3.着工順位

 まず、問題になったのは、A・B・Cブロックのうち何処から着工するのかの順位決定であった。もちろん各ブロックが同時に着工できれば問題ないのであるが、権利調整の問題、区画整理事業の事業費の問題、あるいは高度化資金借入れの問題などの関係でそんなことは不可能である。否応無しに着工順位とその範囲は決めざるを得ない。どこのブロックでも自分の所を先にしたいという考えがあった。

・Aブロック・・・・・・中込駅は中込商店街の「顔」である。「顔」の部分から手をつけるのが常識である。
・Bブロック・・‥・・権利者が他のブロックに比べて少ないので調整がやり易く面積が一番狭い。中心から手をつけて逐次両側(A・Cブロック)へ拡げてゆくことが良い。
・Cブロック・・・・・Aは駅前立地なので一番集客力はある。またBは街の中心であるとともに、いちかわとパラス(計画中)という大型店がある以上吸引カは大きい。それに比べCは面積も一番広いし、権利者も多い。さらには、国道を横断して来なければならない。立地条件から言えば最も悪い条件下にあるのだから、ここから先に着工して少しでも悪い条件をカバーすべきである。それが組合精神である相互扶助というものだ。

 などとさまざまな意見が出された。いずれももっともな意見であり考え方である。しかし、どんなに先にやろうとしても権利調整ができないことには手はつけられない。しかも、区画整理事業による建物移転は51年度から始まることになっている。何が何でもこれに間に合わせなければならない。その点Bブロックは最も条件に合っていた。権利者の数も一番少く面積も一番小さかった。
 当時Bブロック内の最大の権利者は八十二銀行で、同行は支店の建物敷地を含めてBブロックの約半分近い土地を保有していた。そのうち貸地分(借地権者7人)約500坪を組合が同行から買い受ける事によりほぼパラスの調整はできる。その他は従来の権利を継承するという形で調整できる見通しであった。従って、深川コンサルタントの判断もありBブロック先発と決まり、昭和52年1月24日今の地下道東口付近で起工式を行ない、いよいよ商店街近代化事業は着工の運びとなった。
 続いての順位はAブロック、しんがりはCブロックと決まった。しかし、区画整理の進み具合によっても大きく左右されるので、ブロック単位ですべての店舗が同時進行という訳には行かなかった。
 自分の店の移転先が決まったので店舗は取り壊してしまったが、移転先ではまだ建物移転が行なわれていない、というケースは幾店もあった。極端な人は、仮店舗で3年間営業した人もいたほどである。従って、着工順位は大まかな一つの目安に過ぎず、結局は権利調整ができて、区画整理事業による建物移転が可能な場所からということになった。
 先発のBブロックの中でも、しんがりのCブロックと同じ時期に店舗を建築した店もあるし、Aブロックと同じに着工したCブロックもあるなど、最終的には全ブロックで近代化事業が行なわれるという結果になった。ただ、ここで問題になったのは、先発店舗と後発店舗の所得格差の調整ということであった。
 先に店舗を新しくした店は、冷暖房も完備し、インテリアも近代感覚を持った店に生まれ変るため吸引力は強くなる。それに引き替え、後発店舗は昔のままの店舗であると同時に、周辺の道路など環境がどんどん変わってしまうため、客足は遠のく一方という結果になってしまった。
 当然の結果として、先発と後発の間に大きな所得格差が生じることになり、後発ブロックから格差是正についての問題が提起された。そのため賦課金の中に「前後割」という賦課基準をつくり、これにより調整することになった。それによると、その年度の総予算領の30%を「前後割」とう基準で賦課し、その賦課割合は、次のように決められた。

着工年度 51 52 53 54 55 56
賦課割合 5 4 3 2 1 0

 


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