5.近代化事業の体験から

 私は組合の専務として就職以来約13年間、組合活動を通じていろいろなことを学んだり体験をした。私は、旧中込町役場から佐久市役所まで通算27年間役所勤めをしてきたが、歩んだ道は税務、選挙、議会、企画、総務など管理部門だけで現業関係の部署に就いたことがなかった。それだけに組合へ来てから現業の醍醐味というか、張り合いというものを味わうことができた。もちろん陰の苦労というものはあったが、“新しいところへ新しい街をつくりなおす”という中込商店街近代化事業そのものが現業の仕事であった。いい体験をさせて貰ったと思っている。
 しかし反面、いろいろなニガイ体験もさせられた。その第1は、商人のエゴの強さということである。それは「自分さえ良ければよい」という考え方であり、それが「協調性がない」「他人まかせ」「責任は取りたくない」ということにつながっていると思う。人間である以上誰にだってこのような考え方はある。しかし、商人の場合これが他の人あるいは他の団体に比べて強いと言うことである。
 私は専務という立場上、多くの指導者やコンサルタント、あるいは視察団の人達と接する機会を持ったが、その人達の話を聞いてみると、ほとんどの人が同じようなことを言っているのには驚いた。
 また、その人達の評価は「中込は100人以上の組合員を一つにまとめて、これだけの仕事を成し遂げたということは実に素晴らしいことだ」と絶賛しており(多少お世辞であるかも知れないが)「どのようにしたら、そのような体制ができるのか秘訣があったら教えて欲しい」と言われることがしばしばあった。
 これに対し私はいっも秘訣などある筈はないが、ただ自分の体験からして言えることは、次の3つであるという話をしてきた。

 その3つとは、
(1) バカ3人いれば何とかなる
(2) 酒は飲め
(3) 主体性を持て
 というまことに不謹慎に等しいような言葉である。


(1) バカ3人いれば何とかなる

 これはバカになって泥をかぶる人が3人いれば、仕事というものは何とかできてゆくということである。3人というのは必ずしも数にこだわっている訳ではなく、多ければ多いはどよいには決まっているが、実際には仲々得られるものではない、という意味である。とは言っても、最低3人は必要で、1人や2人だけでは大勢を引っ張るということは困難だと思う。
 どんな仕事でも、百人中百人が賛成という仕事はないと言われている。まして、新規事業になると3分の1は賛成、3分の1は反対、残りの3分の1はどっちつかずというのが一般的な事例だと聞かされている。
 要は、反対の3分の1をどのように説得し理解させるかが、その事業ができるか、できないかを決めることになる。そのためには、火中のクリも拾わざるを得ないし、キレイごとだけではすまない。時と場合によっては自分が犠牲にならなければならないし、傷つけられもする。これらに耐えて、いわゆる「泥をかぶって」始めて相手は、その真実に理解もするし、協力もするという姿勢が生まれてくるものである。・
 ただ誤解されないよう断わっておくが、このバカ3人ということは、強引に自分達の意見や考え方を一方的に押し通すということではない。あくまでも話し合いを原則としているが、最終的には大勢のおもむくところを判断して、強引に引っ張ることは当然にしてある得ることである。事実、中込商店街近代化事業もこれらバカ3人がいてくれたことが、今日の成果を生んだ一番大きな原動力であったと信じている。


(2) 酒は飲め

 まことに不穏当な言葉で申し訳ないが、決して酒屋の提灯もちをしている訳ではない。
 まず、事業を行なう場合は、何といっても関係者の意志統一ということが前提であることは言うまでもないことである。しかし、簡単に関係者の意志統一といってもこれは大変なことである。賛成者もいれば、反対者もいる。正式な会議の場で、甲論乙駁(ばく)大いに論じればよいのであるが、実際にはこのような席ではなかなか発言しない。ある2〜3人の人の発言が主流になって、その人達の意見や発言が、その会議の結論になってしまう例が多い。
 もちろん、この結論に皆が賛成であれば問題ないのであるが、実際はその逆で、発言しなかった人が、反対意見や違う考え方を持っている場合が往々にしてある。これでは事を進める訳には行かない。
 ところが人間とは不思議な動物で、酒が入ると自分の思っていることが自然に言える性格を持っている。お互いに酒を酌み交わしながら話しをすれば、案外感情的なものも入らずに比較的スムーズに理解もするし納得もする。さらに何よりも、お互いの親密度が倍加するということは、得難い効果である。
 四角四面の会議の後のイッパイは、お互いの意志統一、あるいは意志疎通を図る上からも、決して無駄ではなかった。(会費は自己負担)
 このことは、あまり推奨することではないかも知れないが、意志統一を図る上での一つの手段であることには間違いない。
 古来、日本人は喜怒哀楽すべてのことに酒はつきものであり、今でも続いている。中込の場合、この酒の功徳を組合活動の中に及ぼしていただいたということである。


(3) 主体性を持て

 他力本願あるいは依存心を捨てて「自分達の仕事は自分達でやるんだ」という心構えを持つということである。
 商店街近代化事業の場合、市の行政当局が何とかしてくれるのではないか、または商工会議所が何とか指導してくれるのではないか、というような「待ち」の姿勢では何にもできないということである。「自分達の街は自分達でつくる」というのが、中込商店街近代化事業のキャッチフレーズであった。そんな大きなことを掲げてみたところで、協同組合だけのカですべてができるのか、と言われれば、それはできる筈がない。協同組合と言っても、所詮は商人の集まりである。資金面、技術面、指導面でも到底そんなカはない。行政あるいは会議所にお願いして、これら足りないところを補完して貰わなければ仕事はできないのである。その場合、自分達が主体性を持って事に当たらなければ道は開けない。多少、暴だ無理だと言われようが、積極的に陳情なり運動をしない限り、行政も会議所も動いてくれるものではない。
  事実、佐久市が区画整理事業に踏み切ったのも、商店街が主体になって陳情、請願を繰り返した結果によるものである。これに対して、一般住民からは、「商店街が近代化事業を行ないたいために、このような大変な事業を始めたのだ」という批判もされた。しかし現実に事業は実行に移されたのである。
 いま、佐久市当局は「中込の区画整理事業は行政主導ではなく民間主導の区画整理事業である」と視察団などに説明をし自慢をしている。
 市に対してはマスタープランの作成から始まって、職員の現地派遣・市制度資金の中への特別枠の設置・固定資産税の減免(補助制度)・駐車場設置基準の緩和及び補助金限度額の引き上げなどのほか、近代化事業のうち補助対象になり得るものについては、多少の横車を押してでも補助対象にしていただいた。グリーンモールの施設面についても、多分に無理なお願いをしてきた。
 また商工会議所に対しては、実施計画策定のための資料収集や提供、あるいは個店の経営指導、融資制度の利用、研修講習会の開催など、会議所としてできることは何でもやっで貰うということでお願いをした。
 県中小企業総合指導所、県中小企業団体中央会などに対しても、商店街診断や個店の経営指導、講師の依頼等々、その立場立場でできることは積極的にお願いをした。
 もちろんお願いしたすべてのことができるということなどはあり得ない。しかし、同じ駄目でもこちらが主体性を持って事に当たれば、妥協案というものも生まれてくるものだ。
 賦課金だけが財源の組合財政にとっては「頂けるものは何でも頂く」「やって貰えることは何でもやって貰う」という姿勢でなければやりようがなかったのである。
 国、県、市でも、商店街活性化のためにいろいろな補助政策、融資制度などの助成措置を講じてくれている。しかし、これらはいずれもこちらから食いついていかないかぎり獲得できるものではない。向こうから手を差し伸べてくれるのを期待していても、それは無理というものだ。
 自分達が主体性をもって働きかけないかぎり行政は動いてくれない、ということを銘記すべきである。
 中込商店街近代化事業については、全国各地から数多くの視察団が訪れている。その視察団の構成は、行政担当者あるいは議会議員の場合、商店関係者だけの場合、両者混合の場合などさまざまである。その中でよく聞かれることが商店会関係者の場合「自分達は何とか活性化の方策を探ろうと考えているが、行政は予算が無いなどと言を左右にして応じてくれない」と言う。行政担当者や議会議員の場合は地元商店街に対して「このままでは地盤沈下して生き残れなくなってしまう。今のうちに何等かの手を打つべきである」と警告や指導をするが、当人達はその気にならない。どうすれば良いのかと言う。
 これらに対して私は「商店街の人達が、その気になっている場合は何とでもなるが、その気にならない場合は、何とも救いようがない.むしろ行政や議員は、商店街の人達をその気にさせるよう指導したり説得することこそが、本来の使命ではないか」と説明している。
 要は、他力本願では物事はできないということである。

 以上、私の体験から3点について述べてみたが、これはいずれも独立して機能している訳ではなく、常に3つが総合的に融合してはじめてできるものであることを申し添える。


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