亡父の日記4
ある老人の日記から
その4
2004.9.01追加更新 昭和四十八年(1973年) 十月一日(月曜日)晴れ 今日から十月である。一年中で一番爽やかな心地よい月だ。しかも昨日とは打って変わって爽やかな晴れの日である。 午後二時ごろから外出して三条の郵便局へ行き、三冊の通帳に利息を記入してもらう。それぞれがささやかな金額だ。帰りに大丸まで足を伸ばして三階の画廊を見る。複製品でも横山大観などの名画は安いので五万円、高いのは十三万円なのには驚いた。三時半ごろ家に帰る。 毎年十月には敬老会から案内通知があり、今年は来る二十五日に京極花月劇場での観劇ということだった。これは私も当日は行くつもりでいる。 十月二日(火曜日)晴れ 今日は小学校の運動会であるが、天気も上々の日本晴れである。私も見に行くつもりだが、午前中は幸山医院へいかねばならない。一時半ごろ病院から帰って来たので、昼食を済ませて二時過ぎに竹間校に行く。茂とキミ子のいくつかの出番を見た。二人ともがんばっていたが、茂は生まれつき運動が苦手なようだ。二時過ぎに、一応見物したので、帰りに御所へ立ち寄り、しばらく草むらに寝転んだりして時を過ごした。三時半ごろに家に帰る。ちょうど大丸よりテレビの修理が出来上がり持ってきてくれた。修理代二千円なり。 十月三日(水曜日)晴れ かねてから、七十歳以上の老人の市電市バスの無料化を発議しているとのことであったが、あまり期待もしていなかったのに、今日の新聞の記事によると十一月一日からいよいよ実施とのことである。まことに喜ぶべきニュースだ。無料ともなれば気楽に郊外にも行けるし、私も充分に利用したいものである。 昼食後は外出して散髪に行く。散髪代も来月から百円値上げになるらしい。なんでも上がる上がる。今日は市内は光化学スモッグで全域にわたって発令されている。学校の運動会も昼から中止になったところもあるとか、私もうろうろ歩くのは止めて、散髪屋からすぐに家に帰った。 夜は八時から「銀座わが町」を見る。 十月四日(木曜日)曇り 昨日に引き続き曇っていて蒸し暑い一日である。雨は降らず、スモッグが出そうな空模様だ。 四時前に風呂屋へ行く。割合空いていたので、のんびり入って帰った。 夜はテレビがこれと言って見るものもないまま、十時半過ぎに寝に就く。 十月五日(金曜日)晴れ時々曇り ここ二三日夜中二時ごろに目が覚める。どうしたことだろう。それから小便に起きてから、枕元の腕時計をを見ると二時前である。しばらく寝つかれず、二三十分ほどしてかろうじて寝てしまう。次に目が覚めたら七時半だった。ふと縁側を見るとカーテンは閉まってあるが、外のガラス戸は開けっぱなしになっている。前夜寝る時に閉めるのを忘れたらしく、ちょっとびっくりした。風邪を引いていなければと思ったが、起きてみて少しは寝冷えしているかもしれない。 午後三時半ごろ松本姉上が突然来客、婿の新次郎さんが膀胱炎で医者に罹っておられ、来る二十一日までに快復すればよいが、いまのところは不明らしく、名古屋行きを一応中止することにした。十一月になってもよいから新次郎さんが治ってから一同で日を決めて行くことにする。 2004.9.06追加更新 十月六日(土曜日)晴れ 朝方五時過ぎごろ、向かいの奥井さんの工場から出火、町内の非常ベルが押され鳴り出した。町内の人々は驚いて多数が外へ飛び出したが、幸い大事に至らずボヤにておさまったからよかった。御池通りには消防自動車が来て一時は大騒ぎであったらしい。 午後は外出して京極の長崎屋とニチイへ寄ったが、別段欲しいものは見当たらなかった。三時ごろにうちに帰って来た。 夜八時から土曜ドラマ「河を渡ったあの夏の日よ」を見る。題名が長いが、これが案外よかった。 十月七日(日曜日)雨 区民運動会の日だが、折悪しく雨で運動会は中止となった。私にはまったく関係はないとはいえ、楽しみにしていた若い人たちにはちょっとかわいそうな気がする。 十時ごろに朝食を和夫もまじえて一同で済ませた。 すぐに昼食時となった。卵入りそばであるが、あまりうまくない。胃の調子がよくないせいもある。 昼からは雨も上がり曇り空である。 三時ごろから階下の皆は散歩に出かけてしまった。私はちょっと小腹が空いたので、幸いぶどう入りのパンがあったので、それを食った。五時過ぎになって皆は帰ってきた。 十月八日(月曜日)曇り 朝のうち曇っていたが、午後になって晴れ間も出てくる。 午後から弓子が学校の参観日で一時半ごろ出かけてしまった。ミドリは家に置いて行ったので、私が守りをすることになる。このごろは私によく懐いているので、ママがいなくても少しも泣かなかった。遊びつかれて三時ごろ昼寝をした。ところが、今日はだいぶ肌寒いゆえだろう、布団の中で寝小便をたれた。パンツをしかえてやるやら大変だった。四時半ごろに弓子が帰ってきたのでホッとする。 午後八時から「けったいな人々」を見る。 十月九日(火曜日)晴れ 今朝はだいぶ冷え込んで、外気は十度八分ということだった。ただしこの二階では二十一度くらいまでしか下がらない。 十一時ごろ幸山医院へ行く。待つ人はいつもより幾分少なかった。血圧を調べてもらったが、上が百五十八、下が七十四で、上のほうがこの前より少し下がった。 帰って昼を食べてから外出する。大丸から錦市場を回り、伊予万で寿司を買って三時ごろに家に帰る。弓子と二人で食べたが、さすがにうまい寿司だった。 十月十日(水曜日)晴れ 朝方は大分冷えたがよく晴れていた。「体育の日」にふさわしい天気だった。 和夫は早朝から魚釣りに出かけたらしく、私が階下に降りて行ったらすでにいなかった。 午後になって相川夫婦がやって来た。先日弟の嫁の芳子さんが知人を尋ねて東京へ出かけて昨日帰ってきたとのことで、お土産に菓子折をいただく。 2004.9.11追加更新 十月十一日(木曜日)晴れ 夜半三時ごろに目が覚め、小便に行った。そのあと再び寝たが、気が付くとずいぶん寝汗をかいている。念のため寒暖計を見ると、二十一度だった。前夜寝る時は二十四度くらいだったから、少しは下がっているのに寝汗をかくとは不思議で、血圧の薬のせいかもわからない。 茂はここ二日間夜中に咳が出て、熱もあるようなので、今日は学校を休んでいる。キミ子も給食の後で食べたものを戻したらしく、家に帰ってからも頭が痛いと言って横になっている。熱を計って見たら三十六度八分で、少し高いようだ。 四時ごろ風呂に行く。 十月十二日(金曜日)曇り 朝起きると小雨が降っていたが、やがて雨は止み、あとは曇り空になった。 茂は昨夜も咳が出て寝られなかったので、今日も学校を休んでいる。ちょっと心配で、罹り付けの医者に弓子が連れて行く。 午後は天気も快復したので、ミドリを乳母車に乗せて御所に散歩に連れて行ってやる。芝生で一服したり、砂遊びをしたりして、ミドリと一時間ほど過ごして家に戻る。烏丸通りを通ってゆっくり帰ってきた。 夜八時から新番組「天下堂々」を見る。なかなかおもしろい。 十月十三日(土曜日)曇り 朝から曇っているが、まだ雨は降ってこない。 茂は昨夜は少し咳が収まったので、今日は土曜日で半日だからと登校する。昼過ぎ子供達二人とも無事学校から戻ってきた。 やがて雨がぽつぽつ降り出してくる。二時ごろには相当強く降り出した。 四時前になってようやく小降りになったので銭湯へ行く。雨のせいで客人は少なかった。 夜十時半からドラマ「今日夢人間」を見る。最近のドラマでは佳作と思う。 十月十四日(日曜日)晴れ 昨日と打って変わった晴天だった。少し寒いが、先週雨で中止になった区民運動会には絶好だろう。弓子は子供を伴って運動会に出かけていった。和夫はこんな催しはいつも不参加で、茂を伴ってデパートへ行ってしまった。昼過ぎに両方とも帰って来た。 午前中私は二階の掃除をする。昼からは弓子と交代して、キミ子とミドリを連れて運動会に出かける。 十月十五日(月曜日)晴れたり曇ったり 今朝は気温が一段と下がり、気象庁発表では、京都地区は十度五分ということだ。 午後は京都駅前の観光デパートへ市電に乗って出かける。新聞広告で薬の安売りがあるとのことだったが、目当ての薬はすでに売り切れていた。安売りのりんごと寿司を買って帰った。安物に旨いものはないと解かっていてもつい買ってしまう。 2004.9.16追加更新 十月十六日(火曜日)晴れ 今日は昨日よりは温かく、しかも晴れているので楽である。十一時過ぎに幸山病院へ行く。患者も少なかったので早く診察が終わった。それでも帰ったのが一時だった。風呂屋が月曜から金曜まで休んでいるので、他の風呂屋へ行かねばならないが、今日明日は行くこともないのでこちらも休みにする。 十月十七日(水曜日)雨 起きてみたら早朝から雨が降っていた。 どうしてか、平日なのに和夫は今日は会社を休んだらしく、下へ降りて行ったら奥の間で書き物をしていた。どうしたのかは和夫も弓子も言わないので、私も聞かなかった。 今日は一日降りだったし、階下には和夫がいるので、私はどこへも出ず、また下にも降りなかった。 夜八時から「銀座わが町」を見る。劇中の踊りの場面を期待するが全くの期待はずれだった。 十月十八日(木曜日)晴れ 久しぶりの天気で、暖かい日である。 午後三時過ぎ、いつも行く風呂屋が休業しているので、散歩がてらに、今まで行ったことのない麩屋町蛸薬師の風呂屋へ行ってみる。なかなかきれいないい湯だった。帰りに錦市場に寄ってみたが、これと言って買う物も見当たらず、帰って来る。 夜は特に見たいものはなく、「ふるさと歌祭り」で時間をつぶす。 十月十九日(金曜日)晴れ 朝起きてみると、晴れて陽が輝いて、とても気持よい天気である。 午前中、千葉県の国体最終日を見る。午後二時から閉会式が行われるが、それを横目に二階の掃除をする。私の居間に段通を敷く。やはり掃除をするとどことなくスカッとするものである。 午後三時ごろ外出して、途中飴屋で黒飴を買ってから、御所へ回る。芝生の上にごろっと寝転んで青空を眺めていると、なんとも言えぬ気持よい気分になる。四時半ごろに家に帰る。 今夜は「天下堂々」を八時から見る。 十月二十日(土曜日)晴れ 土曜日で、茂キミ子とも昼過ぎに帰って来た。昼食はみんな揃って食べる。 午後はミドリが昼寝をしている間に自転車で買物に出かける。一時間半ほどしてミドリが目を覚ましたが、同時に弓子が帰って来たので、下へ降ろしてやった。 今日から風呂屋の修理が終わって、のれんが懸かった。弓子もミドリとキミ子を連れて夕方に風呂屋に出かけた。 2004.9.21追加更新 十月二十一日(日曜日)雨 朝から雨がしとしとと降ってうっとうしい一日である。予定通りなら、兄弟会で名古屋行きであったが、松本の主人が病気で延期になった。雨天で返って中止でよかったのである。 京都市から市電市バス敬老乗車証の配布があり、十一月一日から無料で乗車できるので、大変うれしいことだ。 昼前松本の姉上に電話したところ、御主人はその後ほとんど快復され、少しぐらいの旅行には行けるそうである。近々太秦の姉上のうちに集まって相談する手はずになった。 「国盗り物語」を八時から見る。今日は見応えがあった。 今夜から茂とキミ子がまた二階の二段ベッドに寝ることになった。 十月二十二日(月曜日)晴れ 今日は時代祭である。御池通りは早朝から観覧席の準備で忙しいことである。幸い昨日と打って変わってよい天気に恵まれて、相当の人出が予想される。 午後一時過ぎに御池通りを通るが、私は毎年のことゆえ見に行くのは止めて、二階の窓から行列を見ていた。 四時過ぎに風呂屋へ行く。七週間も休んで模様替えをしていたので、装いも新たで、照明電灯も新調されていた。 十月二十三日(火曜日)晴れ 茂が腹痛で学校を休んでいる。大したことではなさそうだ。 十一時過ぎ、幸山医院へ行く。大分待たされて診察してもらった。血圧が大分下がっており、百四十五の七十四で、先生も順調だとのことで安心した。一時ごろ帰宅して昼食を済ませる。 四時ごろから散歩に出かけ、一時間ほどして帰る。二階にはキミ子の友達が三人も遊びに来ていた。 昨夜と今夜、キミ子は私の傍に寝かしている。 十月二十四日(水曜日)晴れ 今日も茂は病気のため休んでいる。 十一時ごろから弓子はミドリを連れて、NさんMさんとでいっしょに児童公園に行った。茂は私と二階にいる。 午後二時ごろから外出してニチイへ行く。別段買物はなく、河原町通りを経て、三時半ごろ帰宅する。四時半ごろ物干しに布団を干していたのを取り入れ、布団カバーを取替える。 十月二十五日(木曜日)晴れ 十一時から初音学区の敬老会があり、花月劇場の吉本の漫才やら喜劇を観劇することになった。十一時ごろ出かける。入口でバッチを貰い、胸に付け、弁当とお菓子を受取った。席に座って待ち、十二時半より始まる。なかなか面白く、中頃まで見ていたが、終わりまでは見る気はしないので帰る。途中長崎屋へ寄って一回りして四時ごろ家に帰る。 今夜七時から町内の防火座談会があり、引き続いて消火器の薬の入れ替えがあるので、弓子は七時半ごろから出かけていった。 2004.9.26追加更新 十月二十六日(金曜日)晴れ 今朝はこの秋一番の冷たい朝になった。十時過ぎになっても一向に暖かくならず、秋風が身に染む日である。前夜は和夫夫婦がけんかを始めたらしく、なんでも弓子があまり遅くまで町内の消防座談会に行っていて、家をほおったらかしたとかで、いさかいを始めたようである。 十二時半から松本の姉さんといっしょに太秦の杉浦姉上のところへ行く。途中錦へ寄ってみんなで食べるために伊予又の寿司を買った。阪急で大宮まで行き、嵐電に乗り換えて蚕の神社で降りる。そこから歩いて姉上の宅までは十分ばかりである。後から相川も来て、みんなと話し合った結果、来月十日に名古屋へ行くことに決定する。四時半に家に帰る。 十月二十七日(土曜日)曇り 前夜はなんだか寒気がするので、六神丸を飲んで十時半ごろ寝床についた。 今朝は大分に気分もよく、風邪はおさまったようでよかった。 茂とキミ子は土曜日のため学校は昼までである。昼食はみんないっしょに食べる。 午後はどんどん曇りだし、三時ごろはまるで夕暮れ時のように、街灯がともっていた。 四時半ごろ風呂へ行く。帰ってくると雨が降り出して、やがて本降りとなる。 十月二十八日(日曜日)雨 前夜半から降り続いていた雨は、朝になって降り止んだ。しかしその後も曇りでうっとうしい日曜である。階下では襖の張り替えを和夫と弓子でやっているが、ずいぶん張替えはやっかいな仕事である。そのかわりに私が鯖寿司を作ることになった。腕に自信はあり、三時半から一時間ほど掛けて竹の皮で巻いて鯖寿司を作りあげた。お陰で少し腰が重い。まあすぐに治るだろう。 夜は「国盗り物語り」を見る。 十月二十九日(月曜日)晴れ 午後から大丸ヘ出掛ける。日本交通公社で名古屋行きの切符を買う。十日は日帰りで往復する予定だ。六人分で一万五千九百円を払う。ついでに七階まで上がってみたが、別段なにも買物はなかった。三時半ごろに家に帰る。 明倫小学校の同窓会から十五日に箕面に行く案内状を受取ったが、出欠はまだ考え中である。 今日は和夫の誕生日で、夕食は本人希望に従って、すきやきとなった。私は大丸で満月のアジャリ餅を買って帰る。 今夜は「けったいな人々」を見る。 十月三十日(火曜日)晴れ 昨日少し痔の具合が悪かったが、今朝便所に行くと大便に少し出血のあとがある。やはりあまり気張ると具合が悪い。今日は幸山医院へ行く日で、朝食抜きにした。早く行って早く帰ろうと、十時前に出かける。ところがもう七八人も来患があって、十一時ごろにようやく診察の番が回ってきた。血圧はまた百六十四に上がっていた。心電図をかけてもらって、血液検査もしてもらう。 十月三十一日(水曜日)晴れ 午後昼食後に外出して、矢崎さんへ家賃を貰いに行く。家賃の値上げの件はどうも言い出しにくく、値上げしてもらって当然なのに、まあそのうちによい思案をするつもりでいる。帰りに市バスで大丸前で降りたが、あいにく大丸は定休日だった。それで錦へ回り、弓子に頼まれてた仏さんのお花を買って帰る。 四時半ごろに風呂へ行く。宮川の正が入って洗っていた。久しぶりであるが、相変わらず一言も言わずお辞儀もしない。変わった人間である。 今夜八時から「銀座わが町」を見る。 2004.11.01追加更新 十一月一日(木曜日)曇り 日記もなかなか面倒くさくて、書くのがおっくうだが、今日から二冊目で、なんとか続けていくつもりでいる。 明倫小学校のクラス会の石川君から集合時間を案内に書くのを忘れたと断りの連絡があった。当日十一時に集合することを知らせてきた。 昼から二階の掃除をする。毎日しないものだからついほったらかしになる。 また痔の方が少し現れてきて、大便の時、紙に血が着くとそのあとがどうも具合悪い。 夜のテレビはこれと思う見るものもないまま、十時半ごろに寝に就く。 十一月二日(金曜日)晴れ 便所に行ったが、こちらも気を付けているせいもあるが、紙に血が着いておらず、少し安心した。今日の十一時の健康番組で痔についての医学講話があったが、少し参考になった。 午後四時ごろから風呂屋へ行く。平常なら今日は風呂屋の定休日であるが、明土曜日の祭日を休みにするため今日は営業をしているのである。知らない人もあるのだろう、割合に空いていた。 茂が風邪らしく、またいつもの咳が出ていた。強くならぬよう気を付けなければならない。 今夜は八時、「天下堂々」を見る。今のところ大しておもしろくない。 十一月三日(土曜日)晴れ 今日は文化の日である。よく晴れた暖かい祭日で行楽地は人の集まりでさぞ賑わうことだろう。 大便があまりすかっと出ないので、一度薬を飲んで楽に出るようにしようかと思う。 昼前から階下の人は子供を連れてピクニックに出掛けていく。私も誘われたが気乗りしないので断った。出掛けた後、サンドイッチを作ってあったので、それで昼を済ませる。台所の布巾が大分汚れていたので全部洗って、元の位置に掛けて乾かした。 十一月四日(日曜日)晴れ 朝から肌寒いが、実によい日本晴れの日曜日である。 和夫は朝食が済んでから襖の張替えを弓子といっしょにやっている。今日一日では全部はできないだろう。 午後テレビで七代目尾上菊五郎の浜松屋かたりの場を見る。なかなかよかったように思う。その後は梅光の藤娘の舞踊を見る。 五時ごろに弟の相川から電話が掛かり、名古屋行きの打ち合わせをする。またしばらくしてから今度は松本姉上が来宅になり、やはり名古屋行きの時間などの打ち合わせをする。 今夜八時の「国盗り物語」を見る。 十一月五日(月曜日)晴れたり曇ったり 前夜通じ薬を飲んで寝たが、朝の通じの時にはそのわりには出なかったように思う。 明倫クラス会は熟慮の結果不参加することに決めた。葉書で断りを書いて出す。 午後ミドリを連れて黒飴を買いに出掛け、帰りに二条の児童公園でミドリを遊ばす。ミドリ一人でどんぐりを拾っていつまでも遊んだ。自分が拾ったどんぐりを持って帰るというのでハンカチにくるんで持たせた。 外出から戻ってまもなく、二階から降りしなに、下から二段目あたりから階段を踏み外して畳まで落ちたが、落ち方がよかったのか、別段たいした痛みもなかった。 夜は八時「けったいな人々」を見る。 2004.11.06追加更新 十一月六日(火曜日)晴れ 朝方は曇っていたが、十時半ごろから青空が見え陽が射してくる。 幸山病院へ行く。血圧を調べてもらったところ、上が百四十で下は七十と大分下がっており、これなら順調だと先生に言われた。だいたい少し動脈硬化ぎみとのことで、今しばらくは医者の指示に従うほかないと思う。 弓子の留守中、午後四時ごろ、茂が二階のこたつにあたっていた。私もちょっと出掛けたくて茂に留守番を頼んで出掛けた。五時前に帰ってきたら、電気こたつが点けっぱなしで、弓子に注意された。火の用心は大切で弓子のいうことはもっともだが、今日のは茂が足を入れていたので私の手落ちではない。 十一月七日(水曜日)晴れ 十一月ともなれば朝方は寒気がじわっと寄せてくる。 お隣の山中さんが鴨川おどりの券をくださったので、午後二時ごろから先斗町の歌舞練場へ出掛ける。敬老乗車証があるのでわずかの距離だが御池通りから三条京阪まで市バスに乗る。そこから歩いて二三分だった。鴨川おどりは例年とあまり変わらず賑やかな踊りで、久し振りに気分が華やいだ。帰りも三条京阪まで戻って市バスで帰宅する。無料だとつい歩かずにバスに乗ってしまう。 今夜は「銀座我が町」を見る。大分力みがなくなったように思う。 十一月八日(木曜日)晴れ 今朝も相当冷えていたが、天気は上々である。 昼前から二階の掃除をする。掃除は私のもっとも苦手とするところだが、週に一回くらいは掃き掃除くらいしないと衛生上悪いと思い、簡単にでもやることにしている。 午後昼食のあと、散髪に行く。今回から百円値上げで九百円支払う。 十一月九日(金曜日)曇り 朝から曇っており、天気予報によると一日中雨降りのようである。 明日は名古屋行きだから、なるべくなら明日は降ってほしくない。 午後三時半ごろから雨はやみ、陽が射してくる。この分なら明日は晴れてくれるかもしれない。松本姉上が見えて最終の打ち合わせをする。松本の末娘が名古屋に嫁いでいて、彼女が案内役をしてくれるそうで、手土産に尾張屋のそば餅を持っていくことになり、姉が車屋町まで買いに出掛けてくれた。弟の相川からも電話が掛かり、明朝の再打ち合わせをする。 夜八時から「天下堂々」を見るがあまり面白くなかった。 十一月十日(土曜日)曇り小雨 朝から曇っており、生暖かかったが、今日は名古屋行きで、七時に起きる。朝食もそこそこに松本の息子が運転する車で京都駅に向かう。予定通り八時四十四分発のひかりに乗り込み出発した。新幹線に乗るのは生まれて初めてだ。客車にはいるドアは自動開閉だし、座席が広くて豪華だ。なにかにつけて至れり尽くせりの設備のようだった。 九時ごろ名古屋に着いたが、池田さんのマアちゃん(松本の次女)が見えないので、しばらく駅構内を探し回った。人が多くてなかなか見つからなかったが、やっと探し当てて久し振りにマアちゃんと挨拶を交わす。もう十五年も会っていないので、すっかり中年の婦人になり変わっていた。こちらもそれなりに年を取っているわけだから、マアちゃんからは私も年寄りに見えただろう。 十一時発の観光バスは名古屋城で下車して城内を見学する。それから熱田神社にも立ち寄った。その後は市内のビル群の中をあちこちガイドさんの案内で見て回った。二時頃に元の駅前に戻ってくる。 名古屋駅の地下街を見物して回り、夕食はその地下二階の料理屋で食べた。その後土産物を買ったりして時間を費やし、午後七時十八分発のひかりで京都へ帰る。 2004.11.11追加更新 十一月十一日(日曜日)晴れ 今日はまた昨日と打って変わり日本晴れのよい天気である。 ミドリの七五三で八坂神社へお参りするので私も行くことになる。午後一時過ぎ、みんなで御池通りからタクシーで行こうと待ったが、日曜で空車がなかなかやって来ず、結局満員のバスに三条京阪まで乗り、そのあと八坂神社までかなりの距離を歩いた。何組かの七五三の親子連れといっしょにお払いを受けて、終わると千歳あめとおお守り袋をくれた。若い連中は帰りも四条通りをぶらぶらするというので、私はとてもついて行けず、どっち道無料だからバスに乗って帰った。 十一月十二日(月曜日)晴れ 朝方は少し冷え込んだらしく、起きる時は寒かった。名古屋行きの旅費を勘定すると一人あて五千四百三十八円と計算が出来上がった。そこへお土産千百七十円だから、計六千六百円が要ったことになる。 午後四時過ぎ銭湯に行く。 昨夜から茂とキミ子が二階の二段ベッドに寝ている。このままずっと続いてほしいと思う。 午後八時「けったいな人々」を見る。近頃はあまり面白くなくなった。 十一月十三日(火曜日)晴れ 朝十時半ごろから幸山医院へ行く。診察の結果、尿に塩分がちょっと多いので気を付けて食事するように言われた。血圧が百四十八と七十八で、前より上っていた。 風邪気味で少し寒気がするので午後は外出を見合す。和夫から譲り受けた洋服の上着がクリーニングが出来たが、前のボタンが一つ落ちているので付け直した。 五時ごろから大相撲九州場所を見る。 十一月十四日(水曜日)晴れ 十一時の「今日の健康」で脳卒中のリハビリテーションと題して話があった。つまり脳卒中が起こった場合に、当面および日常の処置であるが、医者の注意をよく聞き、寝たきり老人にならぬように適度の運動が大切とのことである。私は高血圧だから聞き捨てならず大いに参考にしなければと思うる 午後になって郵便局へ年賀はがきを買いに行ったが、普通の分はすでに売り切れである。少し高い寄付金つきのがまだあったのでそれを購った。 夜は「銀座我が町」を見る。 十一月十五日(木曜日)晴れ 今日は申し込んでおれば明倫校のクラス会で箕面行きであったが、病気を理由に参加しなかった。その代わりにというわけではないが、昼食後、バスで上賀茂神社へ出掛けた。折りよく今日は十五日の七五三で大賑わいで、女の子や男の子が正装してかわいらしい姿があちこち見られた。紅葉も一段と映えて美しかった。帰りに名物の焼き餅を買った。帰りのバスは先々どんどん学生などが乗り込んできて満員となった。烏丸御池で降りるに降りられず、とうとう四条大丸前まで行ってしまう。しかたなく大丸の中をしばらく見て回って歩いて帰ってきた 2004.11.16追加更新 十一月十六日(金曜日)晴れ 宮川(妹)がスカラ座の「人間革命」の券があると言うので、うちで早昼を食べてから、宮川、宮川の義妹と松本姉上と四人で十一時ごろから出かける。十二時開演だったのでしばらくその付近をぶらぶらして時間を費やし、十二時ごろに入場する。映画館まではエスカレータがついていた。十二時半ごろに「人間革命」の映画が始まり、終わったのは三時半ごろだった。題名のわりには面白かった。それから高島屋まで歩いて、食堂で寿司をとって小一時間雑談する。帰りはみんな疲れていてタクシーを拾い乗って帰る。 五時頃から相撲の中継を見る。 夜は八時から「天下堂々」を見る。ちょっと面白くなってきた。 十一月十七日(土曜日)晴れ 今日は風が強く、全国的に荒れているらしく、物干しの洗濯物がゆらゆらとひどく揺れていた。 土曜日で茂とキミ子は十二時半ごろ学校より帰ってきた。子供たちのいない時は寂しいが、いればいるで賑やか過ぎる。 午後二時からの「上方芸能鑑賞会」は、文楽やら上方舞踊やら、一流どころがやるので見ごたえがあった。 四時過ぎから風呂に行き、帰ってから相撲の中継を見る。 十一月十八日(日曜日)晴れ おだやかに晴れていた。日曜日とあって郊外は人で賑わっていることだろう。 相川(弟)が以前にくれた舞踊の会の入場券があるので、昼食を済ませてから北野会館へ出かける。一時半ごろ着いたが、すでに指定席はなくなっていた。さいわい後ろの端の席だったが空席が一つあって座ることができた。しかし、席が寒いので、そこそこにして帰った。うちの連中はみな外出していて鍵がかかっていた。 夕方まで相撲中継を見る。 十一月十九日(月曜日)晴れ 今朝は非常に冷え込んで、八時半の二階の居間で十度だった。風が強いので余計に寒さが身に堪える。 午後も寒くて風が強いので外出は見合わせる。 夜は「けったいな人々」を見る。 十一月二十日(火曜日)晴れ 今朝も昨日同様に冷え込んでいる。それでも診察予定日なので、十時半ごろから幸山病院へ出かける。血圧が百四十八の七十四で、至極良好とのことなれど、尿を調べると、塩分が多過ぎることが判明、食事を気を付けるよう注意された。 午後は二時ごろからバスでニチイデパートへ出かける。ところが運悪く火曜日は定休だったので、高島屋まで足を伸ばす。別に買い物もないまま、またバスに乗って帰ってくる。 先日名古屋に行ったおり名古屋城で撮った写真がまだ届かないので、催促の葉書を出す。 2004.11.21追加更新 十一月二十一日(水曜日)曇り かねてより案内のあった浄光寺の報恩講が午後一時半から勤修になるので、一度参詣するつもりだったが、都合で行けなくなった。 午後も少し寒気がするので外出は見合わせる。 夜は八時から「銀座我が町」を見るがあまり面白くなかった。 十一月二十二日(木曜日)晴れ 九時半ごろから弓子はミドリを伴って小学校の学芸会を見に出かけた。 昨日から朝はパン食にしているので、一人でゆっくり食べる。後片付けしてから、少しは弓子の手助けをしようと、布巾が大分汚れているので洗濯してストーブに乾かす。 今日は大分寒さが和らいでいるようである。午後になって名古屋の遊覧バス会社から写真が一枚到着してきた。催促の葉書と入れ違いになったようだ。写真はよく撮れていた。三時半ごろ太秦の杉浦姉上が突然みえた。松本の姉さんに頼まれた仕立物を届けるために来られたので、その帰り道だった。さいわい名古屋の写真が届いていたので、それを話題にしていろいろお話しする。四時半ごろにお帰りになった。たいへんお元気な様子であった。 十一月二十三日(金曜日)晴れ 勤労感謝の日 朝起きた時は寒かったが、昼からになって暖かくなり、二三日前の寒気からは嘘のように暖かく、一息ついたというところだ。 午後昼食後松本の姉上を訪ねたが、ご夫婦とも留守で逢えなかった。 和夫は今日の祭日も出勤して一日留守である。 八時から「天下堂々」を見たが、相変わらず面白くない。 十一月二十四日(土曜日)晴れ 昨日からキミ子が調子が悪く、どうやら風邪を引いたらしい。夜中、私を呼ぶので、「どうした?」と聞いてみると、「寝られへん。下へ行って寝る。」と言うのである。 今朝になっても微熱があり、学校を休んで養生することになった。十時ごろから弓子が医者に連れて行った。 午後、大丸へ行くつもりで外出したが、通りがかりの山本酒店で酒を一本注文してから、大丸行きをやめて松本の姉さんとこに行く。いろいろお話をして、三時ごろ帰った。 四時過ぎ風呂に行く。 十一月二十五日(日曜日)晴れ 日曜日で朝起きるのが遅くなり九時に起きたが、キミ子も今日は熱も下がり午後には起き出して機嫌よく遊んでいる。 三時半ごろから下の連中は外出した。私は外出は見合わせ、四時半から大相撲九州場所の千秋楽を見る。 夜は「国盗り物語」を見る。 2004.11.26追加更新 十一月二十六日(月曜日)晴れ 灯油が不足していて小売店は品不足ぎみである。今朝も川島屋へ注文したところ水曜日にメーカーから来るのでそれまで待ってくれとのことだ。しかも一缶しか売ってくれず、不安な状態が続いている。 午後から外出して郵便局と三菱信託銀行に行き残高確認をする。それから大丸に寄って七階の催し物をゆっくり見て回った。帰りは四条烏丸から電車で帰宅する。 今夜からキミ子が二階で寝ることになった。 十一月二十七日(火曜日)晴れ 朝方は大分に冷えて、八時半に寒暖計を見ると十度を少し割り込んでいた。 十時四十分ごろから福田病院へ出かける。血圧を測ってもらうと、百六十二の八十でこの前より上っていた。今日は心電図を掛けて診てもらい、血液も採った。 風邪気があるように思うので午後は外出は見合す。四時ごろになって大分暖かくなってきて少し楽だった。 十一月二十八日(水曜日)晴れ 今朝、寒暖計を見たら十七度で、昨日と比べ暖かい朝である。 今日はミドリの誕生日である。痔の具合がもうひとつよくなかったが、午後外出してミドリのプレゼントを買いに行く。バスで河原町三条で降り、ニチイまで歩く。そこで自分のシャツ上下を買い、それから京極のおもちゃ屋へ行って、ゼンマイ仕掛けの犬のおもちゃを買った。四条まで出て市バスで家に帰る。さっそくおもちゃをミドリに渡すと大変喜んでくれた。 夜八時から「銀座わが街」を見る。 十一月二十九日(木曜日)晴れ 今日、大便は二回あった。昨日の夕食に野菜物をたくさん摂ったせいか、朝はいつも通り行き、昼食のあとにももよおして行く。多少柔らかい感じであった。しかし腹の調子は非常に良くなったように思う。 しかし外出は見合す。 十一月三十日(金曜日)曇り 今朝は大分冷え込んでいる。室内の寒暖計を確認すると案の定十度を割り込んでいた。風邪が大分はやっているらしく、キミ子もまだ直らず、またミドリも咳をし出したので、昨夕弓子が医者へ連れて行ったようである。私も多少風邪引き気味で、なんだか寒気がする。温かくして、無理をしないようにしたい。 午後二時ごろから上着の寸法直しを取りに行くため外出して、帰りにニチイへ寄って各階を見たが、別に買い物もなく、また高島屋へも行く。時間をつぶし、バスで帰ってくる。 2004.12.01追加更新 十二月一日(土曜日)晴れ 今日からは師走である。もう一ヵ月後には正月を迎えねばならぬ。 ミドリが昨日から風邪で、鼻水もよく出るので、弓子は買い物は一人で行くことになった。私は留守番に回り、ミドリのお守り役を頼まれる。十二時過ぎに弓子は戻ってきた。そうこうしているうちに、今日は土曜日なので茂とキミ子も学校から帰ってくる。 午後から外出して大丸へ行く。錦市場へ回って伊予又でいなり寿司を買い、バスに乗って帰ってくる。 テレビ討論会の「わたしの十二月」というのを見たがなかなかおもしろかった。 十二月二日(日曜日)曇り 今朝は冷え込んでいた。二階の寒暖計は午前九時で九度と今年一番の寒さのようだった。年賀葉書が売り切れていて困っていたら、和夫が会社で都合してきてくれた。二十枚を無償でくれたので一安心である。 午後三時半から風呂に行く。 今日は日曜であるが、和夫は会社が多忙らしく出勤して六時ごろに帰ってきた。 夜は「国盗り物語」を見る。 十二月三日(月曜日)晴れ 今朝も冷え込んでいる。 通じの具合が少し悪く、痔の気が出たので外出しかねている。 午後からはミドリが昼寝してしまって、弓子が買い物に一人で出かけたので、留守を頼まれた。 夜になってようやく痔の具合がよくなってくる。 十二月四日(火曜日)晴れ 午前中福田病院へ行く。今日は患者が多くて、診察してもらったのは十二時半ごろとなった。この前の血液検査の結果は、血液中に脂肪分が多く含まれているとのことだったが、全体的にはまあまあだと言われた。血圧は百五十八の八十で、これなら別状ないだろうと先生は言っていた。 遅い昼食ののち、外出して大丸に行く。ところが大丸は臨時休業していたので、錦市場を通って高島屋へ行く。それから市バスで帰宅する。 夜十時から、今日から始まる銀河小説「坂の上の家」はちょっとおもしろく、続きを期待したい。 十二月五日(水曜日)晴れ 今朝は一段と寒くなり、九時ごろ二階の表の間で八度だった。今年は例年より寒さが早くからやってきている。一月二月の寒さが今から案ぜられる。 午後は大丸と高島屋とが休業なので外出は見合わせた。もっとも寒いせいもあって、風邪でもこじらせたら大変と大事をとったわけである。 夜は「銀座わが町」を見る。 2004.12.06追加更新 十二月六日(木曜日)晴れ 今朝はだいぶ暖かかった。二階の温度計は九時で十二度である。外はもう少し低いだろうが、これなら過ごしやすい。 午後外出して大丸へ行く。別段に買物はないが一応上まで上って降りてきた。錦に回り、うなぎが割合格安に出ていたので、一番小さい、四百五十円のを買う。これは私が二階でこっそり食べるつもりで、一人前の小さいのをもらった。バスに乗って四時前に家に帰る。弓子が洗濯物の取り入れをしている間に、ご飯を一膳台所から持って上がり、うなぎの半分だけを二階で食する。なかなかうまかった。あとの半分は明日の愉しみに残しておく。 四時半ごろからお風呂へ行く。最近何時のころからか営業開始が四時からとなっていて、四時半に行ってもすでに少し込んでいた。 十二月七日(金曜日)晴れ 今朝は一段と冷え込んでいた。 今日は大便が思ったより多く出て、腹の具合がお陰ですうっとした。 午後になって電気ごたつを買いに弓子が外出したので、私がミドリの守りと留守番を引き受けることとなる。守りといってもミドリはずっと寝ていて、よく寝る子だった。 今夜は八時から「天下堂々」を見るがまだ面白いところまではいかない。 十二月八日(土曜日)晴れ 昨夜久し振りに電気ごたつを入れて寝る。朝起きた時はやはり身体が温かくて気持ちがよかった。寒い時にはこたつを入れて寝たほうが体調にもよいと思う。 午後は外出して寺町二条の履き物店でぞうりを一足買う。今履いているのがかがとが減ってきて歩きにくくなっている。それから飴屋で飴を買って帰る。 十二月九日(日曜日)晴れ 今日は日曜日で下はみな朝寝坊していて、私も九時ごろには目覚めていたが、風邪気味のためしばらく床の中にいた。 起き出しても身体の調子が悪くて、洗面のあと体温計で計ってみた。別段熱はなかった。しかし喉が少し痛い。 午後からは弓子と和夫で障子の張替えをしだした。私も多少手伝った。なかなか手間がかかって四時過ぎにようやく終わった。五時頃から下の連中は外出して留守になった。いつまでも帰って来ず、七時ごろにようやく帰ってきた。それからすき焼きの準備がはじまり、食べ終わったら八時だった。 十二月十日(月曜日)晴れ 明日は福田医院の診察日なので、今日からなるべくあまり辛いものは差し控えるようにする。昼食の味噌汁が大分辛かったので、少し飲み残しておいた。 午後は外出せず、五時前から銭湯へ行く。 2004.12.11追加更新 十二月十一日(火曜日)晴れ 朝から穏やかな暖かい日である。 午後外出して三条東洞院の郵便局へ行き、兄弟会の会費を預ける。そして大丸まで足を伸ばし、一通り見て歩いた。帰りに錦市場に寄って、うなぎを買い求め、河原町から市バスに乗って帰った。 十二月十二日(水曜日)晴れ 午後から、二階の奥の間の上敷きを新しいのと取替え作業をする。タンスなどを表の間に運んだりしなければならず、なかなか骨が折れた。弓子と二人で一時間半くらいで終わる。上敷きでも新しい畳の匂いがして、とても気持ちがいい。 夜は「銀座わが町」を見る。 十二月十三日(木曜日)晴れ 階下の表の間の上敷きを新しいのと取り替えるのに、午後から弓子といっしょに仕事をする。弓子の洋服だんすがひどく重いので、ちょっと動かすのにも手間がかかり、かなり汗をかいたが、ようやくのことで敷き替えることができた。私は腰を使い過ぎたようだが、他に手伝い手がいないから仕方がなかった。 町内の小橋さんのおじいさんが、病気療養中のところ、今朝亡くなられた。一年も前から寝たきりで、案じていたが、お気の毒なことである。八十五歳とのことだ。明日葬儀が執り行われるので、会葬に行くつもりである。 五時前に銭湯へ行ったが、小橋様の前を通りかかると通夜の準備中のようだった。 十二月十四日(金曜日)晴れ 午後から町内小橋様の告別式に参列する。今回は町内の役員でないので、お手伝いはせずに済んで気が楽だった。出棺のお見送りをして帰った。 松本姉上が見え、お歳暮の品をいただいた。階下の客間でいろいろ世間話をした。 夜八時から「天下堂々」を見たが大して面白くなかった。 十二月十五日(土曜日)晴れ後曇り 今日は土曜日で茂とキミ子は昼過ぎに学校から帰ってくる。弓子はミドリを連れて買物に出掛け、戻って来たのは一時過ぎとなった。 午後二時からテレビで劇場中継「綱館の茨木」を見る。久し振りの歌舞伎で興味深かった。 三時半ごろから弓子が誘うので子供三人を連れて大丸へ出掛ける。土曜半休で大勢の客で混んでいた。私は混雑に閉口して、そこそこに切り上げて一人バスに乗って帰ってくる。 2004.12.16追加更新 十二月十六日(日曜日)晴れ よく晴れた穏やかな日曜日である。歳末のこととてデパートは混雑が予想される。 午後相川(弟)がやって来る。先日兄弟会の旅行の時、名古屋城で撮った写真をまだ見てもらってないのでそれを見せる。このところの買い溜めの話をする。相川の家でも必需品は相当買い溜めしているらしく、皆が皆買いあさりするので、ますます品物がなくなる。 和夫が八ミリ映画を見せてくれた。相川が孫娘も連れてきていたので彼女が喜んでいた。 十二月十七日(月曜日)晴れ 午後二時ごろから外出して大丸へ行くが、月曜日でひっそりしていた。地下一階の菓子売場から幸山医院の院長あてに泉屋のクッキーをお歳暮に送る。エレベータで七階に上り、画廊を見てから、錦市場に回り、あと家まで歩いて帰る。 五時過ぎから銭湯へ行く。 十二月十八日(火曜日)晴れ 起き立ての部屋が一段と冷え込んでいる。 今日は幸山病院の診療日だが、一日休んで、明日薬を貰いに行く考えである。 階下のテレビの画面が映らなくなり、二三日前から頼んであったのが、夜になってようやく修理に来てくれた。しかし思いの他重症で容易には直らないようだ。明日に持ち越して今日のところは帰ってしまった。 夜十時からの銀河小説「坂の上の家」を毎度見ているが、なかなかおもしろく今夜も見た。 十二月十九日(水曜日)晴れ 今朝もかなり冷え込み、九時頃で室温が十度を割り込んでいた。 弓子は朝からスーパーへ行って、行列して醤油の買いあさりをする。このところどこの家庭でも主婦は必需品の買いあさりに一日中明け暮れている有様である。 午後は散髪に行く。そこの世間話も買いあさりの話題ばかりで、まったくにがにがしいことである。 十二月二十日(木曜日)曇り 茂が今朝五時ごろ、寝ている私を起こして、夜具の上布団がずり落ちたから手伝ってくれとのことで、寒いのに起きて上布団を直してやった。 八時過ぎ、窓の外は曇っていて、今にも降り出しそうな雲行きだった。 それでも結局降らなかった。午後から外出して厚生会へ行き、この前買った体温計の調子が悪いので取り替えてもらう。石鹸売場に立ち寄ったが、いつもの一個六十円のは見当たらず、百円以上の品ばかり残っていた。みんな安い物から買いこんでしまったのだ。 大丸にも行ったが客は少なく、ただ地階の食料品売場だけは相当賑わっていた。それでも買い物はしなかった。四時ごろ帰宅する。 2004.12.21追加更新 十二月二十一日(金曜日)晴れ 今日は終い弘法で、いい天気だから、東寺は大賑わいしてるにちがいない。 階下のカラーテレビが昨日直したばかりなのに、またまた見えなくなってしまった。もはや寿命が来たということで、新しいのと買い換えるより仕方がないようだ。 十二月二十二日(土曜日)晴れ 今朝は風が強く、そのため非常に寒く感じた。朝九時ごろ、室温は十度を割り込んでいた。 午後は弓子が用事で外出するので、私はうちにいてミドリのお守りをする。茂は風邪引きが治らず、まだ学校を休んでいた。しかし熱はようやく平熱に戻ったようである。 五時ごろ弓子が帰ってきた。大丸で東芝のカラーテレビを月賦で買ったそうだ。 帰って早々に弓子は観音寺の母親に電話して、砂糖と石鹸を買って送って欲しいと頼んでいた。京都は品不足で物価が値上がりしているが、四国の方がまだしも品物はあるようだ。 十二月二十三日(日曜日)晴れ 昨日下剤を呑んでおいたのが効いたのだろう、朝食後便所に行き、相当に目的を果たした。それで気分がすっきりと晴れた。 茂がパパといっしょに買い物に出掛け、やがて地球儀を買ってもらって帰ってきた。 昼前に、二階の掃除をゆっくりとする。昼飯はラーメンを家族みんなで食べた。 午後、今度はキミ子がパパと出掛けて、クリスマスプレゼントを買ってもらって帰ってきた。 夜八時から「国盗り物語」の最終編を見る。 十二月二十四日(月曜日)晴れ時々小雪 今朝の気温は一段と下がり、九時時点で九度である。もちろん外は一度か二度だと思う。 弓子が買出しに行ったので、茂とキミ子と三人でミドリの守りをする。昼は昨日のすき焼きの残りで私がおじやを作り、みんなに食べさせる。 しばらくして弓子が帰ってきたので、今度は私がキミ子を連れて大丸へプレゼントを買いに行く。おもちゃ売場で二品買ってやり、三時ごろ帰宅する。入れ違いに弓子が再び買出しに出掛けた。 十二月二十五日(火曜日)晴れ 今朝も一段と寒さが加わり、九時前に起きた時部屋の寒暖計を見ると六度だった。 十時半ごろから福田病院へ行く。それほど混んでいなくて早く番が回ってくる。今日は心電図を掛けて調べてもらう。血圧も測ってもらった。百五十六と八十で、これならよかろうと言われた。さらに血液も取ってもらうが、この検査結果はすぐには分からない。 二時ごろ、市田姉上が来られた。和歌山の葉村角次郎さんが亡くなられたよし電話がかかってきたとのこと。彼は私の従兄弟に当たる。誠にご愁傷の至りである。しかし、八十九歳なら長寿と言えよう。さっそく弔電を打つことにした。 午後五時から風呂へ行く。 2004.12.26追加更新 十二月二十六日(水曜日)曇り 風呂屋行った翌朝私は、必ずといってよいが、風邪気味になる。今朝も鼻水が出て、普段より寒く感じるのである。もっとも今朝の気温も低かった。思い切って下着を一枚多く着る。 葉村角次郎様逝去といえど、遠方なので参列お見送りもならず、現金書留にて弔意とさせていただく。松本姉上の香儀も同封する。 朝起きて下へ降りると、弓子が仏壇の掃除をしていた。毎年私がしていたが、今年は彼女にまかせ、私は午後に神棚の掃除をする。小一時間掛けて二ヵ所の神棚の拭き掃除をした。 アラブ諸国が日本に対して石油の供給削減を解除するとの報で、今日の株式相場は一転して大暴騰と化した。それに反して商品相場は暴落していた。これで消耗品の買いあさりも一息つくのではないか。 十二月二十七日(木曜日)晴れ 夜中、キミ子が寝られないと私の寝室に来たので、しかたなく横に布団を敷いてやった。 それでも今朝はそこそこ気分よく起きられた。風邪もよくなったようである。 昼過ぎ、階下の新しいテレビが大丸から配達されてきて、設置もしてもらった。なかなか音もよく、画像もきれいで、スイッチを入れるとすぐに画面が現われた。東芝の製品である。 十二月二十八日(金曜日)曇り 朝から曇っている。十時半ごろから雨がちょっとパラつく。 午後は二時ごろから晴れてきた。でも今日もまだ風邪気があるので外出は中止した。弓子は四時ごろから自転車で買出しに行く。しばらくしたら和夫が突然会社から帰ってきた。勤務先である都ホテルの不用になった白黒テレビを千円で払い下げてもらい、ホテルの車で持って帰ってきた。さっそく試してみたら結構見られるのである。なんにしても千円なら安い買い物だ。 十二月二十九日(土曜日)晴れ 今日からは、おせちの支度で台所はたいへん忙しくなる。 午後から私は外出して、まず西大谷に墓参りに出掛けた。お花とお線香を買って、墓石を掃除し、今年一年の無事を感謝し、来年のことを祈念する。帰りに錦市場に回り、弓子に頼まれた品々をメモ通りに買い整える。帰ってきたら三時半になっていた。入れ替わりに弓子が錦へ行く。ミドリは昼寝をしていて、夕方までぐっすり寝ていてくれた。 十二月三十日(日曜日)晴れ 今朝は九時過ぎに起きる。朝食のあと便所に行き、紙にちょっと血が着いている。少し多い目に便が出たので出血したのだろう。 過日福田病院で血の検査をしてもらったが、いまだにその痕が痛い。へたな看護婦にかかるとまったく閉口する。 和夫は今日は日曜にもかかわらず月末で忙しいからと出勤している。 以前から樋を直してもらうように頼んでおいたが、ようやく三時半ごろに業者がやってきてくれた。二階の表の樋で、和夫が一度直してくれたが、結局直らなかった。薄暗くなる六時ごろまでかかってようやく直してくれた。正月が迫っているし、これでなんとか年を越せるとほっとする。裏の物干し場の樋はまた年が明けてからやりましょうと約束してくれた。 十二月三十一日(月曜日)晴れ いよいよ今日は大晦日。九時前に起床する。 昨夜は、なかなか寝付かれず弱った。 午後から壬生の矢崎さんとこへ家賃を取りに行く。相変わらず値上げに応じてくれないので、帰り際も気持ちが冴えない。 錦市場に寄って正月用のお茶菓子五人前を買い求めた。今年は一段と値上がりしていて、一人前八十円もした。物を買うたんびに値が上り驚かされる。 三時ごろに家に帰ると、弓子は正月用の煮しめ造りに大わらわである。私も夜の八時まで手伝った。お陰で銭湯へ行ったのは九時を過ぎていた。 紅白歌合戦を見たが例年とさして変わらず珍しくもなかった。それでも都はるみりの「涙の連絡線」はとてもよく、これは日本一である。 知恩院の除夜の鐘を聞きつつ床に就く。 |
これをもって「ある老人の日記」は一応終了といたします。