フレンズ...13
...side amane...


「ヒカルくんていうの?」
「……?」

入ったばかりの保育園で、俺はどうしても周囲に馴染めず、いつもひとりで園庭のすみにうずくまっていた。そんなとき、一人の女の子が話しかけてきて、その子は何故か俺の名前を知っていて驚いた。

まあ今考えればなんてことはない、ただ名札を見ただけだったのだけれど。

「あたし、!ばら組だよ。ヒカルくんは?」
「…………たんぽぽ」
「ほんと?もきょねん、たんぽぽ組だったよ!」

というその子は一つ年上の、女の子だった。
すみで膝を抱えている俺を見て、不思議に思ったのかも知れない。

「ねえいっしょにあそぼ?」

差し出された手を、不思議に思ってただ見つめるのを女の子は笑って見ていた。
それから少し戸惑いながらも掴んだその手は、柔らかくて、温かかった。

もう一度にっこりと笑うその子は、とても明るくて、元気で、でもそれ以上に優しくて。

「ハル、虎次郎ちゃん、かくれんぼしてあそぼ!」
「そいつだれだよ、
「ヒカルくんていうの!たんぽぽ組なんだよ」
「よろしくね、ぼく、虎次郎っていうんだ。こっちは春風」
「…………」
「おい、なんもしゃべんねーぞ」
「ハルがこわいからだよ」

バネさんと、サエさんと、と。そんな三人のやりとりを、俺は訳のわからないままただ呆然と眺めていた。だけど、不思議と怖くはなかった。

右手には、の優しい温もりがあったから。

(……、ちゃん)

保育園に入るまであまり家の外に出たがらなかった俺は、と家がとても近いということも知らなかった。けれど、それからは毎朝が迎えに来てくれて、保育園に行くのが憂鬱ではなくなった。

あの頃から、俺は、ずっとのことが好きだった。

俺を救ってくれた人だから。
は、俺の世界のすべてだったから。




「ダビくん、大丈夫?なんか顔色悪くない?」

部活中剣太郎に顔を覗き込まれて、なんでもないと答えるけれど、本当は、なんでもないことはない。この頃、あまりよく眠れていなかった。

考えないようにしようとしても、脳が勝手にのことを映し出す。もう二度と関わらないと約束したのだから、忘れなければと思ってもどうしてもできない。

(だめだ……、のためなんだから)

が言うのならそうしなければ。の願いならば、叶えなくては。


『ヒカル、もう一緒にはいられないの』

嫌だ。

『ヒカル、もう一緒には……』

そんなの、嫌だ!


「おい、何ボーッとしてんだダビデ!」

後ろから、パシッと頭を叩かれてはっとする。後ろを振り返ると、少し呆れたような、でもどことなく元気のない雰囲気のバネさんが立っていた。

「……あ」
「あ、じゃねーよ。ボール来てんだろうが」
「ごめん……」

気が付くと、ダブルスの試合練習中だった。バネさんに謝ったあと、体を正面に戻すとネット越しの反対コートにはいっちゃんと、サエさん……が、こちらを見ていた。

「天根、なんか調子悪そうなのね」
「そうだな、少し休もうか?なあ、バネ」
「あ?ああ……、そうだな」

サエさんに話しかけられたバネさんは、ちょっと気まずいような、やりづらいような感じだった。そういえば、ここ何日かずっとそんな様子な気がする。

(何か、あったんだろうか……)

心で思っても口には出せないまま、その日の練習が終わった。


「ダビデ」

帰ろうとしていたらバネさんに呼び止められたので、てっきり今日のダメ具合を叱られるのかと思ったけれど、その口から罵声が飛ぶことはなかった。

「少し、話したいことがあんだけどよ」

その表情に、いつものあっけらかんとした明るさはない。
俺はただその言葉に頷いて、先を歩くバネさんのあとをついて行く。


それから帰り道を二人、しばらく歩いたところでバネさんが口を開いた。

「この前、お前に言おうとして言ってないことがあんだ」
「うん、何?」
「…………、その、それがよ」

バネさんは俺とは目を合わせずに、遠くの方を見ながら言いづらそうにガシガシと頭をかいている。それからしばらく「あー」とか「えー」とか言っていた。

「……悩んだんだ。でも、お前には、言っといたほうがいいと思って……」
「うん」
「サエのことなんだけどよ、あいつ……、マネージャーと付き合うことにしたんだとよ」


……………………。


「ダビデ、」
「……」
「俺はな、お前のこと……」
「へえ、そう。いいんじゃない」

ダビデ?と言うバネさんは怪訝そうな顔をしていた。きっと、俺が怒り出すか悲しむかすると思っていたんだろう。でも自分でも驚くくらい、俺は平静だった。
……表面上は。

バネさんとサエさんの間の、なんとも言えない空気。
マネージャーの、サエさんに対するやけに親しげな態度。

(……そういうことか)

は、このことは?」
「……サエが、直接言った。俺がそう頼んだんだ」
「ふうん」

それから「わかった」とだけ言うと俺は、さっきまで歩いてきた方向へと体を回転させてそこを離れようとする。バネさんはまだ話のありそうな雰囲気だったけれど、呼び止めることはなかった。


の願いならば、何でも叶える。

『ヒカル、もう一緒にはいられないの』

のことが好きだから。
は、俺を好きじゃなくても。

でもそれは、が幸せになるのを願ってのことだから。
が悲しむだけなのならば、そんなの、何の意味もない。





「……サエさん」

俺が帰るときにまだ残って練習していたから、きっと会えるかもと思った。
案の定、学校の近くまで戻ると、制服姿のサエさんがちょうど校門から出てきたところだった。

「あれダビデ、どうしたんだ。さっき帰ったんじゃなかったのか」
「もしかして、忘れ物でもしたの?」

そのとなりには、マネージャーの姿。それはと同い年の、女の子。
と同じように俺達のそばにいて、と同じようにサエさんのことが好きで。

元気で、明るくて優しくて。それは、思い出の中の誰かに似ている……。

「違う。ちょっと、サエさんと話がしたいんだ」
「話?うん、いいけど」
「あ、じゃあ……私、先に帰るね」

まだ何も言わないうちに彼女は空気を察してそう言った。ごめん、と謝るサエさんに彼女は大丈夫と笑い、小走りにその場を去っていった。きっと一緒に帰る約束でもしていたのだろう。

「歩きながらでも、いいかい?」

それにうなずいて、さっき一度通った道を、今度はサエさんと一緒に歩く。
俺が自分から話を切り出すまで、向こうから問い詰めてくることはなかった。

「俺、聞いたんだけど、本当かどうか教えて欲しい」
「うん、何だい」
「サエさん、……マネージャーと付き合ってるって、本当」

正面を向きながら、ちらりと視線だけをサエさんの方に向けると、ちょうど向こうも俺のことを見ていて視界の隅で目が合った。サエさんはいつものように穏やかな表情をしている。

「ああ、本当だよ」
「…………、そう」
「ごめんな。タイミングをみて、みんなにも言おうと思ってたんだけど」

サエさんの声は、明るいわけでも暗いわけでもなく。ただただ淡々としていて、彼女ができたばかりだというのに、浮かれたような感じは一切なかった。

「……なんで?」

はじめは一から十まで問い詰めるつもりだったものの、サエさんのそんな雰囲気にすっかり気がそがれてしまい、いざとなったときあまり強く言えなくなってしまった。

「すごくいい子なんだ。優しいし、明るいし、それに何でも一生懸命で」
「……うん」
「一緒にいると、楽しいんだ。だから、付き合おうと思ったんだよ」

それは、まるであらかじめ考えて用意していたかのような答えだった。
マネージャーがイイ奴なのは今さら説明してもらわなくてもよくわかってる。俺が聞きたかったのは、そういう意味じゃなくて。

(……、は?)

は今もずっとサエさんのことが好きだ。だから、もう俺とは一緒にいられないと言った。俺よりもサエさんを選んだのに。

は、泣いていたのに。

「マネージャーのことが好きか」
「うん、好きだよ」
よりも?」
「……?」

サエさんは、なぜ突然その名前を出すのか不思議そうな感じだった。

「サエさん、のことは好きじゃないの」
「もちろん、のことも好きだよ」
「ならサエさんは、よりも、マネージャーを選ぶのか」
「なんだ、ダビデどうしたっていうんだ」

マネージャーの持ってるものなら、だって全部みんな持ってる。
の方がずっと前からサエさんのこと好きだったし、ずっとそばにいたし。

「なんで」

俺がどんなに長い間、となりにいるを好きでも、はサエさんのことばかりが好きだった。苦しかったけど、でも、それでものそばにいたかった。

が好きだから)

どんなに願っても、は俺を選んでくれない。でも、サエさんは違う。が、唯一、誰よりも好きだと思っている。何をどうしても俺には手に入れられないものを持ってる。のに。

なのに、

「なんでだよ、サエさん」
「……ダビデ」

勝手な八つ当たりだとはわかっている。誰を好きになろうと選ぼうと、そんなのサエさんの自由だってわかってるのに。

でも、サエさんだから。サエさんなら、をとられてもいいと思ってたから。
俺には持ってないものを、持ってるんだと思ってたから。

サエさんならを傷つけない。悲しませない。きっと幸せにしてくれる。
違うのか?そうなんじゃないのかよ?


を傷つけるなら、許さない」


俺の。俺だけの、大切な

いくら、サエさんでも。





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