フレンズ...15


いつだって、私が願えばみんなその通りにしてくれた。優しいみんなに囲まれて、私はなんてわがままだったろうと今さらになって気付いたってもう遅くて。

これが私の望んだことだから。みんなの叶えてくれたことだから。

そう思うのに、夜になる度ベッドの中で目を瞑ればなぜか涙が出てくる。また明日朝が来ていつもと同じように学校へ行っても、もう誰もいない。私は一人なのだと思えば、自然と泣きたくなった。

どうすればよかったのかわからない。
もう時間は戻らないのに、それでも戻りたいと思ってしまう。

思い出すのはいつだって幼い頃の私たちのことばかり。だって苦しみも寂しさも、そんなものは少しもなかったから。

(……あの頃に帰りたい。また、みんなと一緒に遊びたい)

だけど、もう私の帰る場所なんてない。
私はあの頃の私ではないから。今は、あの子がみんなのすべてだから。

フェンス越しに見える世界はあまりにも遠く感じて。大切なものが手の中から零れ落ちていくのを見るのは怖かったから、ただそこから逃げ出すことしかできなかった。

あの子みたいに可愛くなれない。
虎次郎ちゃんが好きなあの子みたいに、明るくできない。

いつだって、あの子のこと思い出して自分と比べてしまうのはなぜなの。
あの子と一緒にいるみんなを見ると、苦しくなって涙が出るのはなぜなの。




ちゃーん」

放課後、海岸の近くを歩いていると、突然明るい調子の声が聞こえた。見ると、少し離れたところからケンが軽く手を上げながら走ってくる。私はそれが何だかとても眩しく感じて、少しだけ目を細めた。

「今、部活のみんなで潮干狩りしてるんだ!ちゃんもおいでよ」
「……え?」

ケンは、私たちの中を流れる空気を感じ取っているのかいないのか。そんなの全く気にも留めない感じで、いつもの様に躊躇なく私に話しかけてきた。

でも、そんなケンの天真爛漫さにどこか救われるような気持ちになるのは、昔から他のみんなも同じだと思う。

「……行かない」
「えっ何で?!楽しいよ、ちゃんも一緒にやろうよ!」
「いい。私、貝嫌いだから」
「う、嘘だ〜!昔あんなに食べてたじゃないか!」

私はなるべくケンの方を見ないようにして答えた。けれど顔を逸らした視線の先に、浅瀬で潮干狩りをしているみんなの姿が見えてしまった。
あの子が、虎次郎ちゃんのそばで、楽しそうに笑っている。

「オジイもさ、ちゃんがいないと寂しいって言うんだよ」
「……嘘ばっかり」
「嘘じゃないよ!ちゃん、どうしたのさあ」

ケンには悲しそうな顔をして欲しくない。そう思うのに、優しいことが言えない。


「オイ、どうしたんだよ剣太ろ……」

ケンを呼びに来たハルと、その後ろをついて来たヒカルの二人は、私に気がつくと急に動きが止まってそのまま黙ってしまった。

「あ、二人とも。今ね、ちゃんも潮干狩りに誘ったんだけど、来ないって言うんだー」
「……」
「……」

何も言わない二人の方を少しだけ見たら、一瞬ヒカルと目が合った。ヒカルはどこか心配そうな顔をしている。あんなひどいことをしたというのに、この後に及んでまだ、ヒカルの顔を見るとひどく安心してしまう自分がいる。

ほっとして、少しだけ泣きたくなっても、それでも、もう前みたいにはできないから。

「ごめん、私、用があるから帰る」
「え、ちゃん、でも」
「剣太郎、その……も色々忙しいんだろ。あんま無理言うなよ」

ハルが嗜めるようにそう言うと、ケンが寂しそうな顔をしたのを苦しく思いながらも「じゃあね」と言って足早にそこを歩き出した。それからもう一度ケンが私の名前を呼んだけれど、振り返らなかった。

この胸の中は、今でも、後悔と迷いでいっぱいなのに。
振り返ることができなかった。




(…………)

あれから何日過ぎて、何を考えても、結局答えなんてわからないまま。
間違えた選択肢を進んでしまったけれど、もう、戻ることはできないから。

だいぶ陽の落ちて薄暗くなった人気のない海辺で、膝を抱えて座りながらぼんやりと、波の押し寄せては引いていくのを眺めていた。

みんなと日が暮れるまで海で遊んだあの日々は、あまりにも遠く、そしてどこまでも優しい。私の名前を呼ぶ声。手招きをする笑顔。晴れの日も雨の日も、いつだって一緒だった。

……でも、もう全部捨ててしまったんだから、いい加減忘れなければいけない。
楽しくて無邪気な思い出も、みんなの温かな優しさも。手放さなくてはいけない。

それを失えば、私にはもう何も残らないとわかっているけれど。

人差し指で砂浜に「さよなら」と書いたら、それを波がさらって、文字は消えてしまった。 あの日海に投げた、ピンクの貝殻みたいに、みんな波がさらっていってしまった。

「……いかないで……」

けれど小さく呟いたその声は、誰にも届かないまま波の音に飲み込まれて消えた。


さよなら。

サヨナラ。


(……そんなの、いや)

気がつくと、私は海に入ってあの貝殻を探していた。今さら探したところでもう見つかるわけがないと、そう心のどこかではわかっていたのに、それでもどうしても取り戻したかった。

「虎次郎ちゃん……」

ずっと長い間、私の支えだったあの貝殻。それを失くしてしまえば、一緒に大切な思い出も全部さらわれていってしまったように思えて、悲しかった。

貝殻と一緒に、みんなも、本当の自分も、どこか遠くへ流れてゆく。もう二度と、帰らない。

もう二度と、思い出すこともできない。

(……そんなのは、いやだ……)






誰かに呼ばれた気がして、振り返るとすぐそこにヒカルがいて一瞬夢かと思ったけれど、腕を掴まれた感覚はあまりにもリアルで、すぐに夢じゃないんだと気付いた。

「何してるんだ、夜は危ない」

どうしてここにいるんだろうと思ったけれど、それよりも心配そうな顔をしているヒカルを見て、先に「ごめん」と謝った。私は太もものあたりまで濡れていて、あのとき、ハルに叱られたのにまた同じように助けられたことを、反省した。

そのまま砂浜まで引っ張られて、やっと掴んでいた腕が離れる。ヒカルは少し息が上がっているようで、もしかしたら、遠くで私を見かけて走って来てくれたのかもしれなかった。

もう私に関わらないでなんて、そんなひどいことを言ったのに。それでも未だにこうして優しくしてくれるヒカルに申し訳なく思って、居たたまれなくなる。

もう私に優しくする価値なんてないというのに。

「何してたの」
「……べつに。……ありがと、もう帰るよ。じゃあね」
、待って」

特に理由は話さずにここを去ろうとすると、今度はさっきとは違って柔らかい力で肩の辺りを掴まれた。それに思わず立ち止まって、ヒカルの顔を見上げる。

「……サエさんのこと、聞いたの」
「…………聞いたよ」
は、それでいいのか?」

ザザザ、という波の音が近くで聞こえる。サンダルの隙間に入り込んだ砂が、濡れてジャリジャリとして、少し痛いと思った。だけど、それは私なんかよりも、ヒカルの方がずっと。

「いいも何も……だって、虎次郎ちゃんが決めたことだし……」
「……でも、は」
「もういいんだよ、ヒカル」
「よくない!」

珍しく大きい声を出すヒカルに驚いて、どうしたの、と思ったけれどそれを口には出すことはできなかった。

「……がかわいそうだ」

悲しそうなのは、私よりも、ヒカルの方だと思った。

いつだってそう。ヒカルは、私のことを、自分のこと以上に心配してくれる。
だけど、もうそんなわけにもいかない。優しいヒカルを、いつまでも振り回すわけにはいかない。

星の光が反射して、まるで涙のようにキラキラとしているヒカルの瞳を見て、そんな顔しないでと私の方が泣きたくなるけれど、我慢して何とかいつも通りの顔をした。

「べつに私は平気だし。ヒカルも、私のことなんて気にしなくていいから」
「……」
「だから、私なんか放っといて、みんなと仲良く楽しく過ごして。じゃあね」

それだけ言って早足で歩き出したけれど、しばらくして追いかけてきたヒカルは私の腕を柔らかい力で掴んだ。

「……なんでそんなこと言うんだ、
「……」
「どうして、そんな嘘つくんだ」

私は、こんなにも純粋で優しいヒカルをこれ以上傷つけたくないだけなのに、それなのにヒカルはそれをわかってはくれない。手を離してはくれない。

「嘘じゃないし。私はもうみんなこと嫌いになったの、だから構わないで」
「……が俺を嫌いでも、俺はを嫌いになんてならない」
「……。なんで?」
は、優しいから。誰より、が一番優しいって、俺知ってる」
「優しくないよ。私がみんなに何したかわかってるの?」

私はそんないい人間なんかじゃない。言葉にできないようなイライラとした感情をぶつけるように、少し強く言ってしまった。みんなにあんなにひどいことをしたのに、それでもヒカルは私を責めない。

は何も悪くない」
「全部私のせいだよ。もういい加減わかってよ」

決して嫌われたいわけじゃないのに。それでも罪悪感に潰されそうで、お前が悪いのだと言ってくれた方が、いっそよかったのにと思う。だけど、ヒカルは絶対そんなこと言わないと心の底ではわかっていた。

、ごめん」
「なんでヒカルが謝るの」
がそんな風に苦しんでるのは、全部俺達の、俺のせいだから」
「違うよ、そんなわけないじゃん」
「そうだよ。だからは悪くない」
「やめてよ」
、ごめん」

私の腕を掴んでいたヒカルの手は、滑るように段々と下へ落ちていき、最終的に私の手をぎゅっと握った。それはまるで、小さい頃に手をつないだ時のような、そんな感覚に似ている。

そんな思い出をいらないと捨てたのは私なのに、今その記憶がどうしようもなく懐かしく思える。できることなら、どうかもう一度あの頃のように。

(……ヒカル)

きみのことが、みんなのことがこんなにも大切な存在だって、失って初めて気づいた馬鹿な私なの。この手の離れることが、どんなにか怖いことだって、やっと知ったの。

だけど今さら、「ごめんね」なんて謝ったとしても、すべてが元通りになってまたあの頃に帰れるわけじゃないから。ピンクの貝殻がこの手に戻ってくるわけじゃないから。

(…………)

いつの間にか私よりもずっと大きくなっていたその手に握られながらも、もう、疲れてしまったのだろうか。頭に何も浮かばない。

ただ、波が押し寄せては二人の足先を濡らしていくのを、眺めていることしかできなかった。





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