2005-03-15(Tue)
パラレル文1◆ヒムロ
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ならされた道に日の光が跳ね返り肌を焼いた。久々に出られた外は、拒むように暑い。ふうと息を吐き、男は団子の旗ひらめく甘味処の日陰に逃げ込んだ。道行く人々の活きの良さを見遣り、また溜息を吐く。元気なことだ。きらきらと笑って駆けていく娘の足音も、客を呼び込む乾物屋の声も、近い筈だのに遠く感じる。まだ本調子ではなかったか。三度息を吐いた。 久方振りで御座ンすねェ若旦那、奥から茶屋の娘がこれまた元気に言いながら茶を出してきた。 「何かお食べになっていきやすかい、まだお顔の色が優れんようだよ」 「いや、ただ休んでいるだけだ、気を使わんでくれ」 今日は格段に陽がきつい、男はそう言い苦く笑んだ。 男とは言っても先の娘が若、と言ったように、傍目から見れば年端も行かぬ童が多少育ったようなものである。とはいえ数えも十八、武士なら元服が済んだ頃合だろうか。 「ならせめてお茶だけでも。旦那の言うとおり今日は暑う御座んすからねェ、道すがら倒れんように飲んでいかれたら如何かえ」 そう言い猫目の娘は男に茶の湯飲みを手渡し、さっさと奥へ引っ込んだ。 実際困ったものだ、四度溜息が出る。人に構われるのは得意では無い。なら長屋に籠っていればよいと言われるやも知れぬが、しかしそうにも行かぬ。 貰った茶に遠慮がちに口を付けつつ、男は通りを伺う。相も変わらず埃っぽい。がらがらと材木屋の荷が通って行ったので余計に埃っぽい。喉が痛んだのでもう一口、茶を飲んだ。 通りには色々な人が居る。商人町人、大小ぶら下げた武士、説教がちな老翁も居れば人当たりのよい女将も居る、矢鱈と煩い童が集まって走り回っているかと思えば人相の悪いのも―――こちらを見ている。男はさっと目を逸らした。外歩きなど辞めれば良かった。 男の実家も、商いをしている。世にいう高利貸しという奴だ、勿論商いを仕切っている父親の風評は地を這うようなものばかり。その息子を見る目に恨みが籠っても何ら妙なことでも無い。ませた子供でも自分の姿を見れば睨むか、行き過ぎたものなら石を投げても可笑しくは無いだろう。急に申し訳なくなり、男はまだ多分に残っている湯飲みを赤い布を被った腰掛に置き、小さく娘に礼を言ってその場を離れた。 じりじりと照りつける日中をふらふらと歩いた。ただはよう帰らねば、と考えつつ。人の視線かそうでないものにも、心の臓がきゅうと縮み上がる。 そんな訳で、通った長屋の隙間から袖を引かれたときには冷や汗まで噴出した。 「ヒイッ!」 「そんなに怯えなさんな、…ちょいと旦那」 隙間の道は狭く、暗い。男は幽かに目を細めて、今袖を引いた手の主を見遣った。 旅人か浮浪者か、いずれにせよこの辺りでは見かけぬ顔だ。全身黒い衣を纏い、おまけに肌まで黒い。ついでに言うと汚らしい。 「ちょいと旦那に来て欲しいのさ。どうだい」 にかりと笑うと全身真っ黒な男の唯一真っ白な歯が除いた。 「火急の用かい」 「そうでもねェけど」 「なら離しておくれ、俺はあんたと係り合う気は無いよ」 「だがそうにも行かねェのさ。ちょいとこちらへ来てくんなィ」 引けども袖から黒い男の手が離れる様子は無い。逆にぐいと引かれて男は狭い隙間に入った。 「用があるなら陽の当たるところで話せば良い事だろう」 「用があるのは俺じゃァねェのさ旦那、・・・ほれ」 狭い道を抜けたと思うたら、どうやら長屋同士の余りの場所らしい、少しばかり開けた場所に立っていた。斯様な所が在ったのかと男が目を見張る間、黒い男が指で示した、そこには薄汚れた僧衣に身を包んだ男が一人座っていた。 異様だ、と男は感じた。外見上異様なところは別段無い、有髪僧が番傘被ってそこに座っているだけの話。しかし、何かが男の肌にぞわりと波を立てた。 ――――そうか。『あれ』が見えぬのだ。普通人の先に立つ『あれ』が。僧だからかとも思うたが、どうにも合点が行かぬ。そういえば肌に伝わるものこそなけれど、黒い男にも『あれ』は付いていなかった様に思う。 「おぅい虚目の旦那。お前ェの言うた奴さんたァこいつで間違いねェな?」 うろめ。何とも変わった名だと男は思った。 「…ああ。これほど変わった匂いの奴が他にも居るまいよ」 黒い男は振り返り、再度袖を引いた。 「用があるたァコイツの事よ、十文字の」 じゅうもんじ。耳にした途端ぞわりと血がそそけ立つのが分かった。そして反射的に掌で左の頬を覆った。 「気にしてたら悪かった、…ええと」 男がしゅんとなったので名を教えようかと思ったが、それもやはり気が引ける。黙っていると僧衣の男が手にしていた煙管で男の足を打ったのが見えた。 「黒、てめェは黙ってな」 傘が傾いで、僧衣の男の目が覗いた。堅気者にあるまじき険しい目だ。黒と呼ばれた男も口では逆らえぬらしい、改めて『十文字』に悪ィと呟き手を放した。 「いや、気にしてはおらんよ、その…そのように呼ばれたのが初めてだったもので、戸惑ってしまっただけの事だ」 しどろもどろに十文字が言うと、黒はぱっとまた笑顔に戻った。忙しい男だ、と微笑ましくなる。まるで素性も何も分かっていないというのに、不思議な男だとも思う。…きっと、俺の素性を知らぬからだ。 「俺の用というのは」 虚目と呼ばれた男が言い、十文字は佇まいを直した。さっさと聞いて帰ればいい、聞くだけなら疲れもすまい。 「ちょいと、お前さんの持ってる相が気になったものでな…ふむ」 「そう?」 あまり聞き慣れぬ言葉だ。手相とか顔相とかの相だろうか。 「運命というか姿というか、そいつァそれを見ちまうのさ、その虚目でな」 「虚の、目…」 いぶかしんでいる間に、また虚目と目が合う。じっと人を見るなんてはしたない、と十文字はそっと目を逸らした。 「黒…さん、何故あんた、この人を虚目と呼ぶんだい。ちゃんと目は在るじゃァないか」 言われて黒はきょとんと目を丸くし、虚目は煙管の煙をふうと吐き出し成る程、と呟いた。 「お前さん、よく人でないものを見る性質でないかい?」 変わった匂いがするはずだ、と虚目は笑う。 「へェお前ェ、鬼目かい」 確かに十文字は物の怪の類をよく見る性質だ。何が関係あるのかと立ち尽くすばかりでいると、黒がにやりと笑うて虚目を指した。 「虚目の目は鬼なのさ、だから見えねェ奴にゃァ見えねェんだ」 気味が悪い。突き飛ばして帰ってしまおうか。 「お前さん、命が惜しけりゃ今日は帰らねェ方が良い」 紫煙がたなびくその奥で、鬼の目だというそれが光ったような気がした。 「今晩鬼崇りで死ぬよ」
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