亡父の日記2
ある老人の日記から
その2
2004.3.01追加更新 昭和四十八年(1973年) 四月一日(日曜日)晴れ 毎月一日には神仏にお光を上げて、感謝の念を込めてお祈りをする。今日も神棚のお水を替え、仏様にはお線香をあげてお参りした。 窓の外は風もなく穏やかなよい天気で、さぞ郊外は行楽の人で賑わうことだろう。午後から和夫夫婦は子供達を連れて、太秦で喫茶店を営んでいる私の弟の相川家へ、キミ子の入学祝の返礼に内祝の品を持って行った。帰りは嵐山方面へ遊びに行くらしかった。私も誘われたが、うちにいる方が気楽なので断わった。行くなら自分一人で行った方がいい。だが、それさえも面倒だった。 午後三時半現在で室温が二十七度まで上がっていた。暖かいというより、暑い感じである。四月のかかりとしては異常な陽気だった。 この前買ってきたグラビアを開いて、今度はどれを描こうかと思案しながらページを繰るのも楽しいものだ。子供の頃の絵草子とはまったく赴きが違う。 六時半ごろに皆は帰ってきた。やはり嵐山へ行ったようで、大勢の花見客で満員の盛況だったらしい。それでも花はまだ六分咲きとのことであった。 四月二日(月曜日)晴れ 町内会長が奥井さんに決まったらしいが、その他の役員はまだ決まっていない。私は今度は会計を断る考えを木下氏に申し入れていて、奥井さんから指名されても何役にも就かないつもりでいる。総会がこの土曜日にあるので、会計書類の整理をして事務の引き継ぎをする手はずだ。だいたい町内の仕事は、どんなこともやりたくなく、この年になっても人付き合いが苦手な性分は治らない。 十一時過ぎに病院へ行く。患部の周辺がかぶれているので、白い塗り薬をくれた。 弓子はミドリとキミ子を連れて御所へ遊びに行った。御所もこれからは新緑で、美しい芝生で一時を過ごすのは子供達にも大いによろしい。 四月三日(火曜日)晴れ 朝のうちはちょっと冷たかったが午後になって暖かくなった。 一時過ぎに四条大宮の福祉事務所へ行く。手続きが遅れていたコルセット代の半額分五千二百五十円を貰えることになった。お金が入ったので、帰りぎわ四条大宮の阪急前で宝くじを二枚買って帰った。当たらんと知りながら毎度のことつい買ってしまう。若い頃の花町遊びからすれば、まあまあ安い道楽と思えばよい。 大丸にも寄って五階の画廊の絵を見たが、最近訳のわからない絵に相当の値が付いているので驚いた。私はやっぱり判る絵がいい。 四月四日(水曜日)雨 今朝四時半頃、キミ子がふすま越しに、 「おじいちゃん寝られへん。」 と言うので、私の布団に入れてやった。それでもなかなか寝付かれないらしく、六時前に服を着替えて下へ降りていった。八時半に私が起きて下に行くと、服を着たまま母親の夜具の中で寝ていた。 十一時過ぎに住岡病院へ行く。この行き帰りもよい運動だと思っている。そう思わないと虚しくなってくるほど治りが遅い。 夜、弓子がリンゴを一個持って上がってくれた。なかなかおいしいリンゴだった。そう言えば、おとといも持って来てくれたのをつい日記に書き忘れていた。 四月五日(木曜日)晴れ 朝から弓子が、茂の診療にキミ子ミドリを伴って京都病院に出かけて行った。 「今日はレントゲンを撮るので、遅くなるかも分からないから、昼は先に食べてくれる?」 と言い残して出かけた。 自分で食事の支度をするのは手慣れたものだ。じゃこに大根おろしを磨り、ハムエッグを焼いて、それで充分だった。ついでにちょっとお酒を浸ける。くらげウニもあった。 二時頃に二階の掃除をしていたら、ようやく弓子たちが病院から帰ってきた。二階に上がってきた茂に、「どうやった?」と聞いたところ、もう薬は飲まなくてもいいのだとうれしそうに答えた。夏休みに一度だけ診察に来るように言われたとのことだ。茂も三年生になって、だいぶしっかり返答できるようになった。 四時頃に風呂に行く。今日は痔の具合が割合よかった。 2004.3.06追加更新 四月六日(金曜日)晴れ 十一時過ぎに住岡病院へ行く。今朝は少し堅い便が出たので、ほんの少し血が付いていた。良かったり悪かったり、その日ごとでまったく分からない。 夕食に食べた鯖の浜焼きがちょっと油臭かった。これは二三日前厚生会で、割安だといって弓子が買った品だが、確か八十円と聞いている。今頃魚は相当高値になっているのに安いのは不思議である。もしも不良品だと問題だ。世の中に安くて確実な品物がある道理がない。ちょっと心配だ。 四月七日(土曜日)晴れ このところ商品相場が毎日のように暴落している。長いこと暴騰が続いたのでその反動だろうが、大手商社の買い占めが国会の問題にもなったのだから当然の成り行きである。 キミ子が自分の部屋を掃除したいと言い出したので、弓子が掃除機を二階に持って上がってやると、もたもたしながら掃除を始めた。これも勉強の一つで大変いいことだ。 夕方になって気が付いたが、昨日の鯖は幸い無事みんなの腹を通過したようだ。 四月八日(日曜日)晴れ 今日は暖かく、花見には絶好の日和である。下の夫婦は植物園へ花見に行くとて、前夜からお寿司をこしらえて用意をしていた。私も誘われたが、気が進まないので、無理に行く必要もないので止めにした。 用意しておいてくれた寿司の昼飯を摂ろうと、お勝手でガスに火を点け、しじみの澄まし汁を温めていると、表で人声がした。弟の相川である。一人で出てきたらしい。来る十五日に法事をするので来てくれとのことであった。ついでに、杉浦姉上に送った祝品の割り前を支払ってくれた。しばらく話をしてから帰って行った。帰りに椿町の松本(下の姉のうち)に寄ると言っていた。 六時ごろ和夫と子供達が帰ってきた。聞いてみると、植物園の予定を変更して貴船の方へ行ったらしく、桜はまだ五分咲きで、人も大して出ておらず混雑はなかったとのことである。 四月九日(月曜日)晴れ 今朝はずいぶん暖く五月中旬の陽気である。暖かいのは結構だが、体調のバランスが取れず、かえってシンドく感じる。 弓子がキミ子の入学式に列席するので、朝食が済み次第に私はミドリを乳母車に乗せて御所へ連れて行く。久しぶりに広々とした御苑を散策できたのはよいが、お守でちょっぴり骨が折れた。ミドリはよく遊んで、なかなか帰ろうとしない。十一時過ぎにようやく家に辿りついたところ、弓子達はすでに学校から帰っていた。 病院はそんなことで行けなかった。 四時ごろになって気温がさらに上がりだし、二十八度と四月上旬には珍しい高温を記録した。全く気違い陽気である。暑くて、合いのシャツ一枚になってもまだ暑いのである。 四月十日(火曜日)雨 前夜一時ごろだったと思う。茂が咳をし出したが、なかなか止まらず、私も気になるので二段ベッドまで行って、「どないや」と聞いてみた。蒸し暑くて大分汗をかいている様子で、階下で寝間着を着替えて来ると下りて行ったが、そのまま親の傍で寝てしまったようだ。下からは咳も聞こえて来なかった。 朝から雨がしとしと降っていた。キミ子が今日は初の登校の日である。早い目に起きて、いそいそと一人で行ったらしい。兄ちゃんの茂と一緒に行けばいいのに両方とも嫌がって、別々に登校して行った。 十一時過ぎ病院へ行く。医者は今日は注射をしなかった。もう注射の必要がないのか、それとも忘れたのかどちらかだろう。 三時半ごろ銭湯に行く。前々から腰の悪い老人が早風呂に来ていてよく出逢う。椎間板ヘルニヤの上にギックリ腰だそうだ。過日、私が星崎整形外科でコルセットをこしらえてもらったことを話したことがある。今日、風呂屋を出た所で、その老人が私に、「今夜星崎さんに行ってコルセットをはめてもらいたいと頼む積もりです。」と真剣な顔で言った。 2004.3.11追加更新 四月十一日(水曜日)曇り 前夜も茂は階下で寝たので、一人ぼっちのキミ子は私の横に布団を敷いてやって寝かした。心配していたが、どうやら茂は夜中に咳は出なかったようだ。 久しぶりに午後から絵筆を取った。京都百景の絵葉書うち舞妓が舟に乗っている絵を見て画用紙に写生した。やっと夕方までに半分ほど出来たが、なかなか難しい。それでも人物画に限らず、うまく出来上がるとなかなか面白い。 今夜はまた茂が二階の二段ベッドに寝ることになった。夜中に咳が出ないように祈るばかりだ。キミ子はそれでも私の横で寝てしまった。 四月十二日(木曜日)曇り 夜中にまたまた茂が咳をし出した。なかなか収まりそうになく、下へ降りて行った。下で薬を飲ませてもらったらしく順次咳の方も止んで、そのあとは朝まで何事もなく寝てしまったようだ。夜中は蒸し暑く、私も寝付きが悪かった。 キミ子は今朝は私が起こさずとも一人でに起き出して下へ降りて行った。 昼からキミ子の友達二人がやって来ていた。茂にも向かいの良夫君が遊びに来て、茂は下で、二階はキミ子たちグループで、かなり賑やかだった。 四月十三日(金曜日)晴れ 福祉事務所からコルセツト代五千二百五十円を受け取りに来るように葉書が来た。今日は金曜日で都合がよいので、十一時半ごろ住岡病院へ行ったついでに、丸太町千本まで歩き、あと四条大宮行きの市バスに乗って福祉事務所に出向いた。ちょうど昼休みで十五分ほど待ってからお金を受け取る。元々自分で支払った金が戻ってきただけだが、それでも余分に儲けを得たような嬉しい気分だった。つい、帰り路四条河原町の高島屋へ寄り、食堂で刺身定食を注文する。ところが、その造りたるや小さい切り身が三切れと湯葉のお吸い物が付いて四百円で、あまりにも値打ちがなさすぎた。三時ごろバスで帰る。 弓子が錦市場へ買物に行くというので、ついでに厚生会で甘納豆を買っておいてほしいと頼んでおいたところ、買って来てくれていた。 四月十四日(土曜日)曇り 朝から肌寒い天気で曇っている。弓子はミドリを連れて十一時前から買物に出かけた。キミ子は土曜日で十一時ごろ学校から帰ってきて、あとは二階でごろごろしていた。 昼食に弓子がお好み焼をこしらえた。子供は三人ともこれが大好きで時々食卓に出るが私はあまり好きでない。お相伴する程度である。 四時過ぎに風呂に行く。またこの間の腰の悪い老人が入っておられ、やはり火曜日に星崎医院でコルセットの型を取ってもらったそうである。それから茂の友達の佐藤君とこのお爺さんも来ておられて、先日茂といっしょに佐藤君を映画に連れて行ったことのお礼を言われた。 夜、今日もキミ子が私の横で寝るため二階へ上がって来た。寒いからもう一枚用心のために下から持って上がっておいでと言ったのに、「暑いし、いらん」と我を張り、結局下で寝ると言い出して、今夜は下で寝てしまった。ちょっと寂しく感じた。 四月十五日(日曜日)雨 朝から雨が降ってじめじめした天気である。今日は相川家の法事があるので行かなければならない。金千円を御香として包紙に用意する。松本の姉が誘いに来てくれるはずである。十二時半ごろに昼食を済ませて待っていると、四十分頃、予定より早く姉上と妹が誘いに来てくれた。折り悪しく雨が降っていたが、すぐに出かけることにした。御池烏丸から京都バスに乗り、相川に着いた頃杉浦の姉さんも先に見えていた。兄弟姉妹が寄るといつもそれぞれの家庭のグチ話が出る。男の癖に弟までが女連中に調子を合わせるのが気に食わなかった。法事を済ませたあと、お寿司のお供養を戴き、うちに帰ったのが五時過ぎである。 2004.3.16追加更新 四月十六日(月曜日)曇り 今朝七時半ごろ、横に寝ていたキミ子を起こすが、なかなか起きない。母親の弓子が起こしに来てようやく起き出した。実は前夜、茂もキミ子も二階で寝ると言って、二段ベッドに二人で一緒に寝たのだが、二人ともごぞごそするので寝付けないまま、十二時前に突然私を起こし、茂は下で寝るし、キミ子は私の横で寝てしまったのだ。まあ私は多少寝不足しても昼間はいくらでも昼寝が出きる身分だから別にかまわない。 四月十七日(火曜日)雨 夜中にふと目を覚ますと雨がきつく降っていた。寝ている真上の天井板に屋根からの雨のしずくがぽとぽとと音を立てて落ちてくるらしく、ちょっと困った。薄板を抜けて水が落ちてきはしないかと心配したが、そこまでではなかった。なにしろ三十年近くも手入れをしていないので、屋根が痛んでいることは確かで、いずれ直さないと大ごとになるだろう。 朝の十時半頃から雨があがりかけた様子で、新聞の天気予報では午後は曇りと書いてある。 十一時過ぎ住岡病院へ出かけた。続々と患者がやってくるのに、診察が始まらず、皆いらいらしていた。ようやく十二時ごろに先生が来て診察が始まったので、ほっとした。そのあとは案外順調で十二時半ごろにうちに帰れた。 三時半ごろに風呂にはいりに行く。痔のためにもよいので、なるべくはいるように心掛けている。 四月十八日(水曜日)晴れ 前夜木下さんが見え、新町内会長の奥井さんが折悪しく病気で引きこもっておられるので、新役員の選出を自分が任されたとのことで、会計は田端さんに決まったとの報告があった。したがって、会計帳簿などは田端さんに引継ぐことになる。また総会は二十八日の土曜日に開催されるとのこと。 今夜茂、キミ子とも二階で寝ることになった。茂がまた夜中に咳が出て下に寝に行くかとちょっと心配だ。 午後十時十五分、テレビの「文化展望ピカソ」を見る。色々の絵を見たが、私の目に写るのは、なかなか良いと思う絵と、こんな絵のどこがよいのかと思うのとで、結局よく分からない。 四月十九日(木曜日)晴れ 早朝の五時ごろ茂が咳をしだし、少し長く続いた。六時ごろになると服に着換えて下へ降りて行ったが、後で聞くと、パパの布団へ潜り込んだらしい。 今日は暖かくよく晴れている。昼ごろ外出しようと思ったが、痔の具合が今日は少しよくないので、外出を見合わせた。 庭側のガラス戸からはモチノキとキンモクセイの梢が新芽を噴き出し、夏までに少し刈らないと近所迷惑だと思う。しかし、階下の夫婦はとんと気が付かない。 四時前に銭湯には行く。 四月二十日(金曜日)曇り 昨夜茂は九時過ぎに二階で寝に就いたが、十一時ごろから咳が出だし、だんだん激しくなるので、下で寝るよう勧めた。なかなかウンと言わなかったが、最後には下で寝ることになった。下へ降りてからはあまり咳が出ないのが不思議である。親の側だと安心するのだろう。 今日は十一時半ごろから住岡病院へ行く。いつものとおり、治療が進んでいるのかどうかサッパリ分からない。 2004.3.21追加更新 四月二十一日(土曜日)晴れのち雨 昨夜は茂、キミ子とも二階のベッドに寝た。咳も出るには出たが幸いそんなには続かなかった。 朝方七時頃、起きる前に少し咳が出たようだが、やがて自分で起き出して下へ降りて行った。 午後から小雨がしとしと降り出してきた。外出のつもりだったが、雨が降っているので見合わせた。 四時ごろから風呂行った。先日星崎医院でコルセットをこしらえた老人が来ていて、聞いてみると、四五日前から毎日コルセットを着けているとのことで、ずいぶん具合がよろしいと大変喜んでおられた。私にまでお礼を言われる。 四月二十二日(日曜日)晴れ 今日は日曜だからみんな起きるのが遅いだろうと私も朝寝して、時計を見たら九時半になっていた。茂もキミ子も同じ時間に起き出した。 和夫は会社のストライキで昼の十二時ごろ会社へ出かけて行った。 弓子と子供たちも昼から連れ立って大丸へ出かけてしまったので、私はやり掛けていた美人画の色付けなどで時間を費やした。その後、久しぶりにお酒を一合弱、自分で作った卵焼きを肴に呑む。 四時過ぎに子供たちは帰ってきたが、大丸で白ねずみを二匹金網の篭に入れたのを買って帰った。私は鼠が嫌いで、とうてい人が飼うものとは思われなかったが、子供がいいと言うのだから仕方がない。 家主の村越さんが突然来られて、家のことでお話ししたいとのことだったが、和夫がストで会社に行っているので、帰ったらお知らせするからと帰ってもらった。私はノータッチで、借家の件は夫婦が相談して解決すればよいと思う。甚だ頼りないけどいたし方ない。 四月二十三日(月曜日)晴れ 十一時過ぎから住岡病院へ行く。いつまで通えばよくなるのかさっぱり解らない。帰って来たのは十二時前であった。 午後から大丸へ行った。五階の画廊を見て回ったが、これという作品はなかった。帰りに厚生会に寄って買い物をして帰ったが、エビオスは大特価と書き立ててあったのに八百二十五円で、前と少しも変わっていない。 四月二十四日(火曜日)曇りのち雨 昨夜は蒸し暑くて寝苦しかったので、茂が咳をしてせき込み、また下へ寝に降りてしまった。下へ降りて寝ると見事に咳が止まるのが全く不思議である。ひとつには暗示作用のようなところがあるのかもしれない。 会社がスト続行中で、和夫は今日も十二時ごろ会社へ出掛ける予定だそうだ。午前中は暇らしくミドリを連れて散歩に行った。 私は昼まで掛かって「舞妓の鴨川夕涼み」を描き上げた。自分としてもこれまでの一番の傑作だと思う。 午後になって雨が降り出し、次第に本降りになってきた。六時半現在も強く降り続いている。 四月二十五日(水曜日)晴れ また茂が夜中に咳込んで、なかなか止みそうになかったので、私が起きてベッドまで行って、下に行くように勧めた。早速下へ降りて行ったところ、しばらくして咳が止まったようである。 私自身このところ毎日味気ない日が続いている。どうしてだろう。それも今日だけでない。春になっても花見にも行かない、また行きたくない。痔の具合が悪くて、遠出に自信がなかったが、どうやらそれだけではないようだ。 2004.3.26追加更新 四月二十六日(木曜日)曇りのち雨 昨夜は茂は階下で寝たが、夜中はやはり咳が大分出たらしい。困ったことだが、最近は両親の傍で寝ても咳は止まらないらしく、それを聞いて私はちょっと肩の荷を下ろした。 以前に大きな亀を庭に放してやったところ、縁の下へ潜り込んでしまって、長い間出て来なかった。それが、この頃ちょくちょく庭へ顔を出す。今日も小雨のパラつく庭先に出てきた。いつまでも狭い庭ではかわいそうだし、いっそ御所の池に放してやろうと弓子が提案し、さっそく自分で亀を掴んでバケツに入れていた。昼から御所へ持って行くと言う。ついでに、子供達が飼っている鮒も池に放してやるつもりらしく、嫁はそういう生き物に対する哀れみ深さは人一倍敏感である。 いつもどおり四時頃から風呂に行こうと思ったが、雨がしきりと降り続き、何だか嫌な気分なので中止した。今日もまた味気ない日を過ごした。 四月二十七日(金曜日)晴れ 交通ゼネストで朝から何もかも止まっている。小学校も登校時間を十時半に遅らしたとかで、ストの影響で小学生まで迷惑をするわけである。これも庶民の生活改善要求の一環なれば、止むを得ないのだろう。さて、和夫の会社のストはいかが相なったのか。その後のことはなにも聞かない。 町内の総会が明日坂上さんで行われると回覧が回って来た。会計も田端さんへバトンタッチすることになる。 昼からニチイまで歩いが、これという買物もなく、帰りに高島屋デパートまで足を伸ばしたところ定休日だった。仕方なくバスで帰った。 四月二十八日(土曜日)晴れ 昨日ニチイへ出掛けたおり、歩いているうち、だんだんと痔の具合が悪くなり、肛門の口が開いてくるのを感じた。従って患部がすれて痛かった。このことを今日は住岡病院へ行って聞いてみたい。 十一時過ぎに、途中郵便局に寄ってから、住岡病院へ行く。医者に色々聞いてみたが、老人になると機能が弱くなっているので、これ以上は無理だから、あとは自分で気を付けるしか方法がないとのことである。 七時半から町内の総会があり、私は八時前ごろに出かけて行った。案外集まりは悪く、十二三人の出席で、十時前に終わった。 四月二十九日(日曜日)晴れ 大型連休初日、今日の天気は上々で気温も暖かく、行楽にはよいスタートとなった。朝のうち皆ゆっくり寝ていて、九時ごろにやっと子供たちも起き出す始末で、しごくのんびりの家族だ。 午後からにわか雨が降り出し、どこへも行かず子供達もうちで遊んでいた。 三時半ごろから雨が上がったのでちょっと散歩に新京極まで行った。やはりえらい人出で、こんなのは苦手で早々に帰ってくる。 夜七時半ごろに家主の村越さんが見えて、家のことについて話にこられた。村越さんは家の相続に相当以上の税金が掛かってくるので、都合で家を売るとか売らないとか、なかなか問題が多いようで、大変なことである。これからの成り行きがどうなることだろうか。私は素知らぬ振りが一番良い。 四月三十日(月曜日)晴れ 昨日は祭日と日曜が重なっているので、今回の法律改正で翌日が祭日の代わりの休日となる。しかし月末とあって、当町内では商売のお店はほとんど営業をされてるようだ。 昼過ぎ、壬生へ家賃を取りに行く。わずかな家賃だがこれは私の小遣いとなる。今住んでいるこの家は借家だから、家賃の値上げには抵抗するのに、貸している方の家賃はやはり安いと思う。人間は勝手なものだ。以前は壬生の家賃も和夫に渡していたが、ある日思い直して小遣いにしたいからと申し出たところ、しっかり者の弓子が傍から交換条件を出した。「家賃はあげるから、これから一切株には手を出さないと誓ってください。」もっともな意見なので了解した。 2004.4.1追加更新 五月一日(火曜日)晴れ 今日は年中行事のメーデーである。御池通りを列をなして色々の出し物を先頭に立てて、口々に何やら発声しながら通って行く。私はそれを二階の窓から眺められる。 十一時過ぎから病院へ行ったおりにも、丸太町通りを行列が続いていた。 午後は外出しようと思っていたが出遅れたので行かなかった。三時ごろ、するめでお酒を五勺ほど冷やで呑んだ。五勺くらいでは痔は応えないと思う。 午後からは曇ってきて今にもひと雨降ってきそうな空模様だが、降りもしないのである。かなり暖かくてむしむしする。 夜は茂が下で寝ているので、キミ子も私の隣に寝ると言い出し、今夜はそうすることにする。 五月二日(水曜日)雨 朝早くから雨が降っていて陰気な日である。十時半現在で相当強く降っている。 今日は竹間小学校の春の運動会だったが雨のため中止になった。 午後から雨も小降りになり、ようやく四時ごろになって雨は止んだ。 今日も外出は雨のため出来なかった。 五月三日(木曜日)曇り 憲法記念日 朝から曇っているが、天気予報を聞いているかぎり雨の心配は大丈夫だろう。 祝日なので午後から息子夫婦は子供達を連れてどこかに遊びに出かけた。私も留守番に好きなものを買ってきてお酒でも呑んでやろうと思う。二時ごろに錦市場へ行ったが祭日で魚屋がおおかた休業している。しかも高くなっているようで、刺身は中止して、キムラのテキ肉を買って帰った。フライパンでテキ肉を焼き、それを肴にお酒を呑んで一人で愉しんだ。 子供達は七時過ぎに帰ってきた。 五月四日(金曜日)曇り 朝から曇っているけれど竹間小学校の運動会は決行しているらしい。弓子はミドリを連れて見に行ってしまった。十一時二十分ごろに住岡病院へ行くと、待合室に張り紙してあって、五日六日は臨時休診すると書いてあった。それなら今日は運動会に行ってもよかった。弓子達はようやくのこと一時ごろに帰ってきた。 二時ごろから熊谷長久堂へ行き、日本画紙を買う。大判一枚四百七十円と相当高価で、私のような素人にはそうそうは買い切れないが、とりあえず一枚戴いた。 それから錦市場に回って刺身を一人前買って帰り、二階で食べて見たら、安かろう悪かろうで、しまったと後悔したが、お酒を少し呑んで気分直しをした。 五月五日(土曜日)晴れ 子供の日 朝から日本晴れで「子供の日」に打ってつけの日である。和夫は会社のハイキングとかで、子供二人を連れて行くつもりだったが、キミ子が昨夜から、運動会の疲れが出たのか、「しんどい」の連発で、夜遅く吐き気をもよおす始末で、とても今日行くどころではなかった。茂も一人では行くのを嫌がったので、和夫が一人で出かけた。 キミ子もようやく昼ごろから起き出し、大分よくなったのだろう。 午後になって弟夫婦と甥の聡と三人連れでやって来た。原田のおじいさんの骨納めで、長野県へ家内全部で行って来て、昨夜帰ってきたらしく、お土産を色々戴いた。 2004.4.6追加更新 五月六日(日曜日)晴れ 今日も快晴である。階下の夫婦たちはピクニックに出掛けるらしく、お昼のお弁当の支度で忙しそうである。どこかの河原でバーベキューをするとかで、肉やら野菜やらを持って行き、露天で焼いて食べるわけだ。私も誘われたがあまりそんなことはしたくない。痔の調子も今一つなので断わった。 十一時半に子供達と出かけて行ったが、帰って来るのが遅くて七時ごろにようやく帰ってきた。聞いてみると、保津川方面に行ったのだが、河原もいっぱい、その上帰りの列車が超満員で苦労したらしい。みんな疲れた顔をしていた。 夜、キミ子は久し振りにベッドで寝ると言い出したので、私の横に敷いていた布団を再びベッドの方へ運んでやった。 五月七日(月曜日)曇りのち雨 前夜、私が寝る時刻にになって、寂しくなったのか、キミ子が私の横で寝ると言い出したので、またまた布団を持ってきて横に並べた。キミ子はなかなか眠れないらしく、十二時前にようやく寝付いた。その間私は寝ることができず厄介なことである。 今日の午後から外出しようと思っていたが、キミ子のオルガン塾に弓子も付いて行くと言うので、留守番がなくやむなく中止する。 四時過ぎにキミ子はオルガンから帰ってきた。義務を果たしたような顔で伸び伸びしていた。はたして親子で塾に通って、成果が上がったのか疑問だ。 日の暮れから大分曇ってきたので、この分だと夜になって雨が降り出すかも分からない。 五月八日(火曜日)雨 朝八時四十分に起きたが、雨がじたじたと降っている。陰気くさい日である。キミ子は昨夜は下で寝た。日替わりで寝床を変えるが、小学校一年生だからまだ親の側で寝たいのだろう。 昼からも雨は止まず、外出は中止するほかなかった。 茂の友達が二人遊びに来た。雨が降っているので、家の中でゲームをしたりトランプをしたりして、わいわい遊んでいた。 五月九日(水曜日)晴れ 御池通りに生命保険ビルが建設中であるが、この辺り一体がそのビルの陰になってテレビが受像できないので、ビルの屋上に共用アンテナを設置してくれている。ところが目下工事の最中で、全部のチャンネルがあまりよく見えない。たまりかねて今日弓子が建築現場へ掛け合いに行った。責任者が、「何とかします。」と約束して、「業者に早速直すように話しをしていますので・・・」とのことだった。 四時前に風呂屋へ行って帰ってきたが、その後もテレビの映りに何の変化もなく、夜の八時に楽しみにしているドラマをきれいに見られるか疑わしい。 ところが夕方六時ごろ、ビル会社から、「今直していますがテレビの映像はどうですか。」と問い合わせてきた。テレビを点けてみるとかなり良くなっているので安心した。夜も割合よく見られ、八時からの「銀座我が町」を楽しく見られた。嫁のお陰だとありがたく思う。 五月十日(木曜日)晴れ 今日は小学校の遠足の日で、朝から茂やキミ子の嬉しそうにはしゃぐ声が聞こえた。 午後から、天気がいいので私も外出する。町内の郵便貯金利息七百四円を中京郵便局で受け取ってから、大丸に行った。五階で画廊の絵を覗いた後、錦市場を通って寺町に出る。新京極をぶらぶら歩いて、三時半ごろに家に帰った。かなりの距離を歩いたので運動にはなったようだ。 茂とキミ子も遠足から先程帰ってきた。相当お腹を空かしたらしく、「ご飯まだ?」とママに催促していた。 2004.4.11追加更新 五月十一日(金曜日)晴れ 昼過ぎ、新しく会計を引きうけていただいた田端さんに郵便貯金残金を持って行き、受け取ってもらった。奥さんに、「このお金はなんですか?」と聞かれ説明するのに一苦労した。 ぽかぽか陽気だったので今日も二時半ごろから外出して、錦市場を通って高島屋まで行き、特に買物はせずに帰りはバスで帰って来た。 今夜より「赤髭」を見る。よいのか悪いのかまだ解らない。「波の塔」は今夜が最終回である。 五月十二日(土曜日)晴れ 朝起きた時は寒かったが、十時過ぎからだんだん暖かくなってきた。 十一時半ごろより住岡病院へ行く。帰ってみたら手紙が来ていた。明倫小学校のクラス会を来月二日に錦通りの「江戸川」でやる、と書いてあった。久しぶりで私も当日は出席したいと思っている。 三菱信託から利息の支払通知が来た。今回は前回並みの金利であるが、十一月になると利息が上るとのことである。 二時ごろ外出した。まず散髪屋に行ってみる。空いていたので待たずに刈ってもらえた。それから新京極まで行って京舞妓の絵葉書一組百円を買ったが、あまり絵のモデルになりそうにないと思った。 五月十三日(日曜日)晴れ 日曜日なので、いつものように階下の都合で起床は九時ごろになった。 弓子の話によると、御池通りの品川さんのお爺さんが亡くなられたそうだ。そう言えば、いつも風呂に来ておられたのに最近は一向に見かけなかった。お葬式に間に合えば焼香したいと思う。 昼ご飯のあとで茂がお腹が痛いと言い出し、弓子がサクロンを飲ましたが、これで直ってくれればいいのだが・・・ 五月十四日(月曜日)晴れ 故品川様のお葬式に十一時半ごろ出掛ける。平素はあまり懇意ではないので見送りはせずに帰ってくる。お供養としてハンカチーフ二枚を戴く。 人の亡くなった日はやはりなんとなく気が滅入る。 午後三時半に銭湯に行った。 五月十五日(火曜日)晴れ 夜中、茂は大分咳を出していたが、二三日前からお腹が痛いと言って食事は進まず、昨日から学校を休んでいる。今日は幾分収まってきたらしい。 午後、大丸に行き小型の手帳を買った。そして錦市場へ回って刺身を一人前買って帰る。二階で一杯やっていたら、キミ子と茂が欲しいと言うので一切れずつ食べさせた。キミ子の友達のリカちゃんも来たのでまた三人に一切れやったら残り少なくなってしまった。 2004.4.16追加更新 五月十六日(水曜日)晴れ 昨夜夕食後お腹が痛くなって二回も便所に行った。少し下痢気味だった。あと、少し安静にいている方がよいと思い、コーヒーを持って来てくれたが、飲まずに早く床に就いた。 今朝までに便の催しもなく、大体収まった感じである。 弓子は今日は学校の参観日で午前中留守なので、病院へ行く予定だったが見合わせた。 一時半ごろ、太秦の姉上がお越しになり、色々世間話をして帰られた。長男の達郎からの仕送り停止の件がその後どうなったか聞きそびれた。話題に登らなかったところをみると円満解決したものと考えたい。 五月十七日(木曜日)曇り 腕時計がいつも進みがちなので一週間前から計ってみると、日に六分進むことが分かった。この前大丸で直してもらったが駄目だったので、今度は高島屋に持って行こうと思う。 十一時半ごろ住岡病院へ行った。ひんぱんに通っているお陰で痔の方も少しよくなってきたように思われ、ちょっと安心している。 午後、錦市場で塩鯖を一本買って帰った。今日は御霊さんのお祭りで鯖寿司用の塩鯖が割合高かった。弓子に竹の皮を出してもらって鯖寿司を自分でこしらえた。夕飯にみんなで食べたが、評判は上々だった。 五月十八日(金曜日)晴れ 午後から外出して錦市場で今日はハマチの刺身を買って帰ったが、何だか油くさい感じでおいしくなかった。若い人にはこんなコッテリしたのが受けるのだろうか。昔人間には養殖ものはやはりよくない。 五月十九日(土曜日)晴れ 痔の方は大分よくなった。これから薬を飲むのを順次減らしていきましょうと医者が言ってくれている。でも、減らした場合便が固くなり、そのため入り口のところが切れる恐れがある。どうしたものか。 午後外出したが、外出も痔に対するトレーニングで、何歩歩いてもなんともないようになりたい。大丸の一階を覗いて、厚生会でするめを一袋買って帰った。 三時十五分風呂屋に行く。一番風呂だった。 五月二十日(日曜日)晴れ 茂用の補助輪が付いた自転車を、先日和夫が補助輪を外してやったら、茂が怖がって乗らなくなった。ところが妹のキミ子の方が先に乗れるようになっている。それで朝から父親がやっきになって道路で教え込んだようで、ようやく茂も少し乗れるようになった。やはりやれば出来るということだ。 午後になって、小山さん夫妻と杉浦姉上とが来られた。小山さんの嫁というのが姉の末娘久美子である。二人とも病弱で子供はいないが、仲は大変よいようで、夫婦はそれが一番だ。キミ子が生れた時、姉上と久美子が手伝いに来てくれ、ずいぶんお世話になった。これから二条城を見物するとて三時半ごろ帰られた。 2004.4.21追加更新 五月二十一日(月曜日)晴れ 和夫が代休を取って今日は休んだらしく朝からうちにいる。息子が階下にいると思うとなんとなくうっとうしい。台所へ出入りするのも遠慮勝ちとなってしまう。一人酒を呑むのもままならない。 十一時二十分ごろ住岡病院へ行く。 午後は外出して大丸の屋上でしばらく休憩したあと、新京極へ回り安価なパンツを買って帰る。和夫はどこかへ出かけたのか見当たらなかった。 五月二十二日(水曜日)晴れ 夜中に寝冷えをした精か今日は体の調子が悪く、風呂は止めておこうと思った。 午後新京極の長崎屋へ行き、昨日買ったサルマタをもう一枚買い増した。格安だからである。 帰ってから用心のため六神丸を飲んでおいた。 松本姉上が来られ、四国に旅行していたのでとお土産を戴いた。その上先斗町鴨川おどりの切符を貰った。二十四日である。楽しみなことで、久しぶりで期待している。 五月二十三日(水曜日)晴れ 今朝は案外気温が低く、二階は十八度で昨日より四度ばかり下がっている。 十一時前から 住岡病院へ行き薬を一週間分貰った。外出しても近頃痔は起こらないので、気分まで朗らかになる。 五月二十四日(木曜日)晴れ 午後一時ごろから先斗町の鴨川おどりを見に行く。待ち時間にまずお茶席へ案内されてお薄を一服楽しんだ。客筋も女連れが多く華やいでいる。席も中程のいい席で、いよいよ一時四十分に開演して華麗な踊りを堪能した。 帰りにニチイへ寄ったが、売り場を眺めて回っただけで何も買わずに、錦市場を通って帰った。 五月二十五日(金曜日)晴れ 今日は年に一度の大掃除で、和夫も会社を休んで畳を叩いたり拭き掃除など大忙しである。私もちょこちょこ骨の折れないところで手伝いらしいことをした。ようやく二時頃には一応済んで元通り畳を嵌め込むと部屋中がスカッとした。 三時半ごろ銭湯へ行った。通常金曜日は風呂屋は休みであるが、今日は特別にやっている。思ったほど込んでなかった。 帰ってみるとキミ子の先生が家庭訪問に来ておられ、ちょっと挨拶した。非常にキミ子のことを褒めて下さって気分がよかった。 夜は「赤髭」を見て、十一時前に少し早い目に床に就く。 2004.4.26追加更新 五月二十六日(土曜日)晴れ 今日も朝からよい天気だった。ここ一週間ほど毎日日本晴れが続いている。ここまで続くと一雨が恋しいほどだ。 午後は外出して大丸に行ってみる。七階の特価品売り場を一渡り見て歩き、帰りに厚生会に立ち寄ってスルメ一袋を買い、錦市場を通って帰った。 先日補助輪をはずした子供用自転車を乗りこなした茂は、そのご褒美に中型の自転車を買ってもらった。それが今日大丸より届いたので大喜びしていた。 五月二十七日(日曜日)晴れ 茂の新しい自転車が来て、さっそく今日はパパとサイクリングに宝が池へ出かけた。和夫がミドリを自転車の前に乗せて十時ごろから出かけて行った。キミ子も当然行きたいと言ったが、パパの監視が行き届かないので弓子がやめさせた。 昼食時にサイクリングから帰ってきた茂はなかなか元気で頼もしかった。 午後、和夫、弓子、キミ子が散歩に出かけたが、茂は自分の小遣いでプラモデルを買ってきて一人家に残った。それを組み立てている時の茂は物も言わず、真剣そのものだった。 今日が千秋楽の相撲は輪島が優勝した。 五月二十八日(月曜日)曇り 朝、便が出たあとに出血したのには驚いた。昨日から便が少し固くてスムーズに出ず、今日も便の出る時ちょっと痛みを感じた。薬を少な目に調節しているので便が固くなるは解るが、それにしてもこうも簡単に出血するとは全く住岡病院は信用できない。 ラジオで今夜九時から、長唄鑑賞の集いで吉村伊十郎の演じる「東八景」がなかなかの聞き物だった。 五月二十九日(火曜日)曇り 今日も便所に行ったら出血した。もう大分治ってきたという医者の話はなんだったのか。これでは今後どうしていいのか解らない。困った。こんなことでは病院を変えることも考えざるを得ない。 午後、年金を引き出したあとの年金手帳を区役所に持って行き、受領書を貰ってすぐ帰った。痔の様子を見なければならないので、今日はあまり歩かぬ方がよい。あまり遠出はしなかった。 五月三十日(水曜日)晴れ 案じていたが、今日は大便の時出血はしなかった。もっともあまり気張らず出したためだが、座薬を使わなかったのがよかった気がする。なぜ座薬を使うと出血するのか。また、日によっては座薬を使っても出血しないこともある。さっぱり分からない。今日薬を貰いに行きがてら、診察してもらうつもりだが、なんだか住岡病院は信用出来ぬようになってきた。 十一時過ぎから病院に行き先生に質問するが納得のいく答えは返ってこなかった。 四時ごろにキミ子が外へ行きたがっているので、二条の児童公園へ連れて行く。なかなか帰ろうとせず、ようやく五時半ごろに家に帰った。 八時より「銀座わが町」を見る。 五月三十一日(木曜日)晴れ 午後から外出して四条の三菱信託へ利息を受け取りに行った。そして大丸へ寄って四階の画廊で日本画を見る。帰りは郵便局で三万円を定額貯金にする。 帰ってからこの一年間の手持ち財産を計算してみる。差引で三万円ほど増えたことになった。私の出費といってしれている。隔日の銭湯代、ひと月一度の散髪代、時々の酒の肴と、甘納豆代くらいか。年に一度は孫達にお年玉をやる。 四時過ぎから銭湯へ出かける。 昨日発表になった宝くじを新聞で調べたが一等から五等まですべて当たらなかった。まあ、月に一二度買うだけだからどうということはない。もう株はやってないのだから、これくらいは誰にも文句は言われまい。 2004.5.1追加更新 六月一日(金曜日)晴れ 先週の大掃除の後、子供心にきれいになった階下で寝たかったのだろう、しばらく両親の傍らで寝ていたキミ子が、昨日から二階で寝ている。掃除の後どうしてか、寝ている間に虫に刺されるらしい。キミ子がかなり噛まれたが、ミドリはもっと一層にひどくかまれている。それでママが殺虫剤を撒いて駆除に当たっている。昔は大掃除のことを衛生掃除と言って、床下に石灰を撒いたり、戦後はDDTを散布したりした。近頃はどうしているのだろう。 二時ごろ外出して寺町の飴屋で黒飴を買って帰った。 六月二日(土曜日)晴れ 今日は、夕刻五時から明倫小学校のクラス会が江戸川である。久しぶりに旧友の顔が見られるので朝から楽しみにしている。 四時五十分ごろ家を出て江戸川へ出かける。早くもいつもの顔ぶれの皆さん十一名がすでに来ていた。和気あいあいに宴会が進み、料理も旨く、酒の味も格別で、まことに愉快であった。お互い年を寄せた事には間違いないが、不思議と若い気分にひたれて、普段陰気な私も自然に話しが涌きでた。 帰って来たのは七時半ごろだった。 六月三日(日曜日)晴れ 昨夜は少し疲れたせいかよく寝られた。 このところ割合よい天気が続くようで、しばらく雨ばかり続いたあとはその裏返しのよい天気ばかり続くようだ。今日の日曜は本物のよい天気で、さだめし郊外は人で埋まるだろう。階下はまたどこぞへ出かけたらしい。 六月四日(月曜日)晴れ 今朝は季節はずれに冷え込んだらしく、軽い布団で寝ていてちょっと寝冷えした。 便も少し柔らかいのが出る。 午後錦市場へ行ってまぐろのトロのところを買い、二階で酒を五勺くらい呑んだ。今日の刺身はさすがに旨かった。 六月五日(火曜日)雨
京都地方は今日から梅雨入りだと気象台が発表した。 十一時に病院へ行くつもりだったが、小雨が降っているので中止した。梅雨と聞くだけでうっとうしい。テレビもラジオも聞きたいほどの番組もなかった。 2004.5.6追加更新 六月六日(水曜日)雨 十一時二十分ごろ病院へ行く。診察のあと座薬はまだあるので断り、飲み薬を三日分もらった。私は一週間分欲しいと請求しのだが、看護婦が一方的でどうしても聞いてくれなかった。この看護婦は顔は別嬪だが言い方が優しくない。 六月七日(木曜日)雨 梅雨らしい空模様で、降ったり止んだり、うっとうしいことである。近ごろ右の腰が凝って、立ったり座ったりすると足の根元が突っ張るようで気持ちが悪い。年のせいで致し方なかろうが困ったことだ。 午後、傘を片手に外出して長崎屋とニチイを見て歩いた。その間は降らなかったので傘は邪魔なだけだった。帰ってきたのは四時頃だった。 六月八日(金曜日)曇り 雨こそ降っていないが空はどんよりと曇っている。 昨日はずっとコルセットを付けて、夜寝る前に外した。やはり付けていると立ち居振る舞いがしゃんとして具合がいいので、続けて使用するつもりでいる。 昼から外出して京極の玉垣で眼鏡の枠だけ新しいのを買って付け替えた。安物でも二千七百円もした。ちょっと左側の耳に付けるところが甘い。気になったが買わされてしまった。 六月九日(土曜日)晴れ 梅雨の晴れ間というのか、今日は久しぶりに晴れ上がって気持ちのよい日である。 心持ち風邪を引いているようで、午後はなんとなく体がだるく、体温計を出して計って見たが三十六度三分と平熱だった。夜寝る時、六神丸を飲んで寝に就く。おふくろがよく飲ませてくれた薬で、たいていのことに効く。 六月十日(日曜日)晴れ 朝起きた時は大分に気分がよくなっていた。昨夜六神丸を飲んだのでそれが利いたのだろう。 腰の右の方が痛いのはやはりこれは腰痛が新たに起こったので、なかなか安心ならぬ。コルセットを付けた方がいいと思う。 今日は学校の参観日で、父親も会社が休みということで両親手分けして参観に行ったようだ。 三時半ごろに風呂屋に行く。今日は日曜で若者がずいぶん多く来ていた。 2004.5.11追加更新 六月十一日(月曜日)晴れ 茂とキミ子は昨日の日曜日は参観日で学校があったので、今日は代休である。朝から、町内の野々村さんとこのお兄ちゃんに連れられて、自転車で御所へ遊びに出かけてた。弁当を持たせたが、昼から弓子も迎えがてらミドリを連れて御所へ行った。 留守番の私も錦市場へ出かけて、マグロのトロのところの刺身を買って帰ったが、この前ほどおいしくはなかった。 六月十二日(火曜日)晴れ 昨日から気温が急上昇している。今日も真夏並の暑さである。 十一時過ぎに住岡病院へ行く。例の看護婦がいなくて、今日はこちらの言いなりに七日分貰って帰ったが、塗り薬を渡しますと医者が話したはずなのに、忘れたのか袋にははいっていなかった。ちょっとズサンなところがある。 六月十三日(水曜日)曇り 朝から曇りで多少蒸しつくが、暑いという感じはない。右の方の腰の痛みも少しずつ直ってきたようで嬉しい。ちょっと風邪を引き気味で、くしゃみやら鼻水が出るが、鼻をかむと返っていくらでも出るので、息の出来る程度でがまんしている。夜は六神丸を飲んで寝る。 六月十四日(木曜日)晴れ 昨夜の予報では曇り時々雨とのことだったが、朝起きてみると天気は上々で、しかも気温が高く、蒸し暑かった。 午後二時ごろに散髪に行く。髪を刈ってもらいながら主人と色々世間話をしていたが、御池通の地価がここ二三年前からすごい勢いで上がっていて、御幸町御池の角で坪百二十万円の値が付いたとか。地下鉄が通るとの話があってから急上昇したらしく、まだまだ御池通は上がるだろうとのことだった。 六月十五日(金曜日)晴れ 前夜の感じでは今朝は曇りか雨模様かと思われたが、案外今日も天気はよくて、気温も高く、梅雨の晴れ間のよい天気が続いている。 暇だからと絵でも描こうと机に向かうが気分が乗らず、洗水を汲みに行くのも面倒くさい。日記もだんだん短くなる。 2004.516追加更新 六月十六日(土曜日)晴れ 午後から外出して、まず大丸へ行く。一階を覗いたが土曜日で大勢の買い物客が来ており、二階以上へ登る気がしなくなって、そこを出る。錦通りを通って新京極に出た。ニチイを見て回ったのちに、また新京極へ出て、「おたべ」を買って帰った。食べてみると割合あっさりしておいしかった。一つ二十円なら高くはない。弓子にも食べてもらったが、気に入って食べてくれた。 キミ子が友達とお風呂に行きたいからと二十円くれとせがむので、二十円渡した。母親が留守中なのだが、すぐに行きたいと聞かない。銭湯からは一時間程で帰ってきて、お腹が減っているとみえてパンの大きなのを一つコロッと食べてしまった。それでキミ子は夕食の時は食欲のない様子で、弓子が怪訝な顔をしていた。 六月十七日(日曜日)雨 久しぶりに今朝小降りながら雨がしとしと降っていた。例によって日曜だから皆起きるのが遅い。時計を見ると九時五分前だった。キミ子は私より少し前に起きて下へ降りて行った。洗顔も済んで、二階で控えていると、キミ子が朝ご飯の支度ができたからと呼びにきてくれた。階下では茂がしくしく泣いていて、なかなか泣きやまない。理由は聞かなかったが、あたりから察するに、和夫が朝から漢字の練習を茂にさしていたが、それが元で叱られたらしい。しかしパパが今度は優しく取りなしたので、ようやく茂も泣きやんだ。食事のあとで将棋を父親とやっていた。三年生でも子供らしいところがある。 昨日はコルセットを一日中付けてみたが、なんだかお腹の右側が引き吊るような気がするので、今日は昼まで付けて昼からはちょっと中止してみる。どんな調子か考えたい。 四時過ぎに風呂屋に行く。いつもの散髪屋のお爺さんがみえていた。お爺さんも近ごろすっかり元気を取り戻したように見受けられた。 六月十八日(月曜日)曇りのち小雨 傍らのキミ子が夜中からしんどそうにしていたが、果たして朝の六時頃に苦しそうな声を出して寝ているので、額に手を当ててみると熱がありそうだ。体温計を脇に挟ませて計ってみると三十七度八分ある。喉が痛いと言うし、風邪を引いたのだろう。手持ちの薬を飲ませてから階下を起し、状況を報告しておく。到底今日は学校は無理だろう。案の定休むことになったが、今日一日静養すれば直ると思う。 私も寝不足で、今日は具合が悪く一日中家にいた。 六月十九日(火曜日)曇り キミ子は今日も熱があるので学校を休んでいる。 私は昨夜六神丸を飲んで寝たが、よく眠って目が覚めたのは九時だった。お陰で体の調子がよく、幸いキミ子の風邪はうつらなかったようだ。でも外出は止めておいた。 六月二十日(水曜日)曇り 熱が下がるとキミ子は学校へ行くと言い出し、弓子も別に止めなかったようだ。 その代わり和夫が会社を休んだ。先般来より家賃の値上げで開きがあまりにも大きく、家主さんとの話が着かずじまいだった。区役所内の無料法律相談がちょうど水曜日なので、和夫が聞きにいってみるらしい。 午後から和夫が区役所に行った。私もちょっと外出して三時ごろに帰ってきたら、和夫も帰って来ている。どうだったか聞いたところ、やはりこの家は統制に引っかかっていて、法律的には決まった値段の家賃でよいことになるそうだ。 2004.5.21追加更新 六月二十一日(木曜日)晴れ 昨日キミ子が学校から帰ってから、「しんどい」と言い出して、体温計で計ると七度四分ほど熱があった。それでまた今日は学校を休んでいる。微熱がまだ残っているらしい。その上弓子も足腰が痛いと言っている。風邪が骨の節々にきたのだそうだ。 四時前、銭湯から戻ってきたら、弓子が節々がまだ痛いと言うので、ミドリを御所へ散歩に連れてやる。ミドリは大喜びで嬉々として遊んでいた。帰ったのは五時半ごろだった。 六月二十二日(金曜日)曇りのち晴れ 十一時過ぎから住岡病院へ出かける。医者いわく、肛門がちょっと赤くなっているので注射をしておくとのことである。私には別段悪くなったようには思えないが、毎日医者が替わるので診断も変わる。 キミ子は今日も休んでいる。 今夜八時、「赤髭」を見る。今回のは特に素晴しく、副題名も「生涯」という老人問題に及んだドラマだったので身を入れて見た。 六月二十三日(土曜日)晴れのち雨 起きた時は晴れていたが、やがて午前中を通して蒸し暑くて雲の多い天気となった。 午後三時頃から夕立が一時的にかなり降って、そのあとも夕方まで止むことなくじとじとと降り続いた。外出するつもりが雨のため中止した。 六月二十四日(日曜日)晴れ 天気も晴れて気温もすがすがしい日曜日である。 ところが今度は茂が風邪を引いたらしく、熱が三十七度八分あり、朝から寝込んでいる。やはり弓子がいつまでも風邪が直らんので、次々に子供に染す結果になるのだろう。 午後相川夫婦が孫の女の子を連れて来た。あいにく弓子も風邪をひいていて、茂も二階のベッドで寝ていたので、断りを言って一時間ほどで帰ってもらった。 六月二十五日(月曜日)晴れのち曇り 朝から日差しがきつく、蒸し暑い一日である。午後三時には三十度を超え、真夏の陽気となる。それにつれて私も体の調子が悪くなり、外出を見合わす。 それでも四時ごろ銭湯へ行き汗を流す。 2004.5.26追加更新 六月二十六日(火曜日)雨 朝のうちから雨がしとしとと降り出し、梅雨らしくなって一向に止みそうにない。 午後から傘を差して四条大宮の福祉事務所へ出かける。児童手当継続のための書類提出を弓子に頼まれたのである。ついでに、そこの「税務相談窓口」で、昨年から改正になった家賃の算出方法について尋ねてみる。壬生の貸家も、やはり統制令は適用を受けることになっているらしい。借りる立場貸す立場で正反対の気持を抱いてしまう。 六月二十七日(水曜日)曇り 一応雨は上がったが、とても蒸し暑く不快指数がひどい。 茂は今日も学校を休んでいる。朝のうち微熱がとれないらしい。昼頃には六度八分に下がっていた。 午後は弓子が美容院へ行った。幸いミドリが寝付いたから、茂に見てるように言い付けて、二時ごろから外出する。急いで錦市場へ回って、ヒレ肉一切れを買って帰り、ビフテキにして留守番をしてくれた茂と二人で食べた。今日のはあまりよい肉ではなかったので、最高の味とまではいかなかったが、茂は黙々と食べていた。 六月二十八日(木曜日)晴れ 今日はまた一段と蒸し暑かった。ガラス窓からも辺りは夏一色という景色である。 今度はミドリが風邪を引いたらしく、朝から熱を出している。茂は今日から学校へ行った。 弓子は学校給食の試食会で昼前から出かけて行った。熱があるのにミドリは幼児だから、目が覚めたらじっとしておらず起き出してきて、守りをするのに困った。二時半ごろにようやく弓子は帰ってきた。 六月二十九日(金曜日)雨 昨日と今日では大違いだ。朝から強い雨が降って、昼ごろまで連続的に降り続けた。雨量も相当なものだと思う。庭先から床の下に雨水が流れ込まないか心配だった。 この前和夫が貼り継ぎした表側小屋根の樋は、「こんなんではダメだ」とその時は思ったのに、不思議なことに直っている。水漏れしていないのだ。水量に押されてうまくかみ合ったのだろうか。 六月三十日(土曜日)晴れ 日替わり天気で今日は晴れている。その上暑くて真夏の陽気である。 久しぶりに病院へ行く。相変わらずの頼りない診察ぶりであった。 帰りに丸太町から電車とバスに乗り継いで、壬生の矢崎さんまで家賃を貰いに行く。矢崎さんの奥さんはデパートの美容室に勤めていて、いつも家にはご主人が留守番している。勤め先で交通事故に遭い働けなくなって退職したのだそうだ。交渉して補償金は充分もらったと主人は言っていた。この主人に家賃の値上げを申し出るのをつい躊躇してしまう。 新京極に回り道して、カネヨで鰻丼を食べて帰ったが、出雲屋の方が良かったようだ。 今日は六月三十日なので水無月を食べる日だから、饅頭屋の店頭でなかなか売れていた。私も買って帰って弓子と一緒に食べたが、食べ切れず夜に残りを食べることにした。 |
次回は2004.6.1追加更新の予定