06 18(水) ブラジル移民100周年記念の日 |
【あらすじ】 サイラスは亜麻糸を織る織工ですが、十年来の親友に裏切られ、謂れのない窃盗の疑いを着せられ、婚約者にも去られて、人間不信の世捨て人になり、故郷の町を去って、ラヴィロウという村の外れで織工として細々と生計を立てています。彼の唯一の慰めは金を貯めることで、毎晩仕事の後に床下に隠してある金貨の袋を取り出しては一枚一枚数えているのです。ところが、ラヴィロウに引っ越してから15年の歳月が経った頃のある晩、ふと家を空けて帰ってくると、金貨を入れた袋をすっかり盗まれているのでした。言いようのない落胆、失望。サイラスは茫然と金貨を納めてあった場所を見つめたまま動きません。そんな時、行き倒れになった母親の手を離れてよちよち歩きをしてきた幼児が偶然サイラスの家に入って来ます。その金髪の巻毛が金貨を思い起こさせたのでしょうか、サイラスはその女の子を育てようと決意します。 人生は一変します。冷たい金貨と違って、小さい子どもはサイラスの言葉に反応し、いたずらし、呼びかけます。サイラスはその子(エピーと名付けました)を連れて、野原で花を摘み、動物と遊び、小鳥の声を聞きます。彼はエピーをどこにも連れて行きました。織り上がった亜麻布を届けに行く時、楽しそうに二人で田舎道を歩く姿がラヴィロウの人々の目に留まるようになりました。それまで、人々はサイラスを気難しく無口でつきあいにくい男と思ってきたのですが、エピーの存在が彼をラヴィロウの社会に溶け込ませるようになったのです。サイラスがあまりにエピーを可愛がるので、隣家のウインスロップ夫人は「そんなに甘やかして育てるとエピーのためにもよくないんだから、いたずらをした時はもし叩けなかったら石炭置き場にでもいれてやればいいんですよ」と諭すのでした。 ある日、サイラスは織機で織っている時に、いつものようにエピーが勝手に動き回って怪我をしないよう麻布の紐をエピーにつけてその先を機械に結んでいたところ、不用意にサイラスが置いてあったままの鋏をエピーが取って、その紐を切ってしまいました。しばらくしてエピーの気配が感じられないことに気付いたサイラスは、開け放された戸を見て驚きました。彼は我を忘れて、外に飛び出しましたがエピーの姿は見えません。いつも二人で行く野原にもエピーは見えず、さらに次の野原にもいません。サイラスの心臓は焦りと心配で止まりそうになりました。その野原の先には泥水の池があります。サイラスは気も狂わんばかりにエピーの名を呼びながら草をかきわけて池にたどり着きました。すると、その池の岸でエピーが小さな靴をバケツ代わりにして穴ぼこで作った小さな池に水を運んでいるのです。サイラスはエピーをひったくるように抱き上げると泣き出しそうになって接吻を浴びせかけました。家に連れて帰ってはじめて、いたずらしたらお仕置きしなければと気付いて、体を洗って着物を着せ変えた後で石炭置き場に閉じ込めたのですが、エピーはそれも遊びだと思ってキャッキャッと喜ぶだけでした。そんな風にわがままし放題で育てたものの、エピーは親思いのやさしく慎ましい少女に成長しました。最後はエリオットの作品にはめずらしく、すべてが幸福のうちに物語が終ります。その美しい結末の故に彼女の小説の中では、最高傑作といわれる『ミドルマーチ』(1872)やプルーストが「その2頁を読めば目に涙が浮かぶ」と評した『フロス河の水車場』(1860)などの長編に比べると見劣りがしますが、しかし、おそらく力を入れ過ぎずに書かれた『サイラス・マーナー』にはエリオットの主要な思想、素朴な感情の優位、社会と調和して生きることの理想、分け隔てのない人間への共感、などがよりわかりやすい形で描かれています。 【ジョージ・エリオット】 ジョージ・エリオット(1819~1880)、本名メアリ・アン・エヴァンス、は大工から土地差配者まで出世した父のもとにイングランド中部ウォリクシャーの田舎に生まれました。母の死後、家事を見るために17歳で学校を退め、自宅で父や兄弟の世話をすることになりました。しかし、メアリ・アンはほぼ独学で仏・独・伊・ラテン、ギリシア、ヘブライ語を学び、さらにミルトン、シェークスピア、ゲーテその他古今東西の書物を渉猟しました。22歳で父とともにコヴェントリーに引っ越し、そこで知り合ったブレイ夫妻の家で、当時の進歩的な知識人たちと交友を始めました。35歳で、妻子のいた哲学者ジョージ・ヘンリー・ルイスと同棲することになりますが、このことが社会的に彼女に抜きがたい後ろめたさを与えたのです。おそらく、ルイスと彼の子どもたちを養うため37歳で小説を書き始め、それが財産と名声を彼女にもたらしました。ルイスは1878年に死亡、メアリ・アンは61歳で25歳年下の崇拝者と再婚しますが、腎臓病でその半年後に亡くなりました。 ところで、ジョージ・エリオットはたいへんな知識人でした。哲学、宗教、文学、歴史はもちろん、数学の問題を解くのを楽しみ、化学や物理学、博物学にも詳しく、およそ人間社会で重要な事柄には第一級の興味と知識、深い理解力を持っていたのです。ドイツの作家ハンス・カロッサは「人は、彼が十歳までに愛し行ったことを、常に愛し行うだろう」と書いていますが、ジョージ・エリオット、つまりメアリ・アンの生涯もまさにそのようなものでした。「人生の真実とは何であるか」これが彼女の最初期からの問いでした。メアリ・アンは周囲の人の生活や、多くの書物の中にそれを求めようとしたのです。どのように生きることは自分にとって最善なのか、そもそも人間にとって最善のこととは何なのか、こうした問いを抱き、こうした疑問に常に苛まれている少女にとって、読書はそれがなければ生きてゆけない空気のようなものでした。若いメアリ・アンの生活は、母代わりの主婦として、父や兄弟の世話に明け暮れ、自らの頭痛にも苛まれながら、知的探究心をいささかも損なわぬものだったのです。しかも、そうして積み上げられた知識は、しばしば精神だけが分離した男性知識人と違って、日常の細やかな生活と決して矛盾するものではありませんでした。彼女は24歳で、徹底した合理主義の福音書批判であるダヴィッド・シュトラウスの『イエス伝』Leben Jesu を翻訳出版しますが、『サイラス・マーナー』では田舎の素朴な人々の宗教感情に優しい共感を寄せています。サイラスは親代わりにエピーを育てようと決めた時、隣家のウインスロップ夫人の忠告に従ってあれほど敬遠していた教会に行くことを約束するのです。仮借ない懐疑主義の精神は、またすべてを容認する寛容の精神をも有しているのではないでしょうか。 R.W. エマソンはジョージ・エリオットとの初対面の印象を「穏やかで澄んだ心を持った女性」と書いています。また、ハーバード・スペンサーは「女性らしい性質と素振りを持つ」メアリ・アンについて最大級の賛辞を寄せています。「その微笑には、常にともに頬笑む人間への共感があった」と。彼女は美人ではなく、貞淑さが第一の美徳と思われたその時代でさえ、その容貌の欠点は思春期の少女の心を痛めたかも知れません。しかし、内面の美というものは確かにあるもので、深い教養と寛容の心、弛まぬ好奇心は表面の美を「薄い皮膜」にしかすぎないと思わせるに足るものでした。それは、最も幸福な人間とは、他の人間の悩み、考えを共有できる強さを持つ人間である、というジョージ・エリオットの生涯の心持ちの証明でもあるのです。 |
06 19(木) 朝日の社説 <ガス田開発>・<地方分権要綱> |
ガス田開発―現実的な妥協ができた 日中関係の懸案のひとつに、ようやく解決の道筋がついた。東シナ海のガス田について、一部を共同開発することなどで両政府が合意したのである。 海底資源などの権利を主張できる排他的経済水域(EEZ)の線引きに絡んで、長くもめていた問題だ。やっかいな線引きを棚上げし、なんとか妥協にこぎつけたのはよかった。 合意の対象は2カ所の開発だ。すでに稼働直前の段階にある白樺(しらかば)ガス田(中国名、春暁)について、日本側が中国の開発会社に出資し、出資比率に応じて利益を分ける。もう一つは、日本側が主張する両国沿岸からの中間線をまたぐ海域で、新たに日中折半で共同開発する。 双方が日中関係の全体をにらんで歩み寄ったということだ。100%中国資本で進めてきた開発に日本の参加を認めるのは中国側の譲歩だが、出資比率の交渉はこれからだ。日本側もこの2カ所以外の開発については明確な言質をとらなかった。 この問題は5年ほど前、中国側が中間線付近で一方的に開発を始めたことから急浮上した。当時、小泉首相の靖国神社参拝などで関係が険悪化した時期だったため、両国のナショナリズムがぶつかり合う形になってこじれた。 そもそもEEZは、沿岸から200カイリまでを主張できるのが基本的な国際ルールだ。だが、日中のように地理的に接近していると双方の200カイリが重なってしまい、どこに線を引くかで利害がぶつかることになる。 日本は、両国の沿岸からの中間をとってEEZの境界とするよう提案している。一方、中国は大陸棚が続くところまで沿岸国の権利は及ぶとの理屈から、沖縄の近くまでを中国側とするよう主張している。 一時は、中国側がガス田近くの海域に軍艦を出動させて示威行動を見せたり、日本側も日本企業に開発許可を与えたりして緊迫したこともあった。 結局、今回の合意は線引き問題に触れなかった。双方の主張が平行線のままなのは変わらない。 それでもこうした妥協の形ができたのは、福田首相と胡錦濤国家主席の政治的な決断があったためだ。部分的に譲歩しても関係改善の流れに弾みをつけた方が、お互い利益が大きいという大局的な判断だ。 北京五輪を前に対日関係を安定軌道に乗せておきたいとの中国側の思惑もあったに違いない。 温家宝首相が「東シナ海を平和の海に」と和解を呼びかけて2年がたつ。決着までこれだけの年月がかかったところに、ナショナリズムが絡む問題で妥協することの難しさが見て取れる。 原則での対立は横に置いて、大局で手を結ぶ。そんな現実的な知恵をほかの懸案でも働かせてもらいたい。 地方分権要綱―首相の踏ん張りどころだ 地方分権改革への各省庁の抵抗が、自民党の族議員を巻き込んで激しくなっている。 丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長が率いる地方分権改革推進委員会が福田首相に出した第1次勧告を受け、政府として取り組む「地方分権改革推進要綱」の原案がまとまった。要綱は20日にも正式決定される見通しだ。 丹羽氏の分権委と省庁側の意見が対立していた項目を見ると、原案は軒並み勧告から後退している。これに大きな役割を果たしたのが、本来は分権推進のために設けられたはずの自民党地方分権改革推進特命委員会である。 農地転用の許可や、国道と1級河川の管理の権限を都道府県に移す。保育所などの施設の全国一律の基準を自治体ごとに決められるようにする。こうした1次勧告の内容に、特命委では異論が噴き出した。 「知事が企業誘致のために転用を認めたら、優良な農地が確保できない」「河川管理を移したら、災害の時に心配だ」「保育の質の低下につながりかねない」といった具合だ。 こうした議員の主張は、分権委での官僚の言い分と全く同じである。官僚と族議員が結託して権限を守ろうとしている構図が明らかだった。 こんな過程をへて、事実上官僚がつくった原案は、勧告では「自治体に権限を移す」と言い切っていた表現を「検討し結論を得る」などと改めた。「検討した結果、権限は移さない」とする余地を残したことになる。 官僚や族議員の主張は、一見もっともらしい。だれでも洪水を招きかねない河川管理はしてほしくないし、子どもを劣悪な環境におきたくはない。 だが、そのための権限をどこに与えるかというのは、全く別の話だ。 住民から遠い霞が関の役所が、縦割りのまま全国一律の政策を行っているのが現状だ。それよりも自治体に権限と財源を持たせた方が、地域の実情にあった行政を効率的に進められる。 自治体が競い合えば、新たな知恵や工夫も生まれるだろう。高知県のアイデアで全国に広がりつつある割安な「1.5車線道路」はその好例だ。 弊害が現実のものになれば、知事や市長らは選挙で責任を問われるし、住民監査請求の制度もある。霞が関や出先機関の官僚と違い、住民が直接「ノー」を突きつけることができる。 首相にやる気があるのなら、霞が関が出してきた原案を突き返し、勧告通りの表現に直すべきだ。それが政権の改革への意志を示すことになる。 地方分権改革は、このあと出先機関の整理や税財源の自治体への移譲といった本丸が控えている。はじめの一歩から腰が引けているようでは、官僚や族議員の抵抗をはねのけて、そこまでたどりつけるはずがない。 |
06 21(土) 下北半島の奇岩群・仏ヶ浦 |
06 23(月) 続・ヒマワリの栽培 |