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セブ島の空港から、車で3時間のアルガオ、 更にボートで1時間30分の カビラオ島へ
ここまで来れば、無人島かと思えば、たくさん人が住んでいるんですよ!!
我々のボートを見て、カビラオ島の現地の人が集まってきました。 |
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現地の人が釣った↑サカナ↑
カビラオ島の水中写真
全般的に透明度が悪かった時期ですが
カビラオは、セブ近海より良かったです。
すべて、ドロップオフのポイントでした。
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セブ島タンブリ ビーチリゾート |
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アルガオ 滞在でのダイビング終了後、翌日のフライトに備えてタンブリに移動です。
セブの空港に近いタンブリに移動したのは、クルマや道路事情を考えての事です。
例によって夜の部の時間。飲んで食べて踊ってフィリピンの夜は更けていくのでした・・
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タンブリの朝、楽園から地獄の旅へのはじまり・・・お腹が 「ぐるるる・・」 |
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フィリピンに限らず、パラオなどでも
南国で、細菌性の下痢に襲われると
正露丸を飲んでもどうにもなりません。
セブ空港に近い、タンブリでの発病は
幸いでしたが・・
帰りが、遠いアルガオからでしたら、
帰れなかったと思います(笑)
更に悪夢が!!
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セブの空港に着くと、管制塔が閉鎖された事を知りました。政治的な理由か賃金交渉かわかりませんがストです。
朝から、セブ空港の待合室で、サンミゲールを飲み続ける事になりました。お尻を押えながら(笑)
僕たちは 約30分間隔で屋外にある、トイレに行かなければならない体調でしたが、
そのたびに、チップは要求されるは、しつこいお土産売りに囲まれるという地獄の時間を過ごしました。
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マニラ到着!
しかし日本に帰る飛行機は既にありません。ハイアットリージェンシーに宿泊。15ドルの割には広かったですよ。
国際電話もオペレーターを通じて接続する時代でしたね。日本との会話にも時差が生じます。
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翌日、フィリピン航空機は、成田空港に到着。
下痢は止まらず検疫に申告したメンバーは、お尻に強烈な検査を受ける事に!まだ事件は終わりません(笑)
更に翌日、帰りのフィリピン航空機内で、コレラ患者が発生した事が判明!
携帯電話やポケベルも無い1986年 保健所から指名手配される事になったのでした。
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