたい気持ちが芽生えてしまう。

「わかんない……、したかも」
「……あ?ふざけんな、どこの男だ」
「知らない。誰だったか覚えてないもん……」
「馬鹿かお前、知らねえ男とやってんじゃねえよ」
「……だって」
「思い出せ、どこのどいつだ」

物凄く妬いているのか、随分と怒った顔してる。自分のことをなんて意地悪なんだと思いつつも、でも長い間すごく寂しかったし、仕方ないとはいえ冷たいこと言われたからちょっと仕返し……。なんて、せっかく心配してくれているのに自分勝手なことを考える。

「……酔ってたからわかんないよ」

そう答えると、仁は舌打ちをする。そんな相手なんていないけど、もしも本当だったとして覚えてたとしたら、まさかその人のことを殴りにでも行くつもりだったのだろうか。でもきっと仁では殴るだけじゃ済まないから、自分の嘘がなかなかに危険だということに気が付いた。

「三年も私のことほっといて、今さらそんなの聞かなくても」
「……うるせえ」
「でも、仁……」
「うるせえんだよ」

苛立った様にそう言うと仁は私のことをぎゅっと強く抱き締めた。少しからかってみるつもりだったけど、根は真っ直ぐなのかかなり本気にしているみたいでやっぱり悪い気がしてきた。そろそろ、もう嘘って言って、謝らなきゃと思っていると。

「気易く他の男に触らせてんじゃねえ」
「……」
「俺以外の奴と勝手にすんな、阿呆」

仁もなかなかに自分勝手なことを言っているなと思いつつも、元はといえば私が悪いのだから仕方ない。それにしても、こんな風に強く独占欲めいたことを言われるのは初めてだ。私が他の人としたかも、なんて言ったから?それとも、口には出さないだけでずっとそう思っていたのかな。

「お前……、体なんともねえのか」
「……うん」

それでもやっぱり仁はすごく私のことを心配してくれている。だからその優しさにこの胸は罪悪感に苛まれ、きつく締め付けられる思いがした。今さら後悔したところで、もう遅いけど。

「……ごめんね、嘘なの」
「あ?」
「誰ともしてないよ……、ちょっとからかってみたかっただけ。嘘吐いてごめんね」
「……」

仁は抱き締めていた腕を離して、相変わらず怖い顔で私のことをじっと見下ろす。これは相当怒っているみたいだ。でも、悪いのは私だからな……。

「テメエ……」
「……ごめん」
「ふざけてんじゃねえぞ」
「ごめん」
「くだらねえことしやがって、覚悟できてんだろうな」
「……うん、……ごめん」

仁の場合、普通なら拳の一つでも飛んで来そうなものだけれど、べつにそんなこともなく、実際には頬に優しく触るだけ。顔が近付いてキスされると、音を立てながら二回、三回と繰り返す。それが離れると、そっと頭を撫でられた。

「……なら、他の奴とは寝てねえんだな?」
「うん……」
「本当だな」
「うん」
「本当にしてねえんだな」
「うん。ほんとだよ……仁だけだもん」

仁は念を押して何度も確認する。いつも私のこと放って勝手にどこかへ行っちゃうくせに、その割にはすごくヤキモチやいたりして、変なの。でも私もそう思ってくれるのが嬉しいから、同じに変なのかもしれないな。

「……じゃあ、仁が確かめてみて……?」

仁の手を掴むと、自分の胸まで持っていって触らせる。「ね?」と言うと、仁はしばらく私の目をじっと見ていたけれど、じきにその手は下着の中へと入り込み再び首筋にキスをされた。

私の服を脱がせて肌が露わになると、仁は確認する様にじっと眺めながら、体中に口付けていく。途中、明かりを消すかと聞かれたけど、私は仁の顔を見ていたいから、いい。と言って断った。


私の体に触れる仁の手付きはあまりにも優しくて、まるで初めてした時みたい。もしかしたらあの時以上かも……なんて思いつつ、痛くないか何度も確認する仁に、平気だよ微笑んだ。

それから私は仰向けに寝るその体の横に屈み込み、久しぶりに仁のものを口で愛撫した後顔を上げて、すっかり大きくなったそれを優しく握って擦りながら仁のことを見下ろす。

「仁、気持ちいい……?」
「……」
「ねえがしてあげるの、気持ちいい?」

甘えた声を出してそう尋ねると、ずっと黙っていた仁は少し体を起こして私の腕を掴み、ぐっと自分の方へ引き寄せたかと思えばいつの間にか組み敷かれていた。ぱちりと瞬きしながらその顔を見上げると、じっと私のことを見た後に珍しく噛み付く様なキスをする。

「……お前は、他の男にはやらねえ」

ぼそりと呟く声にどうしたの、と言い掛ければもう一度激しくキスをされて、それは口に出せないままだった。それから避妊具を付けた仁がゆっくりと私の中へと入って来ると、ぎゅっと強く抱き締めたまま、黙って優しく動く。いつも準備がいいんだな、とぼんやり考えつつも、時々頭を撫でられる度に甘い溜息が漏れる。

「仁……ごめんね」
「……」
「ヤキモチやいちゃった……?」
「……」

仁は何も答えない。だけどべつに怒っている様にも感じない。どちらかといえば、なんだか、拗ねているみたいな。

「誰ともしてないよ。……だから、安心して」
「……」
「仁だけだもん。またがいっぱいしてあげるから、……ね?」

耳元でそう囁くと、抱き締めていた腕が少し解けて、仁は熱を含んだ視線でじっと私の目を見る。至近距離で感じる切なげな眼差しに、なんだか胸が締め付けられる思いがした。

「……お前が好きだ」
「……」
「好きだ……

離れる前は、どんなに好きかと尋ねても決しては答えてくれなかったのに。堪え切れないかの様に苦しげにそう言う仁の言葉は、きっと本音に違いない。ずっと口には出さなかっただけで、心の中ではそう思っていてくれたのだろう。そう思えば、胸の中が喜びで満ち満ちてゆく。

「私も、好きだよ……仁」

好きなのは、私ばかりなのだと思っていたけれど、そんなことはなかったのだ。仁の頬を両手でそっと包み込んで微笑むと、今度は優しくキスをされたので私はそっと目を瞑り、心の中でもう一度「好き」と呟いた……。









ふと目を覚ますと、カーテンの隙間からは光が漏れていて朝になったのだとわかる。横を見るとそこに仁の姿はなく、はっとして私は「仁」と名前を呼びながら思わず起き上がった。まさか、またどこかへ行ってしまったのではないか……などという不安が襲って来る。

「……なんだよ」

声のした方を見ると、仁は少し離れた所から歩いてやって来て、そのままベッドの上へ乗った。

「仁、どこに行ってたの」
「便所くらい行かせろよ」

仁は外れていた私のパジャマのボタンを留めながら、ちょっと呆れた様な声を出した。その胸にぎゅっと顔を押し付けて背中に腕を回すと、優しく頭を撫でてくれる。

「離れちゃ嫌……どこにも行かないで。ずっとそばにいて」
「便所もかよ」
「うん……」

そう答えると、仁はちょっと笑ってる。どんなにおかしなことかは自分でわかっていても、離れている間ずっと寂しくて悲しくて、どうにかなりそうだった。仁は今頃奥さんと一緒にいるのかな。奥さんのこと優しく抱いてあげてるのかな、なんて考えれば勝手に涙が滲んで。

いつも仁のことを想って一人でしては、切なさと寂しさで泣いていた。仁はもう私のことなんてきっと忘れてしまっているのに……。でも私は忘れることなんてできなくて。だから、そう思えば思うほど、涙が止まらない。

「……ねえ……仁も、他の人とはしてないよね……?」

ヤキモチをやく仁のことをからかっていながら、本当は私も心の中でずっと心配だった。だって仁は私とより前に他の人ともしてるから……。そんなの、今さら気にしたところで仕方ないのに未だに時々考えて胸が痛くなる。

私以外の人のこと好きになっちゃ嫌。見ちゃ嫌。考えちゃ嫌。相変わらず子どもみたいな感情が私の胸を支配して、苦しめる。そしてそれは私だけじゃなくて、仁をも巻き込んでゆく。

顔を上げてじっと仁の目を見つめれば、ちょっと首を傾げて、その瞳は穏やかな色をしていた。

「してねえよ」
「ほんと……?」
「するわけねえだろ」

はっきりとそう言われ、頬を撫でられるとようやく安心できた。そして同時に、昨日の夜くだらない嘘を吐いた自分のことを反省した。私はいつも好き勝手なことばっかりして仁のこと振り回して。離れている間、ずっと子どもみたいな自分のことを反省して後悔していたのに。いくつになっても、結局同じだ。

「昨日はごめんね……」
「……」
「……もう嘘なんて吐かない……ごめん」

背中に回した手で、仁の部屋着の生地をぎゅっと掴む。もう失いたくない。誰にも渡したくない。ずっとここに、私のそばにいて欲しい。だから。

「もう我儘言わないから……、良い子にするから」
「……」
「だからもうどこにも行かないで……、仁」

私は仁がいなくてはとても生きてはいけない。だから一緒にいてもいいくらい、大人にならなきゃいけない……そう、思ったのに。

「お前の我儘くらい、いくらでも聞いてやるよ」

仁は柔らかく笑ってそう言った。私は、「え……」と小さく声を出した後、もう何も続けられない。仁はどれだけ時間が経っても、いくつになっても、ずっと優しい。粗暴な割には、どこか包み込む様な温かさがあって、私の胸はこの人が「大好き」だと高鳴る。

「俺にはなんでも言え」
「……うん」

頭を撫でられながら、その言葉に何故だか視界が滲む。目を瞑り、仁の温かさを感じながら、この上もなく幸せだと思った。兄とか妹とか、結婚とか子どもとか、もうそんなことどうでもいい。

「仁、好き……大好き」

仁が私のそばにいてくれて、優しくしてくれるなら。愛してくれるのなら……。誰にも言えない関係でも、もう、そんなこと。だから、これ以上何もいらない。


しばらくの間そのまま抱き締め合っていると、ふと、私のお腹がきゅると音を立てた。こんな時でもお腹は空くんだ……と思いつつ閉じていた瞼をぱちりと開き、仁の顔を見上げる。

「……仁、お腹空いた」

以前なら、そんなこと言おうものなら「俺はテメエのメシ係か」と舌打ちの一つでもされたものだけれど、今はそんなこともない。

「なにが食いてえんだ」
「……なんでもいい」
「なんでもいいじゃわかんねえだろ」

呆れた様な顔しながらも、その声は優しい。それから仁は、もう作るための食材がないから買いに行くか外食するしかないと言った。私はたとえ他のどんな物よりも仁の作ったごはんが好きだけど、でもたまには外食もいいかな、と思った。

これまでは外食しても一人が多かったし。時々、清純くんや、前のバイト先の子みたいに誘ってくれる人がいたくらいで……。

「どこ行くんだよ」
「んーまだ考え中……、仁は?」
「なんでもいい。お前の好きなとこにしろ」

自分だってなんでもいいって言ってる……と思いつつ、うるせえって言われそうだから口には出さずにとりあえず出掛ける支度を始めた。顔を洗って着替えて化粧をして。アパートを出た後、手を繋ぎ道を歩き出したところで、仁が私の方を見て口を開く。

「なに食いてえか決まったのか」
「うーん……仁がファミレスにいたら面白いから、ファミレスがいい」
「なんでだよ」
「仁、お子様ランチ頼んでみてよ」
「無茶言うな」

数日前には雪が降っていたなんて信じられないくらいに吹く風は温かくて、春の匂いがする。私は仁の反応に笑いながら、握った手の温かさに、心から幸せだと感じていた。








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