フレンズ...08


「約束?」
「ハルも一緒にいたでしょ、小学生の時、海辺で三人で……」

あれは七夕の頃だった。放課後、私と虎次郎ちゃんとハルの三人は海で貝殻拾いをして遊びながら、竹に飾った短冊の願い事の話をしていた。

二人はやっぱりテニスのことで、それから「は、なにお願いしたの?」と虎次郎ちゃんに聞かれて、私は海の中に突っ込んでいた手を引き上げた。

はね、虎次郎ちゃんのお嫁さんになれますように、って書いたの」

まだ虎次郎ちゃんを遠く感じる前のことだった。ただ純粋に好きで、後ろめたさとかもなくて。ためらうことなくそう言うと、虎次郎ちゃんは二、三回、目をパチパチさせたあと、

「じゃあきっと叶うよ」
「ほんとう?」
「うん。僕、のことお嫁さんにする」

とにっこり笑った。それから虎次郎ちゃんは海で拾ったピンクの可愛い貝殻を婚約指輪の代わりに私にくれて、ハルがその立会人になった。

それから、大人になったら、海の見える教会で結婚式しようって、約束した。



「約束、したの……虎次郎ちゃん、私のことお嫁さんにしてくれるって、言った」

今でも昨日のことのように覚えている。忘れたくても忘れられない。大好きな人との結婚の約束、忘れられるはずがない。

「でも、もうあの頃とは違うの……私」
「何も違わないだろうが。だろ」
「……違うもん」
「なんで、そう決め付けるんだよ。誰かにそう言われたのか?お前違うぞって」

なあ、とこちらを見るハルの声は少し低かったように思う。呆れた、とまではいかないけれど、それに近いような雰囲気で。

確かに他の人にとってみれば訳がわからないかもしれない。勝手に私がそう思い込んでいるのだろうと頭の中ではわかっていても、うまく心の整理ができないでいた。

私はきっと今、海の真ん中で溺れてもがいている。泣きながら、岸辺にいるみんなに向かって声にならない声で、助けて、助けてと苦しんでいる。勝手に沖に出て溺れたのは私なのに。

「そうだよね、誰も言ってないのにね……」

おかしいでしょ、と笑うつもりが、勝手にぽろっと涙がこぼれ落ちて制服のスカートの生地に吸い込まれていった。

あの日からずっと、白い砂と一緒にガラスのビンの中で眠り続けるピンクの貝殻もきっと泣いてる。


(……虎次郎ちゃん)

虎次郎ちゃんはあの頃からずっと変わらずに、みんなの憧れの王子様のまま。

けれど、私は違う。


私は……、お姫様にはなれなかった。



「バネさん」

急にヒカルの声が聞こえて、顔を上げた。テニスウェアにラケットを持ったままのヒカルは、私が泣いていることに気がつくと、少し険しい顔つきになってハルの方を見る。

「……何の話?」
「ったく、ああわかったよ、ダビデお前の言いてえことはよ」

私達が何の話をしていたのか聞こうとしたヒカルの声をさえぎって、立ち上がったハルのことを私は座ったままで見上げる。

「でもな、俺達は今大事な話してんだ。悪りいけど邪魔すんな」

ヒカルに顔を近づけて、少し強い口調で言ったあと「行くぞ」と私の腕を掴んでこの場を去ろうとする。早足で歩くハルに引っ張られながら後ろを振り向くと、ヒカルは追いかけては来ずに、さっきのところからこちらを見ているだけだった。

その唇は、声を出さずに「」と動いたようにも見えた。


そのまま連れてこられた場所は、この前ヒカルと話をした体育館の裏だった。ようやく腕を離してくれたハルは、小さな声で「スマン」と言ったので何かと思ったらまたこの前みたいに腕を掴んだことに対してだった。

ううん大丈夫、と言うと、体育館の壁に寄りかかって私の目を見る。

「話は変わるが……、ダビデのことだけどよ。……あいつがガキの頃からお前のこと好きって、わかってんだろ」
「……」
「ダビデはなあ、のことになると周りが見えなくなんだよ。さっきだってそうだろ」

急にそんな話しなくても、と思いながら私は何も返せなくて、ただうつむいて自分の靴ばかりを見つめていた。

「お前、自分じゃわかんねえかも知れねえけど、ダビデのこと相当振り回してんだぞ」
「……」
「あいつああ見えてかなり純粋なんだ。だからもしが今でもサエのことを好きなんだったら、勘違いさせるようなことするなよ」

ヒカルが私のことを好きだって、知らないわけがなかった。それが友達とか家族に対しての好きとはまた違うことも、わかっていた。

でも、わざと気がつかない振りをしていた。

だって、


「ダビデも男なんだ。昔のちゃんのお友達じゃないんだ、わかってくれよ」
「……」
「これ以上アイツのこと振り回さないでやってくれ……

苦しそうな声で、私に頼み込むようにハルはそう言った。兄貴分のハルは、本当にヒカルのことを思って言ってるとわかる。

ヒカルの気持ちに、気がつかない振りをしていた。

(だって、……)

だって、ずっと……一緒にいたかったから。


それはわがままだとわかっていた。
そしてヒカルを傷つけていることも、きっと心のどこかでわかっていたはずだ。

ずっと一緒にいたい。離れたくない。でも、「そんなの無理だよ」って、誰かの笑う声が聞こえる気がする。いつまでも変わらずにいたいのに、周りが、時間が、それを許してくれない。

終わりなんてないと信じていた日々に、確実にその日が近づいてきているのを、きっと誰もが感じ取っているだろう。

でも、……

私がいなくなれば、きっとまたみんな元通りになる。
空いた隙間は、あの子が埋めてくれるだろう。


「ハル、私、高校……女子校に行くことにしたの」

亮くんに躊躇して言えなかったこと、今、やっと口に出す覚悟がついた。思った以上に低い声で出たその話を聞いてもハルは何も言わなかったけれど、その目は少しだけ、驚いたように見開いた。

私はここにいてはいけない。これ以上誰かを傷つけて、悲しませるくらいなら、その前にいなくなればいい。

(……これでいいんだ)

と自分に言い聞かせても、心の奥の方にいるもう一人の私が、嫌だ離れたくないと言っている。ずっとみんなのとなりにいたいと、泣いている。



私が虎次郎ちゃんのことを好きにならなかったら。
ヒカルが私のことを好きにならなかったら。


(……もしも、私が、男の子だったなら)



ずっと一緒にいられたかな。




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