01 学而第一
02 温故知新
03 前へ進め
04 官足法
05 偶成
01 色紙 論語
學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。
子曰く、学びて時に之を習う。亦説
ばしからずや。
朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。
人知らずして慍うらず、亦君子ならずや。
※ 學而時習之
公私の教えのイの一番に弟子たちが取り上げて掲げたのは、この言葉でした。
いろいろと学んだことを篩(ふるい)にかけ、人が自分の考えを築き上げる一番大事な心掛けは、「學而時習之」の一点にある。 生を享(う)けたその時から、全身ですべてを感じ目で見てはマネ、耳で聞いてはマネ、笑顔を見てはマネ、笑いを聞いてはマネ、動作を見てはマネ、赤ちゃんの時からすべてを真似て人は成長してきました。 真似ることによって私たちは学問を身につけ科学の発展に寄与し平和を求めて安らぎを求めるような考えを築き上げてきました。
よく考えてみると、真似ることによって自分のすべてを築いてきたことが分かります。 赤ちゃんはすべてのことを素晴らしい感覚で真似て生を享けてから四年間のうちに自分の考えをちゃんと持つようになっていました。 何故こうしたマネの能力をもって生を享けたのか、自然の摩訶不思議な能力が与えられたのか、大自然の深遠な営みに対して私たちは合掌して感謝するほかに術を知りません。
マネをして時を経てからそのことを自分で繰り返してやってみることが、自分を伸ばしていく一番大事な心構えなのです。 そのことを簡単で明瞭に言えば、「学んで時にこれを習う」というみとになるとりかいしてまちがいないとおもいます。
マネることは実は学ぶことに他なりません。 子どもの頃にはそのように聞いています。 習うというのは、幼い鳥が始めて飛ぶために自分で羽をばたばたして飛ぶことを習うことだと聞いています。 習の古い字は羽の下に自を書いたと聞いております。
論語の第一に「学而第一」として真似ることがいかに大事なことかを位置付けています。
生涯この精神、心をもつことを孔子の弟子たちは一番大事なこととして受けとめています。 儒教思想の中核です。
恕とかもてなしの心とか黄金律とか最高の倫理観としての言葉に、いろいろの言葉を取りあげていいのです。 だが、自分の中身を豊かなものにすることも、生きていくうえで大事な心掛けなのです。
今回は、孔子のお弟子さんたちが大事にしている言葉を取り上げました。
02 色紙 温故知新
大類伸 この著者の名前は今も間違いなく頭の片隅にある。 なぜか、それはこの人の著書のはしがきに歴史学習の最大の狙いはこれからの歴史の方向に役立てることにある、という主張がガツンと胸に響いたからだった。
老生は予科練最後の16期生だが、長野青年師範学校では「日本はどうして負けたのか」の自問はずっと頭にあった。 当時はそれに応える本はまだ発行もなく、長野図書館へは折々立ち寄っていた。 たまたま本屋さんで買った本が大類伸さんの本でした。
当時は歴史の本を漁っていたので卒業して社会科の教師になることになった。 こうして時は流れて今日を迎えている。
昭和43年ころ豊丘中学校に在職していた時毎日新聞でアーノルド・トインビーへの取材記事に出会った。 これは大類伸の本のはしがきに応えるそのものに出会った思いでした。 温故知新、将に歴史を活かす見本がそこにあった。 だが、なぜそうなる考えなのかは推察もできなかった。
彼はアメリカの政治力は太平洋の半ばまで引き下がることになる。 日本は東アジアの経済圏へ移行していくだろう。 という見通しを立てていたのです。 今から40年程前のことです。
いま世界の動向は東アジア経済圏がまとまりつつある渦中である。 トインビー博士が予見した通りなのである。
世界は今、アメリカのトランプ大統領の奇妙な一国主義によって、荒れまくっている。
文化の力のルネッサンスが台頭してくる必然性を目の前にしている。 どうしてそう考えるのか。
第一は全世界の理性の方向は"戦争体制からの脱却を模索する"状況に迫られているからだ。 「戦争時代の卒業」に迫られているからだ。
バックになる理由は多岐にわたり深い根っこの広がりともなる。
03 色紙 前へ進め
前へ進め、明日へ進め、後ろを振りむくな
人はそのように創られている
何とかなるさ
前へ進んで新しい道を求めるように
人はそのように創られているから
前へ進んで何とか最後まで生きようではないか
人はそのように創られている
誰がそのように創ったのか
それは、
それは、神様と言ってもいいさ
それは、大自然の不可思議と言ってもいいさ
何とかなる、元気で前へ進め
八十八歳・好上老人の発言
※ 照見五蘊皆空
http://park6.wakwak.com/~y_shimo/momo.1164.html
観自在菩薩
行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空
度一切苦厄
自分の中に 菩薩の心があることを はっきりと認識し
お釈迦様が目指したことを実践していきましょう
そして 五蘊はみんな本質的なものではないことを見極めて
五つの要素からなる心や体のはたらきは、すべて永遠に変わらないものではなく変わり続けるもの
生涯に出会うすべての苦を乗り越えていきましょう
※ 不立文字
禅の教義を端的にあらわす禅語として、不立文字(フリュウモンジ)という言葉がある。「文字を立てない」と読むことができるが、これは「文字で真理を説くことはできない」「文字のなかに真理はない」というほどの意味である。
『般若心経』を現代語訳するとこうなる
↓
『存在が存在することの意味を説くお経』
照見五蘊皆空 度一切苦厄 はこんな解釈となる。
私たち人間という存在は、身と心によって成り立っている。
だから私は、自分とは何かを知るために、この身と心のどこに自分が存在しているのかを確かめようとした。
しかし、物質的な肉体も、視覚・聴覚といった感覚作用も、それを受けとる知覚も、あるいは意思や認識といったあらゆる精神作用すべて、どれを詳細にみても「これこそが自分だ」というようなものを見つけることはできなかった。
確固たる自分は、どこにも存在しなかったのだ。
驚いたことに、「自分」という実体は、じつはこの世界のどこにも存在しなかったのである。
その真実を知って私は驚きを隠せなかったが、同時に苦悩から解き放たれるような安らぎを覚えた。
<http://www.zen-essay.com/entry/hannyashingyou> より
追記 『人生の暗号』村上和雄著、NHK「人体」シリーズ、その他いろいろと情報を手に入れていると、人の自意識それ自体が一つの細胞は人体60兆個という細胞間で連絡しあって生活を組み立ててその結果を考えや言葉として表出しているものだという。 これは生命科学の研究によって明らかになってきているというのです。
別の言い方をすれば、一人の人の発言や行動も細胞間の連絡調整の結論だというのです。 細胞の中のミトコンドリアの働きによるというのです。
人差し指を丸鋸で切り落としてもチャンと修復するのは自意識の結果ではなく細胞間の生きていきましょうという一つのねらいに向かっての相互連携の働きの結果というのです。 考えてみればその通りです。
思うに一連の生命科学の日進月歩によって、自分という意識の実態がわかってきたと言えます。
こうなりますと、哲学も倫理観も政治の在り方もすべての価値観の再構築をし直さなければならないのです。 健康も病気も、すべては細胞の働きの結果に従わなくてはならないし、それがまた正しいと言えるのです。
村上和雄は、細胞ことにその中にあるミトコンドリアの遺伝子の能力を Something Great で表わしているのです。
※ 創世記
http://bible.salterrae.net/kougo/html/genesis.html
第1章
1:1 はじめに神は天と地とを創造された。
1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
1:4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
1:5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
1:6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
1:7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
1:8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
1:9 神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。
1:10 神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。
1:11 神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。
1:12 地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。
1:13 夕となり、また朝となった。第三日である。
1:14 神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、
1:15 天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。
1:16 神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。
1:17 神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、
1:18 昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。
1:19 夕となり、また朝となった。第四日である。
1:20 神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。
1:21 神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。
1:22 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。
1:23 夕となり、また朝となった。第五日である。
1:24 神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。
1:25 神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
1:26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
1:27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
1:28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
1:29 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
1:30 また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。
1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。
04 色紙 官足法
自分の足で一生歩きたければ 毎日自分で足をもんでください
官有謀(カンユウボウ)先生。 その教えはシンプル。「足の老廃物をもみつぶして血液循環をよくしなさい。必ず健康体になります」
※ 「ゆほびか 10月号」 2017年
「ゆほびか」とは源氏物語‘若紫’に、
「あやしく、こと所に似ずゆほびかなる所に侍(はべ)る」
[訳] 不思議に、ほかの場所に似ず、ゆったりとして穏やかな所です。
とあり、形容動詞ナリ活用で
豊かで広々としている、ゆったりとして穏やか
の意味だという。
※ 官足法(カンソクホウ)・官有謀 2017年
官足法 台湾の「官有謀」が提唱した方法。1986年(昭和61年)に出版した書籍では、足心道秘術と表記していたが、日本には別系統の足心道という名称が使われていたため、それと区別するために官足法と命名した。
官有謀 http://kansokuhou.co.jp/hpgen/HPB/entries/3.html
血液循環が悪いと足に老廃物がたまる
今では広く知られ、さまざまな系統がある足もみ療法ですが、日本で普及し始めたのは1986年です。 この年、ご自身の壮絶な体験から、台湾で足もみ療法を開発した官有謀先生が、日本で本を出版しました。 それがきっかけとなって、足もみ健康法が爆発的に広まったのです。(書名「足の汚れが万病の原因だった」)
官先生の開発した足もみ健康法は、先生の名前をつけて「官足法」と呼ばれます。 先生は肺の難病で片肺が機能しなくなり、西洋医学では「治療法はない」と言われ、東洋医学では「治療に30年かかる」と言われました。
落ち込んで川原に座っていると、子供たちが裸足(ハダシ)で走ってきます。 「自分も子供の頃はああして遊んでいたなあ」と思い出し、裸足で川原の石の上に立ったところ、痛くて立てません。 それにヒントを得て研究をはじめ、官足法を確立したのです。 ひたすら自分の足をもんで、肺の難病を克服。 以来、亡くなるまで病院のお世話になりませんでした。
その理論は「血液循環が悪いと老廃物が足にたまる。 足をもんでそれを流せば、血液循環がよくなって、不調や病気が改善する」といたってシンプルです。
以上は「ゆほびか」10月号の24頁からの一部を転載した記事です。 足指のもみ方のコツが図示されており、またぐりぐり棒やウォークマットが紹介されています。 認知症、老眼、突発性難聴、免疫力、がん、頻尿、尿漏れ、脳梗塞の改善、便秘、ひざ痛、腰痛、不眠、外反母趾改善など43頁にわたっていろいろと記事が紹介されています。
05 色紙 偶成
偶成 朱熹
少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲
『新編漢文教科書』(明治書院)による
いわゆる勧学の詩として最も親しまれています。 生涯を通して孔子の教え「学而第一」基本のうちの中核になる考えと思います。 朱熹は偶成としているが、偶成どころの中身ではない。
朱 熹 1130-1200 南宋の哲学者・詩人
福建省建州の人。18歳で進士に合格したというからよほどの秀才である。役人生活は早めに切り上げ故郷で学問研究に没頭し、後に我が国の官学ともなった朱子学を完成させた。その後復権し地方の知事などを歴任しながら多くの研究書を世に出した。「論語集注(しっちゅう)」「孟子集注」などは今でも中国思想研究者には必読の書である。後世の人は尊(たっと)んで孔子なみに朱子と尊称している。
中国哲学として「気」「理」の語は、自然原理、宇宙の根本原理として大辞林 第三版やデジタル大辞泉では解説しています。 こうした合理的思考の追及の姿は日本的なものとしてはあまり見かけられないことです。
20世紀末ころから「生命科学」という学問分野が急速な研究成果を上げ始め、ことに生命そのものは遺伝子の相互共生の働きによるものではないかという実証までできるようになってきています。
この生命の発生までさかのぼっていけば「Something Great」による遺伝子を有する細胞の発生ということになります。
この原理を私たちは否定することも、どうすることもできません。 この考え方を受け入れて生命の願いや生きていく実態に従ってわが身に対処しなくてはならないのです。
わが身の理解は、細胞遺伝子の理解なくしては正しい理解ができないことになりました。 ピンピンコロリの健康長寿は、細胞遺伝子理解を学ぶことから手を付けなければならなくなりました。
日本人といってもそのDNAはアダムとイブにさかのぼることが証明されていることによっても、認めなくてはならない実情なのです。
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