名前のない罪



「新入生アンケート?」
「う、うん、そうなの。それで、少し顔見知りになって……」
「いいなあ、さん。跡部様とお話できるなんて」

同級生の女の子たちに、私がどうして跡部先輩に話しかけられるのかを聞かれるたびに、そんなことを答えるようになっていた。まさか「わからない」なんて言えなくて、本当のことなんて知らないのに、そんなことを。

それは、数を重ねる度に私の胸をチクチク痛めつけていく。

みんなに嘘なんてつきたくない。本当のことを知りたい。……だけど、なんて聞いたらいい?
自分が、それに相応しい人間ではないと知りながら。



「跡部先輩って、結構女子に冷たいとこあるらしいよ」
「……え?」

休み時間に、友だちが机の上で頬杖をつきながらそんなことを言った。それに私が、窓枠に寄りかかりながら間の抜けた声を出すと、彼女は私のことを見上げる。

「ファンが言い寄っても相手にしないし、素っ気ないみたい。そこがいいって言う人もいるけど」
「……そうなんだ」
ちゃんはアンケートのとき、どうだった?冷たかった?」

彼女が、純粋にもすっかり私の嘘を信じてくれていることに罪悪感を感じつつも顔には出さないよう気をつけた。それから、そうだろうか……と以前跡部先輩と話したときのことを思い出してみる。

(冷たい……?)

それは、どの場面を切りとって思い出してみても、冷たいなどという記憶には一つも行き当たらない。跡部先輩は、どんなときも、優しくて穏やかで、温かい感じだった。
あの柔らかな微笑みを思い返すたびに、心は癒されていくように思う。

友だちが言う跡部先輩とは、ずいぶん違ったので少し混乱する。確かに、見た目は少し冷たそうというか、近寄り難いような印象も受けるけれど、実際にはとても優しい人なのだと感じていたから。

みんなの思う跡部先輩と、私のと……違うのだろうか。

…………。


「……えっと、そういえば……。ちょっと、冷たい感じだったかも……」

自分を最低だと思いながらも、私はそんなことを口にした。
もしもここで、「とても優しかった」と言って、それを友達になぜなのかとそれ以上問われるのが怖かったし、自分がこれ以上、特別な場所に位置することが怖かった。

みんなと同じでいい。私は特別なんかじゃない。

特別扱いされるような、人間じゃない。自分の立場はわかっているつもり……でも、本当は優しくしてもらったことがとても嬉しかったのに……。嘘でも、跡部先輩のことを悪く言うのは、さっきの自分の嘘なんかよりもずっとずっと胸が痛い。

(あんなに優しい人なのに)


「そうなんだー。それでも、やっぱ格好いいもん。冷たくってもいいって思っちゃうよね」
「……う、うん」
「規則破る人とか、女子でもはっきり叱るらしいから、初めてテニスコートで会った時てっきり怒られるかと思ったけど。意外とあっさり帰してもらえてちょっと驚いちゃった」
「あの時?」
「うん。私達が一年だったからかな?」

運が良かったよね、と言う友達に、そうだねと無理に笑ってみせる。あの時、跡部先輩があまり叱らなかったのは、呆れられているからなのだと思った。心の中で軽蔑されて、もう、一生のうち二度と話すことはないと思い込んでいた。

でも、実際には跡部先輩はそれについて私を責めることはなかった。嫌うこともなかった。
そのうえ、特別に許可をくれてまで見学させてくれた。優しくしてくれた。アフタヌーンティーにも誘ってくれた。

(……どうして、私だけ……?)

たまたまそれが私だったからなのだろうか。たまたま、彼女の言うように私が一年生だったから。もしもそれが友達だったなら、私と同じようにされていたのだろうか。一年生なら誰でもよかったのだろうか。

それなら、友達だってよかったのじゃないか?彼女だって、あのときあの場所にいたし、こんなにも先輩に憧れているのに。自分ばかり、いい思いをしているような、そんな罪悪感がなくならない。嘘までついて、誤魔化したりして。

本当のことを知りたい。
……だけど、そんなの、なんて聞いたらいい……?



放課後になると、私は校舎の中で無意識のうちに跡部先輩のことを探していた。いつもみたいに偶然会えたら、今日こそ思い切って聞こうと思っていた。

けれど、こんな日に限って先輩はちっとも見つからない。いくらなんでも3年生の教室に行く勇気はなくて、少し校舎内をうろうろしたあと、男子テニスコートの近くに行ってみた。

するとその周囲には部員がたくさんいて、少し気が引けてしまう。ちょっと離れたところから、先輩の姿を探してみても人が多すぎて見つけられない。いつでも見学に来ていいと言われたけれど、なんとなくためらわれてあれ以来コートには立ち入っていなかった。

今日は思い切って入ってみようか……でも、もし会えたとして、何て聞くの?こんなの、もう偶然のタイミングで聞く感じではないじゃないか。それに、真剣に部活をやっているところ、そんなくだらない質問で邪魔をするのも申し訳ないと思う。

(……また、今度にしよう……)

今日のところは諦めて、またいつかチャンスがあればそのときに聞こうと思い、くるりと体を返して帰ろうとしたところ、私はふと足を止めてしまった。

「……あ、」

2つのテニスバッグを肩に掛け、無言で私を見下ろすその人は、間違いなく樺地先輩だった。一緒に跡部先輩もいるのかと思ったけれど、近くにそれらしき姿は見えない。

「こ、こんにちは」
「……ウス」

樺地先輩に聞けば、どこにいるかわかるかもしれない。と一瞬思ったけれど、そんなの、ただの一年生が聞いていいことじゃない。見学してもいいとは言われたけれど、馴れ馴れしく会いに行っていいとは言われていない。

「あ、あのでは、失礼します」
「……、サン」
「は、はいっ」

そそくさと帰ろうとしたところ、突然名前を呼ばれて再び足を止めた。まさか、その口から私の名前が出るとは思わなくて、驚いてしまった。

「……跡部サンは、部室です……」
「え?あ、いえその、違うんです。ちょっと通りかかっただけで……」
「……」

精一杯の言い訳をしてみても、ジッと見つめてくるその瞳はあまりにも澄んだ色をしていて、見透かされているような気分になる。私が、跡部先輩に会いに来たということは、もうわかってしまっているような感じだ。

部室にいる、と教えてくれたということは、私が部室に会いに行ってもいいということなのだろうか。でも、私は部員でもないただの部外者なのに、そんなこと、許されるのだろうか。

「あの、会いに行ってもいいんですか」
「……ハイ」
「でも、私部外者ですし……」
「……跡部サンから、サンなら通していいと、言われています」
「私なら……?」

部員でも、そもそも男子でもない私を部室に入れてもいいなんて、そんなのいくらなんでも度を越していると思う……。けれど一体、私の何がそんなに特別なのかと思っても、心底わからない。理解できない。

「あ、あの。どうして、私なんでしょうか……?」

とにかく誰かに助けを求めたいような気持ちで、気がつけば、私は樺地先輩にそんなことを聞いてしまっていた。こんなこと、樺地先輩に聞いたって仕方がないと思うのに、誰でもいいから答えを教えて欲しい気持ちだった。

「どうして、私の何がそんなに特別なんでしょうか?」
「……」
「私なんか、どうして……跡部先輩が……」
「……」

けれどその問いに返事はない。それもそう、だって樺地先輩がそんなこと知っているはずない。こんなこといきなり聞いたって、困らせてしまうだけだ。そう思って、「すみませんでした」と言おうとしたところ、急に彼が口を開いた。

「……サンは、……跡部サンの……」


「樺地」

何か、言いかけところで、少し離れた場所から跡部先輩が彼の名前を呼ぶのが聞こえた。その瞬間、樺地先輩の体がその声にピクリと反応して、その続きはもうなかった。何て言おうとしたのかとても気になったけれど、このままここにいれば跡部先輩がやって来てしまう。

「えっと、すみませんでした、失礼します……!」

とにかく隠れなければと、とっさに思って私は近くに何本か木の茂っているところに走ってその影にしゃがみ込む。案の定、少しして跡部先輩がそこにやって来た。

「アーン?樺地、今誰かと話してなかったか」

すると樺地先輩が、ちょっとこちらに視線をやったので、ハラハラしつつも葉っぱの隙間からただ見守ることしかできない。それから少し無言ののち、

「……いいえ」

と答えてくれたのでほっとした。胸をなでおろしながら、なんで私は隠れているのかと思う。ついさっきまで、今日こそ跡部先輩に聞いてみようと思っていたのではないのか。

「そうか?まあいい。行くぞ、樺地」
「ウス」

その後ろ姿を見つめながら、自分は一体何をやっているのかと心の中で自分を責める。
もう、嘘をつくのも、一人だけ抜け駆けをするのも、嫌だったはずなのに。いざとなれば怖気づいて逃げ出して、なんて情けないのだろう。


特別ということが、こんなにも苦しいなんて。

そんなの、今まで知らなかった。