モドル

■君の名を呼ぶ静かな声 四

「どう・・・すれば、よかったんでしょうか。私は、どうすべきだったのでしょう。あの人と一緒にいると、なんだか違う自分になれるような。そんな気がして。でも、怖いんです。怖くて、手が伸ばせなかった。足がすくんで、声も出せない。どうしたらいいんでしょう?あの人は行ってしまいました。それなのに、私は何もできない。」
 顔色一つ変えずに、声もなく泣いているクラウスを、ビクトールは心底哀れだと思った。
 だが、彼女はもういない。もう終わってしまったのだ。初めての孤独に涙する青年を優しく抱き寄せながら、ビクトールはただ天を仰いだ。

■□■

 柔らかな日差しが、窓から差しこんでいる。三月も半ば過ぎ、ラダトの街は春の色を身に纏いつつあった。あと半月もすれば、淡く煙る桜の花びらで、街は更に美しく彩られることだろう。
 クラウスがシュウの元に師事してから三回、その景色を見た。長いようであっという間にすぎた三年間。師の毒舌は相変わらずだが、彼から学ぶにつれ、己の知識の浅薄さが思い知らされた。こんな未熟者がハイランドで軍師の任を担っていたなんて、思い起こすにつれ自分の僭越さに頬が染まる。3年たっても、自分は未だ師の足元にも及ばない…こんなことでは、何時までたっても一人前になれない、もっと頑張らねば。
 窓辺から見えるラダトの町の木々は、そろって白い蕾を空に誇っている。やがて訪れるであろう花の季節に心をはせて、クラウスは微笑んだ。全てが霞むほどに咲きゆれる桜の花。不意にかつて腕に抱いていた少女の微笑が浮かぶ。
「……。」
 蕾のふくらみに飾られつつある桜枝の、風に揺れるのに一瞬心をとられたクラウスは、すぐに両手に山とつまれた書類の束を抱えなおした。
 師は時間に厳しい人だ。蕾にみとれて足を止めたなどということがばれたなら、お小言ではすまない。
 早春の光に満ち溢れた景色に心を残しながら、クラウスはまたシュウの部屋へと足を向けた。

 クラウスの背中が消えた後、花の白にまぎれていた誰かが、春の空へと飛び去っていったのに、青年は気付かない。


(2002/12/01)

三へモドル | 


※…現実的に考えると、二人はその後会うこともなく、クラウスは修行を積むうちに、どこかの誰かと恋に落ちて結婚して、シエラのことは遠い昔の思い出になってしまって。で、十年後町中ですれ違った誰かに記憶を呼び覚まされたけれど、お互いに声をかけることもなくまた行き過ぎてしまう…ってところでしょう。
でも、夢見がちな私としては、こんなオチの方がいいなあ…。お伽話になってまうけどね。


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