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折々の記 2008 A

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】05/03〜        【 02 】05/11〜
【 03 】05/17〜        【 04 】05/26〜
【 05 】06/10〜        【 06 】06/18〜
【 07 】06/24〜        【 08 】07/02〜


【 04 】05/26〜

  05 26 喬木村の九輪草
  05 27 正木屋
  06 03 第三回目のお遍路・結願となる
  06 06 三人兄弟・初めての宿
  06 09 『観音霊水』平成の名水百選に

 05 26(月) 喬木村の九輪草

   

   九十九谷の九輪草          九十九谷のシャクナゲ

   

  数え七十六歳の記念          数え八十一歳の記念に

きのう九輪草を見に行ってきました。 年々株が多くなり見事になっています。 このシャクナゲも増えて相当な面積に広がってきました。

ここが自分の庭だと思って毎年見にきています。 花は何一つ不足をいわず、美しくなっていくからいいのです。

今朝、般若心経をホームページの「折々の記」見出しへ追加しました。

五蘊皆空であると共に、空即是色でもあるというのです。 シャクナゲや九輪草を見ていると、花はなんの衒いもなく、拘りもありません。

05 27(火) 正木屋

住む人もなくなった正木屋さん……


主亡き 庭に夏草 咲きており


            ‘興亡すべて 夢に似て…’

      鎌 倉     (文部省唱歌「鎌倉」)

  1 七里が浜の 磯づたい
    稲村ヶ崎 名将の
    剣投ぜし 古戦場

  2 極楽寺坂 越え行けば
    長谷観音の 堂近く
    露坐の大仏 おわします

  3 由比の浜辺を 右に見て
    雪の下道 過ぎ行けば
    八幡宮の 御社

  4 上るや石の きざはしの
    左に高き 大いちょう
    問わばや遠き 世々の跡

  5 若宮堂の舞の袖
    しずのおだまき 繰り返し
    かえしし人を しのびつつ

  6 鎌倉宮に 詣でては
    尽きせぬ親王の み恨みに
    悲憤の涙 沸きぬべし

  7 歴史は長し 七百年
    興亡すべて 夢に似て
    英雄墓は 苔蒸しぬ

  8 建長・円覚 古寺の
    山門高き 松風に
    昔の音や こもるらん

今は亡き一也さんの声が耳に届く気がします。

 06 03(火) 第三回目のお遍路・結願となる

   第一回目のお遍路

   第二回目のお遍路

第三回目のお遍路は今治の第五十九番国分寺から始まって結願の第八十八番大窪寺まででした。

石段一つ一つ、みんな人の手によって物凄い奉仕の積み重ねによって、たくさんのお寺ができていたことに改めて驚嘆の念が胸にこみ上げてきました。

お釈迦様の教えに感動し、その教えに寄り添って生きてきた人々がずうっと続いていたことに改めて驚きもしました。

       
      第八十八番札所・大窪寺

結願の寺・八十八番大窪寺へ参詣し、最後の般若心経を唱えおわりました。

この遍路の旅は、丸岡敏邦君の四国八十八寺結願の行脚がおわった話をお聞きして、触発されたのがはじまりでした。 自分が親になって知ると言われる、お父さんとお母さんの無辺の深い愛に身をゆだねてきての感謝とお礼がその根底にあったこととわたしは推察しました。

動機の始まりはこのようでした。 それと共に仏教思想の中核になっていると思われる般若心経の理解の仕方について、沢柳桂子さんの心経の考え方や自分の解釈などによってますます巡礼をしようという思いが強くなったのです。

最初の巡礼には装束を調え山門での一礼に始まる作法どうりに、一寺ずつ釈迦の教えに帰依する心がけで合掌していました。 一日中寺参りを続けていますと、だんだんと感覚も麻痺してきますのか、疲れてまいります。

そして、三十二番の禅師峰寺を終えた頃には、心経の中核になっているのは始めの一群の覚悟であると理解するようになりました。 これは次の句です。

  観自在菩薩
  行深般若波羅蜜多
  時照見五蘊皆空
  度一切苦厄


この四つの句が、一つのかたまりになっています。

そしてその中の中心になっているのが、

  照見五蘊皆空

であることに帰着しました。

そして、後はすべてその説明であることが分かりました。

それから後の巡礼によって、自分がすべての人とすべての物にによって生かされてきていることを、分かってはいるものの、ひしひしと感じました。 そして、多くの人たちが釈迦の教えに寄り添うことを願って巡礼していることを痛感したのです。 

仏教の考え方に近づこうとする人たちは、この日本にはずっと昔から大勢いたことを改めて実感します。 キリスト教やイスラム教とはずいぶん違いがあります。

  行深般若波羅蜜多


『般若心経』は正しくは『般若波羅蜜多心(プラジュニャーパーラミターフリダヤ)経』と言いますが、インドのサンスクリット語の原典にはタイトルはなく、中国で、結びの言葉に「経」を付加してタイトルにしたのです。

 「般若波羅蜜多(プラジュニャーパーラミター)」は「智慧の完成」、「完全なる智慧」という意味です。「プラジュニャー(パンニャー)パーラミター」を「般若波羅蜜多」と音訳しているのは、これが固有名詞と考えるべき特別な智慧だからです。大乗仏教では修めるべき六つの修行・徳目を「六波羅蜜多」と言いますが、その中の最後の最も重要なものが「般若波羅蜜多」です。


この句の中の“般若波羅蜜多(智慧の完成)”というのは、岡山県久昌寺の住職豊岳澄明さんのHPにあります

    http://www.tamano.or.jp/usr/kyushoji/kouza/kouza.htm<易しい仏教講座>

を開きますと、お釈迦様の教えが分かりやすく何回にもわたって出ていますので参考にするとよいと思います。

勉強は勉強として続けますが、とにかく心に芽生えた四国の巡礼は無事にすんでうれしい。

 06 06(金) 三人兄弟・初めての宿

    

                        華菱炉辺焼・姉兄

       

       園原信濃比叡・姉兄        園原信濃比叡・兄弟

6/4、初めて三人の兄弟が浪合の不動温泉華菱に一泊しました。

よくも八十年三人とも大過なく元気に生きてきたものと感心し、その間姉と兄にはいろいろお世話になったことを深く感謝し、その恩に報いる気持ちがあって一泊を計画し話す機会をつくったのです。

よい姉、よい兄であるとともに、ほんとに仲良くしてくれました。 有難うございました。 こうして仲良く今日まで過ごしてこれたのは、今は亡き父と母の養育のお陰であることは言うまでもありません。

そういう意味で言えば、いくら孝行しても孝行をしつくすことはできません。 親はありがたいものです。

天竜峡から三遠南信自動車道を通って山本へ出て、浪合は寒原峠からかららぎカントリークラブとスキー場を一周し、旧道へ入って浪合学校、旧役場を抜けトンネルから戻って不動温泉華菱に着いた。 囲炉裏料理は珍しいし美味しかった。 翌日は本谷へ入ってから、ヘブンスそのはらを回って園原の東山道へでて駒つなぎの桜、ははきぎの立札をへて園原神社を参拝、熊谷さん宅で粉末マムシを買い、信濃比叡をみて午前中には帰ってきた。

不動温泉を出るとき三人の写真を撮る予定だったのに、フロントで頼むことを忘れたので、園原で記念の写真をカメラに収めました。

06 09(月) 『観音霊水』平成の名水百選に

6月5日の信州日報の記事


『平成の名水百選』に決定
       南信濃和田の観音霊水

 県環境部は三日、飯田市南信濃和田の「観音霊水」が、環境省の「平成の名水百選」に決定したと発表した。 県内では合わせて四ヶ所が選ばれ、二十五日に東京都江東区の清澄庭園「大正記念館」で認定書交付式が行われる。

 (以下省略)


飲んでみると実にうまい観音霊水、名水中の名水です。 

   http://park19.wakwak.com/~yoshimo/moto.449.html<10 29(月)『足神様』再訪問:日本一の『観音霊水』>

このページを開いてみると、「ミネラル成分比較表」が出ています。 カルシウム、マグネシウム、硬度のいずれも最高の数値を示しています。 それで、飲んでみると実にうまいんです。 藤田紘一郎先生が話しているように健康上にとても優れています。



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