フレンズ...31 お正月のファミレスは、さすがに空いている。 見ているだけで寒くなりそうなパフェを平然と食べているヒカルを向かいの席で眺めながら、私は紅茶の入ったカップで手を温めていた。 「ヒカル、寒くないの」 「寒い」 「あ、寒いんだ……」 パフェ好きも寒さには勝てないらしい。私はちょっと笑った後に、ぼんやり自分のお皿に載った食べかけのケーキを眺めていると、また虎次郎ちゃんの顔を思い浮かべて黙ってしまう。 あんな人混みで偶然会うなんて。やっぱり、凶の力がさっそく発揮されたのだろうか。 「、勉強頑張ってる?」 「……うん、まあ」 「これ。あげる」 「え……?」 ヒカルは脱いだコートのポケットからごそごそと何かを取り出し、私の前に差し出す。それは小さな白い紙袋で、中にはお守りが入っていた。 「どうしたの、これ」 「さっき買った」 「えー全然気付かなかった。いつの間に?」 「がおみくじ引いてる時」 私が真剣に筒を振っていた時か……。お守りには合格祈願と書いてある。受験のある私のために、買ってくれたのかな。 「……ありがとう」 「うい」 さっきまで外の空気みたいに冷たくなっていた胸の中が、少しほっこりと暖かくなった気がする。 ヒカルは何も聞いてこない。虎次郎ちゃん達と会った時、微妙な空気が流れていたことにもきっと気が付いているはずだけど。もしかしてパフェに誘ったのも、彼なりに気を遣ってのことだったのだろうか。 ふと外に目をやると、曇った窓ガラスの向こうには、白い小さなかたまりがいくつもふわふわと空から落ちてきていた。 ヒカル、雪だよ。と言おうとして首をそちらへ向けると。 「雪ですのう、……プッ」 「……」 「冬は、不愉快?……プッ」 「……」 せっかく、心も体も温まったかと思ったのに。なんだか急に、丸裸で南極の吹雪の中へ放り出されたような気分になる。 (ここにハルがいればな……) きっと華麗な飛び蹴りをお見舞いしてくれるのに。見事な跳躍を恋しく思いながら、とりあえずぬるくなってしまった紅茶を口に含みながらなんて言おうか考える。 いつもなら、「つまんない」と素っ気なく返すけど……。 「……ダジャレを言うのは、だれじゃ」 ふとこの口からそんな言葉が出ると、さほど反応を期待していなかったらしいヒカルは驚いたのか、黙ったまま何度か瞬きする。 「そんなシャレはやめなしゃれ」 ……寒い。自分で言っておきながら、寒さで凍死寸前だ。 一体私は、何をやっているんだ。受験ノイローゼにでもなってしまったのか。それとも、先程あの二人と出くわしたのがよほどショックだったのだろうか。 どちらにせよ、あまりにもポピュラー過ぎるダジャレなど、日夜ダジャレの研究に明け暮れるヒカルにとっては何の面白味もないだろう。と、やっぱり「なんでもない」と今さら取り消そうとしたところ。 さっきから黙って瞬きばかりしていたヒカルが、ちょっとしょんぼりとした顔してぽつりと呟いた。 「……、負けた」 「……」 (負けたんだ……) 帰り道、静かに積り続ける雪は、辺り一面まるで真っ白な絨毯のよう。その上を、転ばないように気を付けながらゆっくりと並んで歩く。 雪の日というのは、やけに静かだ。だからだろうか、私達の間の無言が、いつもより重く感じる。何か適当な世間話でもして誤魔化したいのに、ちっとも話題が頭に浮かんでこない。 「、そこ滑らないように気を付け……あ」 「……どうしたの?」 うん、わかったと頷こうとしたところで、ヒカルが急に口を噤んだ。 「……なんでもない」 「ふうん」 「……」 「……」 「その。は……受験だから。滑るとか、落ちるとか、そういうこと言わないようにしてたんだ」 ヒカルは、なんだか申し訳なさそうな顔をしてそう言った。私はべつに気にしていないし、言われるまで気付かなかったし。だから「べつに大丈夫だよ」と答えた。 「いや、でも滑るとか言っちゃだめだって母さんが……。滑る、落ちる、転ぶは禁句だって。だから俺、滑るとか、言わないようにしてたのに」 「……うん、もうすごい言っちゃってるけどね」 「ごめん」 「いいよそんなの、気にしないで」 「すみま千円」 「……」 「ごめんな謝意」 ……ダジャレの方がよっぽど滑ってると思うけど。つっこんだ方がいいのか少し迷いながらも、おそらくは素直に謝っている(つもりの)ヒカルに対して、ちょっとそれはできなかった。 しばらく歩いて、私の家の前まで来ると立ち止まる。頭の上には雪がぱらぱらと積もっていて、それを払おうとするより先にヒカルが払ってくれた。 「……ありがとう」 ヒカルは、小さく頷いた。白い息を吐きながら雪景色を眺めていると、あんなに暑かった眩しい夏は、あまりに遠く感じる。 ……私の帰る夏は、もう、ないけれど。 「」 「なに?」 「……」 じ、と見つめられてそれを見返す。ヒカルは少しの間沈黙していたけれど、特に急かしたりはせずにそのまま言葉を発するのを待っていた。 「高校に行っても……、仲良くして欲しい」 「……え、」 「が、高校生になっても。大学生になっても」 「……」 「友達でいてくれるか」 真剣な眼差しでそう言うヒカルに対して、今度は私の方が沈黙してしまう。何度か瞬きを繰り返しながら、すっかり冷たくなってしまった頬や、鼻先がなんだかツンとする。 どんな時も、そばにいてくれようとするヒカル。私の居場所を守ってくれようとしていることは、痛いくらいに感じている。 それは本当に嬉しいし……ありがたいと思う。でも、いつだって胸が苦しくなる。優しいヒカルにそんな言葉を言わせたりして。私のせいでごめんね、って謝りたくなる。 「うん」 「……」 「ずっと友達だよ、ヒカル」 泣きそうになるのを堪えながら、精一杯の笑顔を浮かべてみせる。 「約束、して欲しい」 「……わかった」 「……」 「約束するよ」 明るく笑ってみても、ヒカルは同じように笑顔になってはくれなかった。口先だけの約束なんて、するつもりない。嘘を吐くつもりも、騙すつもりも……。ヒカルのことを傷付けたくなんてない。 だけどその交わした約束は、私にとっては”誓い”というよりも”願い”だった。「そうであったらいいのに」という、ただの、希望に過ぎない。 何年後も何十年後も、当たり前に「友達だ」と笑って言える、そんな未来。それはあまりに簡単なようでいて、あまりにも難しく、過ぎた夢に思える。それなのに、いつだって、そんなことばかり望んでしまうのだ。 季節がどれほど寒くても、私の心の中にはいつも夏が棲んでいる。 もう戻れない、あの、懐かしい夏の思い出――。それはいつだって優しいけれど、どこまでも遠く切ない。 「。指切りして」 そう言って小指を立てて近付ける彼の姿には、まるであの頃の幼い面影が重なって見える。他愛もない約束をしては、その度に指切りをして遊んでいた。 「……」 私は、少しためらった後に自分の小指をその差し出された指に絡めた。すっかり大きくなった彼の手は、年月の流れを感じさせる。 「、約束だ」 ずっと友達でいる、なんて。私以外のみんななら、そんなのわざわざ約束なんてしなくても当たり前のことなのに。それなのに。こんなことさせて……、ごめん。 ごめんね、ヒカル。 雪がはらりと頬に舞い落ちて、体温で溶けるとじわりとにじむ。それともこれは私の涙だろうか。ずっと友達でいたい、と心の中で泣き続ける私の、涙だろうか。 |