合コンに参加してから少し経った頃。他の男の人達はすぐにお礼を送り合っただけでその後やり取りはないというのに、やけに私に質問してきた彼からは以降もなにかと連絡が来ていた。

二人きりで食事に行かないか、という誘いを何度かされていて、それには忙しいからという理由で断っていたけど、今度は「いつなら空いてる?」と聞かれて返事に困っていた。

だけど無視したり、連絡先を消去するのはなんだか悪いし……。誘ってくれた彼女に相談しようかとも思ったけど、わざわざ教室の中、近付いて行ってまでそんなことを聞けなくて、結局自分の中だけで考えていた。











授業が早く終わった日、私は少し足を延ばして離れた街まで買い物に来ていた。この前、優紀ちゃんが雑誌を眺めて欲しがっていたボディクリームを扱っている店舗が、この辺りではここにしかなかったから。

いい匂いのする可愛らしい内装の店内で、優紀ちゃんのついでに自分の分も買うと、紙袋を手に提げながら街中を歩いた。優紀ちゃん喜ぶかな、と思っていると私の視界の中にある建物が入り込んでくる。

(……ここは)

門の横にある文字を読めば、やっぱりそれは仁くんの通っている大学の名前だった。そういえば、この辺りだったかもしれない。なんだか急に胸がどきどきしてきて、もしかして今いたりするのかな、と考えてしまっている自分がいた。

そうしていつの間にか私は、笑って雑談しながら出て来る他の大学生達とは反対に、中へ向かって歩いていた。初めて訪れる仁くんの通っている大学のキャンパスは、すごく広くて校舎も立派で、こんなところに通ってるんだ……と思えば、なんだか急にすごい人の様に感じてしまう。

しばらく立ち止まって見回していたけれど、ふと空を見上げると、次第に陽が暮れ始めて遠くの方はオレンジ色になっていた。

あの不良のサボり魔がこんな時間まで大学に残ってるわけない。それに、もし見つけたところで何を話していいかさっぱり思いつかない。……だけど、それでも何故かまだ帰る気にはなれなくて、私は近くにあったベンチに腰掛けながらぼんやり帰って行く大学生達を眺める。

あの日、私は仁くんのことを彼氏にしたいと思っている、おかしな自分がいることに気が付いた。だけど、これまでもそう意識しない様にしていただけで、きっとずっとそういう風に思っていたのだろう。だから今までわざと嫌いと思い込んでいた。

だって、普通、兄に対してそんなこと思ったりしない。だから私は変なんだ、どうかしてるんだ、と自覚はあってもその考えを変えることなんてできなかった。あれからいつだって、気が付けばその姿ばかり思い出してしまっている……。


(……いい加減、帰ろうかな)

だんだん薄暗くなってきたし、と思って立ち上がり歩き出そうとすると、少し先にずっと探し求めていた姿を見つけてしまい私は思わず固まった。

体格のいいその男の人は、校舎から出てくると、煙草を咥えながら手をポケットに突っ込み、相変わらず怖そうな顔して門の方へ向かって歩いて行く。まだ、いたんだ……と思いながら、探していたというのにいざ見つければやっぱり駆け寄ることなんてできない。

ただ黙って眺めていると、その後ろから、「仁」とその名前を呼びながら近付いてくる女の人がいた。仁くんはその人に呼ばれても振り返ったりしないけど、じきに追い付いて横に並んでも追い払ったりせずにそのまま一緒に歩いて行く。

(……誰?)

以前に街で見掛けた時、一緒にいた人だろうか。でも、もう随分前のことだし、早く忘れたいと思っていたから顔までよく覚えていない。だけど、今日の人も同じ様に大人っぽい感じで、綺麗な女の人だった。

……私、わざわざこんな所まで来て、何やってるんだろう。会ったところで、一体どうするつもりだったのか。

(……帰ろう)

二人が揃って門を出て行くのを確認してから、私もここを出て駅まで足早で歩き、他の人達に混じって電車に乗り、家に帰った。その間、さっき見たことを思い出さない様に必死に違うことばかり考えていたけど、結局はあの女の人の姿ばかりが頭の中にちらついていた。

あんなの、当然だ。だって、清純くんだって仁くんは結構モテるんだって言ってた。だからああやって女の人がそばにいたって何もおかしいことはない。下の名前で呼ばれてたり、彼女の一人や二人くらい、いたってべつに。




「ありがとう、すっごく嬉しい!」

買ってきたボディクリームを渡すと優紀ちゃんはすごく喜んで私のことをぎゅっと抱き締めた。ちょっと大げさだな、と思っても優紀ちゃんに何かプレゼントすると大体いつもこんな感じだし、そんなに喜んでくれるなら私も嬉しかった。

私も同じの買ったの、と見せれば「お揃いだね」と笑った。あの時、これを買ってすぐに帰ればよかったなと今さらになって後悔してももう遅い。お風呂に入ってさっそくいい匂いのボディークリームを塗ってみて、ご機嫌な様子の優紀ちゃんとは反対に、私の気分は随分と沈んでいた。

ベッドの中で目を瞑ると、勝手にあの光景がよみがえってくる。やめてよ、もう寝たいんだけど、と自分に文句を言ってみてもそれは消えてくれたりしない。

仁くんは家を出ても、べつに寂しくなんてないんだろうな。うるさい家族がいなくなって清々したくらいに思ってるかもしれない。それに、一人暮らしなら彼女を家に招くのだって誰に気兼ねする必要もない。

(…………)

気が付けば仁くんがあの女の人とセックスしてるところを想像してしまい、なんでそんなこと、と自分に苛立つ。それなのに、そんな仁くんの姿に性的な魅力を感じてしまい、変な気持ちになる私がいた。

あの大きな手が女の人の柔らかい肌を撫でて、腰を抱いて、キスして、それから……。

……やっぱり私はおかしい。どうかしてる。何とかしなきゃ……、と思ってもどうしたらいいのだろう。結局、眠れなかった夜の間ずっと考えた末に、もう違うことをして忘れるしかない、と思った。

そして次の日、私はしばらく返事をしないでいた彼の、食事の誘いに返信をした。











「会ってくれて嬉しいよ」

予約してくれていたレストランの向かいに座った彼はそう言って笑ったので、同じ様に少し笑って返した。それから「学校が忙しかったの?」と聞かれたので、「うん」と頷く。

世間話をしながら、さりげなく最近出来たデートスポットの話なんかを混ぜてくる彼に、「よかったら今度一緒に行かない?」と誘われて、それには「そうだね」と返した。

今はそれほど男性として興味を感じなくても、一緒にいればそのうち好きになれるかもしれないな。そう思って、また会って欲しいと言う彼の言葉にも「いいよ」とすぐに返事をした。

それから何度かデートをするうちに春は過ぎ去り、彼は私と手を繋いできたり、肩を抱いてくる様になった。嬉しいとは思わなかったけどべつに嫌とも感じなかったので、抵抗はせずにされるままにしていた。


「俺と付き合って欲しいんだ」

ある日、夜景が綺麗だからと連れて来てもらった高層タワーで、私はきらきらと光る夜の街並みをガラス越しに眺めていた。突然聞こえてきたそんな言葉に視線を外から彼の方へ向ければ、じっと私のことを見つめている。

ぎゅ、と手を握られて、その目を見つめ返している間、私は頭の中で仁くんの姿を思い出していた。この人と付き合えば、彼氏を作れば、もう悩まずに済むのかもしれないな。そう思った。

「いいよ」

少し黙った後にそう答えれば、彼は嬉しいと言って喜んだ。それから、急に顔がこちらへ近付いてきたかと思えば、突然唇に何か柔らかい感触がして、キスをされたのだとわかった。

「……」

私の目を見つめて微笑む彼に何も言えずにいると、今度はぎゅっと抱き締められる。周りに人がいるのに、と思ったけどこの場所は薄暗くて案外そんなには見えていないかもしれない。それに、他のカップルも体を寄せ合ってお互いを見つめ合い、周りは見えていない様子だった。

帰りは家まで送ってもらい、別れ際「またね」と手を振られ、それには頷くだけで振り返さなかった。いつか、この人のことを心から好きになれる日が来て、幸せだと思えれば、きっと仁くんのことも忘れられるだろう。そう、思った。思いたかった。











久しぶりに私の目に映ったその笑顔は、見つめるだけでなんだかとても幸せな気持ちになれる。「ちゃん!」と言いながら駆けて来る壇くんに、「走ると危ないよ」と笑った。

「久しぶり!ごめんね、待ちましたか?」
「ううん、待ってない。私も今来たとこだし」
「そっか、よかった!」

少し前、壇くんから行きたい絵画の展覧会があるのだけど一緒に行かないかという誘いの連絡があった。正直絵のことはよくわからないけど、高校の卒業式以来会ってなくて久しぶりに顔を見たかったし、もしかしたら案外面白いのかも、と思ってすぐに承諾の返事をした。

展覧会は人気があるらしく人がたくさんいて、それに混ざって見て回る間、壇くんが「あれはね」と小声で色々とわかりやすく説明してくれて、その横顔は本当に楽しそうだった。

ちゃん今日は付き合ってくれてありがとう。僕これ来たかったんだ」
「私こそ楽しかった。色々教えてくれてありがとう、さすが美大生だね」
「いえ、そんな……」

照れた様に笑う壇くんは、大学生になっても変わらずに柔らかくて可愛いらしい雰囲気のままで一緒にいると癒される気持ちになる。美術館を出ると、お茶でもしようか、と近くのカフェに入った。

「見てちゃん、このケーキ美味しそうだよ」
「ほんとだね。これにしようか」
「あ、待って!こっちのもいいなあ」

メニューを見ながら楽しそうにはしゃぐ彼を見て思わず笑みがこぼれる。離れていた時間なんてまるで関係ない様に感じて、私は彼が卒業式で言った「僕達これからもずっと友達だよ」という言葉を思い出してなんだか胸がいっぱいだった。

彼は本当に大切な私の友人だ。それはきっとこれからもずっと変わらないだろう。根拠もないのに、何故かそう思えた。

「壇くんの大学はどんな感じ?」

結局壇くんは最初に指差したケーキにして、私は次に迷っていた方にした。私のも食べてみて、とお皿を差し出すと彼は喜び、僕のも、と自分のケーキも私にくれた。

「個性的な人がたくさんいて、すごく面白いよ。一人ひとり絵の表現方法が違うんだ」
「そうなんだ、楽しそうだね」
「うん!ちゃんの短大はどうですか」
「まあ、普通かな」

「そっかー」と言って壇くんは笑った。彼と離れて、これまでもずっと一人だったし、べつに平気と思っていたけれど、やっぱりこうして会えばもしかしたら私は寂しいと思っていたのかも……と気が付いた。

あんなにつまらないと感じていた中高時代が、まるで、懐かしい大切な思い出みたい。


「あ、そうだ。僕、この前亜久津先輩に会ったよ」
「……え?」
「画材を買いにちょっと遠くまで出掛けたら、街でばったり!先輩、相変わらず堂々としてて、格好良かったなあ」

その時のことを思い出してうっとりしている様子の壇くんに「そう、よかったね」と言ってあげたいのに喉から言葉が何も出てこない。

「美大に入ったこと報告したら、褒めてくれたです!えへへ、すごく嬉しかったな」
「……へえ」
「亜久津先輩、まだ一人暮らしして大学に通ってるんだね」
「……うん」
ちゃんは、先輩と会ったりしてないですか……?」

反応の薄い私に気が付いてか、壇くんは遠慮がちにそう聞いた。この前姿は見たけど、私が勝手に遠くから眺めてただけだから会ったうちには入らないよな……、などとぼんやり考えながら「してない」とだけ答えた。

「そっか……。あ、えっと、そうだ、先輩ちゃんのことも言ってたよ」
「……え?」
とはまだダチやってんのか、って。もちろん、はい!友達です!って答えたよ。でも、高校卒業してから会えてなかったから……そうだ!と思って今日の絵画展誘ったです」
「そうなんだ……」
「先輩は今も、ちゃんのことちゃんと気に掛けてたよ」
「……」
「だから、その、心配しなくても……」
「……どうでもいいよ」
「……」

一度も家に来ないくせに。私に顔も見せなければ、連絡も寄越さない。いつだってあの人の話は周りの人達から聞くだけ。私に対してこんな風だった、あんなことを言ってた、って。そればっかり。

だけど、あの人には彼女がいるんだろうから。そんなこと、べつに関係ない。どうでもいい。普通、妹より女の方が大事だろうし、それくらいのこと、嬉しいとも感じない。


「……えと、ちゃん、なんかすごく大人っぽくなったね!」
「そうかな……」

気を遣って話題を変えようしたのか、壇くんは急にそんなことを言い出した。せっかく久しぶりに会ったのにこんな風に気を遣わせてしまってごめんね、と心の中では思うけど上手く態度で示せない。

「うん、僕びっくりしちゃったよ。なにかあったですか?」
「べつに、なにもないよ」
「そっかー。ちゃんすごく可愛いから、彼氏ができたのかと思っちゃった」
「……」

壇くんは努めて明るく振る舞ってくれるのに、ちっとも笑い返せないし、「そうなの」とも言えない。

べつに隠す必要もないけど、彼氏ができたことは誰にも話していなかった。幹事だった彼女にも、優紀ちゃんにさえも。特に優紀ちゃんになんてそんなこと言ったら、どんな男なの、顔は性格は、写真見せて家に連れて来てって大騒ぎしそうな気がするから。

それになんでだろう、付き合い始めてからデートして手を繋いだりキスしたりしても、ちっとも浮かれた気分にはなれなかった。漫画とかドラマだと、あんなにも女の子達はときめいてて楽しそうに見えるのに。

彼氏と一緒にいても、頭のどこかでいつも仁くんのことを考えてしまう自分がいて、それが本当に嫌だった。そんなこと考えたところでどうにもならないなんてこと、わかってるのに。

「……ねえ。仁くんは、一人だった?」
「え?えーっと……うん、一人だったと思うけど」
「本当に?」
「うん、確か……。ちゃん、それがどうかしたの?」
「べつに……」

また。こんなこと聞いたって意味ないのに。私が急にそんなこと言い出したから壇くんは不思議そうな顔してる。自分でもおかしいと思うのに、彼女の存在を考えるとやっぱりなんだかヤキモチばかり。

大人っぽいだなんて言われたって、実際に年齢が上がるわけじゃないし。あの、となりを歩いていた綺麗な彼女みたいにはなれない。

「なんでもない、ごめんね。そろそろ行こっか」
「あ……うん。そうだね」

テーブルの上にはすっかり空になったお皿とティーカップ。無理やり笑顔を作って先に席を立つと壇くんも同じく立ち上がり、お会計する時には僕が奢るよ、と言ってくれたけど断って私が二人分払った。

「ごめんね、こっちが誘ったのに。僕の分まで……」
「いいんだよ、今日楽しかったし。壇くんにはいつもお世話になってるから」
「そんなの、友達だもん。当然だよ」

当然じゃないよ、全然。壇くんが私にとってどれほど大切な友人か、きみは知らないだろう。それに、今日は気を遣わせてしまってごめんね、という謝罪の意味も込めていた。

「じゃあまたね、ちゃん。また会おうね」
「うん。またね壇くん」

そう言って別れ際、手を振って去って行く壇くんが遠く離れて人波にまぎれて見えなくなるまで、私は手を振り続けた。









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