フレンズ...29 席替えの度に、私はなんだか緊張してしまっていた。 べつに席替えなんてしなくていいのに、と思いながらも黙ったまま担任の作ったくじを引く。やっと今の席に慣れたと思ったところなのに……。 クラスメイト達は仲良しの子がなんだの、好きな男の子がなんだのと騒いでいるけれどそんなの、私はべつにどうでもよくて。 さっさと自分の机を新しい席の位置まで移動すると、俯いたま少し緊張していた。幼なじみのみんな以外の男子とは、日直の時以外ほとんど話したりできないから。いつも、となりが誰になるか気になる。 ちらりと視線をやるとハルはすでに席が決まっていて、となりの席の女子生徒と、もう楽しそうに話してる。 (私もあの席が当たればよかったのに……) 同じクラスになってからというものの、となりの席になったことはない。自分のクジ運の悪さを恨みながら、じっと机ばかり眺めていると、ガタ、ととなりで音がして、どきりとする。 誰かな、と思いつつそろそろと首を向けた。 「お、か。よろしくな」 「……聡くん」 そこには見知った顔があって、よかったと心底ほっとする。聡くんは笑って言ったので、私もよろしくねと小さく笑って返した。 幼なじみのみんなは男の子ばかりだけど、意地悪やいたずら、暴力を振るわれたことは一度もない。私だけ女だから、と優しくはされても差別をされたことはない。 当たり前に思えたそれが、どれほど特別なことだったのか。当時は、ちっとも気付かなかったし、わからなかった。 離れて、年齢を重ねて、大人に近付けば近付くほど。彼らがどれほど優しく純粋で、真っ直ぐな人間であるか。痛いくらい、身に沁みる。 だけど、そんなみんなのことが大好きで、ずっと一緒にいたいと思うのは、私だけじゃない。 ……きっとあの子だって。 「、今帰りかい」 校舎を出て歩き始めたところで、後ろから声が聞こえて振り返った。それは虎次郎ちゃんで、少しだけ小走りにやって来る。 「うん。佐伯くんも?」 「ああ。よかったら、途中まで一緒に帰らない」 「いいよ。でも、彼女は?今日は一緒じゃないの」 「彼女なら、今日は委員会で遅くなるってさ」 「……へえ。そうなんだ」 なんでもない振りをして「彼女」という単語を口にするけれど、本当は未だに胸が苦しかった。でもそれを悟られないようにいつも以上に笑顔を作ってみせる。 ちらほらと六角の生徒が歩く通学路を、潮風に吹かれながらゆっくりと歩いた。少し前は生暖かった空気も、今はもうひんやりとして、寒ささえ感じる。 制服も、いつの間にか冬服に衣替えをしていた。黒い学ランに身を包む虎次郎ちゃんのことを、時々ちらりと横目で眺める。 「A組、席替えしたんだってな」 「そうだよ。ハルに聞いたの?」 「いや、首藤だよ。ととなりの席になったって」 「ああ、うん。そうなの」 「へえ、いいなあ。楽しそうで。俺もA組だったらよかった」 「……」 さらっとそんなことを言う虎次郎ちゃんの笑った横顔は、本気なのか冗談なのか。いまいち、よくわからない。ただ、私の胸が一瞬どきりと音を立てたことだけは、本当だった。 「、時間ある?ちょっと海に寄ってもいいかな」 「……いいよ」 少しでも長い間、虎次郎ちゃんと一緒にいられるのは嬉しいけれど、なんだか切ない。だって、いつだって、彼女の姿が頭をよぎるから。 ……海。 どこまでも青くて、大きく遠い海。 春も夏も秋も冬も。いつだって海は、私達のそばに広がっていた。 いくらか砂浜を歩いたところで虎次郎ちゃんが腰を下ろしたので、私も同じくそのとなりに座った。少しの間黙ったまま海を眺めていた彼は、視線は海に向けたまま話し掛ける。 「は、志望校決めたの」 「……え、」 さっきまで、ずっと他愛ない話ばかりしていたのに。突然そんな話題を振られて、ちょっと緊張した。 「ほら、小さい頃、みんなで同じ高校に行こうって話してただろ?」 「う、……うん」 「だからさ、バネやいっちゃんや、他の奴らも同じとこ志望するって。俺も、そこにするつもりだよ」 「……」 「も……、俺達と同じ高校に行くよな?」 少し強い海風が、びゅうと耳元を通り過ぎてゆく。ちらりとこちらを向いた虎次郎ちゃんと目が合っても、私はすぐには何も答えられなかった。 そうか。虎次郎ちゃんは知らないんだ……私が、女子高に行くって言ったこと。 「……私は、……」 普通に伝えればいいだけなのに、喉から言葉が出てこない。だって、本当は今もずっと心の中で迷い続けているから。どうするのかなんてそんなの、私が教えて欲しいくらいなのに。 「……虎次郎ちゃん。その、私……、」 「……ごめん」 「え、……?」 虎次郎ちゃんが突然謝るので、なぜかと思ってちょっと固まった。すっかり日暮れの早くなった空のオレンジが、その顔を柔らかく染めて、胸が苦しくなる。 「ごめん。俺本当は、が女子高に行くってこと聞いてて……。知ってたんだ」 「……」 「でも、なんか……信じたくなくて。間違いならいいのに、って」 「……」 「のいない生活がどうしてもイメージできなくてさ。ほら、俺達昔からずーっと一緒だっただろ?」 明るい口調でも、どこか寂しそうに見える虎次郎ちゃんの表情に、いつもみたいな笑顔を作ることができない。やめて、と言いたくても、言えない。 「だからさ、……。これからも、一緒にいられないかな」 「……」 どうして、そんなこと言うの。どうして、私に。 ……わからない。でも。いつまでも友達でいるなんて。 ずっとそばにいるなんて……そんなの、 「……無理だよ」 泣きたい気持ちをぎゅっと堪えて、目を逸らしながらそう告げた。辺り一面夕焼け色に包まれて、遠くの方は薄暗い。じき、夜になるだろう。 私は黙ったまま立ち上がると、その場を去ろうとする。そんな言葉しか返せない自分のことが心底嫌になって、とにかくいなくなってしまいたかった。 「、」 「……」 「待って」 早足で歩いていたつもりなのに、男子にしてみれば大したこともないのだろう。虎次郎ちゃんにはあっという間に追いつかれてしまったみたいで、すぐ後ろでその声が聞こえる。 柔らかい力でそっと腕を掴まれて、足を動かすのを止めた。靴の中には随分と砂が入ってしまったようだけど、今はそんなことどうでもいい。 「……、なぜだい」 「……」 ゆっくり振り返ってみると、虎次郎ちゃんは私よりもずっと悲しそうだった。 (……やめて) 風に吹かれて、髪が揺れて。黙ったまま見つめ合っていると、一度は堪えた涙がまたにじみそうになる。 ずっとずっと、友達でいたい。いつまでも、いくつになってもそばにいたい。私だってそう思ってるよ。昔も今も変わらずに、そう願ってる。 『俺たち、ずっと友達だよな……?』 あの時の虎次郎ちゃんも、どこか悲しそうな目をしていた。 ……約束したのに。ずっと友達だよ、って、頷いたのに。 (……ごめんね……) 「……理由が、あるなら。教えてくれないかな」 「……」 「……」 「私……虎次郎ちゃんのことが、好きなの」 なに言ってるんだろう。どうして、これまでずっと言えなかったのに。なんで、今そんなことを口に出しているんだろう。 「……、え……?」 虎次郎ちゃんは、珍しく驚いたような顔をして、少し冷たい潮風に吹かれるまま。泣きたくなんかないのに、この瞳からは涙が勝手に一粒、こぼれ落ちてしまう。 「だから、……そばにいるのがつらいの……」 「……」 「……彼女と……一緒にいる虎次郎ちゃんを見るのが、嫌なの……」 「……」 涙は言葉とともに溢れて、ぽろぽろと落ちる。虎次郎ちゃんは、ちょっと目を見開いて黙ったまま、何も言わない。 わっと泣いてしまいそうになって、私はその場から駆け出すように離れると一度も振り返ることなく、ひたすらに自分の家まで走り続けた。 もう何も考えたくない。何も、思い出したくない。 時折、足がもつれて転びそうになる。息が上がって、胸が苦しくなる。涙に濡れた頬が、夕風に吹かれて冷たく感じた……。 遠く優しい記憶の中で、みんなはいつも楽しそうに笑っている。あの日々が永遠に続けばよかった。何度願ったって、そんなの、叶いっこなかったけれど。 それでも、私は……、永遠が欲しかったよ。 |