4.実施計画の見直し
当初の区画整理事業実施計画では、施行年度は昭和48年度〜58年度までの11年間(工事期間は51年度〜55年度の5年間)事業費は54億5,300万円(50年度積算)であった。(5ページ参照)
建物移転工事は、51年度末ぎりぎりの52年2月から始まった。ところが最初の頃の市の事業予算は国(建設省)の補助金が、予定事業費の半分にも満たないこということが2〜3年も続いた。このため、事業は進まず、当時の試算ではこの状態が、続くならば、完結までには20年以上もかかってしまうという計算が出た。市は国庫補助金の増額について懸命な努力をしたし、区画整理推進委員会も国への陳情を繰り返した。(34ページ区画整推進委員会の項で詳述)その上、当時は物価高騰の折であったため、事業費は膨らむ一方という時代でもあった。
従って、市では施行年度、事業費も大巾に見直さざるを得ないことになり、その作業を53年から始め54年11月に実施計画の変要が認可された。
それによると施行年度は、48年度〜67年度(工事期間は51年度〜62年度までの12年間)事業費は105億9,800万円と大巾な修正であった。
これは施行期間では、当初の11年間が20年間に、工事期間は、当初の5年間が12年間にとそれぞれ延長されたことになり、事業費は倍近く膨れ上がったことになる。(次ページ56年9月作成分参照)見直しによる事業費の倍近い増額は、必然的に県費負担分も市費負担分も増額せざるを得ないことにつながった。
特に市費負担分については、当初は市単独経費を含めて11年間で12億2,500万円であったものが見直しでは総額が28億1,900万円余り(2.3倍)になってしまった。(19ページ参照)しかも、その増額分は55年度以降の負担分に集中していたため、他地域の市会議員の中から「建設関係予算の大半は、中込の区画整理事業に持ってゆかれてしまい、他の事業が全然できないではないか」という不満や不平が多く出されたと聞いている。
その後、この実施計画書は2度にわたって見直しが行なわれ、最終事業費96億1千万円で完結を見るに至った。(21・23ページ参照)
この大巾見直しは、現実的にはやむを得ない措置ではあったが、結果的には商店街近代化事業にも大きな影響を及ぼすことになった。
当初商店街近代化事業の施行年度は、区画整理事業の工事期間が51年度から55年度までの5年間であったため、51年度から54年度までの4年間と決められていた。ところが、区画整理事業の工事期間が、62年度まで延長されたことから、近代化事業も58年度までと、要に4年間延長されることになった.(40ページ商店街近代化事業の項で詳述)
なお、見直し後の区画整理事業の執行は、問題点は抱えながらも、事業予算もほぼ計画どおり確保できたことから62年度(63年3月)をもって、工事のすべてを終えることができた。