今日は珍しく仁の帰りが遅くて、日付が変わりそうな時間になってもまだ帰って来ない。だけど、なんでかは事前にちゃんと話してくれてある。職場の、飲み会みたい。

仁でもそんなの出るんだ、と思ったけど、うるさく誘われて断れなかったらしい。怖いくせに案外、押しに弱いところあるよな。と思いつつ、「先に寝てろ」と言われたけれどまだ起きて帰って来るのを待っていた。

お酒あんまり強くないのに、大丈夫なのかな。来るなって言われたけど迎えに行った方がいいのかな……などとちょっと心配になりつつも、勝手なことをすると怒られるので大人しくリビングのソファに座って、連絡のない携帯を時々ちらりと見る。

することもなく暇なのでぼんやり深夜番組を眺めていると、ガチャ、と玄関のドアが開く音がしたのですぐにリモコンでテレビを消し、玄関まで出迎えに行った。

「おかえり」
「お前まだ起きてんのかよ」
「うん……だって」

ベッドに入ったところで、結局はとなりに仁がいないと眠れないし。そう思いながらそばで眺めていると、靴を脱いで中に上がって来た仁はなんだかちょっと足元がおぼつかなく思える。そういえば、顔もほんのり赤い様な。

「仁、酔ってるの?」
「んなわけねえだろ、馬鹿かお前」
「絶対酔ってるでしょ」
「酔ってねえよ」

普段家では滅多にお酒なんて飲まないし、これまでも酔って帰って来ることなんてなかったのに。とりあえずリビングまで手を引いて連れて行くと、「なにすんだよ」と言いながらも素直にソファへ座った。

「仁、お酒強くないんだから、あんまり飲まない方がいいんじゃない」
「……あ?うるせえな」
「二日酔いしたって、知らないよ?」
「うるせえっつってんだよ。お前、誰に偉そうな口利いてんだ」

……はいはい、と思いながら一旦そこを離れると、キッチンへ行ってコップに一杯水を汲み、それを持ってまた戻った。仁がこんなに酔っ払うなんて珍しい。よっぽど同僚の人に飲まされたのかな。

「はい、お水……」

屈んでテーブルの上に置いた後、体勢を元に戻そうとすると急に腕を掴まれて軽く引っ張られたので、思わず仁のとなりに倒れ込んでしまった。仁はそのままじっと私の顔を見つめてる。

酔っているせいか、いつもの鋭い目付きとはちょっと違うとろりとした視線に、なんだかどきどきしてしまう。

「……
「なに、」
「……」
「どうしたの、仁……」

言い掛けたところで、腕を掴んでいたその手が離れたかと思えば、今度は私の顔へと伸びてきて頬に触れる。

「お前、可愛いツラしてんな」
「……え?」
「もっとよく見せろ」

なに言ってるの?と思いつつ、あまりにまじまじと見つめられるので喉から声が出て来ない。やっぱり仁、間違いなく酔ってる……。こんなこと今までになかったから、対応の仕方がよくわからなくて、とりあえずなされるがままにしていた。

「お前みてえな上等な女、他に見たことねえぜ」
「……」
「なあ?」
「……」

同意を求められても、私は頷くこともできずに固まったまま。どうしちゃったの……と、戸惑いながらも随分と褒められている気がする……?でも、どう返したらいいのかはっきりせずに黙ったままでいると。

「男いんのか」
「は……?」
「男がいんのかって聞いてんだよ」
「……いるけど」
「へえ、誰だよ」
「……教えない」

普通に会話できてる様で全然できてない。私とのこと忘れるなんて、わざとふざけてるの?それとも、本当に酔ったせいで記憶が飛んでいるのだろうか。どこまで付き合ってあげればいいのかが、よくわからなくて若干混乱する。

「なんだ、どこの野郎だ」
「べつにいいでしょ……誰だって」
「言えよ」
「なんで?」
「決まってんだろ、ブッ潰すんだよ」

自分で自分のことブッ潰すの?意味わかんない……。どうやら私が他の男の人と付き合ってると思い込んでいるらしい。今の仁の中で私の設定どうなってるの。ちょっと面倒くさいなと思いつつ、放っておいたらなんかかわいそうだし。仕方ないな、と心の中で小さく溜息を吐く。

「ブッ潰してどうするの」
「したらテメエが俺のもんになんだろうが」
「なんでそうなるわけ」
「俺のが強えんだ、たりめーだろ」
「ふうん……でも、私が嫌って言うかもしれないでしょ?」
「あ?」

暴力振るって力づくで奪い取るとか、思考がヤンキー過ぎるんだけど。なんだか昔の仁に戻っちゃったみたい。この不毛な会話の着地点がどうにも見当たらなくて不安になってくるけど、とりあえず、もう大人なんだからそういう考えが良くないことは教えておいてあげよう。

「テメエ俺のなにが不満だってんだ」
「だって乱暴なんだもん。そういうのよくないよ」
「うるせえな。気に入らねえ奴は殴りゃいいんだよ」
「だめだよ」
「お前、妹のくせに生意気だな。指図してんじゃねえ」
「……」

もういいや、と思って立ち上がろうとすると、ぐっと腕を掴まれて気が付けば抱き締められていた。相変わらず鋭さの欠けた眼差しに、穴が開きそうなくらい至近距離でじっと見つめられる。

「他に好きな男がいんのか」
「……さあね」
「俺にしとけよ」
「なに、私のこと好きなの」
「だったらなんだ」
「……私、妹なんだけど。そういうのいけないんじゃない」
「知るか。テメエ以外の女なんざ興味ねえんだよ」

そう言うと、私の口から次の言葉が出る前にグイとキスをされる。それは随分と長く感じて、いい加減息が苦しくなってくると、急にぱっと離れた。かと思えば、今度はゆっくり倒れ込む様にして私の肩に頭を乗せる。

「……ちょっと……ねえ、仁」

声を掛けてみても返事はない。すると、じきに耳元で寝息が聞こえ始めたので、どうやらそのまま眠ってしまったようだ。散々意味不明な会話に付き合わせたかと思えば、今度は急に寝たりして。

私も今はすっかりお酒を飲むのをやめたけど、以前はこんな風だったのかな……。と考えれば、脳裏に清純くんの姿を思い浮かべて「ごめん」と謝った。それから、酔っているせいなのか本気なのかわからないけれど、仁の言った言葉を頭の中で繰り返してみると、少し体が熱くなる様な、気がしていた。











それから何日か経ったある日。私は自分のバイト終わりに、初めて仁の働いている店に寄ってみることにした。

ずっと、「来るな」と言われていてその通りにしていたけど、やっぱりどんな所で働いてるのか気になるし。仁は毎日うちの店に来てるんだから、私もちょっと挨拶くらい行ってみてもいいよね。と勝手に考えながら歩いていた。

店の前まで来ると、一度立ち止まって外観を眺める。割とこじんまりとしてるんだな……、店長さんはどんな人なんだろう、などと考えていると、ふと店の外でバイクの点検でもしているのか、しゃがみ込んで作業している若そうな男の人と目が合った。

繋ぎの作業服を着ているその人は私に気が付くと立ち上がり「チャッス」と軽く会釈をすると、へらっとした人懐こい笑顔でこちらへ近付いて来る。

「なにかご用っすか?」

彼は、明らかにバイクには縁遠そうな私のことを頭から足先まで一通り眺めると、少し不思議そうな顔をする。

「……あの、私……亜久津といいますけど……。その、」
「えっ!!」

なんて言おうか考えていなかったので、とりあえず名乗ってから仁のことを聞こうとしたら、その人は急に驚いた様に大きな声を出したので、こっちもびっくりして二の句が継げなくなった。

「もしかして……、さんっすか?!」
「……え、……」

なんで私の名前を知ってるんだろう……。そう思いつつも、何故か彼はきらきらとした瞳で私のことを見つめているので、とりあえず「……そうです」とそれに頷いた。

「マジすか!いやー、俺一度会ってみたかったんすよー」
「……」
「想像してたのと全然違ったんで、めっちゃビビったっす!」
「……はあ、……?」

どうやらこの彼は私のことを知っているみたいだ。嬉しそうにあれこれと話し掛けてくるので、口を挟むこともできずにただ茫然と聞いていた。私は一体どうしたらいいのだろう……と内心ちょっと困り始める。

「あー、そっか。仁さんに用なんっすよね?」
「え、あ、はい……まあ」
「仁さーん!さん来てますよー!!」

私が返事を言い終わる前に、彼はくるりと店の方向へ振り返ると、扉の開いている中へ向かって大声で仁の名前を呼んだ。私は正直呆気に取られてしまい、固まったままその様子を眺めているだけ。

それからも彼は何事かを話し掛けるけど、全然頭には入っては来ずそれに頷きもしないでいると、じきに店の中から仁がやって来た。仁は近くまで来ると、無言で私の顔をじっと見下ろす。

「仁さん、奥さんめちゃくちゃ可愛いじゃないっすかあ〜。なんで内緒にするんすか」
「……あ?」

楽しそうな彼とは反対に、仁は眉間に皺を寄せてかなり不機嫌そうな顔をしている。なんで怒ってるのか原因はわかってるけど、とりあえず黙ったまま二人のやり取りを眺めていた。

仁さんって呼ばれてるんだ……。それに、私のこと「奥さん」って……。仁がそう話したのかな、でもまさか。

「奥さんのこと聞いても、仁さん絶対教えてくれないんっすよ。ひどいでしょ?」
「……はあ、」

なんかちょっと舎弟っぽい感じの彼は、見た目こそ若干ヤンキー風だけど明るくて良い子そうだ。恐らく、私より歳が下なのじゃないかな。仁って、案外後輩に懐かれたりするよね、壇くんもそうだし。

「この前やーっと、名前だけ聞き出せたとこなんすよー」
「オイ、お前黙れ」
「さては仁さん、奥さんがあんまり可愛いもんだから、俺らに内緒にしてたんすね」
「ぶっ殺す」

仁に胸ぐらを掴まれても平気で笑っている彼は、慣れているのか単に鈍いだけなのか。私の視線に気が付くと、「ほらさんが見てるっすよ」と言い、仁はそれに舌打ちをしながら服を掴んでいた手を離した。そして私の方を向くと怒った様な顔をする。

「テメエなにしに来やがった」
「……。べつに、用はないけど……」
「ならとっとと帰れ、邪魔だ。来んな、っつっただろが」
「……」
「仁さんそれは言い過ぎっす」

近くで様子を見守っていた後輩の彼が、私のことを気に掛けてくれたのかちょっと心配そうな顔してフォローに入ってくれる。仁にこういう言い方されるのは慣れてるけど、他人から見れば確かに言い過ぎに思えるのかもしれないな。と、頭のどこかで考えていた。

「わかったよ……。でも、仁だって毎日うちの店に来てるのに……」
「あ?」

私がそう言い返してみると、仁はますます不機嫌そうな表情になる。そして後輩くんはきょとんとした顔で「店ってなんすか」と私に向かって尋ねるので、説明しようすると仁に止められたけど、それを無視していつもランチを食べに来ることを話した。

「え?じゃあ仁さんが昼休みにどっか出掛けんのって、毎日さんのいる店に顔見に行ってたってことすか?は?奥さん大好き過ぎるにもほどがあるでしょ」
「ざけんな、んなとこ行くわけねえだろが」
「いやいや誤魔化してもだめっすよ、裏は取れてんすから。しっかし仁さんマジパネエっす、ガチで愛妻家極めてるじゃないっすか」
「……なに言ってんやがんだテメエ。ドタマかち割んぞ」
「おっ出ました!仁さんの十八番、ドタマかち割り!」

茶化す彼の頭に仁が拳を振り下ろし、ゴッと鈍い音がした。凄まれても殴られても全然平気そうに笑ってる彼は、さすが仁の後輩だけあるというかなんと言うか……。若干自業自得の様な気がしなくもないけど、でもやっぱり暴力は良くないので止めに入った。

「仁、やめなよ」
「るせえな、テメエはすっこんでろ」
「大丈夫っす、これ、照れてるだけなんで!」
「はあ……」

もしかして、この二人いつもこんな感じなのかな。なんかすっかり後輩にからかわれてるんだけど。前、仁に職場のこと聞いたら「うるせえ奴がいる」って言ってたのは、多分この子のことなんだろう。でも、なんだかんだ仲が良さそうだ。

「にしても、こんな可愛い奥さんどこで捕まえて来たんすかあ〜」
「うるせえ黙れ」
「仁さんいっつも早く帰るんで、なんでか聞いたら”嫁がうるせえから”って言うんすよ」
「……うるせえのはテメエだろ。しつこく聞いてきやがって」
「だから俺てっきり仁さんて恐妻家で、奥さんよっぽど怖えヒトなのかと思ってたんすけど、姐御って感じの!いやーなんでマジびっくりっす!」
「オイ、それ以上喋ったら息の根止めんぞ」

仁に睨まれながらも気にせず、楽しそうに私に話し掛ける彼に対して、相変わらず何も返せずに黙ったまま。しばらくそんなやり取りを眺めていたけれど、やっぱりこれ以上は仕事の邪魔かな、と思って帰ることにした。なんか、仁にも悪いし。段々、恥ずかしくなってきたし。

「あの……私、帰るね」
「……」
「勝手に来たりしてごめん……。じゃあね」

後輩の彼に軽く頭を下げると、二人に背を向けて歩き出した。すると、後ろから「オイ」と仁の低い声が聞こえたので不思議に思い、足を止めて振り返る。

「そこにいろ」

仁はそれだけ言うと、一人さっさと店の中へ入って行ってしまった。なんなんだろう、と思いつつそう言われたので待っていると、まだその場に残っていた後輩くんと目が合った。

「……えっと。仁が、いつもお世話になってます……」
「いえそんな!俺の方こそめっちゃ面倒見てもらってるんすよ。仁さんほんとすげえ人なんで、マジリスペクトしてるっす!」
「はあ……、そうですか」

ノリは軽いし若干日本語よくわからないけど、どうやら本当に感謝しているみたいだな。すると彼はまだ仁が店の中から出てこないことをちらりと確認してから、私の方へ近付いて来る。

「仁さんとは地元一緒なんすか?」
「え……?」
「だって仁さん、マジで全っ然奥さんのこと話してくれないんっすもん!名前だって、この前の飲みの時やっと知ったくらいで」
「飲み会……」
「普段は聞いても絶対答えてくれないんすけど、酔うと口を滑らせるんで、飲みの時に質問すんのがコツっす。俺もこの前知ったんすよ!」
「……はあ」

彼は楽しそうにこっそり教えてくれる。

そういえば、と仁が随分と酔って帰って来た日のことを思い出した。飲ませたのはこの子だったのか……。確かに仁はお酒弱くて若干いつもより口調も雰囲気も柔らかくなるから、思わず本音をこぼす可能性はあるけど。

そんなことを考えていたら、あの時仁に言われた言葉を思い出してなんだかまた恥ずかしくなってくる。酔って適当なことを言っているのかなと思っていたけれど、もし全部本音だったとしたら。

「オイ」

声が聞こえて俯き加減の顔を上げると、後輩くんが急に誰かに引っ張られて目の前からいなくなった。どうやら、仁が戻って来たらしい。ぎろりと彼を睨みつけた後に、怒った様な顔して私を見下ろす。

「行くぞ」
「……え、」

どこに……?よくわからないまま立ち尽くしていると、仁は後輩の彼に向かって「先上がんぞ」と言った。もしかして、仕事を切り上げて私と一緒に家に帰るつもりなのだろうか。

「あーはいはい、お疲れっす。お幸せに〜」

彼はなんだかにやけた顔して笑ってる。仁は軽く舌打ちすると軽く私の背中を押し、それからさっさと歩いて行ってしまう。まだ終業時間じゃないけどいいのだろうか……。そう思いつつも、後輩くんに挨拶をしてから小走りに仁を追い掛けた。

バイクで通ってるはずだけど、置いて行っちゃうのかな……などと考えながら後ろをついて歩いていると、角を曲がってお店が見えなくなったところで急に仁が立ち止まったので、ぼんやりとしていた私は背中にぶつかってしまい「わ、」と声を出した。

思わず仁の顔を見上げると「ぼーっとしてんな」と叱られ、そして気が付けば、いつの間にか手を繋がれている。さっきまで勝手にお店に行ったこと、怒っていたのに。もう全然そんな感じじゃない。

仁は黙ったまま、今度はゆっくりと歩き出したので、同じ様に歩調を合わせる。

「もう帰っちゃって平気なの?」
「ああ」
「ふうん……」

私が寄ったせいかな、と思いつつも一緒に帰れるのが嬉しいと感じてしまう。となりに並ぶ仁のことをちらりと見上げれば、視線に気が付いたのか「なんだよ」とぼそりと呟いた。

「あの後輩の子、可愛いね。慕ってくれてよかったじゃん」
「うるせえだけだろ」

結構仲良さげに見えたけどな。余計なお世話だけど、仁が職場に馴染んでてちょっとほっとした。昔の仁はいっつも突っ張ってて、人の言うことなんて聞かなかったから。どうしてるかなって、気になってたんだ。

「なんで私のこと内緒にしてるの?」
「どうでもいいだろが」
「可愛いから?」
「……なに言ってんだお前」
「だって仁、この前言ってたよ。私のこと可愛いって」
「言ってねえよ」

やっぱり酔っ払ってたから、自分の言ったこと忘れちゃってるのかな。私は、仁が酔って帰って来た時のやり取りを話した。

「ほんとだよ。可愛いって、ずーっと私の顔眺めてたでしょ」
「……」
「それに、私みたいな上等な女は他に見たことない、とも言ってたよ。忘れちゃった?」
「……」
「どうしたの仁、黙っちゃって」

自分でそんなこと言うのは恥ずかしいけど、でも仁の反応を見る方が面白くて、ついついそんなことを口走ってしまう。私の話は聞こえているはずだけど、仁は怖い顔して無言のまま歩き続けてる。

「ねえ、あれって本当なの」
「……知らねえ」
「それとも冗談?」
「知らねえっつってんだろ」

それからもう何を聞いても仁は不機嫌そうに「知らねえ」としか答えず、結局どうなのかはよくわからなかったけど、この手を繋いでいる力は、ぎゅっと強くなった気がした。









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