フレンズ...12
...side saeki...


『虎次郎ちゃん!』

懐かしい夢を見たような気がする。
朝、目が覚めてからも、俺を呼ぶの楽しそうな声が耳に残っていた。

ベッドに横たわったまま、首だけを動かして机の上に置いてある写真立てに目をやると、そこにはまだ小学校低学年の俺たちが、海辺で無邪気に笑っている。

くだらないとは思いながらも、時々、あの頃に戻れたらどんなにいいかと考える。
バネあたりに言えば、「何ノスタルジックなことを」なんて、笑われるだろう。

写真の中のは泣いていない。
いつだって、楽しそうに笑っている。

もしもあの頃に戻れたなら、はもう一度、俺に無邪気に笑いかけてくれるだろうか。



「え、今日欠席なのかい」
「ああ」
「どうしたんだろ、具合でも悪いのかな。昨日は元気そうだったけど……」
「さあな、食いすぎで腹でも壊したんじゃねえのか」

午前中、何度かA組の前を通りかかったけれど、の姿が見えない。何となく気になって昼休みにバネをつかまえて聞いてみると今日は休みなのだと言う。

バネは本当にが休んだ理由を知らないのだろうか?

今日の朝練に遅刻し、しかも何故かびしょ濡れで、「寝坊して急いでたら海に落っこちた」と嘘をつくのがヘタなバネは、その時と同じようにあさっての方向を見ながら必要以上に大きな声で適当なことを言うと、若干引きつった笑顔でじゃあなと去っていった。


放課後、部活でダビデにのことを聞いてみても、知らないとしか言わず、それより……と話題を変えようとさえする。他のみんなも、が今日休みだということすら知らなかった、という反応だ。

風邪でもひいたのだろうか。見舞いに行こうか……とも思うけれど、自分にそんな資格があるのかと考える。今さら俺に、を心配することなんて許されるのだろうか。

「サエ、どうしたの大丈夫?」
「ああ、ごめん。何でもないんだ」

ぼうっとしている俺にマネージャーが声をかけた。俺が笑うと、彼女も笑う。それは、もうが俺には見せてくれないような、屈託のない明るい笑顔。もうきっと戻らない、無邪気な瞳。



結局、部活の帰り道彼女と別れたあと、の家の前まで行ってみたけれど呼び鈴を押すことができずにそのままその足で俺は海に寄り、波の打ち寄せる砂浜を歩いていた。

『……ずっと、友達だよ……?』

は、寂しそうに笑っていた。泣き出しそうだった。

(……どうして)

ふと、ひとつの貝殻に気が付いて足を止める。いつか、どこかで見たことあるようなピンク色した小さな貝殻。親指と人差し指でつまんで拾い、夕陽に透かしてみるとそれは水の粒がキラキラと輝き、まるで宝石のように綺麗だ。

何故だろう、普通なら彼女にあげたいと思うのに、俺はに似合うと思った。
だけど渡せるはずもない。俺はその貝殻を制服のシャツの胸ポケットにしまった。


「…………

俺たちはみんな、平等だと思っていた。
男とか女とか、そんなの関係ないと思っていた。

だけど、本当は俺たちは、一人だけ赤いランドセルを背負い、一人だけセーラー服を着るの気持ちなんて何もわかっていなかったのかもしれない。

俺たちと、何も変わらないなどと簡単に口にしても、結局のところ何も違わないことなどなかったのだった。


『どうして?もみんなと一緒に遊びたいよ』

小さい頃みんなで外で遊んでいても、女の子は危ないからとだけ家族が連れ戻しに来ることも多く、その度は泣きながら手を引かれて帰っていった。

俺たちがテニスを始めた頃、もやりたいと言って一緒に練習していたけれど、は他にピアノや書道の習い事をしていたので、テニスコートに来る回数は次第に減り、小学校高学年になる頃には完全に姿を見せなくなった。

中学に上がってみんなでテニス部に入って、女子マネージャーもついて、それは楽しかった。だけど、はどんなに寂しい思いをしていただろう。

俺にはわからなかったし、きっと、わかろうともしていなかった。


『虎次郎ちゃん!』

俺のことが好きだと笑うの笑顔が、いくつになっても頭を離れない。今のが泣いていても、記憶の中のはいつだって俺に笑いかける。


今は、すっかりに嫌われてしまった。

もう、俺にを想う資格なんてない。あんなにもを悲しませて、この上まだ好かれたいだなんて厚かましいにもほどがある。それなのに……、

『俺たち、ずっと友達だよな……?』

それはどこかすがるような思いだった。そんなこと言うつもりはなかったのに、俺は気が付くとそう口にしていた。

の笑顔が見たかった。昔のように、無邪気な笑顔を見せて欲しかった。
けれど、はもう俺には笑ってくれない。その上もう構わないでくれとさえ言われてしまった。

がそう言うならそうするべきなのに。

友達だなんてそんな言葉を押し付けて、一体何になるだろう。は、悲しそうだった。どうしてなの、とは聞けなかった。


「なんだ、やっぱサエか」
「バネ……」

もうじき日も暮れるし、そろそろ帰ろうとしたところ、Tシャツ姿で犬を二匹連れているバネに出くわした。一度帰宅して、犬の散歩に出たのだろう。遠巻きに俺らしい姿が見えたので様子を見に来たのだという。

「ちょっと、寄り道してたんだ。もう帰るよ」
「そうか。まさかお前も海に入るんじゃねえかと思……あ、いや何でもねえ」
「……?」
「ほらもう晩メシの時間だろ?早く帰んねえと食いっぱぐれるぞ」
「はは、そうだな」

途中まで一緒に帰ろうと、二人で並んで歩きながら、他愛もない話をする。
学校の話、テニスの話、テレビ番組の話、……だけど、どうしてもの話を切り出すことができないまま、もうじき分かれなくてはならないところまで来ていた。

「……なあバネ」
「何だ?」
が、どうして今日休みなのか、知ってるんじゃないのか」
「し、知らねえよ……。何だよ、急に」
「……そう」
「……?どうしたんだよ」

学校休むのくらいべつに珍しくねえだろ、とバネが言う。たしかにそうだ。友人が一日学校を欠席するくらいで、こんなにも気に掛けることなんてなかった。

「そんなにが心配か?」
「わからない……。そうなのかな」
「何だ、そりゃ」

少し笑い飛ばしたあとに、バネが小さくため息をつく。

「大丈夫だよ、何でもねえって。明日は来るだろ」
「そうなのか?」
「ああ」

だからお前もあんま気にすんなよ、と軽く手を振って、バネは自分の家の方の道へ曲がって行った。その後ろ姿をしばらく見送って、俺は反対の道を行く。

バネは、俺の知らないを知っているのだろうか……?

家に着いて玄関のドアを開ける頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。荷物を置きに自分の部屋へ行き、ついでに着替えようとワイシャツのボタンに手をかけるとあの貝殻のことを思い出した。

胸ポケットに手を突っ込んで取り出し、置き場所を探していると、写真立てに目が行った。どんな日も、俺とダビデの間で笑う、の顔。

これは、やっぱりに似合う。部屋の明りに透かしてみると、すっかり乾いて輝きを失ったその貝殻は、どこか寂しそうだった。まるで「帰りたい」と言っているようにも思える。

でも、どこへ……?貝殻が、しゃべれるはずもないのに。


『……ずっと、友達だよ……?』

……に似ている。のあの、泣き出しそうな笑顔に似ている。
貝殻にまでを重ねるなんて、俺はどうかしている、と思うけれど、この貝殻は特別に、どこか懐かしかった。


(……

もしもあの頃に戻れたなら、きみはもう一度、俺に無邪気に笑いかけてくれるだろうか。





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