フレンズ...11 「……そう、なんだ……」 虎次郎ちゃん越しに見える空は、私の心とは裏腹に限りなく爽やかなブルーをしていた。 昼休み、一人で廊下を歩いていたところちょうど同じように一人でいた虎次郎ちゃんを見かけて、私はぎこちなく声を掛けた。「」と微笑む彼の優しい声はいつもと変わらず穏やかだった。 もう私に関わらないで欲しいと言ってから、彼は何も聞かず私の言うとおりにしてくれた。 けれど自分でそう頼んでおきながらそっけなくされることに傷つき、それをヒカルに嫌っているわけではないと教えられて安堵し、私は、自分の気持ちがよくわからなくなっていた。 虎次郎ちゃんのことを想わない日なんてなかった。まだ小さかった頃から、あの優しい笑顔が、声が、私の世界を作っていた。彼こそが運命の人なのだと信じていた。 でも、自分は彼に釣り合うような人間ではないと悟った瞬間から、私は彼を自分の世界から排除しようとした。結婚の約束も、何もかも、みんな忘れて一人になりたかった。 なのに、どうしても捨てられなかったあのピンクの貝殻を見るたびに、心はいつだってあの日に戻り、こんなにも好きなのにと叫びたくなる。 『だからもしが今でもサエのことを好きなんだったら……』 虎次郎ちゃんを今も変わらずに好きなのなら、今も変わらずに私を好きでいてくれるヒカルに思わせぶりなことをするなと、ハルに言われるまで、私は彼のことを傷つけ続けていると知りながらも目をそらすことしかできなかった。 ヒカルにもう一緒にはいられないと言ったあの日、私は決めたのだ。 きっと、今なら言えると、言わなくちゃいけないと、思ったのに。 ヒカルを傷つけ続けた代わりに、今度は、自分がどんなに傷ついたって。 「マネージャーと、付き合うことになったんだ」 私たち以外には誰もいない屋上で、しばらく他愛もない世間話をしたあとに、虎次郎ちゃんは表情を変えずにそう言った。 ちょうど雲の影が彼の制服の肩の辺りにかかって、私はそれ見ながらすぐには何も言葉が思いつかなかった。 「……そう、なんだ……」 「には教えておきたくて」 「へえ……、よかったね……」 「ありがとう。ごめん、急にこんな話して」 ううん……、と微かに首を振ることしかできなかった。 天気がいいし、屋上にでも行かないかと誘ったのはいいものの、いつ切り出そうかと彼の優しい言葉に少々引きつった笑顔で頷きながら思っていたら、突然、ちょうどいいから伝えたいことがあると虎次郎ちゃんが言った。 (好きです) 心の中では何回だって言えるのに、どうしても声に出せなくて、そしてそれは完全に言うタイミングを見失い、とうとう喉から出ず終い。飲み込んでそのままお腹の奥の方へと消えていった。 「……」 空に浮かんでる白い雲が、風に流されて、散り散りになって、どこかへ流れてゆく。 「俺たち、ずっと友達だよな……?」 「……」 「……」 「……ずっと、友達だよ……?」 私も、あの風に乗ってどこか遠くの、誰も知らないところに行ってしまいたい。 そう思ったらじきにチャイムが鳴って、じゃあまたと彼は去っていったけれど私は思うように上手く歩けなくて、階段を降りながら足がもつれて何度か転びそうになった。 なんであの時、なぜなのと叫ばなかったのか。 私の方がこんなにも好きなのにと、泣き喚かなかったのか。 ぼんやりした意識の中、気が付けば夜になり、私はベッドの上で眠れないままそんなことばかりを考えていた。 ちょうどカーテンのすき間から入ってきた月明かりが、棚の上に飾ってあるピンクの貝殻の入っているビンを照らしているのを見て、一粒だけぽたりと涙が瞳から落ちて、後にも先にもそれだけだった。 「、何してんだ!」 強い力でハルに腕を掴まれて、私ははっと意識が現実に戻ったような気がした。 引きずられるように海の中から砂浜へと連れて行かれ、下を見ると私のTシャツとショートパンツはビショビショで、ジャージ姿のハルもお腹の辺りまで濡れている。 「溺れたらどうすんだよ!」 朝日が眩しい。ハルはこれから部活に行くところなんだろう。少し離れた砂浜の上にラケットやらバッグやらが散らばっている。 私はというと、いつの間にか海の中にいた。 というのも夜が明ける頃に家を出て海まで歩いて、ぼんやり砂浜に座って波の押し寄せては去っていくのを眺めていた。はずだったけど。 「……ごめん」 「ったく、危ないだろ。何してたんだよ?」 「帰してあげようと思って……」 「ん?なんだ、それ……」 指を差してから思い出したようにハルは小さく「あ」と声を出した。 私の手のひらの上に転がる小さなピンク色した貝殻。海から離れ、ずっとその時を待ち続けた可哀想な貝殻。 「もう約束はいらないの。だからこれも海に帰すの」 「……、お前……」 「私じゃないって知ってたのに」 「サエから聞いたのか……?」 「馬鹿じゃないの、こんなの、いつまで持ってたって!」 思い切り投げたつもりだったのに、思うように上手くは飛ばなくて、貝殻はわりと近くに力なく落っこちた。するとそこに波が押し寄せてきて、ピンクのかたまりはそのままさらわれて見えなくなった。 貝殻が消えたのと、ハルの顔を見てどことなく安心したのと、よくわからないけれど、私は急に涙が溢れてきて久々に声を上げて泣いた。砂の上にうずくまって、波がやってくるたびにお尻の辺りを濡らしてはいなくなってゆく。 「、俺のこと殴ってくれ」 急に何を言うのかと思って顔を上げると、ハルは真剣な顔をして、もう一度「殴れ」と言った。私は立ち上がって、手の甲で涙を拭った。 「何で……、できないよ」 「いいから。早く」 「やだよ……」 「そうじゃなきゃ俺の気が済まねえ」 ホラ、とハルが私の右手を掴んで自分の頬の辺りまで近づけた。そう言われても、誰のことも殴ったりなんてしたくなくて、手は動かないまま。 「俺は、お前にダビデを振り回すなと言ったが、本当はあいつのために言ったんじゃねえ」 「……え?」 「ダビデを思うフリして、自分のことばかり考えてたズルイ奴だ」 「……」 「、ガキの頃からずっと好きだったんだ」 私の手を握る力が強くなって、見ると、ハルの目は鋭く、けれどどこか悲しそうにも見える。あまりにも突然のことで、私の頭は現状をよく理解できず、上手く言葉を返せなかった。 いつだって面倒見が良くて頼もしくて、兄のように慕っていたハルは、きっと私のことも妹のように思っているのだろうと感じていたし、ハル自身もそう言ってくれた。 「忘れようと思っても、できなかった」 じわりとハル目に涙のようなものが浮かんでいる。ハルが泣くところを見たのなんて、これがはじめてだ。彼は昔からどんなにつらいことがあっても、痛いことがあっても、歯を食いしばって耐えていた。 だから強い人だと思い込んでいた。泣かないからって、強いわけじゃないのに。 「俺のことも見てくれよ」 いつの間にか私はハルの腕の中にいた。力強く熱い体温の中で、呼吸することもままならないくらいに。 自分ばかりがつらいだなんて、どうしてそんなこと思っていたのだろう。本当は私よりももっとずっと、傷ついている人がたくさんいるのに。 私が泣いたよりも、きっとみんなのほうが、心の中でもっともっと泣いてる。 「、気にしないで」って、 笑うけど、 きっとずっと泣いてたんだ。 |