転居日記

 

 

 

 

 

 

転居日記

75歳、後期高齢者にとって引越しは大仕事。

でも、決心したのはほんの思い付きから・・・

 

2007年(平成19年)

 

 十二月

 

マンション住まいなど根っから考えてもいなかったのだが、「エイジング」という言葉に操られるように、京都新聞の折り込み広告を、あとでちょっと参考までに目を通してみようと茶箪笥の脇に畳んで置いた。二三日して礼子がそれに気がついて、

「おとうさん、これなんでここに置いたあんの?」

「別に…」

 

新聞の折り込みに入っていたエイジングマンション(高齢者向きマンション)の広告に冷やかし半分に 資料請求したら、さっそく電話があり、四時ごろ資料を家まで持って我が家に尋ねてくるとのことで、しぶしぶ、「どうぞ…」と返答したのだ。

やってきたのは結構感じのよい若い男性で、説明も手馴れていて要領よく爽やかだったので、つい月曜日にモデルルームを見学に行く約束までしてしまった。

 

数日後、「エイジングマンション」のモデルルームを見せてもらいに京阪○駅で待ち合わせる。やがてHという昨日のセールスマンが車でやって来て我々を後部座席に誘導した。駅前は淀競馬場の建物と緑地帯が広がっているが、今日は開催日でないので人影もなく森閑としていた。寂れたような町並みだが道路は旧国道とかで道幅が広く車の往来は激しい。まずマンションの建設現場に行ってくれたが、来年十月完成予定で七階建ての四階部分を現在施工中だった。提携しているK病院や、橋上からのマンションの眺め、買い物環境、スーパーの位置などあちこち廻って見せてくれた。最後に事務所で長々と説明を聞いたり、こちらから質問をしたりして、やっと五時前になって高級オプションで飾られた3LDKモデルルームに案内してくれた。少し手狭だったが、年老いた自分たち二人住まいにはそれで充分とも思えた。

帰りは厚かましくもH君に地下鉄竹田駅まで送ってもらう。御池駅に着いたら二人ともくたくたで、「やよい亭」ですき焼き定食を食べた。

 

少し早いが末娘のすみ子のところでクリスマスをして、その後でエイジングマンションの部屋を娘にも見てもらい感想を聞こうと思った。礼子が手軽なクリスマス料理を作ってショッピングカーで地下鉄竹田駅まで行ったらすみ子が車で迎えに来てくれていた。すみ子がスープを作ってくれ、みんなで食べたが、二つ半になるさつきだけはおやつが過ぎたのか食が進まなかった。

淀の介護付きマンションは我々二人ともそこそこ乗り気で、現に今日にも手付けを入れるつもりで懐に現金を用意してきていた。ところがすみ子にパンフレットを見せると、反対とは言わなかったが、

「ちょっと管理費が高いなあ…」

とコメントし、さらに、

「どうせなら、いざという時、私が自転車で駆けつけられる範囲にしてほしい・・・」

とぽつりと言った。その言葉に私は思いのほかの衝撃を受けた。まるでその言葉を待っていたかのように、すぐさまH君に電話して、午後一時に会う約束を一旦断る。

「えっ?どうしたんです!なにかあったんですか?」

あわてる相手を振り切って電話を切る。なぜか私はほっとしていた。

それからすみ子の案内で参考までに近くで売り出しているマンションを二カ所見学した。

 

暮近く……

昼から古着を「きものや」に取りに来てもらうことになっていたが、すみ子が連休なのでマンションの下見に付いてきてくれることになり、古着屋には午前中に来てもらう。二階から下ろして玄関先に積み上げてある着物をどんどん風呂敷に包んでいく手際のよさに感心する。待ったを掛ける隙をあたえない話術の巧みさにも舌を巻く。結局、「奮発します」と言って五千円で引き取っていった。

すみ子のマンションに一時半の約束が、大手筋商店街に寄ってさつきに志津屋のパンを買っていたら二時前になってしまった。入れてくれたコーヒーを飲んでから、疏水縁の新築マンションを見学に行く。中年のしっかりした感じの担当者の女性が、私たちのスリッパを持参して、もう入居者が大分入っているが、未だ空いている部屋を案内してくれた。玄関は中庭が広いガラス越しに見渡せてホテルのロビーような雰囲気だった。正面ドアーは三メートルほどの高さで城門のようにそびえていた。一階の中庭に面した部屋に入ると、車椅子が充分通れる幅の廊下と、奥に広がるリビング、ガラス戸越しにベランダ続きの芝生の庭が見えた。ふいに、

「この部屋が私を呼んでいる」

そんな声が私の後頭部に響き渡った。

 

      ・・・  ×  ×  ×  ・・・

 

2008年(平成20年)

 

一  月

 

昨夜は「紅白」を見終わって床に入ったのは十二時を過ぎていたのに、朝六時半には目が覚めてしまった。七時前に起き出して、無信心な私の一年に一度のことながら、仏壇に手を合わせ神棚に参拝した。一度は断念した仏壇はなんとか新しいマンションに持ち込むつもりだが、神棚はどこかへ飾るスペースがあるだろうか?

 

三時ごろから礼子と二人で平安神宮と八坂神社へ初詣でに出かける。天気もよくて大変な人出だった。平安神宮で千五百円の福矢をもとめ、それを片手に円山公園への道すがら、知恩院の前あたりで少し腰に違和感をおぼえ、疲れたのでベンチに腰掛けて小休止を取る。八坂神社もすごい人出で、若い女の子が賽銭箱に千円札を投げ入れているのを横目に、私は礼子にもらった五円玉を放り込んだ。

祇園下から私はバスと地下鉄で帰ったが、礼子は途中下車して大丸に寄って帰る。

夜の初風呂には柚子が二個浮いていた。

 

トイレでしゃがんでいて、先日来便秘気味のところを気張ってようやく出るには出たが、やれやれと腰を上げようとしたところ、腰が痛くてパンツを上げるのもままならない。顔をしかめながら、やっとの思いで座敷まで到達する。横になるにも身体を捻るたびに激痛が走る。今日はまだ正月三日で病院は休みだし、なんとかホームごたつに潜り込んでじっとしているしか仕方がない。

やがて昼時になり、他人の身体を起こすようにして起き上がり、なんとかうどんを食べ終えた。

座敷で座ったまま下半身の衣類を引き下ろし座薬をなんとか入れて、バッファリンを飲んでからまたもがくようにしてこたつに潜り込む。少し寝たが痛みは夜まで続いた。

午後九時ごろ、なんとか二階に上がって、寝巻きには着替えず服のまま眠った。

 

朝八時半まで寝ていた。そろそろ起きてみると、昨日より少しましになったようだ。とにかくパン食をして、十時ごろタクシーを呼んでもらい、礼子が付き添って整形外科へ行く。電話では余り混んでいないと聞いていたのに、正月明けで二時間近く待たされた。その間に礼子はリハビリを受け、それも終わって待合に戻ってくる。まだ私がいるのを見て、礼子はストレッチ体操をしに再度リハビリ室に上がって行った。

やっとのこと診察室に呼ばれ、レントゲンを撮ってもらうが、その結果は、椎間板が二箇所弱っているがとりあえずのところ心配ないとのこと。最悪入院、と心配したのは思い過ごしのようだったのでほっとする。

「リハビリをしておきましょう」

と先生に勧められ、三階に上り、ベッドに寝転んで腰の牽引をしてもらう。その後マッサージもしてくれて、ずいぶん気持ち的にも楽になった。再びタクシーを呼んでもらって家に帰ったら十二時半ごろだった。

夕方、すみ子が心配して電話を掛けてきた。

「大丈夫や、だいぶマシ……」

と答えられてよかった。

 

今日も起きたら八時半を回っていた。腰痛が少しまだ残っている。スカッとはいかない。長引きそうだ。腰にシップを貼り、その上からホカロンで温める。

うかうかしていたら十一時近くになっていた。慌てて自転車で水上医院へ出かける。リハビリだけだと待つ間もなくすぐにやってくれた。腰の牽引は気持ちがよい。自転車で往復できるだけでも昨日と比べ物にならない快復だ。

昼から礼子は一人ですみ子のマンションに出かけていった。すみ子は午前中仕事で二時半ごろようやくうちに帰ったらしい。すみ子といっしょに例のマンションを再度見学してから、近鉄伏見駅の近くにもう一件新しいのが建ちつつあるとかでのでその近くまで地合いを見に行ったらしい。大通りに面していてあまりいい環境ではなかったようだ。

礼子が帰って来たのはもう辺りも暮れかかった六時半過ぎだった。

 

ベッドの具合が腰に悪いのか、朝起き掛けが少し調子がよくない。

昼からは少し暖かくなり、本棚の上の整理をする。ほんの一か所だけでどんとゴミが出てくる。

四時ごろ、人が訪ねてきたので誰かと思ったら、淀城公園マンションの時、岸辺宅の査定をしてくれた「S不動産」のセールスマンだ。きれいな表紙をつけた査定書を持って来てくれたので、少し気の毒になって玄関先で話を聞く。

「長引いてしばらく売れない間には銀行からの〈つなぎ融資〉の制度があります。利率も住宅ローン並みの2%ですから……」

とのことで、つい聞き耳を立ててしまう。

 

昨日よりもさらに調子がいい。自転車に乗って、三条郵便局から福邦銀行にまわり、二条通りを通って斉藤医院にも立ち寄る。財布の現金が足らなかったので一度家に帰り、小休止の後再び斉藤医院へ支払いに行き、その足で水上整形へも寄ってリハビリをしてもらった。

昼からは少し昼寝をしてから、えん側の物入れの整理をする。また屑物が一山出た。それを捨てる工作は礼子の腕の見せどころ。

 

七時に起きる。腰の痛みはほぼなくなっている。

今日は知恩院の月参りの日だが、礼子だけが行くことになり、その間に私は小川整形にリハビリを受けに行った。受付で町内のFさんの奥さんに挨拶される。奥さんは脚の腱鞘炎で注射を打ってもらいにきたとのこと。

「もう一つ上げられますか?」

と看護婦がきくので、

「いくつが限界なの?」

「先生は四十五くらいまで上げられるとおっしゃってます」

「それならとりあえず三十八でお願いします」

腰の牽引をやってもらいながら看護婦に、

「これ、どんな効果があるんかな?」

「ひっぱったら楽になりますよ」

「それだけ?」

「ちょっと聞いてきます」

しばらくして戻ってきて、

「年を取ると椎間板が薄くなって背骨と背骨が触れて痛くなりますから、それで引っ張ると楽になるのです」

「でも、椎甲板が厚くならない限り止めれば元に戻るでしょう」

「そうですねえ……」

と看護婦は笑っている。

昼からは暖かくなった。廊下の戸棚の整理をする。礼子の母親の色紙や短冊が山ほど出てきた。それを三分の二ほど捨てる。

 

ナデシコファーストの早川さんから、明日朝岸辺邸を見せて欲しいという人がいるので九時に開けてほしいと依頼してきた。礼子はこれは「大寄せ」の効果だと言った。

夕食後、礼子と岸辺邸に行き、明日の来客に備えて少し片付ける。

 

朝六時に下に降りるが、雨が降っている。

ナデシコファーストと九時に約束していたが、昨日からの便秘でなかなかトイレから出られない。自転車で駆けつけるがもう早川さんと他に二人が待っていた。ワンツー・コーポレーションのえらいさんのようだ。もう一人巻尺を持った助手が、玄関先の間口と、玄関から庭までの奥行きを測り、二階もざっと目を通して帰って行った。早川さんの話では新建築法で間口の左右それぞれに五十センチのゆとりを取らなければならないらしい。すると大した家は建たないとのこと。月曜日にもう一人見に来ることになっていると告げて早川さんも帰った。

 

十一時にナデシコの早川さんと約束していたので、十分前くらいに岸辺邸へ出かける。小雪のちらつく寒い朝だ。早川さんは五分ばかり遅れてきたが、もう一人の客人はなかなかやって来ない。早川さんが携帯で連絡すると、約束時間を間違えていたらしい。十一時半ごろようやくやってきた。ワンツーコーポから独立した人で、そこの副社長とのこと。まあ似たり寄ったりのことらしく、近いうちに返事をするとのことで帰って行った。そのあと早川さんからワンツーコーポの結論を聞く。○千○百万円でなら即買い取るとのこと。「もう一声」と言いたいところだが、黙って早川さんと別れる。

礼子と話したが、長引くのはよくないように思える。○○で手を打つ覚悟を決める。

 

朝からよく晴れた日だった。

三日ぶりに小川整形にリハビリに出かける。このごろは顔見知りになり、何も言わなくてもカルテを出してくれる。

昼から礼子と伏見稲荷へ初詣に行く予定がぐずぐずしていて出発が二時ごろになり、京阪で伏見稲荷へ着いたのが三時過ぎだった。マンションでは神棚が吊れないかもしれないので、古いお札とともに神棚の中のお札も収めてしまう。帰り道茶店でぜんざいを食べ一服してから、丹波橋のマンションを確認に出かける。係りの益本さんに礼子がドアの色を変えてほしいと頼んでいたが、今展示中のドアを取り外しの時に五万円で付けて上げましょうと言ってくれた。

ギャラリーを見てから現地にも出かけ、内部の建具なども細かくチェックする。冷房は入ってないのに寒くはなかった。周囲の環境も悪くない。

帰りは「西丹波橋」のバス停まで歩いて市バス、地下鉄を乗り継いで帰ってくる。

 

昼から骨董屋が来るので二階のタンスの整理をする。ちょっと触るだけでゴミ袋がいっぱいになる。

1時半に約束どおり骨董屋「清友居」がきた。軸を一本一本ていねいに見てから、二階へ案内するとまた小物までひとつずつ見ていく。この前の古着屋とは大違いだ。桐のタンスをしばらく見ていて、

「持って帰ってあげたいのですが、これは置いときます。大型ゴミですね」

と気の毒そうに引導を渡す。掛け軸数点と二月堂とダルマの色紙とサンゴの帯止めは持って帰る。全部で一万円になり、礼子は旅行貯金に積み立てた。

三時半ごろから久し振りに礼子と御所へ水汲みに行って歩いてくる。ぎっくり腰がやっと終了したようだ。

 

朝目が覚めたら、八時半を廻っていた。

早川さんからなんの連絡もないので昼前ナデシコに電話してみると、支店長は大阪に出張中で、夕方六時ごろ帰社の予定とのこと。それで三時頃から家具の下見に出掛ける。地下鉄で六地蔵まで行き、まずヨーカ堂を覗くが家具売場はなく、醍醐まで戻ってダイゴロウの家具売場を見て廻る。黒皮のソファーとパソコンの机を見つけてツバを付けて帰ってくる。

夕食後、昨日から痛み出した陰部を診てもらいに久し振りに児玉医院に出かけようとした矢先、早川さんから電話が掛かり、二人目の査定が思いのほか低かったと報告があった。ワンツー・コーポなら○○で即契約でき資金も用意しているとのこと。明日朝十一時半に早川さんと会う約束をして、児玉医院へ出かける。

ベッドに寝てパンツを下ろして局部をみせる。

「あんた、えらい年とったなあ。どっか具合わるいのか?」

「いいえ、そやかてもう七十五ですよ」

「そらわしも同じや」

「先生も年とらはったなあ」

「そらそうや」

痛み止めの頓服と塗り薬を貰って帰ってくる。

 

昨夜はなぜか寝付かれず午前二時ごろまで目を覚ましていた。その後いつの間にか眠っていて、七時過ぎに起きだした。

十一時半ごろリクルートナデシコの早川支店長が来る。座敷に上げて、あとは早川さんにお任せすると言ったら、

「判りました」

と帰って行った。その後すぐ電話が掛かってきて、

「測量代はワンツー・コーポがもってくれるそうです」

と報告してきた。測量日は二十八日、私も立ち会うことになる。

昼からファースト伏見丹波橋へ申込金八万円を入れに行く。近鉄丹波橋まで礼子といっしょに行って私だけ事務所へ行き申込書を差し入れて、その後すみ子のマンションに寄る。礼子は先に行っていて、私が扉を開けるとさつきがぴょんぴょん跳ねて喜んでくれた。お茶とチーズケーキをよばれてから、すみ子に車で家具の川上へ連れて行ってもらい、パソコンの机などを見てくる。

帰りは竹田まで送ってくれたが、家に帰ったら五時半を廻っていた。

夕食後東大阪の佐和子に経過を報告しておく。

 

朝から小雨が降っていてうっとうしい。

佐和子がマンションを見に行ってもいいか尋ねてきた。今朝は礼子が腰が痛むと言っているのでまたの日にと断る。

昼から岸辺宅の荷物を仕分けをしに礼子と一緒に傘をさして出かける。階段下の物入れだけで二時間ほど掛かってしまった。家に帰ったら四時を廻っていた。

夕方また佐和子から電話が掛かり、ファーストマンションをパソコンで調べたら出てきたと言ってくる。さやかとひかりは我々の転宅にショックを受けたらしい。烏丸通りの新風館に行けなくなるのがつらいらしい。

 

夜中二時頃から二時間ほど寝られなかった。それでもいつの間にやら寝ていて、目が覚めたら七時半だった。

礼子が左手の甲が痛むという。昨日まで肋膜の辺りが痛いと言っていたのが、色々痛みが身体を廻るのだろうか?

礼子は小川整形へ出かけたので、その間に私は岸辺に行って、昨日選り出した使えそうな物を自転車に積んで持ってかえってくる。

小川先生に礼子は両手のレントゲンを撮ってもらった結果、右手は骨が曲がった状態で固まってしまっているらしく、左手は同じことが進行中とのこと。

昼から私は茶箪笥の引出しの整理をする。古銭や古い札が出てきて、そのうちの百円以上をかき集めて三条郵便局に持ち込むが、もう時間外だから明日窓口が開いている時に着てくれたら両替するとのこと。

ファーストの益本さんから、二十九日には今後の管理費などの引き落とし先の通帳を作ってきてほしいと言ってきた。

 

朝のうち、洋服の整理をして、合わなくなった背広上下二着をボンボンと惜しげもなく捨てる。

三時ごろから礼子と六地蔵のイトーヨーカ堂へベッドカバーと蒸し器を買いに行き、帰りに醍醐の家具屋へ寄ってパソコン机と椅子を注文する。時計を見ると五時半を廻っていたので、ダイゴローのセルフサービスの店で豚カツ定食を食べた。

夜七時半から町会長のKさん宅で、Tさんが引っ越した跡にマンションが建つらしいので、その対策会議があり、私を含む五人が呼ばれていたので出かける。九階建て十六室の貸しマンションが建つようで、もう二月一日から取り壊しが始まるとか。自治会名で要望書を出すことにする。Kさんの若奥さんの話で、押小路から上は高さ制限が十五メートルと厳しくなり、土地の値が下がって売れずに困っているとの話。岸辺邸のことは出席者のだれからも話はでなかったが、こちらもただ聞き流しているしかなかった。

 

朝のうち小雨が降っていた。暖かい日だ。礼子は相変わらず腱鞘炎と肩こりがひどくて首が廻らないらしい。今日は小川整形が休みなので二条接骨院へ出かけて行った。

私は大山歯科に行く。虫歯の治療に時間がかかり、帰って来たら昼前だった。

 

今日も起きがけから寒さが厳しい。礼子の首はまだ廻らない。

午前中礼子が上条接骨院でマッサージをしてもらっている間、私は岸辺邸に出向いて座敷の不用物の片づけをする。

昼は礼子も楽だろうと大丸で食事することにして、千三百円の鰻重を二人で食べた。そのあと礼子は炬燵布団と炬燵敷が底値だったので積み立てカードで購入する。

帰宅後、三時過ぎにもう一度岸辺邸へ整理に出かけた。ゴミを座敷に山積みにして五時半ごろ帰ってきた。鳥すきの準備が出来ていた。

 

今朝も雪がちらほらしている。礼子は手の腫れが引かないし、首もまだ正常に曲げられないという。小川整形では「使い痛みですね」と言われたらしい。私も小川整形へ腰の牽引に出かけた。

昼食はラーメンを食べる。

今日は二人ともどこへも出かけず、うちでぼんやり過ごした。

 

今日はすみ子とさつきが来る予定になっていたが、礼子の手と首が痛いというので、すみ子に電話したら、今日は来るのをやめておくと言った。

引っ越しに持って行く家具を礼子と相談しながらノートに書き出してみた。岸辺邸に家具がかなり残ることになる。

昼からすみ子から電話が掛かってきて、お菓子を持ってちょっとだけ寄ると言ってくる。

車で来たすみ子を岸辺邸に連れて行き、茶道具を車に積んで帰る。さつきは礼子の顔を見るなり一番に、

「婆あ婆あ、どこが痛いの?」

と聞いてくれた。さつきは何だか元気がなく、いつもほど元気がない。眠いのかな?とも思う。寒そうに炬燵にへばり付いている。シュークリームは食べないし、好物のイチゴは冷たいといって吐き出す。熱を計ってみたら三十八度五分あった。ケーキを食べただけですみ子は慌ててさつきを連れて帰っていった。

 

十時半にワーキングシステムビル六階のナデシコファーストの事務所へ出かける。すでにワンツーコーポレーションの専務が若手を一人連れて座っていた。岸辺邸の売買契約である。早川さんから次々渡される書類に矢継ぎ早に署名捺印する。最後に○百万円保証小切手を手渡され受領書にも署名捺印して終了する。その間約半時間。引き続きあると思っていた測量の立会いはなく、両隣の了解を得るため改めて期日を報せて来るそうだ。

昼食後、三井住友銀行へマンションの内金を振り込むので礼子といっしょに出かけ、その後大丸で座布団カバーを下見してくる。私はここで帰ったが礼子はさらに高島屋の座布団カバーを見に廻った。

夕方礼子がすみ子に電話すると、やはりさつきはまだ熱が取れないで、すみ子も今日は会社を休んだとのこと。

 

朝からの小雨はやむことなかった。

十一時過ぎに昼のうどんをかきこみ、支度をして礼子と出かける。烏丸御池まで来て持参する書類袋を忘れたのを思い出す。駆け戻って取ってくるが十五分はロスしてしまった。竹田から市バスに乗り継ぐのが不可能になったので、丹波橋まで乗って、西丹波橋近くの中信まで歩いて行った。通帳を新調してからファーストの事務所に行くが、それでも二時の予定が三十分も早く着いた。

それから契約前の重要事項の説明をNさんという主任から長々と聞かされ、四時ごろからようやくいろいろな書類に署名捺印する。それらを一束ねにするとずっしりと重い。

「宅急便で送りましょう」

と益本さんが言ってくれる。持ち帰りたい気持ちもあったが、「郵送料はけっこうです」との言葉に従うことにした。

西丹波橋のバス停ではもう暮かかっていた。

二人とも疲れ果てて、家の近くの「やよい亭」で和風ハンバーグ定食を食べて帰る。

 

佐和子が十時頃から岸辺宅の片づけを手伝いに来てくれた。雑ゴミが一山座敷に盛り上がっていたのを三人がかりで片付けた。やはり人手を掛けるとスピードアップする。正午まででH町に引き上げる。

佐和子が差し入れにカレーのルーとかす汁を作ってきてくれたので昼食はカレーライスを頂く。なかなか素人離れしたおいしいカレーに仕上がっていた。

昼からは三人で雑談して過ごし、三時すぎに佐和子は帰っていった。

夕方外出した礼子が意気揚々と帰ってきたので、どうしたのかと思ったら、堺町通りにあるキンシ正宗発祥の店が湧き水を有料で分けてくれるのだそうだ。二カ月だけ分けてくれるよう頼んで特別に分けてことになったようだ。

 

礼子は日赤に予約を取っていたので九時過ぎにばたばたと出て行った。

今日の午前中にパソコン机と椅子が配達されてくる予定なので、現在のパソコンの周辺機器を取り外して古い机を庭先に移動しておく。なかなか手間のかかる作業だった。

十一時過ぎに荷物が届く。ダンボールの包装をほどいている最中に礼子が帰ってきたので手伝ってもらいながら、昼過ぎにあらかたの組み立てを終える。

昼食後机の組み立てを完成してパソコンやプリンーなどを設置して試運転してみる。無事とどこおりなく稼動したのでほっとする。

古い机を分解していたらすぐに三時になった。

夜は烏丸丸太町のハートピアの会議室で、旧THビルの跡に建つマンションの説明会が催され、礼子と二人で出席する。建設側は十人ばかりがずらりと居並び、町内側は二十人ほどと思ったより小人数だった。予定の一時間をかなりオーバーして、九時前に終了する。

 

二  月

 

午前中岸辺宅に出かけて、今まで折り溜めた折り紙の半数を整理をする。礼子も手伝ってくれて十一時ごろには概ね完了した。昔礼子が集めた珍しい貝のコレクションを大山歯科の先生が貰ってくれるというので自転車に積んで持って行く。大層喜んでくれてるふうだったが果たしてどうだったか。

昼からはびわこ銀行へ預金の解約に行く。残高○十万円ほどを京都銀行に入金したりしていたら三時を回ってしまった。

四時ごろ一休さんと言う骨董屋にK町宅に来てもらって叔母のうちの古いものを持って帰ってもらった。骨董品がないので千円しかあげられないと気の毒そうに言う。それでも持って帰ってもらってほっとする。骨董屋が一つだけ灰落としの空箱に永楽の銘を見て目を輝かせ、これの中身があったら値打ちものですという。

「五万円ほどするものです」

それから私は家へ帰って確かに持って帰ったはずだと二階から下から探し回っても見つからない。K町にももう一度出かけてあちこち探した。夕食前になって、礼子が、

「もう諦めたら…?」

と二三度声を掛けるので、諦めかけたが、最後にすみ子にやるつもりで持って帰った茶道具の紙袋からやっと見付け出すことができた。小振りの焼き物だが緑色の鮮やかな品物で、骨董屋が欲しがる様を思い出すと余計にいいものに思えてきた

 

すみ子から行ってもいいか?と聞いてきたので、「おいで」と返事してから、礼子は生協へうどんを買いに行った。一時間もしたら玄関で、さつきの声がしている。少し鼻水を垂らしているが元の元気なさつきに戻っていた。少しの間に実によく喋るようになっている。

ファーストに宅急便にしてもらうように頼んでおいた分厚い契約書などのファイルが届き、その中に蟻さんマークの引越しセンターの電話番号が書かれていたので、すぐさま電話をしてみる。

「午後五時にセールスを遣しますがいかがですか?」

と対応が素早い。ちょうどすみ子もいるし、心強いので、「どうぞ」と返事をする。

さつきの守りをしたり雑談している間に五時になつた。若いひょろっとしたセールスマンがやってきた。H町の家とK町の家の引っ越し荷物を見せて廻り、

「見積りはいつごろ出ますか?」

と尋ねると、

「いや、いますぐ出ますよ」

とのこと。当初三十万八千円と言っていたのを二度三度値切って二十五万ぽっきりで契約する。すみ子が傍らから「自分とこの引越し代は十三万だった」と援護したのが効いたようだ。

夕食は四人でやよい亭へ行ってさつきはお子様ランチをとり、我々大人はそれぞれ鍋物を食べた。食べ終わったらすみ子はすぐ車にさつきを乗せて帰って行った。

 

朝のうちに蟻さんマークの昨日来たセールスマンがダンボールの箱を十枚持って来てくれた。早速K町宅へ礼子と出かけて、本棚の書籍を二箱詰めて、あとはまだ日があるのでまた明日に続きをやることにする。

一日更新のホームページ「おりがみ屋さん」の折紙教室二月分がまだ出来てなかった。一度ようやく「コースター2」の折り図を書き上げたのだ、調べてみると。すでに数ヶ月前に同じものを掲載済みだった。もう一度考え直しとなる。

夕方寺町へ礼子と新しい炊飯器を買いに行く。いろいろ機能が付いていて、圧力の変化が七段階のまである。そこまでいいだろうと三段階のに決めて配達を頼んで帰る。

夜、東京の長男保雄から電話が掛かってきた。先日マンション購入の件をメールしておいたのでそのことを聞きただしてきた。

「いつ頃決めたの?」「ローンは?」「今の家は取り壊し?」

立て続けに質問を浴びせる。そして最後に、

「今の家を最後にもう一度見ておきたいから、三月にでも行くかもしれん」

「来てもええけど、その頃はひっくりかえってるで……」

 

今日は礼子が裏通りのSさんと八瀬温泉に出かける予定だったが、急にSさんの体調が悪くなったようで中止となった。

私は朝のうち、K町宅の整理に行く予定にしていたが、うとうとしているうちに昼になってしまった。

午後二時過ぎからK町に出かける。礼子も来てくれて、今日もダンボール二箱を詰めて終了する。

 

礼子は朝一番で日赤に行った。

今朝も四時半ごろから目が覚めて、そのまま六時前に起き出してしまったので、礼子が出かけたあとホーム炬燵にもぐつて一時間ほど眠る。

十一時半に約束していたナデシコの早川さんが来たので、いっしょに隣接のHさんとこへ旧岸辺邸測量の立会いを頼みに行く。出てきた若い人は息子さんか書生さんかよく分からなかったが、

「申し伝えます」

との返事だった。続いて北隣のAさんとこに行ったがお留守のようだったので引き返す。

昼食後Aさんに電話を掛けると在宅されているようだった。

「隣の家のことで……」

と切り出すと、

「え?売らはったんですか!」

といきなり先回りされる。言葉を濁して三十分ほど後にちょっとおじゃましたいと申し入れる。

早川さんに電話して来てもらう。早川さんは自転車で来たので私も自転車に乗ってAさんとこにでかけた。Aさんは疑わしそうな顔をして応対したが、それでも測量の立会いは了解してくれた。

礼子は昼からもう一度日赤に乳がんの超音波検診に出かけて三時過ぎに帰ってくる。異常はなかったとのこと。

 

礼子は朝からHさんの奥さんと神戸の美術館にムンク展を見に出掛けた。

私の方は、礼子から預かったキンシ正宗の井戸水を汲ませてもらうカードとペットボトル四本をを持って、水を汲みに行く。堺町通りの店の前はよく通りかかるが入ったのは初めてだった。昔の造り酒屋の香りのする薄暗い文化財的な建物だった。いつも見物客が来ていると礼子が言っていたが今朝はまだ私だけのようだ。受付の女性にカードを渡すと、

「奥さんから聞いたけど、近く伏見の私とこの本社の隣に引越さはるんやてね……」

と愛想がいい。水はこんこんと湧いていて、流しっぱなしがもったいないように思える。

「止めると水が濁りますから」

とのこと。

昼食は塩ラーメンを食べ、K町の家を少し見てくる。展示用折り畳みテーブルをなんとか使いたい。

家に帰ってから、今度は二階に上がって、物置のプラスチック製三段引き出しと、奥の間の桐のタンスを入れ替えた。かなりしんどい作業だったがなんとかやり終えた。

礼子は四時半ごろ帰ってきた。折りたたみテーブルを洋間に入れる提案をするが、たちまち反対されて、すべて捨てることに私も同意せざるをえなかった。そしてパソコンの位置を洋間に移すことにも同意させられた。

 

午前中することもなく、入居マンションの見取り図を眺めて過ごした。

礼子が小川整形のリハビリからサカエに廻ったらしく、帰るなり、

「安い蘭を見つけたから、自転車で買うてきて!」

思い腰を上げて買いに走る。千九百八十円で確かに綺麗なピンクの蘭だった。

昼から礼子と二人で区役所に不在投票に出かける。その足で、地下鉄で醍醐まで乗り、家具屋で食卓テーブルと食器棚などの下見をする。ダイゴロウの向い側のカーテン屋にも行って見たら、カーテンの森のような状態で数百点が並んでいる。私は途中でくたびれて椅子に座って待っていたが、礼子は熱心に見て廻った。お陰で烏丸御池に戻ったら六時近くだったので、「やよい亭」で「しょうが焼き定食」を取って食べる。

 

今朝も寒かったので、知恩院の月参りは昼からにしようと決めて、午前中は二階の整理を始める。まず物置のスチール棚を空にして奥の部屋まで運ぶ。奥の間に引越荷物を、物置に捨てる物を仕分けて置くことにする。海外旅行にいつも持っていった大型の旅行カバンも捨てることにする。そのほかの旅行用品を仕分けていたらたちまち昼前になった。それだけで二人とも疲れてきて今日はここまでとする。

昼から少しうたた寝をしてから、礼子と知恩院へ月参りに出かける。そのあと八坂神社にも廻り、近々長年の氏神さまにもお別れをすることになるので、そのご挨拶をしておく。

帰りに高島屋まで行って、礼子が座布団カバーを買うのに付き合った。

夕方、ナデシコの早川さんから、K町宅の境界線測量の立会いの日取りを言ってきた。明日九日がAさんとの間、十二日がHさんとの間の測量を実施することになる。

 

六時前に起きたら、間もなく庭に雪がちらつきだした。

次第に雪の勢いも増し、十時半に約束していたのでどうなるかと心配していたが、十時前にいったん小降りになった。

十時半に旧岸辺邸に傘をさして行ってみたら、もう早川さんもワンツーの二人もやってきていた。早速Aさんに呼びかけると、奥さんと息子さんが出てきて立ち会ってくれた。特にもめることもなく、ほぼ了解したようで、境界線の設定は天気の日にあらためてということになる。

Aさんと別れてから早川さんが、

「Hさんの奥さんとお話ししましたが、『私とこが売ってほしかったのに』とおっしゃってましたよ」

その話を家に帰って礼子に話すと、

「そんならもっと早よ言うてくれたらよかったのに……」

と少し残念そう。

昼まで二階の荷物の整理をする。

雪はさらにしんしんと降り出した。

 

二三日前チラシの入っていた鞍馬口の散髪屋に出かける。六十才以上ならシルバー料金で二百円ほど安い上、八九十日の三日間に限りならシャンプーサービス付きで千二百六十円というので格安だ。広くはないが新装の明るい店だ。散髪は少し手抜きと思われたが、早くて、気の短い私にはちょうどいい。

十時四十分にはもう終ったので、近くに住む幼馴染の武中君に携帯で電話してみる。朝から一人でいるというのでお邪魔することにした。水道屋の仕事はもう畳んで切りをつけたらしい。三日分のお茶を沸かしていると大きなやかんから生ぬるいお茶を湯飲みに汲んでくれた。近く丹波橋に引越す予定だと打ち明けると、

「へえっ!」

とびっくりしていた。一時間ほど喋って、昼は娘さんが食事に誘ってくれているというので、早々に引き上げる。

午後は岸辺邸に行き、最期のダンボール詰めをする。

夜、町会長とこへマンション建設のことで町内の五人ほどが集まる。会社側から提示された協定書に手を加える作業をする。

一通り終ってこれで行こうと結論付けた時点で、突然南隣のJさんが正座して、

「今この場になってこんなこと言うのはなんなんですが……」

と切り出した。

「実は、自分の家とTさんのビルとを交換しては、と言う話が、少し進行しつつあるんです」

みんな唖然としたが、Kさんは、ちょっと間を置いて、

「そんな事になれば自分とことしては願ったりかなったりです」

「でも、とにかく今書き直した要望書はそのまま提出しましょうよ」

と私が言ってお開きになった。

 

少し雨の残る中、十時半、K町宅の南隣にあるHさんの持ち家との間の境界確認の立会いに出かける。Hさんの若奥さんが立会いに参加してくれたが、

「欲しかったのに…… 一言声を掛けてほしかった」

「私の方でもいつ声が掛かるかと待ってたんですよ」

「違約金はどれくらい?」

とまだナデシコの早川さんに尋ねている。あとは問題なく十五分くらいで終了。

二時頃、K町へ出かけようとしたら自転車で早川さんが走ってくる。

「ちようどよかった。二十二日に持参してほしいものをメモしてきました」

と用紙を一枚くれ、その上で、境界線策定の同意書に記名捺印をさせられる。

三時ごろから礼子とK町宅へ行って捨てる物に「不用品」の貼り紙を張って回る。ずいぶんあった。

夕方から礼子と高島屋へ出掛け、座布団カバーの洗い代えを三枚買い、その後大丸の大食堂でうな重を食べる。

 

アオキの葉に雪が積もっている。

十時ごろ佐和子から電話があり、ひかりが近大付属高校に合格したと伝えてきた。まだ公立の高津高校の試験が残っているが、一つ合格したるので安心して受験できるだろう。なんでも二千人の受験者中二十番までに入ったらしい。しかしひかりは、「勉強は嫌いでお菓子を作りたい」と言ってバレンタインデーのケーキを作っているとか。

昼から、K町へ古本を持って行き、帰りに天井灯を一つ貰って帰る。

そのあと、旧岸辺邸売買本契約のための住民票と印鑑証明を中区役所へ取りに行く。御池通りを歩いて帰ったが、途中一時雪が激しくなった。

夜、ひかりから電話があった。「合格おめでとう」を言う。

 

すみ子が休みだとのことで、丹波橋へ出かけてマンション用の天井灯とか家具を物色することにしていたが、私が夜半から胃の調子が悪くなり、大事を取って中止する。

私は朝昼ともお粥を食べて一日おとなしくしている。

礼子は大丸へ化粧品を買いに行き、帰りに高倉通りの昔からあるタオル屋で二本入り五百二十円のタオルを十個注文する。引っ越しの際の近所廻りの粗品用だ。

「早すぎたかなあ」と礼子が言うので、

「何でも早い目にしておいた方が後でゆっくりできるから」

と私は賛成する。

夕方には私の胃の調子も落ち着いてきた。

 

寒いがいい天気だ。

午前中、マンションの間取り図を作り、それに家具を配置して貼り込んでいく。

昼から礼子と「川端康成と東山魁夷展」を文化博物館へ観に行く。平日にも拘らず大勢の人が来ていた。

その後京都信用金庫へ通帳の解約に行った。

家に帰ってからふと思いついて、初音校に自転車で行き、K町宅にある折りたたみ長机を引き取ってもらえないか頼んでみる。

「相談するから月曜日まで待ってほしい」

と言われ、脈がありそうに思えたが、念のために御池中学にも出かけて同じことを申し出る。教頭の西先生が、

「一度品物を見せてください。夕方にお伺いしますから……」

五時半以降に、とのことだったので私はK町の家に出かけてずっと待っていた。六時半になっても見えないので、いったん家に戻って御池中学に電話してみる。

「遅くなってすみません。これからうかがいますから」

六時五十分ごろ教頭が車でやってきて、

「これならちょうど学校にあるのと同一のものです。喜んでいただきます」

と承諾してくれた。引き取り日は追って打ち合わせしましょうとのことで別れる。

家に帰ったら。ナデシコの早川さんから、十九日火曜日十一時半に大型ゴミ引取りの見積りに業者を連れてくるとのこと連絡が入っていた。

 

 

九時ごろから雪が降り出した。

どこへも行きたくない。なにもしたくない。

ホーム炬燵でうたた寝を繰り返しているうちに昼になった。

三時頃ブックオフから電話が掛かってきた。

「これから伺います」

K町宅にある本の引取りを予約しておいたのだ。「折紙アルバム」二百冊とか、思い切って「捨て値」で手放すことにした。

トラックを運転してきた若い男に大型ゴミの話をすると、

「知り合いに処理業者がいます。ちょっと見せてもらえますか?」

「どうぞ」と案内すると、

「これくらいなら二トン車で充分です。きっと人より安く請け負いますよ」

「どれくらい?」

と聞いても値段ははっきり言わない。

「まあ、今頼んでいるとこがあまりに高かったらお願いすることもあるから……」

それから一時間もしない間に電話が掛かり、

「私とこなら三万円でやらせてもらいますがいかがですか?」

「とにかく今回は事情があるから。でも次には近々もっと大量に頼まんならん機会があるから。その時に声を掛けさせてもらうよ」

「いつ頃ですか?」

「来月の中ごろ……」

「それはちょうど引っ越しシーズンですね。同じようにはいきませんよ」

「わかりました。まあその折に……」

と電話を切る。

 

今日も寒い朝である。

早昼を食べてすみ子のとこへ行くよていだったが、ぐずぐずしている間にすぐ昼になった。

やっと家を出たのが十二時四十分で、すみ子のうちに着いたら一時をだいぶ回っていた。さつきは元気だった。昨日友達の結婚式に招かれて引き出物にもらったというバームクーヘンを出してくれた。小休止の後すみ子の車で、まず「川上」という大型家具店に行き、食器棚と食堂テーブルを見て廻る。あーでもないこーでもないと考えあぐねた末に、やっと一つ幅が一メートル二十センチの白っぽい食器棚に決め、それが案外安くあがったので、食堂テーブルセットは少しはり込んで十万八千円のシックなデザインのものに決める。

続いてケーズデンキというこれも大きな専門店に行って、リビング用の天井灯を購入する。

帰りはすみ子が竹田まで送ってくれたので、そこから地下鉄で帰ってくる。

夜は町会長宅で、先日来の賃貸マンション新築工事のことで町内の要望書取りまとめの会合がある。工事開始時間で隣接のKさんとJさんの意見が分かれていたが、次回は工事責任者を交えての話し合いを申し入れることで九時過ぎお開きとなる。

 

朝方ちらほらと雪が舞い、庭のアオキの葉に積もっていた。

午前中は溜まっているハードデスクのテレビ番組を見て過ごす。十一時過ぎに、今度の引っ越しの際の粗品にする「手拭いセット」を受け取りに行く。

午後、礼子が骨董屋に電話したら、明日午後二時ごろに「お伺いします」との返事。それから二人して二階に纏めてあった古道具を少しずつ下に持って降りる。十ぺん以上上がり降りした。がらくたばかりで骨董屋泣かせのような品物のあつまりだったが、一山ほどの嵩になった。

夕方から食事に出掛けようと礼子が言ったが、鍋の残りがあるからと、家で食べることにする。

 

十一時半に約束していたのでK町宅に出かける。しばらくしたら早川さんとあと二人がやってきた。大型ゴミの見積りのために室内を案内する。

「これは二トン車一台では納まりませんね」

と業者が言うので、私は早川さんに、

「実はもう一軒のところでは、一台に積んでそれも三万円で請け負ってくれる」

と打ち明ける。

「そこを利用してもええでしょう?」

「それは少しもかまいませんよ」

そのうちワンツーコーポの佐々木さんもやって来て、早川さんがそのことの了解を取り付けてくれた。

午後二時、骨董屋の一休さんが来る。全部で二千円なり。仕方がない。

「それでけっこうです。もって帰ってください」

今日は半分しか荷物は積めないので明日夕方に残りを取りに来てくれることになる。

ブックオフのS君に電話が通じる。

「二万八千円にしときます」

と値切ってもいないのに値を下げてきた。

夜は町会長とこへマンション建設問題の相談に出かける。町内から私を含めて四人、それに業者側から二人が出席した。結論として協定書に調印して月曜日(二十五日)から着工と決まる。

家に帰ったらS君から電話があったらしく、二十一日午前九時から作業を開始とのこと。早川さんに電話して立会いを依頼する。

 

今日は天気もよく少し暖かいようだった。ところが私は身体がだるくて、なんかぞうぞうする。

かねて向かいの保事協から連絡があったのだが、 九時ごろから不要書類のカッター車が来て喧しいので、計画通り映画に行くことにする。祇園会館で上映中の「幸せのレシピ」と「帰郷」の無料招待券があった。どちらも佳作といったところだろう。それよりも私はどうも風邪気味で映写中も眠くてしかたがない。家に帰って熱を計ってみたら、やはり七度近く上がっていた。

夕方六時に一休さんが残りの骨董品を取りに来て持って帰ってくれた。

旧岸辺宅にある折りたたみ長椅子も御池中学の教頭先生がもう一人の先生とで大きなバンに乗せて持って帰ってくれた。

 

朝起きた様子では風邪は乗り越えたようだ。

九時に約束していたのでK町に出かける。大型ゴミを運び出してくれる二トン車は途中渋滞とかで二十分ばかり遅れてやってきた。S君ともう一人が競争で大型ゴミを運び出し始める。二階の洋服ダンスが狭い階段につかえると、トンカチで叩き壊して運び下ろした。

「三十分で積み終わったでしょう」

と得意そうに言う。そのトラックをその場に置いたまま、S君は私といっしょにH町の家の大型ゴミを見に来てくれた。

トラックが行ってしまった後にナデシコの早川さんが自転車でやってきたので家に中を見て廻る。

「手早いですねえ! ワンツーさんに報告しておきます」

と言って、後は整形外科に寄るらしい。

昼から、明日持って行くマンション仲介手数料を郵便局に引き出しに行く。

 

昨日に続いて今日も暖かかった。いよいよマンション購入の決済の日で、十一時の約束で三井住友銀行へ出掛けた。ナデシコの早川さんに二階の小部屋へ案内されると、すでにワンツーコーポレーションの専務などがテーブルに着いていた。法律事務所からも人が来ていて、次々と書類が廻され、相互に署名捺印をする。それでも一時間ほどで一切が完了した。マンション側の益田さんも外で待機していたらしく、売買契約が済むと入ってきて、今ワンツーコーポから手渡されたばかりの小切手を口座に入金し、そこからマンション代金を徴収する手続きを代行してくれた。すべてが流れ作業である。うーもすーもない。

それでも家に帰ったら十二時を廻っていた。

昼食後、間髪を入れず、桂子といっしょに伏見の区役所へ出かけ、住民票を移し、健康保険証の、住所変更も完了する。そのあとマンションの鍵を貰っていたので、ファースト伏見桃山の部屋に入り、我が物となった部屋を改めて見て回る。カーテンの寸法を測ったり家具の配置を図面と照らし合わせて変えたりしたあと、持って行った缶コーヒーと紙コップで新居の乾杯をして草餅を食べた。水道と電気はもう使用できた。後はガスの申込と電話の申込だ。スリッパがないのと床暖房がガスなので足元が寒くて五時ごろ西丹波橋のバス停から京都駅に出て地下鉄で帰ってきた。

 

昨日と打って変わって寒い朝である。

すみ子と十時半に待ち合わせをしていたので、ばたばたと家を出る。地下鉄竹田で降りたら、すみ子が車で待っていてくれた。

まずケーズデンキへ一、五畳の電気カーペットを買いに行ったが売り切れていてもう冬物の補充はしないとのこと。それからコーナンへ物置と物干し竿を買いに行く。ここでもたもたと時間を食った。物干し竿は車に乗せてもらい、お昼は「蔵ずし」で回転寿司を食べたが、さつきはおやつの食べすぎかほとんど食べずにくるくる廻っているおすしを眺めたりおまけで出てきた玩具で遊んだりするだけだ。

それからマンションへ四人で行って、ガス屋が来るのを待つ。さつきは家具のない部屋が広くて嬉しいのか走り回っている。庭に出したらここでもぐるぐる廻りをしてキャッキャと金切り声を上げた。二時半ごろガス屋が来てガスを開通させてくれた。開通したてのガスで礼子がお湯を沸かして、インスタントのコーヒーで菓子パンを頬張る。さつきは相変わらず食欲がにぶく、お母さんに買ってもらった林檎ジュースだけ飲んでいる。リビングは南向きで少し日が差し、床暖房を入れると寒さを感じない。

帰りはすみ子が竹田駅まで送ってくれた。

 

 朝起きると庭のアオキの葉に雪が積もっている。エヤコンをセットすると今年最低の八度を表示した。

朝食後少しうたた寝をしたあと、十時半頃から、カーテンを買いに行こうと礼子に提案する。地下鉄で醍醐まで乗り、先日下見をしたカーテン専門店へ一直線。たくさん見本のカーテンがあり目移りがしてなかなか決まらない。二人とも疲れていい加減分からなくなってしまった。とにかく注文して、「これで埒があいた」と二人とも後ろを振り向かないようにして帰る。

昼から礼子は裏のSさんと伊勢丹の美術館「えき」へ出かける。私はまたちょっと昼寝をしてから、二十六日に持って行く天井灯二台を雪の合間を縫って自転車で二度K町に運び込む。

夕食は礼子がイセタンの「全国うまいもの市」で買って来た米沢牛ですき焼きをする。叔母のうちから持ち帰った一人用のすき焼き鍋がちょうどころあいだった。

 

目が覚めたら五時前だった。そのまま六時過ぎに起き出す。

朝から昼寝をする。

二時ごろから二人でK町宅へ掃除に行く。明日の引っ越しでいよいよこの家ともお別れだ。

夜八時半ごろ家主のMさんに電話をする。なにごとかとちょっと驚いたふうだったが、

「どうぞ、お待ちしております」

との返事。覚悟を決めて出かける。

「近々今の家を引き払ろうて丹波橋のマンションに引越すつもりでして……」

「へえっ!」

二人ともびっくりしていた。いろいろ事情を話し、

「十三日に引っ越し、後残品整理を経て今月中にはお返ししますので・・・」

「えらい急な話ですなあ」

「なにしろ年とともに身体のあちこちガタが来て、引っ越しもここらが潮時と思てます」

奥さんが側から、

「昨日息子の信一が来て、私らも同じような話をしてたとこですわ」

「盛大に送別会をせなあかんなあ」

とご主人。

「いや、もうそんなことは……」

「私が音頭とらせてもらいます」

「どうぞお構いなく。我々はもう消えていくだけですから」

この辺で話に区切りをつけて帰ってくる。

 

K町の家で待っていると、八時三十分の予定を五分ばかり遅れて「蟻さんマーク」の二トン車が到着した。それから二人掛かりで積み込みを始めて、ちょうど一時間ですべての荷物を積み終えた。小雨が降っている中、ご近所への粗品を配ったが、両隣と向いのOさんと三軒しか手渡せなかった。

戸締りしてその鍵をナデシコの早川さんに返却に行き、その足で地下鉄に乗って丹波橋のマンションに向う。

マンションにはちょうどトラックが到着したとこだった。礼子とすみ子が待ち構えていてくれた。なんでもさつきがノロウイルスに罹って昨日から腹を下しているらしく、婿の信君がちょうど休みのため家で子守をしているのだとのこと。荷物は三十分ほどで運び込みが終った。少し部屋らしくなってきた。ついでに天井灯も取り付けてもらったのでぐんと部屋が明るくなる。

すみ子は一度昼に家に帰り、一時過ぎに車で再びやってきた。すみ子の車に乗せてもらって私は中信に出かけて、年金の住所変更手続きをする。

三時ごろコーナンから収納庫が届いたので、信君に来てもらって組み立ててもらう。さつきももう元気を取り戻したようで、部屋の廊下を走り回る。

信君がダンボールを開けてみると側面のスチール板が曲がっていたので、すぐにコーナンに電話して取替えに来させる。

信君は三十分ほど掛けてうまく組み立ててくれた。それをベランダの東側に置く。

カワカミ家具から食器棚とダイニングテーブルセットが来たのは五時半過ぎだった。両方とも部屋になじんで、見栄えもよかった。

夕食は車で蔵ずしまで買いに行ってもらったにぎりセットを皆で囲んで食べる。

家に帰ったらもう八時半だった。

 

昨日の第一次引っ越しで疲れていたのか二人ともいつもより長く眠れた。

昼過ぎね昨日渡せなかった引っ越しの粗品を持って旧岸辺宅の向かいの料理屋さんに挨拶に行く。

「ちょっと声掛けて欲しかったなあ」

とおかみさん。物件が欲しかったというのだ。

「ええ家やったのに……」

どこまで本気かわからなかった。

次にIさんとこにも挨拶をしておく。

「ほんまに淋しいわ。古い人がもううちとこだけや。わては岸辺さんのご主人が生きてはった時のこともようおぼえてますわ。市田さんとことは懇意にしてもろて、うちでしょっちゅうお茶会したもんや」

三時ごろからパソコンのデスプレイと一、五畳の電気カーペットを探しに寺町のタニヤマ無線へ礼子と出かける。両方ともそこそこのが見つかって予約をし、急いで帰って自転車で貰いに行く。両方を持ち帰るのは無理だったので、まずディスプレーだけを荷台に積んで持ち帰る。

夜さっそくディスプレーを接続してみる。店頭で見た時より大分画面が大きい。

 

少し早く起きたので朝食後眠くなって一時間ばかりホーム炬燵に潜り込んで寝てしまった。礼子はその間にカットに出かけていた。

礼子が帰るまでに台所の整理台を空にしておく。礼子が帰ってきたので二人で盛り上がったごみのような雑品を取りかたずけ、なんとか昼飯が食べられるようにした。

午後から台所と洗濯機の裏側を二人で整理をする。

そのあと、郵便局へ行き、ついでに電話局にも寄り、電話の引っ越しを申し入れ、電話番号を頼んでくる。五時ごろ電話局から連絡があり、新しい電話番号を五つ言って来た。好きな番号を選べるというので礼子と相談した結果一番単純なやつにした。

夜は部屋の家具配置図を書き直す。

 

四時半から目が覚めてしまい、五時半に起き出してしまう。

午前中台所の食器棚を整理する。奥の方にあった食器棚でながらく掃除もしてなかったガラス戸を拭き上げると、見違えるようにきれいになった。これならリビングに置いても似合いそうだ。

二時ごろから二人で丹波橋のマンションへ出かける。ダイニングのキッチン側に柱時計を取り付ける。ちょっとのことで雰囲気が変わる。

ダイニングテーブルでコーヒーを飲み、ちょっと贅沢な気分に浸った。庭側には南光が差し込み、ガラス戸を締め切るとあまり寒さを感じない。

四時過ぎに引き上げるが、エレベーターで七階に上がり、そこから屋上を少し見学してからマンションを後にする。礼子がスーパーの前を通りかかるたびに見物したがり、三ヵ所を見て回ったが、買い物には便利な所のようだ。

「西丹波橋」から市バスに乗り、京都駅から地下鉄に乗り換えて帰ってきた。

 

三  月

 

昼からすみ子とさつきがくるので礼子は朝から雛祭りの散らし寿司を精出して作っている。

すみ子たちは一時ごろにやってきた。すぐにでも出発できるというのを、私が少し寝させてくれと昼寝の態勢に入る。目が覚めたら三人ででかけたようで、ほどなく雛祭りのケーキを買って帰ってきた。さつきはご機嫌でぼんぼりのローソクを何回も吹き消した。

それからすみ子の車に庭の小鉢を乗せてもらいみんなで出発した。途中ニックに立ち寄って風呂場の椅子を買い、われわれのマンションへ行った。さつきは絶好調ではしゃぎまわって踊ったり歌ったりした。庭に緑の小鉢を置くと、なんとなくほっとする。

晩ご飯はすみ子が鯛の造りとほたるいかを買って来てくれて、礼子が持ってきた散らし寿司で賑やかに済ませた。帰りはいつもどおりすみ子が地下鉄竹田駅まで送ってくれた。

 

午前中は礼子が洋服ダンスの洋服をダンボールに詰めたりして引っ越し準備に精を出す。私は特になにもしなかったが、すぐお昼になる。

昼から二人で二階の整理をする。掛け軸とか骨董品をダンボールに詰める。私は二階の庭側のブラインドを取りはずし、廊下の雑物を取り除いた。少しすっきりする。

三時半ごろから地下鉄に乗って、醍醐のカーテン屋へ行きカーテンを束ねる金具を買いに出かける。カーテンの残金を払い、十三日に届けてもらうように依頼して、そのあとヤマダ電気でグローブ球を買い、ついでにコンパクトなラジオが見つかったのでそれも買うことにした。さらにトイレのスリッパとか挨拶状の用紙を選んでいたらすぐ五時を廻ってしまった。

帰って慌てて鱈と牡蠣の鍋をして、昨日の散らし寿司を食べた。

 

朝から礼子は町内のFさんに引っ越しのことを話しに行った。

十一時ごろ恒星社のHさんが「日本の野鳥」のDVD を借りにきた。近々丹波橋に引越すことを打ち明ける。

夕方、浄光寺さんにカステラを持って丹波橋移転のことを告げに行く。

「K町の方?それともH町の方?」

「どっちもです」

「わかりました。さっそく書き換えておきます。丹波橋なら近いさかい問題ありません。いつでも言うてもろたらお詣りしますよ」

至極事務的だった。その足で斉藤医院に薬を貰いに行って、住所変更のことを看護婦に告げる。先生の耳にすぐに入ったので、

「近くに良いお医者さんご存じないですか?」

「それは知らん。そやけど紹介状は書いたげるさかい、二三軒当たってみて、ここええなあというとこに紹介状差し出したらええ」

「なるほど。そらありがとうございます」

と帰ってくる。

小学校の同級生のNさんとこにもちょっと挨拶に行く。びっくりしていた。

 

七時半まで寝ていた。

朝食後、表側の階段周りを取り片付ける。それだれで一時間は優に掛かった。

三時ごろから丹波橋のマンションに出かける。二三用事をしただけですぐ五時になり、引き上げる。

外に出ると急に寒さが身にしみる。マンションの部屋が暖かいということの証明だ。

烏丸御池でもう六時になったので、「やよい亭」で夕食を食べて帰る。

 

明日の朝は大型ゴミ搬出の予定日だ。今日の内に、二階に積み上がった引越し荷物が大型ゴミを出すのに邪魔になるといけないので、通り道を確保する。それだけをして今日の仕事は終了にした。あとは何とかなるだろう。

礼子は最後の家賃をみずほ銀行に振り込みに行く。昼からはSさんの奥さんと約束していて高島屋の辻村寿三郎人形展に出掛けて行った。

私はその間、まず郵便局へ明日の大型ゴミ搬出の代金を引き出し、コレクションしていた切手をハガキに交換してもらう。なんと二万八千円分もあり、手数料だけでも二千円支払った。ハガキ四百枚とあとを切手でもらう。

一度帰ってから今度は地下鉄で三条京阪のブックオフに出かけ、この間売却した本の代金七百二十円を受け取る。

それから地下鉄東西線と烏丸線を使い、烏丸今出川から市バスで出町柳まで乗り、ニックでドアーストッパーなどを買って帰る。

 

九時十分前に若者二人で大型ゴミを取りに来てくれる。二トントラックに手早く詰めるのには感心した。二人の息がぴったり合っていて気持ちがいい。一時間足らずで積み終えた。四万二千円と言っていたのを四万円にしてくれた。

昼からマンションヘ行くつもりにしていたが、礼子が気の進まない様子で、私も眠くなったので、止めにする。

ちょっと昼寝して目を覚ますと礼子は出かけていた。その間に私は庭の整理をする。縁の下の残留物を掻き出して、持って行く観音竹等の鉢を廊下にかためた。

町内のNさんがあなご寿司と鯖すしを差し入れてくれた。

 

朝方、階段下と下駄箱を整理した。

そのあと丹波橋に出かける予定だが、礼子が整形にでかけたまま帰ってこない。とうとう昼を過ぎてしまった。

一時ごろから出かけるが、予報では暖かいとのことだったが、結構寒かった。

少しずつマンションの自室に馴染んできた。ドアにストッパーを取り付け、寝室にレースカーテンを吊ってみる。それから風呂の沸かし方を練習する。これがなかなか難しい。排水溝の蓋を閉めることすら二人で右往左往した。

ダイニングテーブルに座ってコーヒーを飲んでいるとほんとに静かで人恋しくなる。一日テレビの音の中で生活していたことを思い知らされる。

上の階でまた誰かがクラリネットの練習をしているのが耳につく。

ふと時計を見るともう五時だった。

帰りも寒かった。

今夜の夕食は鳥の水炊きである。

 

午前中は昨日からの続きで、「転宅案内」の印刷をやる。思ったより手間取り刷り上ったのは午後三時だった。礼子は自分の洋服ダンスのダンボール詰めをやっていた。詰めても詰めてもまだ詰め残しがある。

五時ごろから京都駅のビックカメラに出かけてプリンターインクを買ってくる。

メールで石川さんに転宅の件を書き送る。

夜は七時から町内の仕出屋でH町自治会の総会がある。回覧で私たちが引越すことが書いてあったようで、個人の家のほとんどの家の人が出席していた。町外に住むYさん夫妻まで駆けつけてくれた。会長の町会報告のあとで私に挨拶を指名される。

「昭和十四年に小学校二年生の時に転宅してきて、以来人生の大半をここで過ごしました……」

乾杯の音頭をとったYさんのご主人は、

「昭和十四年といえばちょうど私が生まれた年で……」

我ながらほんとに長い年月だ。そのあと礼子が一人ずつ挨拶して廻ったので、私もしかたなく反対側から挨拶して廻る。会はけっこう盛り上がり、閉会は九時となった。これで一山越したような気持ちだった。

 

四時過ぎに目が覚め、あと寝付けず五時半に起き出してしまった。

『そんぐぽすと』の校正をやり時間をつぶす。

すみ子とさつきは九時半ごろやってきた。さつきは相変わらず元気だ。

すみ子は礼子といっしょに野菜のてんぷらを一山揚げた。昼ご飯をてんぷらと握り飯で食べ、さっそく車の後ろにいっぱい雑物を乗せて、丹波橋へ向う。途中竹田の近くにある百均の大型ショップに寄り、椅子の足カバーなどを買い、マンションに到着する。ベランダには早春の日差しが差し込んでいた。

一つ二つ仕事をして、皆で礼子の買ってきたロールケーキでコーヒーを飲む。

四時にマンションを出て途中もう一度百均に立ち寄り、その後地下鉄竹田駅まですみ子が送ってくれた。

 

十時ごろ佐和子が来てくれた。小休止の後さっそく仏壇の中の整理を始める。思いのほかたくさんの物が詰まっていて驚いた。

お昼は仕出屋の刺身定食を取った。

昼から、茶箪笥の引出しから「遺言」と書いた封書がぽろっと出てきて佐和子の目に止まった。

「ユイゴン!」

佐和子が目ざとく声を出す。

三時前に切りを付けて佐和子を帰らす。花瓶やなんかを手押し車に詰めて帰った。

夕食は佐和子が糟汁を作ってきてくれたので、冷凍の鰤を解凍して食べておく。

 

午前中荷造りを始めたら、次々と、あれもこれもが出てきて、ダンボール箱をセットしてもすぐにいっぱいになった。

昼から骨休めも兼ねて丹波橋のマンションへ出かける。二人で庭を眺めてコーヒーを飲んでいると嘘のように静かだ。

眠くなってきて、四時ごろマンションを出て家に戻る。

夕食はYさんの差し入れで、いさみ寿司から蒸し寿司が届いた。

そのあとも荷造りを続け、十時過ぎに風呂を使ってようやく寝る。

 

午前八時半に早くも電気屋が来てクーラーを三つ手早く取り外す。それを片隅に纏めて帰ってしまった。それからすぐ蟻さんマークの引越社が二人やって来て、さっそくダンボールに食器や衣類や雑貨を詰め始める。手際はいいのだが、われわれなら一枚くらい割れてもと重ねて入れるところを皿一枚一枚包むので時間がかかる。それでも二人でお昼過ぎまでに一階と二階の部屋一杯にダンボールを積み上げる。われわれはやっと隙間を縫って移動する。

「もう荷造りのし残しはないか点検してください」

と言われ、「ありません。ご苦労様でした」と返事をすると、二人は挨拶して帰って行った。

ところが、夜になって気が付くと一ヶ所台所の物入れが忘れられていたのを発見。また五箱ほどダンボールが増える。寝床に入ったのは十二時過ぎていた。

 

朝八時半蟻さんマークの引越社の三トントラックが二台やって来る。四五人で見る間に百個近い段ボール箱を運び出した。仏壇や家具もカバーを掛けて慎重に、また手際よく運び出す。私は第二組の各家と第一組の数軒に粗品の手拭いを持って手早く挨拶して廻った。九時半ごろ礼子は一足先に丹波橋に向う。マンションではすみ子が待機してくれているはずだ。

十時半には荷物が積み終わってトラックが出発する。私は明日の天気予報が雨模様と聞いていたので、庭に出してある大型ゴミを急いで庭先の廊下に入れてから、さて出かけようとしたら会長の奥さんが「みなさんで……」と散らし寿司の大きな箱を持って来てくれた。ずいぶん重かったがしかたないので、残品ともども両手に下げて、戸締りして出かける。

地下鉄竹田までたどり着き、携帯ですみ子を呼び出し、

「今竹田やけど、荷物が重たいから丹波橋の西口まで車を廻して」

と頼む。丹波橋の駅を出て待ってもすみ子が来ない。ふたたび携帯を掛けると、なんとすみ子は竹田の駅にいた。「竹田の駅から電話してる」と言ったはずのところをすみ子が聞き間違えたようだ。それから十分ほどで車が来てマンションに向う。

マンションではすでに運び込みが始まっていた。十二時半ごろには終り、礼子は五人のスタッフにおにぎりとお茶を渡し、別に三千円を包む。

お昼は会長さんの奥さんが作ってくれた散らし寿司をよばれた。それから三人で荷物をとき始める。すみ子は冷蔵庫を入念に洗ってくれた。

それぞれが懸命に整理しているところへ、研修から帰った信君が上等のわらび餅を手土産にやって来た。自分もなにか手伝いたいというので本の整理をしてもらう。五時になって信君はさつきを迎えに保育園へ出かけたので、すみ子も六時頃まで手伝ってから引き上げた。

初めてのマンションの風呂に入ったが、操作を飲み込むのに一苦労した。

 

朝から雨が降っている。

ひかりの卒業式が昨日だったので今日は佐和子が手伝いに来てくれた。若いのでやはり片付けも手早い。昼は小川さんのお母さんが炊いてくれた赤飯を食べる。

昼から、気晴らしに礼子は佐和子を連れて雨の中を中信と郵便局へでかけ、周辺を案内する。銀行の近くに昔風の和菓子屋があり、おやつに苺大福を買い小川さんへもお土産に少し持たせる。

夕方までにダンボール箱も後五箱残すのみとなる。五時過ぎに佐和子は家が気になってきて、後ろ髪を引かれながら急いで支度をして帰って行った。

その直後にすみ子がやってきた。

「手伝いに来てくれたの?」

「いや。姉ちゃんが赤飯があるさかい、取りにおいでていうから……」

先日カレーがおいしかったので私がリクエストしておいたら、佐和子がそれを今朝炊いて持って来てくれた。夕食はそのカレーを食べる。

 

朝早く目が覚めたので、朝食後二人で机の上に盛り上がっている雑品を整理する。雑多で細かいので大変だ。薬、文房具、大工道具、小物が交じり合っているのを一個一個拾い集める。

パソコンの接続をする。なんとかモニター画面が現れたのでほっとする。急に元気が出てきて、額を吊るしたりごみを運び出したり力仕事に励んだ。白々しかったマンションの部屋がだんだん住まいらしくなってくる。とうとう夜には一応蟻さんマークの箱を全部開いて何とか収めた。

 

快晴なので礼子は溜まっている洗濯を始めた。

「日差しがさんさんとしてこんなに洗濯が気持ちよく出来たのは何年かぶり……」

と感激している。南向きのありがたみがしみじみわかる。

二十日に最後の大型ごみを出すので、昼からその整理に高倉の家へ行く。すみ子がさつきを連れて車で迎えに来てくれた。お昼は大丸の大食堂で食事をした。

高倉の家は引っ越し荷物を出したままの状態で乱雑に散らばっていた。それを一所に集めたり、掃き掃除をしている間、すみ子はさつきを連れてゼストへいったが、一時間ほどで帰って来た。

三時過ぎにMさんの奥さんに見てもらっている間もころころを持ってさつきは掃除の真似をする。Mさんが洋服ダンスは置いておいて欲しいといい、さらに棚を二つと花台を貰ってくれた。その代わり鏡台と按摩器をいっしょに捨ててもらえないかと頼まれ、「どうぞ」と同意する。

後は二十日に大型ごみを出したら終了だ。すみ子の車に、庭に残っていた植木鉢数点と、電気掃除機を乗せてもらって四時前に出発する。帰る間際にIさんのおばあちゃんと娘さんにイノダのコーヒーとかわいい布巾を餞別に頂く。車の後部窓から振り返ると、Iさんのおばあちゃんは長いこと手を振って見送ってくれていた。

 

朝の内、久し振りにパソコンに向かい、メールの設定に取り掛かる。案外簡単に設定が出来、さっそく野鳥の会のSさんとIさんにテスト送信する。しばらく待ったが返信がないので佐和子にテスト送信をしてから電話で問い合わせする。すぐパソコンを開いてくれて、着信を確認してくれ、返信も打ち返してもらう。そこで新しいメールアドレスを野鳥の会の二十人ほどのメンバーに通知しようと宛先を列挙して送信する。するとほどなくメールがフリーズして動かなくなった。触れば触るほどおかしくなるようなので、いったん中断して昼食を食べる。

昼からはダイゴローへ「隙間家具」を見に行く。幅五十センチの食器棚というのがなかなか無くて、カタログで探してもらってようやく見つけて注文する。二十四日配送を予約する。

夕方、石川さんに電話して、明日の編集部会を欠席するむね通知する。

 

お彼岸が近いので、十時半ごろ家を出て、まず知恩院にお参りする。途中古川町商店街で買って来た寿司盛り合わせ弁当を知恩院の休憩室で食べ、祇園下からバスに乗って西大谷の墓に詣でる。春日和で人出もそこそこ多かった。転居の報告をする。

家に帰ったら三時だった。

西大谷で買って帰った牡丹餅でお茶を飲む。そのあとごろっと炬燵に横になると小一時間ぐっすり寝てしまった。

夕食前、「ヒカリネットBB4U」に電話して、メールがフリーズしていることのサポートを頼む。十五分ほどで、インターネット接続が不良だからと原因を突き止めてくれてたちまち正常に戻った。

一安心して夕食後溜まっていた日記を書く。

 

五時過ぎに起き出す。

メールがまた不調になった。今度はヤフーに電話して事情を話し、モデムを切断した事を告げる。

「電話回線がNTTならヤフーのサービスは継続できますよ」

とのこと。料金も三百九十円ほどで済むとのこと。それをお願いして、夕方モデムを荷造りして、近くのスーパーから宅急便で返還する。

夜は今度はワクワクに電話して電話番号の変更を申し出る。

 

五時半に起きる。

いよいよH町の家の大型ゴミを出してMさんへ鍵を引渡しするので、雨の中を八時十五分に家を出る。出る前に急いで便所に行ったが行きたりなくて道中下腹が痛くなった。駅構内で慌ててトイレに駆け込む。それやこれやで八時五十分ごろH町にたどり着いた。家の前にMさんの電気按摩器が置いてあり、運搬の益本君が一トントラックですでに待っていた。かなりの大型ごみだったので、

「こんなんで積めるの?」

と疑問に思う。

「大丈夫です」

と益本君は自信満々だ。最後に下駄箱をMさんが貰ってくれたので、なんとか全部積み終えて帰ってくれた。掃除機がないので後は掃き掃除だけした。

「いい加減でええよ」

と奥さんが言ってくれたのでほっとする。あと鍵を持って挨拶に行ったらコーヒーを入れてくれた。さつきに熊のプーサンの縫いぐるみをお土産に頂いて、帰りかけたら路地の出口で手を振って見送ってくれる。

これで一段落したと帰りの電車の中で礼子と長かった引っ越しを振り返った。それから伏見桃山駅で降りてお弁当を買い、すみ子のマンションに寄る。祝日で保育所がお休みのさつきもいっしょにお昼を食べた。

食後すみ子の車で、「コーナン」へ行って、脱衣籠、洗濯物入れ、庭の飛び石など不足のものを買って、マンションに運んでもらった。夜はあり合わせの鶏肉で親子丼を作ってみんなで食べ、すみ子親子はお風呂にも入った。帰りたくなさそうなさつきに私は信君が八時半ごろ帰宅するらしいのてそれまでに帰るよう言うとようやく帰った。

 

二人とも三時半ごろから目が覚めて五時にとうとう起き出してしまう。

十時半ごろに家を出て、区役所へ寄り本籍地変更を申し込んだが、中京区役所で戸籍謄本を取りその上でないと手続きできないとのことだった。

地下鉄で大丸に行って大食堂で昼食を摂る。そのあと、このあいだ礼子が買った版画に作者がサインしてくれるというので七階の画廊へ出かける。作者はうら若いイギリス人の女性で、彼女と我々が並んだところをポロライド写真で記念撮影してくれる。絵の裏には、「お二人にたくさんの幸せを」とサインしてくれた。

家に帰ったら二時半だった。

お茶を飲み、そのあと私は小一時間ホーム炬燵に潜り込んで寝てしまった。

インターネットがつながったり切れたりしてうっとうしい。

 

十一時前に、庭に水を撒いていたら、すみ子がやってきた。さつきが庭に出てきて水撒きをしたがった。

朝から礼子が作っていた散らし寿司をすみ子と礼子で弁当に詰め、十二時過ぎに家を出る。淀競馬場に着いたのは十二時四十分だった。

競馬場の芝生に座って弁当を広げる。日差しが暑いくらいだった。さつきはあちこちよく走り回った。場外馬券を発売していて、大きなモニターに中山とか阪神とか中京競馬場の競馬が実況されていた。

二時半ごろ帰ろうと入口付近まで移動したが、そこに小さな児童公園があってさつきが離れない。三十分以上も遊んでいた。ようやくなだめすかせて巡回バスに乗り、駐車場から車で出発する。途中百金に寄り少し買い物をしてマンションに戻る。

さつきはお昼寝もしないでよく遊び、夕飯をみんなで食べ、風呂にも入って八時過ぎにようやく帰っていった。

 

今日は二人とも何もしたくなかったので、十時ごろすみ子からダイゴローへ行かないかと誘われたが断った。

昼食後、久し振りに自転車に乗って町を走ってみる。礼子は生協へ行き、私はコーナンへ出かけた。それほど遠くない距離で疲れることもなかった。そこでキッチンの下に「突っ張り棚」を二枚買う。自転車に積んで帰ってきたら礼子はもう戻ってきていた。さっそくシステムキッチンの扉を開け、中に棚を取り付ける。礼子も、「ええのとちがう……」と言ってくれた。

インターネットがどうしても接続しにくい。いったんパソコンをオフにして再起動すると繋がらなくなる。なんども問い合わせて、何とか手動で接続するようにしてもらった。

礼子は疲れ果てていて、八時からの「篤姫」を見ずに炬燵に潜り込んで一時間ほど眠りこけてしまった。

 

久し振りに二人ともよく寝た。七時過ぎに起きる。

今日隙間家具の食器棚が来るので、朝食後ダイニングの食器棚の整理をする。保雄から四月五日に来るとのメールが届いていた。

十一時半ごろ食器棚が到着した。大きさも色合いもぴったりだった。すぐ食器の詰め替えをする。

佐和子から電話で、ひかりが高津高校に合格したとの知らせが入った。佐和子がひどく興奮していた。ひかりに代わったが、友達が大勢押し寄せてきているようで、賑やかで声が聞き取れないくらいだ。

三時ごろから二人でぶらりと散歩に出る。大手筋商店街から百均に入って小物を少し買い、ソフトクリームを食べて帰ってきた。

 

佐和子から電話があり、利武君が三十日になら行けるかもしれないと言う。保雄が五日に来るかもしれないと告げると、その日は多分佐和子だけしか行けないだろうとのことだった。

午後から礼子がみずほ銀行を解約するというので付いて行く。しかし途中でMさんへの家賃振替日が二十六日だということを思い出し、解約を止めて、大丸に立ち寄り、礼子の友達からの転宅祝いの返礼送りをする。

帰ってきたらポストに不在票が入っていて、フルタイムロッカーに保管してあると書いてある。フルタイムロッカーは登録済みだが使い方が判らない。管理人もこれには関与してないようで、パンフレットを出してきて右往左往。悪戦苦闘の後にようやく「観音寺饅頭」の包みを取り出すことができた。

夕方、都ホテルにいたKさんから電話が掛かってきた。丹波橋の駅前の呉竹文化会館によく行くのだそうだ。

 

近くの板橋小学校で地下水を汲ませてくれるので、先日礼子が契約してきた。一年間で千円を払えばいい。今日は私も後学のために礼子といっしょに出かけた。校庭の桜が五分咲きの状態だった。水は溢れるほど出ていて、バルブも何もない。出っ放しである。

昼から礼子はSさんと高島屋の展覧会に出かけたので、私は自転車でコーナンへ植木を買いに行く。八百八十円で「レッドロビン」を買い求め、自転車の前の荷台に積んで帰ってくる。

すると待っていたようにJR桃山駅近くに住むNさんから、転宅祝いに植木鉢が送られてきた。柔らかい葉の観葉植物だ。幹の付け根が太い。スーパーでこの小型を売っていて名は確か「パキラ朴」と言うはずだ。

再び自転車で百均に出かけて、そこでも五百円の小さなアジアンタムの鉢植えを買い込む。

帰り道すみ子のマンションの近くでばったりすみ子に出会い、家に寄ってたくさんの植木を見てきたと言う。

「またもう一つ買うてきた…」

と荷台のアジアンタムを見せる。

食後Nさんに植木のお礼の電話をする。彼の話は長いので切りをつけるのに苦労した。明日二時ごろお茶を飲みに来る約束を取り付ける。

 

午後からNさんが来ることになっているので、礼子はなにやらかやら掃除整頓に余念がない。

二時の約束どおりにNさんはバイクに乗ってやってきた。桃山学区の地図を持参して、自分の家の周辺についてあれこれ説明してくれる。近鉄線の東側はまるで屋敷町のようで、広い一戸建ての邸宅が軒を並べ、著名人が住んでいるようだ。二時間ほど話をして帰って行った。

夜は野鳥の会の『そんぐぽすと』発送日。六時半に家を出て地下鉄で四條烏丸で降り、市バスを乗り継いで河原町荒神橋まで行く。恒星社にたどり着いたらちょうど七時半だった。I部長とS支部長と私の三人で始める。転宅話に花が咲いた。

九時に、断って中座し、河原町荒神橋から九時十三分発の松尾橋行きに乗り、四條烏丸から地下鉄に乗り継いだ。丹波橋駅前の呉竹文化センターでは何か催し物があったのか人群れがあり、ついでにと思って入口のパンフレットを貰って帰る。家に着いたらちょうど十時だった。

 

庭に出ると少し肌寒い日だが、部屋の中にいると気がつかない。やはり南向きは暖かい。

午前中礼子は中京の小川整形にリハビリに行き、十二時半ごろ帰ってきた。私はラーメンを作るのも面倒で、ホーム炬燵でごろ寝をして待っていた。

四時ごろからやっと礼子に促されて大手筋まで散歩に出る。初めの予定ではそこで手土産を買って、御香宮の近くにあるIさんのマンションを訪ねようということだったが、寒いし、京阪の踏切り近くでもうくたびれてしまって引き返す。その道すがら、五時半を廻っていたので、すみ子のマンションを訪ねてみる。幸いすみ子は会社から戻っていた。これからさつきを迎いに行くというのでその間留守番をしていたらやがてさつきの声がして一週間ぶりにさつきに対面した。帰りはすみ子がハッピーさんに買い物に出かけるというのでそこまでいっしょに歩くことにする。

 

七時半に起き出したが、庭に出るとひんやりして春冷えの気配だ。

今日は久し振りにすみ子がさつきを連れてくるというので、待ち構えているとやがて十時半ごろ玄関で元気な声がして廊下をさつきが走ってきた。御所、宝ヶ池公園、醍醐などと候補が上ったが、今日は寒いから家にいようと結論が出た。しばらくうちに留まっていたが、やはり天気もよいようなので動物園に行くことにして、十一時半ごろ車で出発する。鴨川河畔の川端通りの、特に七条あたりの桜はすでに満開に近かった。

岡崎公園の駐車場も満杯状態で動物園も子供連れで盛況だった。さつきはしきりに「ぞうさん、ぞうさん」と象さん目当てで、売店で食事をと言っても「ぞうさん!」を繰り返す。さいわい象のいるところの近くに売店があって、一時半を過ぎたころようやく昼食にありついた。

その後、さつきは汽車に二回乗り、車にも二回乗り、キリンさんと猿島とライオンと虎などを見てまわり、満足して帰路に着く。すみ子以外は疲れて、それぞれ車の中でうたた寝する。途中ニックに寄ってもらって二メートル八十のつっぱり棒を買って帰る。

夕食もスーパーで買った寿司折を食べ、すみ子の帰りの車に我々も乗って、サティーで下ろしてもらう。そこで少し買い物をして歩いて帰る。

和室につっぱり棒を張り、金具を付けて地袋の上に「鶴」の額をかける。

 

早朝曇っていたが、しばらくすると予報どうり小雨が振り出した。

佐和子たちは十二時前にやってきた。さやかとひかりを降ろして、利武君と佐和子と私の三人で「梅の花」に注文してあった弁当を貰いに行く。三段折りのかわいい梅の花模様の弁当だった。利武君は昨日、会社の慰安会の途中で子供の自動車事故の現場に遭遇して、仲間とその子を抱きかかえたところ以前から痛めていた腰を悪化させて歩きにくそうだった。

ひかりに高津高校受験合格のおめでとうを言い、入学祝い金を渡す。ひかりが眼鏡を掛けると少し大人びて見える。さやかは今日も塾の宿題を持ち込んでいて、仏間にこもってやりだした。明日はまた塾らしい。今時の子供は大変だ。

午後私は寝室で一時間ほど昼寝をする。

五時ごろから利武君は「腹がへった」とハッピーさんに買出しに行き、安売りの寿司折を買いこんできて、小川家の四人で食べ、六時前に帰って行った。

我々はその後で、残しておいてくれた寿司で夕食を済ます。

雨はとうとう一日止まなかった。

 

朝起きると、昨夜までしおれていた庭のベルフラワーが急に元気を取り戻していっせいに立ち上がっていた。

昼食後、まず中信に行って、カードを取得する手続きをする。それから西丹波橋のバス停から市バスに乗り、京都駅で地下鉄に乗り換えて烏丸御池の福邦銀行へ町内の現金残額を預金に組み込む。続いて中京区役所に廻って本籍移転の手続きをしようと、まず戸籍謄本を取ろうとしたが、時しも転勤転宅入学卒業転勤の時期で、すごく混雑していた。転入・転出窓口が臨時に作られているぐらいで、私の番号は四十人待ち。係りに聞いて見たら早くて一時間は掛かるとの返事だったので、今日は諦めて後日で直すことにした。

家に着いたら三時半だった。

H町の会計報告を閉じこむ作業をする。明日これを届ければH町とも縁切れだ。

 

 

 

 

「転居日記」おわり