高断熱・高気密という言葉は、非常に軽快であり、受け入れやすいが、実態はどんなものなのだろうか。断熱は分かりやすいが、気密は難しい。完全密閉の部屋では窒息してしまうし、気密のよい家は換気を頻繁にしなくていけない。つまり、24時間の機械による計画換気である。気密性の向上と裏腹にこれらが必需品となり、コストアップになるので、あまり積極的に考えてこられなかった。我が家がそうであったように、今までの日本の住宅はすきま風が入るのは当たりまであったから。
ところで、輸入住宅を批判する人たちは、必ずといってもいいほど、「日本の高温、多湿の気候風土には合うはずがない」という。結露を考えると、断熱材を厚くする効果は、逆効果でそんなに高断熱の投資は必要ないであろうか。高断熱・高気密は、夏窓を開放すれば、今までの普通の家とまったく変わらないのだろうか。
しかし、我々は、高断熱・高気密の住宅が日本の気候風土に合わないかどうかではなく、高断熱・高気密を達成させるための諸外国の技術をいかに工夫して取り入れ、その地方なりの必要な物を適切に施工し、エネルギーコストを抑えた、エアコンを前提としない省エネで快適な住宅を建てること考えなければいけないのではないか。そのための投資は決して無駄とは思わないし、開口部の処理、特に断熱性を阻害する熱伝導率の良いアルミ建具等も再検討し、ペアガラス等を組み入れた断熱性の高い将来に残せる長寿命の住宅を建設すべきではないだろうか。私も、これに耐え兼ねて約25年足らずの両親の建てた家を建て替えたいと考えているので、身にしみて感じている。
数千万円を投資した家が、20数年足らずで取り壊しになることでは、いつまでたっても日本人は住宅に関して豊かになれない。2500万円の住宅が25年の寿命であったとすると、金利負担なしでも毎年100万円の負担である。金利を含めると(金利は変動しているが)返済額は元金さらに維持費あわせて約200万円以上になるのではないか。そうすると、我々は、毎年年収からこの額が引かれた物が可処分所得である。そして、25年後には0となるのだからたまった物ではない。いわゆる長期的には財産ではなくなってしまう。
欧米の様に、木造建築であっても100年以上の年限を大事に使うことを考えると、資源のない日本人が一番贅沢をしているのかもしれない。あえて、百年使える住宅を検討していきたい。これには、最終的には構造部材が持たねばならないし、当然時代時代の生活環境に満足できる設備等が確保されつつ、住宅としての断熱等の基本性能が保持されなければならない。
住宅展示場での説明を聞くと、自社の製品と比べて、そういった画一的な気候風土の観念論で説明されることが多く、省エネルギー基準による当地域の区分を満足しているから問題なく、それ以上は無駄であるかのような説明が多い。住宅総コストを下げなければ受注できない事情もあることだし、他社とのコスト比較もあるだろう。
それでは、高断熱の高とは何を基準にして「高い」のだろうか。20年以上前のオイルショックの頃に比べてか。そうだとしたら、すべてが該当してしまう。やはりこれは、省エネの基準の地域区分の仕様以上を達成していなければならないのではないか。
ちょっと極論かもしれないが、現在のこの基準は寛大すぎはしないか。私の住んでいる埼玉県は区分Wであるが、これは同地域の中で一番北に属する。隣の区分の群馬・栃木県と比べて見ると、天気予報の時の最高気温と最低気温の報道で、埼玉県は熊谷であるが、冬の寒さもそれほど変わらないし、夏の気温ではもっと南の東京、神奈川よりも暑いのである。要するに内陸型の気候なのであり、暑さ寒さの条件は、厳しいものがあり、告示の仕様では満足できかねる。次に家を新築するときは、1ランク上の地域を前提に考えたい。 この基準も11年の春には、将来を考慮した新しい省エネの基準が出来る様であるので、ぜひ先取りしたいものだ。
(* 平成11年2月の建設省のホームページに新基準の公聴会開催の告示があった。なかなか注意してよく探さないと、見つからない)