フレンズ...32 冬休みも開けて3学期が始まってからあっという間に1か月が経った。いよいよ受験も近付いてきて、この頃はなんだか落ち着かない。 休みの間中悩み続けて、私は結局、希望通りの女子校へ進むことを決めた。自分の意思で決めたことだ。虎次郎ちゃんは関係ない、とどんなに自分に嘘を吐いてみたところでそんなのは何の意味もないことで。 いつも虎次郎ちゃんと彼女の顔ばかりが頭の中に浮かぶから、結局は、私はそれから逃げ出したいのだろう。 あの二人が一緒にいるところ見るのがつらい。嫌だ。それが本音だから、そう思ってしまったのだから、もう仕方のないことだ。でも、小さい頃にみんなと交わした約束を破るのは、とても心苦しい。小指を繋いだヒカルの姿が目の奥に浮かんで、それは痛みをも伴った。 同じクラスのハルや聡くんの顔もなんだか真っ直ぐに見られなくて、話し掛けられても曖昧な態度ばかりとってしまう。今日だって、放課後ろくに目も合わせずに「じゃあね」とだけ言って、そそくさと帰ってきてしまった。 どうしてもっと上手くできないかな、と溜息を吐きながら校庭をとぼとぼと歩く。 「ちゃーん」 名前を呼ばれた様な気がして、立ち止まって辺りを見回してみるけれど、それらしき人の姿はない。気のせいかな、とまた歩き出すともう一度、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。 「……?」 きょろきょろしてみても、やっぱりそんな人はいない。 「上だよ、上ー!」 「え、?」 見上げると、3階の教室の窓からケンが身を乗り出してこちらに手を振っている。近くにいる生徒が「危ない!」と慌ててその制服の裾を掴んでいるのが見えた。 ケンっぽい声に聞こえたのはやっぱり気のせいではなかったのか。幻聴じゃなくてよかった、とほっとするけれど大声で私の名前を呼んでいる彼の行動にはっとして、今度は慌てる。 「ちょっと、ケン……」 「ちゃん今帰るとこー?ねえ、ちょっとそこで待っててー!」 「えっ、あの」 「すぐ行くから!待っててねー!!」 ケンは一方的にそれだけ叫ぶとパッと窓際から姿を消してしまった。ああ言われては勝手に帰ることもできず、不思議そうに見てくる周囲の生徒の視線に耐えながらケンがやってくるのを待っていた。 「お待たせ―」 3階から降りて来たとは思えない程のスピードで、ケンは笑いながら走って来た。 「ちゃん久しぶりだね!」 「そう……?」 言いたいことはあってもひとまず飲み込んだ。それから相変わらず私にも明るく接してくれるケンになんだか申し訳ない気持ちになって、思わず目を逸らす。 「うん、最近全然顔見ないからさ。見つけて嬉しくなっちゃって!あ、でもただ呼んだんじゃなくて、本当に用事があったんだよ」 「……私に?」 「そう!ねーちょっと部室寄っていいかな」 「いいけど、……」 ちょっと不安になりつつも聞けずに大人しくついて行く。歩いている間もケンはあれやこれやと色々なことを明るく話してくれて、いつの間にか私もつられて笑っていた。 部室に着いてパタリとドアを閉めた後、ケンはごそごそと自分のバックの中から何かを取り出して「はい」と私に差し出す。それは、ピンク色した可愛い紙で包装された、小さな箱だった。 「……なに?」 「なに、ってバレンタインのチョコだよ」 「バレン、タイン……?」 「そ!僕からちゃんに。だからほら、受け取って」 不思議に思いながらも、「ありがとう」と言ってその箱を受け取った。そういえば受験のことで頭がいっぱいだったけれど、今日はそんなイベントの日だったかもしれない。 思い出してみれば、クラスメイトの女子がみんなコソコソと何か楽しそうに話をしていた気がする。でも、……。 「男の子のケンがくれるの……?」 「あれちゃん知らないの?逆チョコ!モテる男はやっぱり貰うんじゃなくて、自分からあげる方じゃなきゃね」 「そ、そうなんだ」 「そうだよ。あ、でも心配しないで深い意味はないから。友達の女の子にもみんな配ってるんだ。いつもの感謝の気持ちだよ」 「そっか、……ありがとう」 あーでも、やっぱりちょっとはみんな本気にしてくれないかなあ?!とか何とか独り言を言っているケンは、小さい頃からちっとも変わってなくて、可愛いと思った。素直で明るくて、優しい良い子。 ちょっとモテに固執してるところはあるけど。 まさか自分がチョコをもらうとは思っていなくて、驚いた。感謝されるようなことなんて何もしていないし。だけど、それ以上に嬉しい。ケンの優しいそんな気持ちが……嬉しかった。 「でも、なんで部室で?」 「あ。それはさ、ほら。やっぱりそういうとこ目撃されたら嫉妬しちゃうかもしれないからさ、他の女の子が!」 「……あ、そうなんだ」 「だからこっそり渡してるんだー。ねえちゃん、せっかくだから座ってゆっくりしてってよ!」 ケンは言いながらギギ、と椅子を引いて私に向ける。本当は誰かに出くわさないうちに早いとこ去りたかったけれど、チョコを貰った手前、そんなことを口に出すことはできなくて勧められるままに椅子に腰掛けた。それからケンも近くの椅子に腰掛ける。 「3年生はもうじき受験だよね」 「……うん」 「ちゃんは、高校みんなと同じところでしょ?」 「……」 当たり前の様に聞かれて、押し黙ってしまった。どうしたのかと不思議そうな顔をしてこちらを見るケンの目を見たら、嘘を吐くのはしない方がいいと思った。 少しためらった後に自分が希望している女子校の名前を口に出すと、ケンは「へえ」と言って何度か瞬きをして、それからわずかに目を伏せると今度はケンの方が黙ってしまった。 私も何も言わずにいて、少しすると、ケンは静かなトーンで話し始める。 「……それは、ちゃんが決めたことだもん。いいと思うよ。……でも、……」 「……」 「でもさ、……僕、なんだか寂しいな……」 「……」 「ちゃん、ずっと一緒だったのに。中学生になってからだんだん離れていって……あんまり話せなくなって、なんかすごく遠くにいっちゃったみたいで……」 悲しげな表情をするケンを見ると、まるでキリで突かれたように胸が痛い。そんな顔しないで、と言いたくてもそうさせているのは私だから、そんなこと言えない。 「ちゃんのことすごく好きなのに、どうして一緒にいられないんだろうって……。ちゃんてさ、年上だけどいっつも僕と同い年みたいで、優しくて……だから、」 「……」 「昔みたいに、またみんなで一緒に遊べたらいいな、って……ずっと思ってたんだ」 泣きそうな顔をしているケンを慰めたいけれど、どうしたらいいのかわからない。こんな私でもまだ好いてくれている彼を想えば、ただ酷く胸が痛くて、ごめんねごめんねと心の中で繰り返す。 いつだってにこにこ笑って明るく振る舞いながらも、心の中ではずっと悲しんでいたのだ。顔が笑っているからといって、心までも笑っているとは限らないのに。 「あ、こんなこと言って困らせてごめんね……そんなつもりじゃなかったんだけど」 「ううん……」 気を遣って笑ってみせるケンに、小さく首を振るしかできなかった。 「……。ちゃんの高校のこと、みんなは知ってるの」 それから少しの間沈黙が続いた後に、ぽつりとケンが呟くように尋ねる。 「……知ってるよ」 「そっか。サエさんも……?」 「……うん」 その名前が出て一瞬どきりとしたけれど、小さく頷くとケンはもう一度「そっか」と言って俯いた。 「サエさんとちゃんが付き合えばいいのになあ……」 「……え、?」 「そうしたらもっと会えるのに。そうか、いっそ結婚したらいんだ……」 何の話、と思ってもどこかしょんぼりした様子で俯きがちのその顔を見れば、止めることもできずに黙ったまま聞いていた。ケンは、まだ知らないのかな。虎次郎ちゃんと、彼女のこと。 「ちゃんは、サエさんのこと好き?」 顔を上げてこちらを見たかと思えば急にそんな質問をされて、私の心臓はどきどきと鼓動が早くなり、口籠った末に結局何も答えられなかった。 「好きなんだよね」 ケンは見透かした様にそんなことを言う。だけど、違うとそれを否定することもできずに、ただ黙っていた。今さら、くだらない言い訳をしたところで何の意味もないことはわかっていたから。 「サエさんだって、ちゃんが好きだよ。僕知ってんだ」 「……そんなわけないよ」 「えーだってサエさんちゃんに一番優しいし……昔からそうだよ。サエさんにとってちゃんは特別なんだ、他の子と全然違うんだもん」 ケンはべつに冷やかす風でもなく、相変わらずどこか浮かない表情でどれだけ虎次郎ちゃんが私を好きか力説する。 だけどもしそうだったとしても、それはもう昔の話だ。いくらそんな話を誰かに聞いたところで、喜びの感情には繋がらず、寂しさや虚しさを感じるばかり。 「サエさんてば、案外根性無しなんだもんなー。いっそちゃんの方から告白しちゃうってのは、どう?僕協力するからさ」 「……」 あの日、泣きながら虎次郎ちゃんに好きと言った浜辺で見たオレンジ色した夕暮れが、今もずっと瞳の奥に焼き付いて離れない。 ……夕暮れだけじゃなくて、顔も、声も、手の感触も……。虎次郎ちゃんの、何もかもが。 「……べつに、いい」 「えー、なんで。だってさ……、」 「いいんだ」 冷たい冬の風に吹かれて、部室のドアがガタガタと音を立てる。あの浜辺も、今頃はきっと荒々しい波に飲み込まれているのだろう。 「……そっか」 ケンは小さくそう言うと、それ以上は言わなかった。 「ちゃん。女子校に行っても、たまには遊んでくれると嬉しいな」 「……うん」 「受験、頑張ってね」 無理に笑顔を作っていることは痛いくらいにわかった。それでも、こちらも笑って頷くしかない。寂しそうに笑う顔は、泣いている顔よりも切ない。……そう、思った。 |