フレンズ...14


昨日あのまま欠席してしまった私は、なんだか気後れする気持ちがして登校した後も教室の中にすんなりと入っていくことができなかった。

「よ、。はよー」

教室の前で立ち止まっていると、後ろから軽くポン、と背中を叩かれてはっとする。私にそんなことするのはハルしかいないと知っていた。

だけど昨日のことを思い出してうまく「おはよう」と言い返せないうちに、ハルは私の方を見ないまま教室に入っていってしまった。少しして、中から男子たちの明るい声が聞こえる。

(……ハル)

優しいハルは、いつも通りにしてくれる。昨日のことなんて何もなかったように振舞ってくれるのが嬉しいけど、今はそれが苦しいように思えた。

本当に泣きたいのはハルのほうなのに。

クラスの中にいるハルの姿はおとといと同じだけど、でも違う。 もう今までのように気安く、ハルなんて声を掛けられない。

思い出の中の、兄のように慕ったハルはもうここにはいないのだから。私はもう、ハルの妹じゃないのだから。





「ねえさんて、2年の天根くんと仲良いの?」
「……え?」

美術の授業も終わりの頃、水道で絵の具のパレットを洗っていると突然クラスメイトの女子に話しかけられたのでうっかりそれを落としそうになった。

「たまにしゃべってるよね、何で?」
「……それは、……」

心臓がどきどきしているのがわかる。いつかどこかで、見られていたのだろうか。
ヒカルに興味ありそうな感じの彼女は、「ねえ」ともう一度声を出した。

けれど何も言えないまま、蛇口から流れてくる水がパレットの青い絵の具を薄めていくのをただじっと見ていた。

「なになに、何の話」
「天根くんの話ー。さん、なんか知り合いっぽいから」
「嘘、そうなの?天根くん、かっこいいよねえ。あんましゃべんないらしいけど」
「えーなんか急にダジャレ言い出すらしいよー」

いつのまにか数人の女子に囲まれていても、私は何も答えられないままだった。

なんで虎次郎ちゃんと、なんでハルと、と問い詰められたことは何度もあったけどその時みたいに「幼なじみなの」とは言えなかった。

筆で絵の具のかたまりを溶かすと、となりの色と混じって変な色になった。 あの日、ヒカルと話した夕方の空の色に似ている。

(…………)

優しいヒカル。いつだって私のことを想ってくれて、理解しようとしてくれた大切な人なのに。ずっとずっと一緒にいたいのに、でも、それはできなくて。

そばにいれば傷つけてしまうから。優しいヒカルを振り回して、私はきっとどこまでもわがままな奴になってしまう。ハルの言うとおりだ。

「……べつに、仲良くないよ」





教室にも廊下にも、こんなにも人が溢れているのになんだか一人ぼっちに感じる。
あんなに、一人になりたいと思っていたのに。これで、思い通りになったのに。

兄のようなハルも、大好きな虎次郎ちゃんも、一番の理解者のヒカルも……もういない。ケンも、いっちゃんも、亮くんも聡くんも、誰もいない。

(……寂しい、なんてそんな風に思う権利ない)

優しいみんなをあんなにも振り回して苦しめて、それでも一緒にいたいなんて、そんなこと言えない。……なのに。

小さいときから、あまりにもずっと一緒だったから。一人でどうしたらいいかわからない。みんなのいない場所で、これからどうやって生きていけばいいのだろう。




私の名前を呼ぶその穏やかな声は、ひどく懐かしい気がした。

「……佐伯くん」
「よかった。昨日欠席したって聞いて、心配してんだ」
「……心配?」
「うん。体調が悪かったのかい?もう出てきて大丈夫なのか」
「……」
?」

どうして虎次郎ちゃんが私のこと心配するの。

(私じゃないのに)

虎次郎ちゃんが好きなのは、ずっと探してたのは、私じゃないのに。そんな風に優しくするのだって、笑いかけるのだって私にするのはおかしいよ。

あんなに大好きだったのに、ずっと一緒だったのに。虎次郎ちゃんは遠くへ行ってしまった。誰かのものになって、もう触れることすら許されない。

「ううん、べつに……大丈夫」
「そう?少し、顔色が悪いように見えるけど……。熱は、ないの?」
「……!」

そう言って虎次郎ちゃんの手が私のおでこに触れたようとしたのでとっさに身をよじるようにして避けてしまうと、一瞬驚いたような顔をした。

「あ、ごめん、こんなとこで……。でも、本当に大丈夫?保健室行くなら、一緒に行くよ」
「ううん、いい……平気だよ。次の国語小テストあるから、出なくちゃ」
「じゃあ、A組まで一緒に行くよ。それ、貸して」

虎次郎ちゃんは私の持っていた絵の具セットを持とうとして手を出す。 いつも優しい虎次郎ちゃんだけど、今はいつも以上に優しいように感じた。

「ありがとう。でもいいの、一人で行けるから」
「だけど、……」
「こんなとこで私なんかと話してていいの?……そういうの、彼女にしてあげればいいのに」
「え?」

「彼女」とわざと口に出して自分の心を無理やり虎次郎ちゃんから引き離すようにしたけど、その言葉に驚いたのはむしろ私の方だった。

虎次郎ちゃんはもうあの子のもので。虎次郎ちゃんの優しさも微笑みも想いも、今はもう、全部あの子のものだって。 私にくれる分なんて、余ってないはずだって。

はっきりとそう自覚してしまった気がする。
ずっと一緒にいた虎次郎ちゃんはもうここにはいないと思えば、昨日あんなに泣いたのにまた涙が出そうだった。

「……ごめん、そうだよな。なんか、のことが心配で……」
「大丈夫だよ。だからもう、私のこと気にしないで」

違う。本当は気にかけてくれて嬉しかった。笑いかけてくれて嬉しかった。だけど、それはいけないことだと知っているから。

限界まで泣くのを堪えながら、そう言うしかなかった。

「ほんとにごめん。じゃあ、俺もう行くよ」
「うん……」

虎次郎ちゃんの後ろ姿が、次第に離れていく。

(待って、行かないで)

そのYシャツの裾を掴みたくても手を伸ばすことができないまま、虎次郎ちゃんはだんだんと遠くへ行き、じきに見えなくなってしまった。

(……虎次郎ちゃん)

心の中で何度呼んでも、その言葉は声にならない。



『虎次郎ちゃん、まって』
『だいじょうぶだよ、。ちゃんとまってるから、走らなくてもよかったのに』
『だって、おいてかれちゃうと思ったから……』
『おいていかないよ。僕、ずっとのことまってるから、しんぱいしなくていいんだよ』
『……虎次郎ちゃん、ほんとにのこと、まっててくれる?おいてかない?』
『うん、ずっとまってるよ。だから、ずっとずっと僕と一緒だよ、



置いていかないと言ったのに。ずっと一緒だと言ったのに。

どうして私、一人なの。

(……虎次郎ちゃん)

どこにも行かないで。あの子のものにもならないで。
そばにいて欲しいのに。どうして虎次郎ちゃんはいないの。


一人なのは、もう嫌なの。





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