(55街区)

 さて、中込商店街駐車場の目玉として計画されていた55街区(国鉄所有地2,361.19m2=714坪)であるが、この経過については幾多の変遷があったのでその大要を述べて見ることにする。
 この55街区は、マスタープランの中でも、また商店街の実施計画の中でも全部を市営駐車場にするという計画であった。そのため、この駐車場に隣接するAブロックの確利調整による業種構成、あるいは店舗配列はすべて、その駐車場化を前提に行なわれたのである。
 しかし、この用地は国鉄の所有地であるので、市はこれを買収しなければならない。組合では早期に駐車場化するため、市とともに長野鉄道管理局、国鉄本社に対し何度か陳情をした。最初の頃は、国鉄側も大分好意的に受け止めていたように見えたが、民営化が進むにつれて対応が変わってきた。すなわち、この用地は売却しないで国鉄職員の福利厚生施設としてテニスコートなどのスポーツ施設にする、という話しであった。
 一方、市当局では、区画整理事業に莫大な市費が中込へ一方的に注ぎ込まれていたときでもあったため、その上、さらに用地買収費として2億円以上を支出することに対しては、議会の反対も強かった。
 岩村田、野沢にも商店街があるのに、なぜ中込だけを優遇するのかという不公平論と、その当時、岩村田と野沢にあった市営駐車場は廃止するという市の考え方が重なったことによるものであった。しかし、こんなことで引き下がる訳にはゆかなかった。市議会に陳情したり、地元市議(特に清水議員)にも強引に頑張って貰った.議会では、この駐車場問題について、計画策定当時の市の対応をめぐって大論議が展開されたとも聞いている。その結果、市はこの用地を買収するという大方針がこの時正式に決まった。

 ところが、既に国鉄は民営化され、この土地の管理はJR清算事業団に移管されていた。清算事業団では、国鉄当時の膨大な累積債務(赤字)を解消するため、遊休土地は1円でも高く売却することになっていた。
 そのため、売却に当たっては一般競争入札による競売を原則とし、よほど特別の事情がない限り随意契約(特定の人とのみの契約・随契)はしない、という方針であった。
 市は買収することにはなったが、地価高騰の折でもあり一般競争入札では落札できるかどうか分からない。もし、この土地が市以外の第3者に渡ってしまっては大変なことになる。多少の条件をつけられても随契で市に買収して貰わなければ将来に禍根を残すことになる。もちろん市としては随契でない限り買収することはできない。清算事業団との折衝の結果は、果たせるかな厳しい条件がつけられた。それは、この土地の利用方法は結果的にJRの収益増加につながらなければならない、ということであった。従って、商店街の駐車場という理由は通らないことになってしまった。結局、市はここへ国庫補助対象によるコミュニティー住宅2棟(A棟・・・4階建て16戸、B棟・・・3階建て8戸・1階は駐車場)を建築する、という条件で精算事業団との契約がまとまり、63年10月に2億4,180万円でこの土地を買収した。 協同組合では、駐車場という計画は消えたが消費者人ロの増加にはつながる、ということで最終的には市の計画に賛成をした。
 これにより、コミュニティー住宅建設工事(A棟)は平成元年に着工、翌2年3月には完成を見た。(B棟は平成2年度完成予定)

 このほか、昭和62年3月当時の商店会が企画した千曲川河川敷の駐車場化(収容台数58台)については、商店街関係者の寄付金と市の補助金とによって平成元年5月に来街者用駐車場として供用開始の運びになった。(第4駐車場)
また、八十二銀行の駐車場については、銀行のご好意により銀行の休日及び時間外には来街者用として無料開放して頂いている。 


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