夜、ベッドの中で仁にぴったりとくっ付きながら、私は今日の昼間優紀ちゃんと話したことを思い出していた。 「……ねえ、仁」と話し掛けると、ちょっと眠たそうな声を出して返事をする。

「優紀ちゃんが言ってたことって、本当」
「……なにがだよ」
「私がルームシェアしててちっとも帰らないから、仁に相談した、って」
「……」

もしかしたら、優紀ちゃんは私のことを心配するあまり、泣いたりしたのかもしれないな。だから仁はあの時「いい加減帰れ」と言ったのだろうか……と、あれから考えていた。

「知らねえ」
「嘘。ちゃんと教えてよ」
「……」
「優紀ちゃんがそう言ったから、私に出てけって言ったの?」

何か理由があるのだろう。仁が話したくないのなら、話してくれるまで待とうとは思っていたけれど。あんなこと聞いてしまうと、やっぱりちょっと気になってしまう。

だって、ただ私のことを実家に帰らせたいだけなら、あんなにまで酷いこと言わなくたっていいのに。女の人と暮らすとか、挙句の果てには結婚したとまで。それがずっと不思議だった。

「ねえ、やっぱり私のために……?」
「……」

前に、私が子どもが欲しいと言ったりしたから。それに加えて、優紀ちゃんがすごく心配してて、だから、要は私のためだったのだろうか。勝手にそう思っただけだからわからないけれど、だけど聞いても仁はしばらくの間黙ったまま。

やっぱり教えてもらうのは無理かな、といい加減諦めようとした時、仁がぼそりと呟いた。

「……違え」
「……」
「くだらねえ理由だ」
「くだらなくても、いいよ。知りたいの……」

私がそう言うと、仁はためらう様にまた押し黙るけれど、結局はまた口を開いて話してくれた。

「俺が……、お前を諦めるためだ」

……え?という気持ちはすぐには声にならない。仁が、私を……諦めるため?一体、どういうことなのだろう。問い詰めることができないまま続きを待ってみても、仁はもうそれ以上言わなかった。だから、自分からまた質問するしかない。

「じゃあ……、出てけって言ったのも、結婚したって嘘吐いたのも。みんな……?」
「……ああ」
「……どうして?」
「……」

なんでなのだろう。そんなこと、する必要ないのに。そう思いながらも、どこか苦しげ雰囲気の仁を前にしては、口にはできない。私の知らないうちに、仁も何かに悩み、葛藤していたのだろうか。

仁の服の生地をぎゅっと掴みながらそう言うと、仁が話してくれるまで、静かにしていた。

「……お前は、俺といたところでなんの得もねえ、そう思った。そんだけだ」

相変わらず他人はもちろん自分のことについても多くを語らない仁は、それだけ言うとまた黙ってしまった。 でも、なんとなく言いたいことはわかったし、それを聞いて私は確信した。やっぱり私の以前の言動に原因があったのだろう。

どんなに好きでも、仁と一緒にいたところで結婚できるわけでもない。私の願いを叶えられない。だから、きっと冷たく突き放したんだ。結婚したなんて嘘まで吐いて。私が仁のこと、嫌いになるように……。

それに、心配してる優紀ちゃんのこととか、他にも色々なことが重なってそれを考えてのことだったのかも。と自分の中で整理する。だけど、私のことを諦めるため、って理由は……本当なのかな。

「私のこと、諦めようとしたの」
「……」
「私が仁のこと諦めるためじゃなくて……仁が、なの」
「……」
「……」
「……初めは、自分でもそのつもりだった。これはお前のためだってな。だが、そんなもんはただのくだらねえ言い訳だと、後になって気付いた」

仁は、自分のことを嘲笑うかの様に心情を吐露する。

「俺はお前が、他の男んとこ行くのを考えるだけで死ぬほど胸クソ悪りい」
「……」
「なら、いっそいねえ方がマシだと思った。……だからだ」
「……」
「くだらねえな」

知らなかった。仁が、心の中でそんなこと考えてただなんて。私が、誰が別の男の人を選んでいなくなってしまうのが嫌だったんだ。私はいつも自分のことばっかりで……そんなにも私のことを想っていてくれていたなんて。知らなかったな……。

だから、あの時。そんな理由を全部ひっくるめて「お前のことが好きだからだ」と言ったのだろうか。

だけど、嬉しいという感情と一緒に、罪悪感も湧いてくる。だって、元はといえば仁のことを不安にさせて、あんなこと言わせてしまったのは私のせいだろうから。

「……ごめん」
「……」
「仁、ごめんね」
「馬鹿かお前、なんでお前が謝ってんだよ」
「だって……私が変なこと言ったから……、そのせいで」
「お前が変なこと言ってんのはいつもだろうが」

鼻で笑う仁に、違うよと抗議したところでぎゅっと抱き締められたので、それ以上反論できなかった。どうしたのだろう。でも、そんなの本当はわかってる。これは仁のごめんという言葉と同義なんだって。

冷たい言葉にこの胸は突き刺される様な酷い痛みを感じたけれど、仁だってそれと同じくらい……いや、それ以上の痛みに苦しんでいたに違いない。なんて不器用なのだろうと思っても、彼はそういう人間だ。それ以外に、方法が見つからなかったのだろう。

心の中では、きっと今もずっと「悪かった」と謝り続けてる……。


「その……、今でも、諦めようとか思ったりしてるの」
「……お前を諦めんのは、もうやめだ」
「諦めるのを諦めたの」
「ああ」
「……そっか、よかった。じゃあ私も、もう仁のこと諦めるのやめる」
「そうかよ」

そっと頭を撫でられて、温かい腕の中でぎゅっとその胸に顔を付ける。長い間すれ違いはしたけど、でもこうして仁の気持ちを知ることができてよかった。また仁が、戻って来てくれてよかった。それでいい……。これ以上仁のことを傷付けたくないから、もう責めたりしない。

「私、好きなのは仁だけだから。だから心配しないでね」
「……べつにしてねえよ」
「それにね、子どもが欲しいって言ったのは、仁との話だったの。仁みたいな男の子がいたら可愛いだろうな、って思って……」
「……」
「ね、きっと仁にそっくりだもん」
「……いらねえだろ、そんな奴」
「そう?可愛いと思うけどな……」
「いらねえ」

小さい頃は仁、顔可愛かったしと言ってみても「いらねえ」の一点張りだった。まあ私達には欲しいとか欲しくないとかの問題じゃないけど。だけど、少しして仁に、

「お前みてえなツラした女のガキならまだしも」

と言われると、今度は私が「いいや」と断った。いや断るのもおかしいけど。だって私に似てたら絶対に我儘だし、手が掛かるに決まってる。そう話すと、仁には「自覚あんのかよ」と笑われた。

そんなよくわからない言い合いを続けているうちに、私はふとあることを思い出す。

「そういえば、仁もうすぐ誕生日だね」
「ああ……、そういやそうだな」
「なにか欲しいものあったりする?」
「べつにねえよ」
「ふうん……」

まあ、たぶんそう言うとは思ったけど。一緒に暮らしてた時に聞いても、べつにないとしか答えなかったし。よく考えてみれば、仁が妹の私にあれが欲しいなんて言うわけない。でも、私の方が何かしてあげたいな……などとぼんやり考えていると、ふいに頭を撫でられる。

「なら、お前でももらっとくか」
「え、……」

急にそんなことを言われたので、ちょっとどきっとする。仁がそんなことを言うなんて、意外だ。なんだか以前よりも、雰囲気が随分と柔らかくなった様な気がする。年齢のせい?それとも、離れていたことを私に申し訳なく思っているから、優しくしてくれるのだろうか。

「……私のことが欲しいの?」
「ああ」
「んー……どうしようかなぁ」
「なんだ、高く付くのかよ」
「うーん……、一生大事にするって約束してくれるなら、仁のものになってあげてもいいけど……」
「約束すりゃいいのか」
「え?う、うん……」

あれ、おかしいな。お前自分で言ってて恥ずかしくねえのか、とかまた呆れた様なこと言われるかと思ったけど、やけに素直な態度なので自分で言っておきながら若干どうしたらいいのかわからない。

「約束する」
「……」
「どうしたんだよ」
「えっ、あ……はい。じゃ、……どうぞ……」
「んだそりゃ」

仁は笑ってる。またからかってるのかな……。戸惑いつつも、でもまさかそんな風に言うと思わなかったから、嬉しいけどなんだか照れてしまって急に体が熱く感じた。きっと今顔赤くなってる気がするけど、暗いから見えないだろう。よかった。

「気が済んだなら、ガキはもう寝ろ」

そう言って、頭を撫でられる。ガキじゃないもん、と反抗してみても「そうかよ」と適当にあしらわれた。撫でられているうちにだんだん眠たくなってきて、瞼が次第に重たくなると、安心感からか割とすぐに眠ってしまった。











繰り返し見た嫌な夢から逃げる様に無理やり瞼をこじ開けると、私は思わず起き上がって辺りを見回す。そこは真っ暗な部屋の中で一瞬、ここがどこなのかわからなくて混乱した。実家でも、一人暮らしをしていたアパートでも、ない。

浅く呼吸を何度か繰り返し、それが次第に深くなってくると、思考も落ち着いてきた。そうだ。ここは今、仁と二人で暮らしている、新しい家だ。

「……どうした」

声がしたのでそちらを見ると、となりで寝ていた仁が目を覚ましていて、むくりと体を起こすと私の頬を撫でる。視界がやけに滲んで見えて、どうやら私は眠っている間に、泣いていたらしい。

何も言えないまま、ぎゅっと抱き付くと仁も同じに抱き締めてくれてそのまままたベッドの上へ横になった。なだめる様にそっと背中を撫でられながらも、瞼を瞑ればまたあの夢が現れそうで怖くて仕方ない。

この頃はしばらく、見ないと思っていたのに。仁も優紀ちゃんもお父さんも……みんなが周りからいなくなって、自分一人どこかでぽつんと、悲しそうに泣いている。あの大嫌いな夢。

「……仁……」
「なんだよ」
「私のこと置いてどっか行っちゃ、やだ……」
「行かねえよ」

もう大丈夫だと思っていても。心の中で、幼い日の自分が泣いている。どうしてだろう。もう仁はどこにも行かない、ずっと私のそばにいる。だからこうやって二人で一緒に暮らしているんじゃないか。もう、泣くことなんてないのに。


朝になって、まだパジャマ姿のままの私は、支度をして仕事に出掛けようとする仁のことを見送りに玄関までついて行った。

振り返った仁にぎゅっと抱き付くと、屈み込んでキスをしてくれる。いつもなら、心の中では「行かないで」と思いながらも我慢して、「早く帰って来てね」と言って送り出すのに。今日はどうしても掴んだ手を離せない。



仁に名前を呼ばれて、離れる様に促されても、ちっとも動けない。嫌だ、ずっと私のそばにいて、どこにも行って欲しくなどない。そんなのあまりにも我儘なことだと十分自覚はしていても、夜中に見た夢がまた脳裏によみがえれば、一人になるのが耐えられない。

「……行っちゃやだ……」
「早く帰って来る」
「やだ……、やだ仁行かないで」

瞳にじわりと涙が滲む。私が泣けば、仁が放って出て行くわけないと知っていて、だから泣いているのかもしれない。ずるい私は、どんなにか仁を困らせているのかも全部わかっていて、あえてこうするのだろう。……性悪な女だ。心の中で、そんな声が聞こえる。

ぎゅっと抱き締められて、背中を撫でられながら子どもみたいにぐすぐすと泣き続ける。仁は、「電話する」とか「昼休みに戻って来る」とか提案してくれるけど、私はそのすべてに対して首を横に振った。

「いや……一緒にいて」
「……」

仁は諦めたのか、一つ溜息を吐くと「わかったよ」と言い、どうやら仕事に出掛けるのをやめたらしい。私の手を引いてリビングまで連れて行くと、ソファへ座らせ、自分は電話してくると言うと一旦部屋出て行き、そしていくらも経たないでまた戻って来た。きっと休みの連絡をしたのだろう。

となりに腰を下ろすと、もう涙の止まっている私の頬を撫でる。やっぱりあれは嘘泣きだったのかもしれないな、と自分のことながら他人事の様に考えていた。職場の人にまで迷惑掛けて、そんなの大人のすることじゃない。いけないことだ、間違ってる……。そう理解はしていても、何故か止められない。

新しい暮らしを始めて、当然私も何か仕事を探そうと思っていたけれど仁には「お前は家にいろ」と言われた。心配しているのだろうか。真意はわからないけれど、でもそう言うのでその通りにしていた。

だけど、家に一人でいると急に寂しくて仕方なくなる時がある。夕方まで我慢すれば仁が帰って来るとわかってはいても、耐え切れずに泣きながら「早く帰って来て」と電話して、時々、早退させてしまうこともあった。

自分は一体何をしているのだろう……。そうは思っても、仁がそばにいないと不安で仕方ない。またどこかへ行ってしまうのではないか。また一人ぼっちになってしまうのではないか。そんなわけないとわかるのに、心は言うことを聞いてはくれない。

「……仁、怒ってる……?」
「……」

いつも我儘ばかりって困らせて。仁が私を冷たくあしらえないとわかっていて、そこに付け込む自分のことをずるい女だと心底思う。いい加減、こんなにも振り回して、怒らせてしまっただろうか。仁には仁の都合があるのに。

「怒ってねえよ」

そう言うと私の頭を撫でる。仁の目はどこか柔らかい雰囲気で、本当に怒ってはいない様だ。だから私はほっとした。

「……ぎゅってして」

目を見つめてねだると、望み通り抱き締めてくれる。その胸に体を預けると、温かさと優しさを感じて心が痛んだ。一体、いつまでこんなことを続けるつもりなのだ。自分を責める様に問い詰めても、それに応答はない。

べつにこんなことしなくたって、仁は十分過ぎるくらいに優しい。いつも寄り道もせずに早く帰って来てくれるし、私の体調が悪ければ仕事を休んで一日中そばで看病してくれる。家事だってやってくれるし、ごはんも作ってくれるし。これ以上欲しがるものなんてないくらい、満たされているはずなのに。

お前は悪女だ、と誰かの声がする。わかっていながらも仁のことを縛り付けて、何もかもすべて、自分の思い通りにしようとしてる、と……。仁が仕事をクビになったら明らかに私のせいだ。

「……ごめんね」

謝るくらいなら最初からするな、と自分でさえ思った。それでも私は、仁が怒ってはいないとわかっていてそんな言葉を口にする。顔を上げてその目をじっと見ると、仁は少しの間黙ったまま見つめ返すだけだったけれど、頭を撫でた後キスをしてくれた。

それから一日中、特に何をするでもなくずっと仁のそばにくっ付いているだけ。時々キスをしては、またぎゅっと抱き合う。仁は文句を漏らすことも不機嫌になることもなく、黙って付き合ってくれた。


夜になると、ベッドの中でもまた仁に抱き付いて眠る。引っ越しした際に家具は全部新調していて、ベッドもダブルベッドにした。新しい家は割と新しいマンションで、以前より広いし部屋数も多いけれど都会ではないからか家賃もそんなに高くはない。

リビングの他に部屋が二つあって、その一つがこの寝室。大体家にいる時はリビングのソファにいるか、ベッドの上にいるかのどっちかで。もう一つの部屋は、好きに使っていいと言われたけど私には特に用途がなかったので、衣類や、仁の趣味のものを置いているくらいだった。

私は相変わらず、仁のこと意外にはあまり興味がない。アクセサリーでもバッグでも、なんでも好きな物を買ってやると言われても、いつも「いらない」と断った。それでも、時々一方的に押し付けられたりするので、望まなくても次第に物は増えてゆく。

ここへ越して来て、いつの間にか数カ月が経っていた。

優紀ちゃんには、言われた通りまめに電話をしているし、すでに何度か実家にも帰っている。清純くんには、あの後両親とはちゃんと話ができて、今は仁と一緒に暮らしているのだと伝えれば「よかったね」と喜んでくれた。

壇くんや隆くんにも連絡をして、返事をしていなかったことをごめんねと謝るとそれには二人とも優しいので「気にしないで」と言ってくれた。だいぶ心配を掛けてしまったので、ちょっと迷ったけど、二人にも仁と暮らしていることを教えてみると清純くんと同じ様な反応だったのでほっとしていた。


私は、仁さえいればそれでいい。これ以上望むものなど何もない。……なのに、私はいつも我儘ばかり。どこへも行かないと何度言われてもどこか不安で、いつもそばにいないと落ち着かない。

仁もきっと、それは自分のせいだとわかっているのか、私が何をしても責めたりはしない。全部、言う通りにしてくれる。そんなことしたところで、意味などない。苦しめるだけだ、とわかってはいるけれど「そんなの、知らない」と心の中で我儘な自分がぷいとそっぽを向く。

仁は私のことが好きと言った。他のどの女よりも、私のことを選んだのだ。好きだから。大好きだから。だから、また私の元へ戻って来た。……なら、私の言うことを聞いて当然だ。

そんな都合のいい解釈で、いつも私は自分のことを正当化しようとする。仁のすべてを誰にも渡したくなくて、何もかも自分のものにしようとする。己の性悪さに嫌気が差しても、それは今に始まったことではなく、きっとずっと昔からそうだったのだろう。知らない、知りたくはなかっただけで。

「仁、……好き」

ぽそりと呟くと、仁はまだ眠っていなかったのか、黙ったまま頭を撫でてくれた。好きだったら何をしてもしていいと思っているのか。自分はそう責めても、仁自身は何も言わず責めないから。だからなんだか余計に苦しい。

(……愛してる)

心の底からそう思うのに、私には愛し方がよくわからない。間違っているのだろうとは理解していても、やはりどうしても上手くいかない。どこにも行かないで。私を置いていなくならないで。

愛してるの、世界中の他の誰よりも。仁の……仁だけのことを。だから、ごめんね……。言葉にできない想いは、涙となってぽろりと瞳から零れれば、そのままただ静かに、滑り落ちていった。










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